プロローグ

 誓いの言葉に呼応するようにして、二人の脳裏に一瞬にして閃光が走る。声の無い神託に、意識とは別の処にある魂が誓いを立てる。

 それはこの街に残された最後の御伽噺――オリジンと彼等を守護する暗がりの騎士の契約だった。 しかし、同時にそれは余りにも突然過ぎるものでもあった。



 目を見開いて固まってしまったシキミに彼――ミオは「大丈夫?」と声を掛ける。酷く狼狽えた様子はごく自然な反応だろう。

「僕は大丈夫、ですが……ごめんなさい。そんな心算では……!」

 助けを求めたのは事実にしろ、恩人を危険に晒すなど許容できる事ではなかった。シキミの意図は伝わるものの、「寧ろ」と敢えて言葉を被せた。

「僕の方が言い出したようなものだから」

「でも……これでもう、貴方を巻き込んでしまいました」

「巻き込まれたって言うなら、さっきの憲兵が来た時点で……、いや、もう少し前か。君を拾った時からある程度覚悟はしていたから」

 オリジンと分かっていて診療所に担ぎ込んだのは自分の意思だと告げる。自身の身の安全を第一とするのなら、あの場で見なかった事にするのが最善だった。

 けれど、ミオにとってはそんな選択肢は最初から存在しないも同然だった。傷付き倒れた者を見捨てる事など出来なかった。

「でもまさか、物語に語られる力が宿るとは思わなかったけど」

 暗がりの騎士が実在するとは、また己がそれになるとは思ってもみなかったが。しかし、言ってしまえば只それだけの事だった。その上、明確な敵意に対抗できる手段を得られたのだから、結果として悪いものでは無い。

 ミオ自身、今の生活のままでこの先ずっと過ごしていくことは出来ないと覚悟していた。彼が抱える事情は、出逢ったばかりの相手に話すには重すぎる上に、シキミとは別の意味で安全なものとは程遠いものだった。

「でも、僕はまだ力を制御出来ません」

 シキミが自身の手に目を落として言う。力の無い声と、断片的に語られた事から凡その事情に推測は付く。デリケートな話題ではあるが、避け通る事は難しい。毒手は黒近衛が捕らえようとした時に初めて発現した。身に余る程の力は、つい直前まで彼には存在しないものだった。指摘すれば、彼はこくりと頷いた。当時を思い出すかのように、その目が昏く沈む。

「黒近衛達から逃げる時に必死になっていたら……僕の手を掴んだ黒近衛の手が、爛れていました」

 それ迄は両親のオリジンを持つものの、当人の血液検査は規定内に収まる結果ばかりだったと言う。人ならざる力も見られなかった。今回蓄積されたものが規定値を超え、その身が危険に脅かされそうになった時にドリアートの力が顕在化したのだという。自分自身を守る為に、周囲を拒絶する力を得てしまったのだと。

「防衛本能、だったのかな」

「そう、なのかもしれません。でも今は、助けてくれた貴方の事でさえ傷付けてしまうから……この力だって、そうかもしれません」

 毒手は元より、原始の精霊の力は人の身に負荷を掛ける。少しでも誤ればミオはあっけなく死んでしまうだろう。それ程に凄まじいものだった。しかしその力が無ければ脅威を退ける事もまた出来ないのだ。ただその前提として、シキミが一人黒近衛の元から逃げ遂せたという所はあるけれど。

「でも一先ずは、その力が出現して良かったと、僕は思うよ」

「どうして……?」

「その力が無ければ、君はその時に黒近衛達に捕まっていただろうから。奴らに捕まったオリジンがどうなるかは、君も知っているよね?」

 ミオの声にシキミが青ざめた顔で首を縦に振った。この街に住む者であれば、人間でもフェアリーでも全てが知っている事だった。英才教育を施すという建前を素直に信じている者など居ない。それが街の常識だった。

「でも、僕は……行かなければいけなかったんです。そういう存在だから」

 オリジンだと認定された者は連れて往かれるものだと。それが当然の事で、拒絶してはならない事だとシキミはずっと言い聞かされてきた。しかし、いざ自分がオリジンと断定された時。彼の中に戸惑いが生まれた。

「……検査結果が出て、大勢の黒近衛達が来て。その時、僕は『行きたくない』って思ってしまったんです。そんな事、思ってはいけないのに。……そうしたら、何もかもを拒絶するように、この手はこんな風になってしまいました」

 それは酷く重い、苦い告白だった。一人きりで立たされた窮地の絶望はどれ程大きいものだっただろう。けれど、彼は抗った。自分自身を守った事をミオは評価したかった。

「どうして君が自分を下に見てしまうのかは分からないけれど」

そう前置きをして、沈んでしまったシキミの目を捉える。震える視線を、白銀の瞳はしっかりと受け止めた。

「連れて行かれたくないと自分で思えたのは良かったと思うよ。生きている以上、不用意に傷付きたくないと、生きたいと思うのはごく当然の事だから。医者として、君がそう思えたのは良い事だと思うよ」

 その言葉もまたミオの本心だった。絶望的な状況の中でも生きる意思が砕けずに在れた事がどれ程重要か、彼は身を以て知っていた。手袋越しの手を取ろうとする。微かに怯えを見せるが拒絶はしなかった。

「生きたいと自分で思ってくれるなら、いくらでも助けの手を差し出せるから」

 この手の事も、と握る己の手に軽く力を籠める。痛みを与える程ではないが、手袋越しにも握られているという感覚が分かる程度に。未だに戸惑いを滲ませた声ではあるが、それでも瞳には微かに光の兆しがあった。

「生きたいと思って、いいのでしょうか?」

「連れて行かれたくないと思ったんでしょう」

 問えば、無言で小さく頷いた。

「なら、それで良いんだと思う」

「……はい」

「あとは、そうだね。今は休んだ方が良いかな。君も大分疲れているだろうから」

 少し前まで意識を失っていたのだ。あれだけの睡眠で疲労が回復したとは到底思えない。気力と体力の回復の為にも睡眠は必要不可欠だ。これから先の事を考えるにも疲弊した状態では宜しくない。疲労についてはシキミも自覚しているようで、しかし何故か彼はベッドから起き上がろうと身動ぎをした。同時に何かを探すように部屋を見渡す。

「では……椅子か何かをお借りしても?」

「そのままベッド使っていいよ。今は空いているから、好きに使って」

「……お借りします」

幸い入院中の患者は居ない。ベッドにも部屋にも余裕はあった。それほど気を遣わなくてもと苦笑して、そのまま眠るように促した。

「何かあったら呼んで」

「わかりました。……おやすみなさい、Dr.」

「おやすみなさい」

 横になった彼に布団を被せて、ミオは立ち上がる。眠るまで確認し続けるというのも逆に休み辛いのは想像するまでも無い。

 扉を完全には締め切らず、僅かに隙間を明けたまま、ミオは処置室を後にした。

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