50センチのひまわり

@ai34

全1話

ガタン。

恐らく人生の中で、私が一番聞いた音。

絶望、失望、希望、待望。そのマルチに効力を発揮してくれた。勿論ほとんどは、大多数の思考回路の通り、前者二つ。少しくらい優しくたっていいじゃないか、唯一の反抗さえも、根こそぎ枯らされてきた。

でも、「発揮してくれた」そんな思いになるのは、そんな思いが素直に在るのは、

諦めなかった未来に、今いるからです。



「空はさ、もう進路決めたの?」

高校二年の二月、彼氏の空に尋ねた。

「うん、俺自衛隊入るよ。」 

「自衛隊⁈」 

驚いた。流石に思いつかない。

いや思ってもなかった。

でも、どこか納得と理解の思いが先行した。 

「正直びっくりだけど、空らしいね。」

そう言っておきながら、何かが込み上げている気がした。

「ホント?そう思う?」

「思うよ。何で?嘘に聞こえた?」

私が少し顔をゆがめると、絵文字みたいな顔

が直ぐに弁解する。

「違うよ!逆ぎゃく!心幸に言われるとホント聞こえるからさぁ、 不安になって。」 

「なんて言えばいいんだっけこういうの」 

「矛盾、ね。」

「そう!それだ。」

矛盾、矛盾と彼が繰り返す帰り道。もう影は出来ない時間。でも今日は見ておきたかった。

空の隣にいる私。

ぐちゃぐちゃでいいから、ここにある想い、残しておきたい。なんて思っている。

この不自然な感傷の理由は、

“俺らしいかもって俺も思ったんだ。でも心幸に改めて言われて、なんか怖くなった。

覚悟があるって言いきれないから。

でも変えないよ。それは言い切れる。

初めて、苦しいくらい悩めているから。”    

って、空が迷っていなかったから。

いつまでもあっけらかんとした青年でいてよ。それはもうとっくに、今日じゃなくてもうとっくのとっくに、置き去りの願望でしかなかったのだと、気が付く。

寂しいが正しいのか、怖いが正当なのか。

込み上げた何かは、かなり繊細だった。

「心幸は?」 

「んー、まだわかんないや。」

「俺、心幸の絵好きだよ。」 

空、それ多分お月様に聞かれてるよ。

余裕のない濁しは、心底へ転がった。

「空、絶対元気でいてよ?大人になっても。」

煩雑な脳が選択したのはごくありふれた感情

だったけれど、私たちにとってはイレギュラーだと、空もきっと思ったと思う。

「急にどうしたの?(笑)あったりまえじゃん!見て?俺丈夫そうでしょ?」 

何で笑ってんのよ!と大騒ぎの彼がいる日常

を、黙って抱えこんだ。


 それから空は防衛大学へ進学し、本当に自衛官になった。ちなみに私は芸術大学へ進学し、ウエディングドレスデザイナーになった。

仕事は、まちまち。割と平凡だと思う。

そして私たちは、恋人として六年目を迎えようとしていた。関係性は変わらない。

ずっとあの頃のまま。変わった事と言えば、一緒に住むようになった事とか、お互い恥ずかしがらずに気持ちを言うようになった事とか、あとは、将来について考える ようになった事、かな。

五年前の自分が見たら一目瞭然、不安要素はまるで無かった。

そりゃあいつだって空を心配しているし、大丈夫だと思いきった事だって無いけど、空の笑う顔を見ているとなんだかんだこのまま平和にいられるんじゃないかと、  思えてくる。

簡単すぎなのかもしれない。そんなに甘くないこともわかっている。向き合っているようでいて、ズレてる。でも人間みんなそんなもんでしょ、と悪気なく自分を庇って片づける。

それがほとんどの場合、意識の外の論であることが怖いところなんだろう。


 「心幸、今日話したいことあってさ。」

少し早い晩御飯を食べていると、彼がそう告げた。少しだけ緊張しているようで、 珍しく目が合わない。

「うん、わかった。ご飯食べてからのほうがいい?」

「どっちでもいいけど、そうしよっか。」

そういえば今日は、静かな食卓な気がする。

心を奪う動揺をなんとか取り繕ろうと話しかければ、空はにこやかに応えてくれた。

良かった、いつも通りだ。

その場しのぎでしかない安堵を私は必死に握りしめた。

 三十分位経って、どちらともなくソファに移動した。いつもより三倍弱に感じた味付けが、まだ残っていて気持ち悪い。

先に歯磨きしてくるね、といってとりあえず一度逃げた。

まだ何も始まっていないのに。

この無根拠な予知能力は、ここ数年で身に着いたもの。あまり使ったことはないけどね、持ってないよりきっといいと信じていた。

深呼吸をしてリビングへ向かう。

大丈夫大丈夫。

「ごめんおまたせ。」

「全然。心幸、紅茶でいい?」

「え?あ、うん、ありがと。」

「先座ってて。」

「うん。」

二人で腰かけても十分なソファの、極力端の方で空を待った。

「ふふ。緊張してる?」

「少しだけね。」

「俺も。」

「・・・うん。」

「おいで、こっち。」

大きく広げられた腕に収まった。

空は何度も、抱きしめ直す。

言葉のないメッセージに、うまく応えられているだろうか。

抱きしめ直す数ミリの隙間すら敏感になっている私に。

「話、するね。」

背中に回っていた腕が、順番に手のひらへ辿り着く。

「海外派遣のメンバーに選ばれた。」

「南スーダンの。」

予知能力は、初めて行使されたかも知れない。

けれど、ただそれだけ。

その使い方を私は知らなかった。

いざ現実とリンクしてしまえばどうしていいのかわからない。

免疫が無いせいじゃない。

私はやっぱり、甘すぎた。

「そっか、」

「急でごめん。」

別に謝る事じゃない。それが仕事なのだから。

だから次の質問をする私は、ずいぶん意地が悪い。

「・・行くの?」

「行くよ。」

自衛隊に入ると私に告げた時と同じ眼をしていた。これ以上空の言葉を聞くのは恐かった。覚悟でしかない想いを受け止めるしんどさは残念ながら知っている。

私が伝えるべき一択は、喉にさえも引っかからなかった。

「一か月後に行くことが決まってる。」

「もしかしたら伸びるかもしれないけど。」

「・・・・・相談しなくてごめん。

 今すぐ理解してほしいとは思ってない。

 でも俺は行きたい。ごめんな、」

彼がどんな思いでここまでやってきたか、毎日精神すり減らして努力してきたか、それが分かるから痛い。空はずっと、自分のそばにいてくれるのだと過信する事で隠していた、“憶病”の刃が。


「おはよう。」

「おはよ。」

「早いね、もう少し寝てればいいのに。」

「うん、そうしたかったんだけど、今日少し早めに出るから。」

「そう」

昨日の告白が冗談ではないと、寝不足でむくんだ顔が証明する。理解は自分の中でかなり追いついた。でも、理解するってことと受け止めるって事は違う。

最大の敵はそこだった。

「心幸、今日休みだよね?」

「うん。」

「訓練見に来ない?」

「訓練?空の?」

「そう、今日公開訓練なんだよね。よかったらどうかなって。勿論無理しないでね。」

一度は見てみたいなと思っていた。でも、今は怯む。昨日の今日だ、いつ破裂するかわからない。

「もし来たくなったら来て。十時から空いているから。場所は大丈夫だよね?」

「うん。」

空はいつもより一時間早く家を出た。見送ってすぐに、私はドレッサーの前に座っていた。

「こんにちは~!」

「こんにちは。」

「見学の方でよろしいですか?」

「はい。」

「ありがとうございます。それではあちらからお入りください。」

建物の中は、異質な空気はあるものの、特に息苦しくはなかった。案内されたところから見える訓練中の隊員の中に、一回り大きな体が見えた。

制服はとっても似合っていて、きりっとした眼差しが太陽と対峙して光っている。

好きなんだなぁこの仕事。心から思った。

「心幸さん、ですか?」

聞き覚えのない声に我に返る。

「はい、そうです、」

「お、よかった。はじめまして、佐野と仕事をしております、准尉の黒田と申します。」 」

「はじめまして、いつもお世話になっております。」 

「噂の心幸さん、私が一番乗りです。」

「噂の?」

「はは、あそこにいる奴らの中ではまあすごい話題ですよ。佐野が毎日話してますから。」

「そんな、ご迷惑をすみません、」

「いえいえ、大切な人の話ってのは、人の心を穏やかにさせるものです。あいつ本当に幸せそうに話しますよ。」

にやにやと、詮が抜けたように話しているのだろうか。仮にそうだとしたらほっとする。いつも通りの空が、ここに居るのだ。

「少し安心しました。皆さんのおかげで、のびのびとやれているんですね。」

ニコリと笑った黒田さんが、不意に発した。

「海外派遣のお話、お聞きになられました?」

「え、どうして。」

「なんとなく心苦しいお顔をされていたのでもしかしたら、と思いまして。」

「昨日、聞きました。」

「昨日!?はははあいつもやりますねぇ。それで今日誘うなんて。」

「お気持ち、大丈夫ですか?」

「理解はしています。でも、行ってほしいとは・・・思いません。」


「彼の本音も、そうですよ。」

「・・え?」

「佐野は、正義の塊みたいなヤツですから。

自分が必要とされれば、そのために決める、動く。彼が選ばれたのは、実力はもちろん、その人間性です。南スーダンは決して安全なところとは言い切れません。でも佐野は、二つ返事でした。大した男ですよ本当に。」

「でも、怖くない人なんていないんです。大切な人を残して、体と心を誰かにささげるんですから。」

「だからもしも、あいつが震えていたら、抱きしめてやってください。」


神無月の五時も、足早に暗闇を連れてきた。

それに被さるようなオレンジの宇宙が、意地らしくて綺麗だった。

その中を、黒田さんの言葉を思い出して泣きながら歩いた。

家が見えてきた所で、コーンが無い事に気づいて、スーパーに寄っていくことにした。

しょうがないなぁ。

空は、コーン入りのシチューが好きだから。

「忘れ物ない?」

「うん大丈夫。」

「本当に送っていかなくていいの?」

「うん、だって寂しくなっちゃうでしょ?」

「空がでしょ?」

「なぁんだバレたか~」

うへへ、と笑う空の頬を包む。

「しっかりご飯食べて、寝て、自分の事も気に掛けてね。大変な時は周りに頼って。」

「うん。わかった。

私を捉えるフィルターは汚点なく澄んでいる。

「空なら大丈夫。」

「ありがとう。」

「じゃあ、行ってくる。」

「気を付けてね。」

「おう!着いたら電話するから、またすぐ話そうね。」

「うん(笑)」

じゃあ、と手を挙げて見えた背中は、

私が思っていたより、華奢だった。

「空!」

「、わっ!はは勢い凄いよ」

「苦しくなって逃げても、出来なくても、いつか空は、ちゃんとその壁を乗り越えられるって信じてる。だから、必要だったら逃げていいし辞めていい。

無事で・・・いてくれたらそれでいい。」

張り裂けそうな胸を重ねて、温もりを廻す。 

空っぽになった時に途方にくれないよう、精一杯。 

ほんの数分、私にかかっていた体重が解かれて目と目が合えば、あとは進むだけ。

「行ってらっしゃい、空。」

「絶対、無事に帰ってくる。いってきます。」


 空が南スーダンへ行ってからもうすぐ一年。

空は毎日充実しているようで、今日は何した、どんなことがあった、誰々と友達になった、など隅々まで教えてくれた。その活力が私にも漲り、とても心強く充実して過ごしていた。寂しさは誤魔化せないけれど、繋がっていると思うことで踏ん張れるくらいには、強くなっていた。

 


けれど、すぐそばに絶崖が切り立っていることを、神様は教えてくれたりはしない。



『佐野が銃撃に遭い、意識不明の重体です。』 

季節外れの暖日、准尉の告白は、世界の鋭利を私の全身に刺し、えぐった。

壊れた。崩れた。

後の詳細で、空は両脚に銃弾を受け、右脚は現段階で完全麻痺、そして治療の遅れた左足は壊死し、膝から下を切断した事がわかった。

空が日本に帰ってくるまでの三日間、自分がどこにいて何をしていたのか覚えていない。

自分の中に入ろうとして来るもの全て断っていた。ただひとつ、繋がるはずのないテレビ電話を時間通りに求めて。

 規則正しく鳴り続ける音を掻き分けて、一人の男性の前に立つ私。そばには両親らしき人がいたが、私の肩を一度抱いて席を立った。

眠っている男性は、どこか誇らしげに見えた。

距離を詰めて見た横顔は、やっぱり清々しい面持ちで塗られていた。

彼にそっと、手を伸ばす。私の手、温かいといいな。

受け止めるべき現実が白黒の膜をちぎる。

「そら、・・・おかえり。」

「がんばったね・・・お疲れ様、」


長い闘いが始まる、それ以上の事は何一つわからない。幾度の山か谷か。経験した事のない人生を目の当たりにしていくのだろう。舗装のない地を自力で行く他方法はない。

それでも、生ける。きっと生ける。

こんがり色の肌が持つ熱は、私と何も変わらない、今までを纏いこれからを願い憂う、行きたいと思う人の体温だと、信じた。 


 翌日、空は目を覚ました。

でも、その心は深く閉ざされた。

今はまだ準備段階だけれど、大きな一歩には違いない。崩れ散った欠片を不恰好に組み立てるくらいしか私もまだできないけれど、早速歩く道が敵だけれど、空となら、隅に咲く小花に気づいていけると思っているよ。

 目を覚ましてから空は、一言も話そうとしなかった。必要最低限の意思表示は全て、先生方へ向けられた。意思疎通が出来なければ、何をして欲しいか、何を思っているのか分からない。強行突破できない厚い壁だった。

「空~!おはよう!」

「見て!シュークリーム買って来た!」

「後で食べたかったら食べてね、私はお先に頂きま~す」

「今日ね、もしかしたらドレスのデザイン一人で任されるかもしれないんだ。もし任せてもらえたら今夜はミニパーティーね!」

反応が無いとわかっているのに、いつも虚しくなる。うん、すごいね、あはは、って笑ってくれる空が見えてしまうから。

でもその情景を描けるんだもん、幸せだよ。めげるな私。数十回目の喝を入れる。

その間に、思考は何かを取り入れたようだった。

「ねえ空、交換日記してみない?」

「書きたくなったらでいいからさ、やってみよう!」

不意に舞い込んできた新風は、穏やかにはまるで思えなかったし、一つの突破口にも思えなかった。だけどやってみなくちゃ分からない。やってみたいと思う。

それでいいのだ。

『十二月二日 心幸

交換日記始めます!第一回目はね、嬉しいご報告をします。なんとドレスのデザインを一人で任されました!嬉しい、とっても嬉しい。更に頑張るぞ~!

空も今日一日お疲れ様。』


『十二月十七日 心幸

最近また一段と寒いね。体調気を付けよう!

さっき空のマッサージをしてたけど少し上達した気がしました!(笑)

明日はおでんでも食べようね』


『一月一日 心幸

空、明けましておめでとう!今年もよろしくお願いします。

交換日記も初めて約一か月、空が目覚めてからは約二か月。早いね~。

私は幸せだよ、ありがとう空。』


『一月二十八日 心幸

今日は少しだけ悲しい事があったけど、空の顔を見たら物凄くちっぱけに思えました。なので明日また頑張ります!空、空のペースでゆっくり行こうね』


執筆者一人の大学ノートは、淋しさを必死に隠し続けた。捲っても捲っても変わらない字形に、期待など無効にしか感じられない。

「それでも」という前向きも限界を迎えているのではと、沢山不安になりながらも、辞めようと思ったことはなかった。私は馬鹿なのかもと、笑い飛ばして顔を上げ続けた。


「空~おは、」

体中の力が抜けて、鼓動が爆走する。白い毛布が床に落ちて、そこには残像ひとつない。

空が、居なかった。

最悪の結果の連想が止まらない。早く探さなければと、膠着した足に力を入れたところで見えたのは、外向けに開かれたノート。何よりの違和感に震撼が襲う。呼吸を整えて正面に立ったところで、両脚は機能を放棄した。


『二月三日  

頑張るよ。         空。』

昨日は、いつも逃げようとする腕のマッサージを拒否しなかった。二日前には冷蔵庫のシュークリームが無くなっていた。今日はご飯残しませんでしたと、数日間はずっと聞いていた。ピースが合わさり、涙が止まらない。

空は、空だった。

リハビリ室へ駆け込むと、両側を支えられながら立とうとチャレンジしている空が居た。

一度休憩ねという言葉を合図に座りこんだ空は、私の存在を捉えた。屈折せず真っ直ぐ届けられた眼差しに、音が乗る。

『・・ただいま、ここ。』

その何倍もの音量で返事をした私に、空はとても愛おしく笑った。この日空は、

スタートラインに、勇気ある一歩を運んだ。


『二月六日 空

リハビリの先生に、習得が早いと言われ嬉しかった。先生にも鍛えていたから筋肉はしっかりあると言ってもらえた。歩けるようになりたい。』


『三月十日 心幸

朝病室に行ったら、空はもういない・・早すぎる~(笑)その分夜はいろんな話が出来て今日も素敵な一日でした!』


『四月一日 空

来週退院が決まりました。まだまだリハビリはこれからだけど、家に帰れるの嬉しい。今日は黒田さんや同僚たちも来てくれて、有難かった。あ、これ全部ホントだからね(笑)』


『五月三十日 心幸

今日は働きすぎて電池切れしたまま帰ったけど、空がお帰りって迎えてくれた事が嬉しくて、もう一回会社行こうかなと思った(笑)

空が居るって最強!ありがとう』


『七月二十日 空

心幸がデザインしたドレスが形になったものを見せてもらった!凄すぎる・・勇気をもらった。』


『十月五日 心幸

空のリハビリに付き添わせてもらった。確実に進歩してた。転ぶ度に手を貸したくなってしまったけど、心配はなかった。私に出来る事は信じて支える事だけだ!』


『一月十七日 空

義足に慣れてきたけど、やっぱり難しい。最近は少し痛みもある。不安。でも右脚はかなり動くようになってきた。まだやれる頑張ろう!』


振り返る事もしないまま、私達は進んだ。度肝を抜く敵ばかりだったけれど、一人では無い事が、盾となり剣となり、居場所となり、ギブアップを数え切れないほど遠ざけた。 

互いに、見えないところでは苦しみ嘆き、傷つきながらも、あなたを想い生き、

春を迎えた。

 「うーーーきもちいぃ。」

「人少ないね」

「花粉だからかな?」

「ふっ、そういうこと?(笑)」 

他愛もない会話が心を満たす。

「よくここでおにごっこしたよね」

「したね~、いつのまにか遊んでる小さい子たちも皆一緒に(笑)空手加減しないからブーイング浴びてたね」

「そうそう、俺ガチだったからなぁ」

遠く柔らかな目で話す空に、なぜだかかける言葉を失う。春風が、緩い時間を流す。

「生きててよかった、」  

突如、胸の真ん中にギュッと痛みが走った。

溢れた声は続ける。

「幸せもんだよ俺。助けてくれた、支えてくれた、信じてくれた全ての人に、本当に感謝してる。」

「きっと俺よりずっとしんどかったよな、そばにいてくれた人は。  

・・・ごめんなぁ、こんなんになって。」

そばにいてくれた複数の中にもしも私が居るにならば、言葉を返す義務があると思う。

「しんどいのは、自分が代わってあげる事が出来ないから。その苦しみを同じように感じる事が出来ないから。自分の不甲斐なさが辛い。 

 だから、空が何かを求めてくれたり、有難うって言ってくれたり、笑ってくれたり怒ってくれたりする事が、泣けるほど嬉しい。何もできなくてごめん、って気持ちは、空がいつも救ってくれた。私は空の隣で強くなったよ。ありがとう。」 

空の涙には気付かないふりをした。 

握ってくれている手には、しっかり力が入っている。他に何もいらない。


「心幸、もう全力疾走できなくてもいい?」

「いいよ。」

「歩くの時間かかってもいい?」

「いいよ。」

「本当は弱虫で怖がりでも嫌にならない?」

「ならない。」

「一人じゃできない事だらけでもいいの?」

「一緒にやればいいよ。」


「まだ、・・・仕事諦めてないよ。」


「私だって諦めてないよ。」

 

耐えきれなくなったのは私の方だった。 

ぼろぼろの微笑みは、大きな胸に飛び込んだ。 

長く、永い愛が身体を巡る。それはあまりにもキセキで、ヒカリだった。 

足りない、と思うことなどこの先何度あるだろう。こうであったなら、と悲観し、 運命を恨む日も数知れない。 

けれど、 

無いものの意味を背負ってゆける生涯は、在るものの意味を守ってゆける人生を、

愛すことができると、ソラに誓った。


 紅色の絨毯を、かっこいい武器を鳴らしながら歩いてくる新郎を、数百の優しさが見ていた。時折顔を伏せるのは、照れくさいからだと、みんなに伝えようか。そんなことを考えているうちに、彼の身長は私を追い越した。

牧師の言葉に、誠意をもって答える。

響く拍手に不慣れな私達は、ピタッとくっつき、それなりを装って噛みしめた。  

月草色の天に、未来が舞う。

 語られ始めた新郎からの言葉は、ドカッと笑いが起きたり、親しい方々を巻き込んだり、目頭が熱くなる瞬間を持ちながら届けられ、

そろそろ締めますね、とまた笑みを含んだ。

「僕の人生を語る上で、足を無くした事は、無くてはならない事かも知れません。

でも、それが人生で一番大きな出来事かと言われたら、そうじゃありません。

一番大きな出来事は、心幸と、夫婦になれたことです。

いやもしかしたら、この先更新される可能性も十分にあります!(笑) 

心幸を守っていく覚悟は、想像もしていない幸せに気づかせてくれるんじゃないかって、僕は信じているから。

明日は、今日よりも素敵です。 

先ほど心幸が、ガタンという音は人生で一番聞いた音だと言っていました。確かに、一度凄まじい音で崩れ、その後も何度も何度も壊れて、底をずっと歩いてきたような

感覚でした。僕よりも彼女の方が聞いたはずです。

でも、立ち上がってからは、違う意味でもう一つ聞こえるようになったのが、

きっとこの、右脚の引きずる音と、義足の音です。他人にとっては騒音かも知れま

せん。でも僕等にとってこれは、希望でした、諦めなかった未来でした。

暗闇は苦しかったけれど、胸の奥でかけがえない時間として抱きしめています。

・・・最後に、宣誓します!」

  

「僕はもう一度、自衛官になります!」

 

空の宣誓を後押しするかのように、司会の方の元気な声が響く。

どうやら何かサプライスがあるようだった。


そしてそれは、南スーダンにいる空の同僚と子供達からの動画だった。 

 

「あ、ニャマルだ」

「そら」と呼びかけた1人の少女に向けてふわりと緩やかに持ち上がった頬は、暫くしてから、彼女に置いていた焦点を一歩奥へと移したとほとんど時を同じくして、ふふっと、愛ある音を零した。

彼が映している世界の中に少しだけお邪魔させてもらうと、見覚えのある背丈で風に拮抗するヒマワリ。

これか。

途端に熱の入った涙腺を励まして、隣のタキシードに素肌を寄せた。

この地で空は、足を無くしたけれど。必然で、迷路を選択しなければならなくなったけれど。

代替不可である、夢を孕んだ小さな芽たちが暮らす日常を守り、迷宮の扉の前で、その命をかけて、両手いっぱいに抱き留めたんだ。

子供達が動いた拍子に、淡い色で隠れてしまったその花は、例え見えなくても、何も変わらず、

希彩〈キイロ〉で揺れているんだろう。

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

自然の猛威だけじゃない、理不尽な理由で傷つけられることもあるに違いない。ㅤㅤ

それでも折れずに。枯れずに。ㅤㅤㅤㅤㅤ

この地で共に生きる人々が、「素敵だね」と素直に腰を下ろせる存在であるあなたは

立派なヒーローだ。ㅤㅤㅤㅤㅤ

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

 いってきます。いってらっしゃい。

同じシチュエーションが繰り返される中で、空は運命の中へ飛び込んでいく。

何事にも、「不利」だという概念を客観的に持たれても、その痛みさえ自己の渦へと誘って、〝ただいまー!〟と笑顔に調剤してしまう空を誇りに思う。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

気付かずに膨れ上がる荷物は、〝空おかえりー!〟と伝えながら必要と不必要を  一つ一つ想いながら分けて、詰め直して行けたなら。

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

汗でビショビショになった戦闘服。

いつか必ず、もう一度迷彩柄を塗ろうね。

どんなに入り組んだ道でも大丈夫。

必ずゴールはあるから。

「ふふ、どうしたの?」

「ん?ううんなんでもない。」

「へへっ、なんか嬉しいね、幸せだね。」

ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ

グッドスマイル。

思い出した。ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ  

南スーダンに咲いていたヒマワリの花言葉。

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