3-5

「今日は休日なのにわざわざ来てくれてありがとう」

「いえいえ、仮とは言え部員ですから」

 アキちゃんの視線が一之瀬先輩の色素の薄い髪の毛に注がれる。

 仮とは言え部員……か。たった三日間でずいぶんと染まってしまったなぁ。

「マナセンパイ嫉妬です?」

 横からズイッと顔を近づけてくる蜷川。コイツのにやけ顔……ぶん殴ってやろうか。

「部外者であるアンタが何でここにいるのよ」

「いや、私は演劇部の皆さまからの正式な依頼ですよ。馴染む気が一切無いセンパイの方が部外者っぽいです」

「……」

 そう言われると返す言葉が無いのが実情だ。アキちゃんが私の付き添いを希望しなければ彼女の隣にいるのは私ではなく、おさげが特徴的な二条さんになっていた事だろう。

 土曜日の朝、普段であれば学校が休みであるはずの私達は制服姿で小ホールに集まっていた。基本的に学校は帰宅部の人間にとって週休二日だけど、部活動に入っている連中は何連勤しているのだろうか。青春の爆発力とは偉大だと思わざるを得ない。

「一日中ホールを使える日じゃないと通し稽古は出来ないからね。二条さん、首尾はどう?」

「はい!」

 一之瀬先輩の呼びかけに応え、やって来た二条さん――

「!??」

「……」

「凄い! 一枚いただきまーす!」

 広報の力を如何なく発揮する蜷川。ブレずにスマホを構える姿は流石と言うべきか。

 対する私達は彼女の姿に圧倒されていた。

 私が目の前の女性を二条さんだとかろうじて判断出来たのは、一之瀬先輩が彼女を「二条さん」と呼びかけたからで、今の彼女は特徴的なおさげを解き、艶のあるストレートなロングヘアをなびかせている。そこに大人びたメイクと、先日一之瀬先輩が着ていたようなパーティードレスが組み合わさって……学生の姿はどこへやら、目の前にいるのは社交界の華、まばゆいレディが佇んでいる。

「うん、今日も化粧の乗りがいいね。流石副部長、見事な変身だ」

「いやいや、部長ほどじゃありませんよ。私なんて一役こなすのが精いっぱい。部長こそそろそろ準備に入らないとあとは主役だけです」

「うん。相変わらずみんなの仕事が速くて助かるよ」

 そう言うと一之瀬先輩は二条さんといくつか打ち合わせをして、それが済むと私達に向けて一礼した。

「本日は劇団極光の通し稽古にご来場いただき誠にありがとうございます。本公演にて皆様も我が劇団の真の姿を知ることが出来るでしょう……なんてね。仁見さん、それに蜷川さんと九条さんも今日は気楽に楽しんでいってね」

「……」

 蜷川の後というのが気に食わないけど、限りなく一流に近い実力を持った集団の真価が分かる機会、ととらえれば悪くない。

 あれだけ軍事行動を取っておきながら、出来上がったものがお粗末であればそれはカリスマを持ち上げているだけのバカの集まりだ。一之瀬先輩と二条さんの実力は認める。それでも、それだけでアキちゃんを託せるに足る場所であると判断するのは早計だ。

 さて、肝心の実力がいかほどのものなのか……見せてもらおうじゃない。

「……」

 照明が落とされ、ブザーと共に幕が上がる。

「ああ……ああ……」

 壇上でスポットライトを浴びるのは一人の女性に扮した一之瀬先輩。

「許さない……私から顔を奪ったあの人達を……私は許さない――!」

「⁉」

 その顔面はむごたらしく切り刻まれ……メイクとは分かっていても鬼気迫る赤色で胸のムカつきが止まらない。

 ストーリーはとある男たちによって顔を奪われた主人公が彼らにふさわしい罰を与えるという王道の復讐劇。主人公は失った顔と一緒に自身を巧みに隠し、四度の変身を繰り返しては復讐するべき男たちを一人ずつ追いつめてゆく。

「お、お前は……その顔は!」

「勘弁してくれ……俺はたまたまアイツらといただけで……俺は悪くねえ!」

「私には社長という立場と娘の将来が……それを台無しにするつもりか!」

「助けてくれ! 俺はまだ……死にたくねえ!」

「ハッハッハッハ――‼」

 一之瀬先輩は……主人公は美女から老婆、美醜を問わず様々な女性に扮しては男たちと観客を惑わしてゆく。怪人二十面相というあだ名は伊達じゃない。顔面が変わると指先の動作に至るまで本当に同一人物が演じているのか分からなくなるほどに――これで二役分不完全だなんて素人目には分からない――別々の人間が舞台の上で生きている。

 先輩の演技力もそうだけど、それを支える演劇部の体制も侮れない。先輩がメイクをするための、輝かしい主役不在の間はどうしたって見劣りしてしまうものだけど、そこを照明、脚本、美術の力で補強し、部が一丸となる事で先輩の演技力に対抗している。ライトを浴びて輝く妖婦に扮した二条さん。普段の人当たりが良い穏やかな彼女はどこへやら、瞳には主人公を蹴落とそうと悪辣な手段もためらわない悪意が渦巻いていた。

「これが演劇……」

「……」

「……」

 一之瀬先輩のカリスマが部を引っ張っている事は揺るぎの無い事実。しかしながら、所属部員もそれに胡坐をかいていない事は一目で分かる。一際輝く一番星、そんな彼に追いつこうとそれぞれに光を輝かせる部員たち。様々なきらめきが集まり、一枚の光のキャンバスを広げていって……劇団極光という名前はこの部のためにあると言っていい。

「………………」

 気づけば見入っていて……九〇分があっという間に過ぎてしまった。

「どうだったかな」

 ……悔しいけど、

「凄かったです。一之瀬先輩、私――」

「いやー! 撮れ高バッチリ! 最高でした! センパイ後でどの部分ネットに上げてもOKか教えて下さいね! もちろんネタバレは上げませんけど……これなら私が宣伝しなくても満員間違いなしです!」

「――……」

 にーなーがーわー!!! 人がせっかく良い事言おうとしているのに割り込むなよぉ……!

 ま、コイツのオーバーな反応は置いておくにしても劇の内容が素晴らしい事に変わりは無い。

「仁見さん……どうだった?」

 一之瀬先輩がアキちゃんを引き入れるために超高校級の才能の全てを注ぎ込んだ演劇。先輩は成果を確かめるべく彼女に向かう。

「……………………」

 アキちゃんは劇中の主人公のように顔面を失ったわけでは無い。だけど、二人とも「顔」に関わる要素を奪われたという意味では共通している。一度奪われた人間は元通りの生活を送ることが出来ない。癒える事の無い傷跡を抱えながら生きる事を余儀なくされる。

 世間一般では被害者に「復讐は何も生まない」なんて心無い言葉をかけることが流行っているらしい。なるほど、確かに何も生まないだろう。なぜならば復讐とは負債を帳消しにする行為であり、結果収支はゼロに戻るだけなのだから。

 犯罪に対して犯罪でやり返す復讐は私も悪だと思う。そんな倫理が働いているためか、舞台は最後主人公の破滅で終る。

 だからと言って彼女の行動が全くの無駄だとは思えない。復讐を決意した事で主人公は立ち上がることが出来たし、その最中は――血にまみれたものだとしても――間違いなく輝いていた。

 幸せなんて所詮その人の価値観次第。復讐に燃えるか、別の方法で昇華させるか……どのみち幸せになりたかったら前を向く他無いだろう。

 フィクションから楽しめるものだけど、実際の復讐が成功する可能性はかなり低い。犯人を刑務所にぶち込んだ所で相手が反省するとは限らない。再犯する奴だってざらだし、中には警察に捕まらない奴だって――異常者に対しては何をやっても無駄だ……。

 けれど、フィクションなればこそ表現できるものもある。舞台の上では何だって表現できる。ここには演者を支える優秀な土台があって、視覚を補助してくれる環境までも揃っている。複数の顔を使い分けながらも、そこにいたのは紛れまない一人の女性。一之瀬先輩は「顔」にこだわらない一つの未来像を提示して見せたのだった。

 ……これには完敗だ。一之瀬先輩は自分のやりたいことを通してアキちゃんへ未来の選択肢を一つプレゼントしたのだ。ただがむしゃらに、後ろ向きな思いで彼女の隣にいただけの私には出来なかった事……悔しいけど先輩の方がアキちゃんを見ていた……。

「………………」

 アキちゃんが何を選択しても……私は尊重しよう。正式に演劇部に入りたいのであればそれでいい。私から離れて一之瀬先輩の手を取るのも……それがアキちゃんのためになるなら……――

「……仁見さん?」

「……アキちゃん?」

「アキセンパイ?」

 アキちゃんは固まったままどこかボーっと見ている。彼女の視界には一之瀬先輩はもちろんのこと、二条さん、演劇部のメンバー、舞台蔵置、眼前に広がる小ホールの光景が全て収まっているはずだ。

 それにもかかわらずアキちゃんは。そしていきなり眼球を忙しなく動かし始めるとブツブツブツと呟き始める。

「……なら……でも……これは……」

「仁見さん……君は一体……」

 一之瀬先輩と演劇部一同が思い描いていた光景は通し稽古とはいえ「演劇に感動したアキちゃんが先輩の手をとって正式に入部する」という大団円だったはずだ。多少ピーキーな所があるとはいえ一流が見出した才能がどれだけの物かこの場の全員が理解している。今日と言うこの日は演劇部がさらなる力を手に入れて躍進する記念日になるはずだと、誰もが期待していただろう……。

「……違う……でも……だとすると……」

 機械めいた情報処理能力を持っているからと言ってアキちゃんに感情が無い訳じゃ無い。近頃は実践書ばかり読んでいるけど、帯に「感動の名作」と書かれた小説を読んで大号泣する程度には乙女な感覚を持っている。

 だから私も……これだけ質の高い演劇を観たアキちゃんは感動のあまり持たせたハンカチをぐしょぐしょに濡らすばかりだと……――

「あれ……これも……だけど……」

 けれど現実の彼女は涙を流すどころか顔を青くして思考の海をさまよっている。

「仁見さん、大丈夫⁉」

 例え狙い通りの反応が無くとも戸惑う少女を労わろうとする辺り先輩は紳士だ。不安に揺れるアキちゃんへと先輩の手が伸び――

「!!? ひいいぃぃぃぃっ――――」

 叫び声を上げながらそれを拒絶するアキちゃん。私の胸に飛び込んできたのは本能か。信頼されているのは嬉しいけど……。

「……」

「……」

「……」

 私もこの状況でラッキースケベを喜んでいる場合出ない事は分かる。通し稽古の熱は完全に冷えてしまった。元より数日で得られた程度の信用など吹けば飛ぶようなもの。でも……だからって……私達、アキちゃんは上手くやって来たのに、こんな重要な場面で台無しにする事は無いじゃない……。

「アキちゃん……アキちゃん……‼」

「……お願い……でも……それだと……」

「アキちゃん……!」

 何度呼びかけてもアキちゃんの意識が事は無かった。

 あの九〇分の中で彼女が一体何を見たのか私には分からない。

 一つ言えるのはこの状態に陥ったアキちゃんは使い物にならないという事。材料が揃った瞬間、答えを導くまで彼女の思考は過集中状態に入る。この状態が解けるのが一時間後かそれとも――

「……」

「……」

「……」

「……皆さん本当にすみません。今日の部活は早退させていただきます」

 私は手短に彼女の状態を説明すると、彼らの刺さるような視線から逃げるようにアキちゃんの方を抱えてホールを飛び出した。

「……っ」

 空は雲一つない快晴だというのに空気は刺すように痛い。秋も順調に冬に向かっている。

 私はアキちゃんに実りある人生を送ってほしい。本心からそう願っている。だけど……こればかりはフォローの範疇を超えている。

「…………………………………………」

 上履きを履き替えるのも、通学路の歩行も、彼女はあらゆる動作を私にゆだねてブツブツ呟きながら思考に専念している。こんな状態では怒る気にもなれない。今回の思考が深いのは言うまでもない。下手したら十時間は使い物にならないだろう。

「せっかくうまくいくと思ったのに……」

 白むため息を吐きながら家路を急ぐ。気晴らしに考える事はもちろん今日の反省。人と人の関係を続けるためには最低限の礼儀が必要であること、自分だけが楽しいでは駄目だって事をじっくり説教しないと割に合わない。まったく……先輩たちにはなんて謝ればいいのか……――

「…………………………………………」

 しかしながら後に私は彼女に対して人道を説くなんて思いあがった行為が出来ない事を知る。

 彼女が導き出す未来がおぞましいものであることなんて予想も出来ずに、秋晴れの空の下、その日私は彼女と関わり続ける事の本質をすっかり、失念していた。

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