3―4

 アキちゃんの演劇部仮入部二日目。

「マナちゃんも演劇部に興味が出たんだ」

 昨日は来なかったのに天邪鬼さんだね。そう呟くアキちゃんの後ろをついて歩く。あれだけ周囲に怯えていたアキちゃんが部活練までの道を元気に歩く姿は見ていて……なんなんだろうなぁ……。

 昨日も「照明部のみんなと作業の導線について話し合ったんだ! 効率のいいやり方を提案したら褒められちゃった」、なんて夕食の席で誇らしげに。

 いじめられていないと分かって何よりだけど、私の方は散々だった。剣道部部長きっての練習試合は脳裏にアキちゃんのことがチラついてくり出した技のことごとくが「浅い」判定。最後に振り絞った突きの一撃で形式上勝ち星は取れたけど……結果部長の全身に青あざを刻み込んでしまった。これは先方にとても悪い事をしてしまったと反省している。

 詰まる所私の人生はアキちゃんに偏りすぎてしまったのだ。彼女が依存してくれているように、私だって十分アキちゃんに依存してしまっている。だからたった一日離れただけでこのざまだ。こんなダルダルな精神状態で運動部の皆さんに迷惑をかける事は出来ない。残された選択肢は演劇部に仮入部の体を装ってアキちゃんについていく事。

 せめてもの救いはこんな姿を蜷川に見られない事だけか。

「ああ、広報のお仕事ならとっくに終わっています」

 情けない試合内容をボロクソに言ってくれた後、シャワールームでかいがいしくお世話をしてくれた蜷川は言った。

「演劇部の場合、日ごとに動作が洗練されてしまうから学生が作り上げる素人感が薄れていって……準備の風景が軍事訓練みたいになってしまうんです。ただでさえイチノセセンパイの指揮がえげつないのに、そこにアキセンパイが加わって……広報としてはサイアクですよ。みんなきびきび動いちゃって……子供っぽくギャーギャー、時には失敗してくれた方が撮れ高があってPV数上がるのに」

 蜷川もまたアキちゃんに振り回されているのだと思うと少し同情する。それでもたった一日の取材でホームページや動画サイトの更新をまとめ上げる手腕は本物だった。

 というわけでよほどのことが限りアイツが演劇部にやってくることは無い。今日一日くらいは油断して、腐った顔をしていても大丈夫だろう。

「ええっと……九条さんも仮入部って事でいいのかな……?」

 そんな表情カオをしているわけだから私の存在は不協和音そのものだろう。私の興味はアキちゃんそのものであり、演劇じゃない。

 それでも対応してくれる二条さん、並びに部員のみんなは心が広いというか……単に私に怯えているだけかもしれない。部活動荒らしの悪名は文化系の人たちには毒だろう。

 さて、動機が不純なだけに迷惑ばかりかけてはいられない。体育会系の血が流れる私にとって隅っこで腐るのは性に合わないのだ。どんな部活動にも雑用は存在する。ちょうど文化祭前であわただしい時期、やれる仕事は腐るほどある。私は二条さんから渡された改訂版演劇部マニュアルを通読すると作業に加わった。

「……結構重いわね」

 文化部の中でも体育会系と呼ばれフィジカルが重要視される部活動はいくつかあるけど、演劇部はその頂点に君臨するのではないだろうか。段ボールから感じる機材の密度、私みたいに鍛えている女子、それと力のある男子であれば苦じゃないけど、それでも重く感じる。それをマニュアル通りの導線で運ぶとなると……蜷川の指摘は鋭い、軍事訓練さながらの行進。このヘビーな作業を楽しいと思える奴は相当にマゾだ。

 しかもアキちゃんが書き加えたと思しき箇所は効率こそ捗るのだけど、人間の耐久に関してはガン無視だった。あの子ったら自分が頭脳労働しかしないからって人間の事をゴリラか何かと勘違いしていない⁉ この辺りは意見具申しておかないと死人が出るぞ……。

「あ! マナちゃんだ!」

 私を見つけるなり「おーい!」と無邪気に腕を振るアキちゃん。二条さんと一緒にいる所を見ると……そうか、今日は脚本部の仕事を体験するとか言っていたっけ。

 私も腕を振り返したかったけど荷物がそれを許してくれない。色々と言いたいことはあるけど……ひとまず笑顔を返した。アキちゃん、後でお説教だからね……。

 導線を何往復かして、その度にアキちゃんとすれ違う。彼女の様子を見る距離感としては悪くない。これならば作業をカモフラージュにアキちゃんといられる。なんて作業に慣れ始めた頃だった。

「あ!」

「!」

 目の前の女子が悲鳴と共に倒れ始める。彼女の持つ、どう見ても過積載な段ボールが崩れ落ちようとするギリギリのタイミングで、私は駆けつけ受け止める。

「危ないわね。大丈夫?」

「……」

「いくらマニュアルがあるからって自分の限界くらい見極めなさいよ。荷物は取り返しがきくけど、あなた自身が怪我でもしたらそっちの方が大事じゃない」

 女子……中村さんは慌てて名乗り、お礼を言う。ふらつく彼女を保健室に連れて行こうかと思ったけど、生粋の演劇部員である中村さんは責任感が強く、私が荷物の半分持つ事で妥協すると導線を進み始めた。

「演劇部ってキラキラしたものだとばかり思っていたけど、結構泥臭いのね。中村さんも適度に手を抜いた方がいいわよ。この作業量、男子でもキツイやつでしょ」

「……」

「中村さんの所属部門ってどこなの? この時期に荷物運びって事は照明か美術よね?」

「……」

 いくら私が異物だからってシカトされ続ければ不愉快だ。人がせっかく気分を解してやろうと、珍しくアキちゃん以外にも気を使ってやろうとしているのに。

「……?」

 いや、中村さんだけじゃない。演劇部員たちはそれぞれの作業をやりつつも、定期的に視線を一点……アキちゃんの方へと向けている。

「……なんで仁見さんなんですか」

「…………は?」

「部長も、幹部の皆さんも……それに九条さんだって、みんなあの人に夢中になって――」

「……」

「知っていますか? 今回の公演は部長が仁見さんのために企画したものなんです。部長は仁見さんに向けて自分の実力を証明するために一人五役に挑戦してみるって、『この舞台が成功したら学生史上最高の物になるって』……一つ他の役を兼ねるだけでも負担は増えるのに……私達にはその苦労をおくびにも見せずに普段通りの笑顔で……」

 中村さんの足取りは重い。やはり荷物が多いのだろう。足取りもふらついて……その一方でうつむいては吐き出すように言葉を続ける――

「脚本・演出・照明・美術……最終的な作業は各部門のみんなに任せていますけど、原案は全て部長が。これがどれだけ異常な作業量だか分かりますか? 私達下っ端は指示通り作業すればいいから楽ですけど――楽だと感じられるほどに部長の指示は完璧ですけど――私が見積もっても一年は今回の公演のために準備をしていました。たった一人の人間のためにありったけの才能が注がれる……」

 中村さんに、演劇部各位が注ぐ視線。その正体は間違いなく嫉妬だろう。私が演劇部に感じているそれを彼女たちはアキちゃんに――

「前回の通し稽古は散々な物でした。超高校級の才能でも五役は厳しくて……これは駄目だなって……。あんなに苦しそうな部長は初めて見ました。みんなが『こんな無謀な挑戦は辞めよう』って言っても、それでも部長は諦めなくて……とうとうこの一か月で劇的に演技力が上がったんです。まだ三役分ですけど……残り二役をマスターするのもこうなったら時間の問題ですよ……」

 再びぐらつく中村さん。私は彼女の側にまわって片手を荷物に添えてあげた。

「……なんで優しいんですか……」

「……」

「あの人と関わると、みんな強くなる、強くなろうとする。私にはそれが――」

 気持ち悪い。

「……」

 中村さんがどうしてアキちゃん過激派の筆頭である私に部を代表した思いを吐露したのか分からない。

 一つ言えるのはアキちゃんが思うほどに彼女はこの場所に馴染んでいない。むしろ異物として敵視されている。

 こういう時彼女の視界は残酷だ。顔を認識出来ないということは相手の視線に、表情に鈍感である事も意味する。

「マナちゃーん!」

 再びすれ違い、手を振るアキちゃん。側には二条さんをはじめ幹部らしき輝きに満ちた部員達が。彼女たちは「アキちゃんの才能」を喉から手が出る程欲しがるはずだ。自分を高めようと貪欲に、盲目になっている人間は例え異物を前にしても感情を殺せる。

 光あれば影も、か。なるほどひらの部員にはアキちゃんの存在が毒……ふふっ、はははははは――

「……⁉」

「ああごめん。今は笑う所じゃ無かったわね」

 危ない危ない。陰気なオーラに引っ張られて危うく素が出る所だった。相手が本音を一つ出したからって、こっちもサービスする必要は無いのに。まったく、慣れない事が重なるとネジが緩んでしまう。

「別に理由なんて単純、『私とアキちゃんが友達だから』。これだけよ。中村さん達があのキザな部長に心酔しているのと同じで、単純でいいんじゃないの?」

「………………」

 はぐらかされた。あるいは真面目に答えていない、だろうか。中村さんは表情に不快感を隠さない。

 そしてそれでいい。私は別に演劇部の一員になりたくて動いているのではなく、アキちゃんのために動いている。彼女たちが演劇や、一之瀬先輩のために動くように。

 運動欲求を持て余して飛び込んだ演劇部は予想以上の収穫だ。自分にとっても、アキちゃんにとってもここは敵陣の真っただ中。であれば、私のやることは変わらない。

 アキちゃんにとっては二日目、私にとって一日目の仮入部はそれなりの収穫をもって終わった。もちろんアキちゃんに導線に関する意見も忘れない。こうやってアキちゃんが起こしたひずみを裏から処理していけば……彼女にとって快適な居場所を作るのに貢献できる。

 確かな手ごたえを覚えつつ、周囲を睨みつけながら不純な仮入部二日目の放課後――

「マナセンパイどうしたんですか? ニヤニヤしてきもちわるー」

「……」

 小ホールの前で蜷川が待ち構えていた。相変わらず意味深な表情で私達を撮影するコイツはなんでこう、人が気分のいいところに水を差すように現れるのだろうか。

「アンタ演劇部は撮り終えたんじゃ無かったかしら」

「通常の活動はそうです。でも今日は取材班として見逃し厳禁な四年に一度の大イベントがあるんですよ」

「イベント?」

「あれ? マナちゃん昨日聞いていなかったの?」

 蜷川がアキちゃんと情報を共有している。その事実にかなりの居心地の悪さを感じつつ、一方で自分が真に部活から取り残されている事に納得というか……中村さんだけでも仲間になっておけば良かったかもと今さら後悔する。

 まぁ、悔やんでも仕方がない。こうなったのも自業自得。特進クラスの流儀は部活動において全くの不利だって事にしておこう。

「まあマナセンパイが知らされて無くても仕方がないです。部に所属していれば恒例行事みたいなものですから。習慣をあえて連絡する事もありませんもの」

 蜷川に言われると頭にくるけど、なるほど慣習・普段通りの作業であれば敢えて言う必要も無い。中村さん曰く、下っ端は指示通り作業すればいい、の範疇だろう。

「あっそ。で、アンタが出張るって事は相当な何かなんでしょ。一体何が始まるってのよ」

「それは僕から説明するよ」

 タイミングよくホールの扉が開く。観音開きと共に爽やかな風を纏うのは諸悪の根源であり演劇部そのものである一之瀬先輩その人。

「ちょっと立て込んでいてね。悪いけど取材は作業しながらになりそうなんだ。蜷川さんには済まないのだけど――」

「あ、そこは大丈夫です。皆さんに例年の作業がどんなものだったのか予め伺っているので。適当に撮りますから皆さんは作業に集中してください」

「さすがはインフルエンサー、耳が早くて助かるよ」

 それじゃあ作業で合流しよう。そう言うと先輩は再び颯爽とホールの中へ姿を消した。珍しく慌てているというか……きざったらしさよりも切迫感が勝っている。

「ねえ、私達はこれから何をやらされるわけ……?」

 この時点で嫌な予感が止まらない。それでも情報が無いよりはマシだ。

「ええっと……」

「センパイ」

 蜷川が肩を叩きグッドラックと一言――

「……これは……」

 案内された先は演劇部の中枢と呼べる部長専用の部屋だった。一介の部活動の長が十畳はあろう個室を三つも持てるだなんて現実感が無い。学校は本当に小ホールを丸々彼らに提供しているのだなと今さらになってこの組織の規模と期待を実感する。

「いやー仁見さんと九条さんがいてくれて助かるよ。なんせ人手はいくらあっても足りないくらいだから」

 先に作業に入っていた一之瀬先輩が再び顔を出す。先輩にしては珍しく額に玉のような汗をかいていて――

「作業って……これを片付けるんですか⁉」

 開け放たれた三部屋はどれも汚部屋と表現するのもおこがましく、街が大災害に呑まれたらこうなるのではと思わされるほどに滅茶苦茶だった。一応、それぞれの部屋を「脚本」、「美術」、「衣装」、と内容物からカテゴライズできなくはないけどそれでもこの汚し具合はない……。

「正確には片付けるんじゃなくて、明日の通し稽古に使うための物品を避難させてほしいんだ。荷物整理はどちらかといえば、かな」

 いやついでにしないでほしい。いくら先輩が多忙な身であるとは言え……演劇部のプリンスも人間らしい一面があるじゃないか。それで愛嬌が出るかといえば著しくマイナスだけど。

「はぁ……」

 各部屋は担当部門の生徒たちがリストとにらめっこしながら出入りを繰り返しているけど、進捗は芳しくないようだ。あの二条さんも気取る余裕もなく、黒ぶちメガネの奥でしかめっ面を隠さない。

「アキちゃん、いける?」

「……うん、リストの内容は覚えた。後は部屋の中を見れば出来ると思う」

「じゃあ……皆さんすみません――」

 私は作業に従事していた部員たちを一旦部屋から下がらせた。アキちゃんの能力をフル活用させるためには人手は最低限の方がいい。

「荷物のピックアップは私達と、脚本の部屋は二条さん、美術の部屋は中村さん、衣装の部屋は一之瀬先輩に手伝ってもらいます。なので一旦はけてもらってもいいですか?」

 視線が私達に集中する。特に幹部からの物が痛い。割合友好的な二条さんも「何を言っているんだ」と目を丸くしている。

「皆さんが良い印象を持っていない事は理解しています。でも、ここはアキちゃん……仁見晶子の実力を信じてもらっていいですか」

 立場がどうであれアキちゃんをサポートするのが私の役目だ。アキちゃんがこの場所でやっていこうとしているなら、不安の種は早めに摘み取るに越した事はない。彼女の実力と、部への貢献、この仕事はそれらを示す絶好のチャンスだ。

 なんて私の狙いを部員たちが理解してくれたかはともかくとして、誰もが目の前の気の遠くなるような作業に疲弊していた。面倒な仕事を終わらせてくれるのであれば、ぽっと出の新参者でも構わない。どれだけ気取り屋が集まっていても、人間の本音は変わらない。

「それじゃあ、皆さん協力をお願いします」

 私は――アキちゃんの頭を押さえながら――部員達と三人のそれぞれに頭を下げる。

「じゃあアキちゃん、頼むわ」

「任せて。マナちゃんも体に気を付けて」

 手始めに私達は二条さんを伴って――ついでに蜷川も取材のために後を着いてきた――脚本の部屋に入る。書籍、紙束、雑誌、あらゆる古紙の臭いに鼻が曲がりそうになるけどそこは我慢。二条さんに資料の取り扱い方を教わりながら私は物品をめくり上げ、部屋の全貌をアキちゃんに読ませていく。

 同じ要領で中村さん、一之瀬先輩と各部屋を攫って行く。美術の部屋は侍の名残だろうか、偽物とはいえ血塗られた刃物系のあれこれが乱雑に放置されていて上履きで侵入した事を後悔した。衣装部屋も男臭さと女性の香水が混ざり合って……一之瀬先輩の三年間の歴史をこんな形で体感したくなかった……。

「どう?」

「うん……繋がった!」

 再び部屋の中へと入って行く。私はアキちゃんに指示されるままに荷物の山の中へ手を突っ込み、リストの荷物を次々に回収してゆく。

「私達がどれだけ探しても見つけられなかったのが一瞬で……」

 私もこれだけ簡単に見つかるとは思わなかったけどアキちゃんの実力があればできない事じゃない。

 アキちゃんの処理能力はディープラーニング型。情報の精度を高めれば、それこそ汚部屋だろうと砂丘の中にある砂金の粒だって見つけることが出来る。

「これも部長と二条さんと中村さんが荷物の扱い方を教えてくれたおかげです」

 惜しむらくは彼女が大人数の前で能力を発揮することが苦手であること。とりわけ、悪意ある視線にさらされるとなれば彼女は萎縮してしまう。

 ……でも、そんな弱点ともお別れかもしれない。

「仁見さん凄い!」

「頼りになる!」

「ねえねえ、一体どうやったの?」

「え、えっと……」

 活気を取り戻した部員たちがアキちゃんを取り囲む。演技を取り戻した彼らであればアキちゃんも怯えずに接することが出来る。まだぎこちないけど……ここで過ごすうちに彼女も少しは人間に慣れることが出来るかもしれない。

「いやー助かった。二人とも頼りになるね」

「……お願いですから先輩はこまめに掃除をしてください」

「ははは、努力するよ」

 今日の部活はそれでお開きとなった。中村さんによれば通し稽古の前日は軽い作業だけで、明日に備えるのが伝統らしい。

 言われてみればセットや舞台芸術が出来上がっている。なるほど、私が昨日従事していたのは明日のための準備だったわけだ。

「……どれだけ演劇に興味が無いんですか……」

「正直これっぽっちも」

 私と中村さんはホールの隅の方でボーっとしていた。いきなり重労働から解放されても直帰出来る程には高校生は枯れていない。

 そしてホールの中心では部員たちが集団になって噂話に花を咲かせていた。部活動という特別な時間。それを終わらせるなんてもったいない。手を動かす必要が無くなった彼女たちは元気に口を働かせている。

「ねえ聞いた」

「ニュースどんどん凄い事になってるね……」

 始めこそ演劇の話題が中心だったけど、話題はいつの間にか世間を騒がせる連続殺人事件の方へ……。

「ねえ、蜷川さんは何かネタ持ってないの?」

「インフルエンサーなら色々知っているよね」

 確かに蜷川の情報網はとんでもないけど、彼女たちはインフルエンサーの本来の意味を知っているのだろうか。一介の女子高生が犯罪に関する情報まで握っていたら……――

「……ありますよ」

 蜷川の表情が一瞬曇る。

「……!」

「あれ、九条さん」

「……」

 蜷川を中心にざわつく人混み。中には悲鳴を上げる女子も。

「⁉ マナちゃん⁉」

 私はすかさずアキちゃんに近づいては目隠しをしつつ、蜷川が見せるスマホを覗いた。

「……げぇ……」

 私の認識が間違いなければそれはキラキラおしゃれなインスタの画面のはずだった。

 しかしながら表示されている画像はキラキラ女子のメイクアップ画像などでは無くその逆、顔面を無残に切り刻まれた女性の頭部――

「アンタ……そんな趣味があったの……」

「怖い目で見ないで下さいよ。インフルエンサーともなると嫌がらせにえげつないリプライが送り付けられることなんて日常茶飯事です。下心全開のおじさんに絡まれたり、下世話な画像を送りつけられたり……可愛いくあることでもちろんメリットはありますけどデメリットも大変だったりするんですよ」

 蜷川は慣れた手つきで画像を送りつけてきたアカウントへ通報を始めた。彼女のDM欄にはまだまだ嫌がらせの情報が多く……恐ろしい事に先ほどの画像はその一部に過ぎないらしい。

「人気者って辛いですよね~。そうそう、実はさっきの画像、嫌がらせの手段として使われるくらいにはネットに拡散してしまっているんですよ」

 蜷川はあくまで笑顔を崩さない。周囲の期待に応えるように話題を提供し続ける。

「これらの画像は巷で起きている連続殺人事件の被害者の物ではないかってネットでは噂になっているんです。もしかしたら耳の早いマスコミがワイドショーで犯人の事をジャック・ザ・リッパーと呼んでいるのもこれを見たからかもしれません」

 場を盛り上げつつも、一方で通報のフリック操作は止まらない。

 その姿に私はなんとなく、アキちゃんが誘拐された時と同じ雰囲気を感じてしまう。

「蜷川さん凄い! 情報屋みたい!」

「いやいやそんな~」

「ねえねえ他には?」

「うーん、そうですね……他には――」

「蜷川!」

「⁉」

 そんなに大きな声をだしたつもりは無い。けれど、コイツの口が閉じるのと同時に場も冷え込んだ。

 私としては集団の和を積極的に乱したくはないけど――

「……大丈夫なの?」

「慣れてますから」

「慣れるものじゃないでしょうに……どうせ通報なんてした所で捨てアカでしょそんなの。ヤバそうだったら連絡しなさい。私の父親弁護士だから。バカの一人くらいブタバコにぶち込めば案外快適になるかもよ」

「センパイって肝心な所で人に優しいですよね……そういうところキライです」

「言ってろ。だったらおせっかいついでに一つ」

 私は制服のポケットからある物を蜷川に手渡す。

「? 何のスプレーです?」

「催涙スプレー。その辺の安物なんか目じゃない父さんお墨付きの一品よ。アンタ腕っぷしはからっきしでしょ。危ないなら、素直に貰っておきなさい」

「……」

 ポケットどころか手のひらに収まる小型のそれは日常から外れた暴力の象徴。実弾を前に歓談の雰囲気は完全にぶち壊しだ。気まずさを感じた生徒から次々に場を離れてホールには私とアキちゃんと蜷川と、何故か中村さんを残すまでになった。

「人殺しはもちろん許せませんけど、私としては顔を傷つけられるのはもっと許せませんね。顔は女子の命ですよ。私は棺に入るときだってバッチリ化粧していないと嫌です。こんな誰とも分からない表情でお別れとか……」

 何よりも美意識を優先する蜷川だからこそ話題が殺人だろうとそこに行きつくらしい。

「だからこれはありがたく受け取っておきます。出来れば使いたくはないですけど」

 女の敵め。そう呟きながら彼女は超速フリックでの通報作業を続ける。

 仮入部アキちゃん三日目、私二日目はプラスマイナスゼロ……いや、これは私だけが一方的にマイナスで終ったな……。

「あーあ」

「九条さんって苦労をしょい込むのが趣味なの?」

 去り際に中村さんに突っつかれる。別に好き好んで苦労をしょっている訳じゃ無いけど……。

「ねえマナちゃん、そろそろ離してよー」

「ああ、そうだった」

 私の視線がアキちゃんの目を、アキちゃんの視線が私のツインテールに注がれる。

 仮に私の行動を縛る物があるとすれば、それは言わずもがな目の前の少女なのだろう。

 私のツインテールはどうしようもなく、髪型だけでなしに行動まで縛り始めたみたいだ。

「まぁ、これもアキちゃんがかわいいって事で」

「え? マナちゃんどうしたの⁉」

「なんでもない。私達も帰るわよ。明日は通し稽古なんだから、精がつく物作るわよ」

「???」

 ようやく肩を並べて歩いた帰り道。私にしては珍しく他人と関わる事も悪くない、なんて思ってしまった。

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