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「なーんだマナセンパイ案外鈍感なんですね。アキセンパイが強いことなんて皆とっくに気づいていますよ」
「……」
「幼なじみで親友って漫画だと一番不遇なポジションですよね。ストーリーの最初期から登場していて、献身的なのに、ずっと隣にいることが当たり前だからこそ気持ちに気付けないみたいな。うわーまるで今のマナセンパイみたい。ウケる」
「……」
「はーい笑って、自撮りしましょうねー。あ、でも今の情けない顔もなかなかいいですね。はいチーズ。うーん……今日の私もめっちゃカワイイ♡」
「……」
なんで私は蜷川なんぞの罵倒を聞いていなければいけないのだろうか。どーでもいいけどフラッシュの光り強すぎない? そんなんで自撮りしていたら視力落ちるでしょ……。
何事も善は急げ。やると決まれば早いに越した事はない。私も、アキちゃんも……なぜか蜷川もついてきて、私達は演劇部の部室兼部活棟の小ホールにやって来ていた。
学年集会で使われる大講堂に比べるとその大きさは三分の一程度……とはいうものの、この広さたるやその辺の公立学校の大講堂並みである。ウチの学校は経営戦略が強かなため、何かイベントごとを誘致してはこのスペースを利用してショバ代をせしめているとか……それだけの頭があるなら私達の学費ももう少しおまけしてもらえませんか……。
そんな場所を一介の部活動が部室として占拠出来ているのだから当代の演劇部の実力は推して知るべしなのだろう。文化祭まで残り二週間であるというのにホール内は校舎ほどの慌ただしさが無い。仕事は山ほどあるのだろうけど統制が取れていて、軍隊顔負けの動きで作業をこなしている。
「やあ、来てくれたんだね」
演劇部・劇団極光の部長、一之瀬累。トップ直々の出迎えにさすがの部員たちも何事かとざわめく。
「えっと……お邪魔します」
「……どうも」
「おっじゃましまーす‼」
やって来た先輩の格好は女性用の深紅のパーティードレス。胸元も背中もパックリ割れているハリウッドスターが着るようなドレッシーな物。
この手のドレスは着ている人間の体のラインを露骨なまでにさらけ出してしまう。一般的な男性が身に纏えば滑稽な事この上ないのだけど……恐るべきことに、首から上こそノーメイクであるにも関わらず一之瀬先輩のシルエットは完璧に女性のそれだった。露出している肌にはムダ毛の一本もなく、胸元こそ貧相であれ、二の腕やふくらはぎにはふっくらとした肉付きが――
「ごめん、誘っておいてあれなんだけど、今日は衣装合わせとかで僕の予定が詰まっていてね。案内は副部長の二条からさせるから」
それでは皆様またお会いしましょう――と言いながら先輩はドレスの端をつまんで一礼する。たおやかな言葉遣い、洗練された動作……それらすべてが完璧で……先輩の表情に女性が浮かび上がった瞬間背筋にゾッとしたものが走った。
「……気持ち悪っ」
「マナセンパイ、演技のプロ相手にそれは失礼ですよ」
「でも……一之瀬先輩すごかったね。まるで本当の女の人みたいな……」
怪人二十面相というあだ名はどうやら本物らしい。元々中性的とはいえ、ノーメイクであれだけの表現力である。本格的に化けられたら……誰も先輩だと気付けないだろう。
「イチノセセンパイの実力は本物ですからね。役作りの段階からみっちりと仕上げるのが信条らしいです」
蜷川はスマホを操作すると私達に向けて画面を見せてきた。
「うわ……」
「おお……」
一年の時は隻眼の侍の役だったらしく、その体型は武骨で荒々しい。男性性全開というか、盛り上がった筋肉に精悍な顔立ち……本人であることの証明が指紋と虹彩くらいしか無いんじゃないかってくらい別人だ。
続いて二年の時はコメディーな作風の舞台だったのだろうか、良く言えばぽっちゃり、悪く言えばおデブちゃん。主食がファストフードですと主張する三枚目の姿が。
蜷川は動画も持っているらしく、それぞれの状態での演技も見せてくれた。侍の時の先輩は剣道部さながら、実戦でも十分に通用しそうな本格的な殺陣を披露し、コメディアンな先輩も見た目とは裏腹にミュージカル風の舞台で軽やかに歌って踊っている。
私が思い違いをしていた……先輩は少なくとも演技に関しては本物だ。
「てかアンタこんなのよく持っているわね。去年のはともかく、侍のはまだ入学してないじゃない」
「私マナセンパイとちがって交友が広いんです。このデータは演劇部の知り合いから貰ったんですよ。あ、ちょうどいらっしゃいます」
敬称を使うということは相手は年上なのだろうか。彼女の言葉どおり一之瀬先輩と入れ替わりに一人の人物が私達に向かって来た。
「遅れてすみません。本日部長から皆さんの案内を仰せつかりました二条です」
今時珍しい三つ編みおさげに黒ぶちメガネという日本文学の世界から抜け出したような女生徒が頭を下げる。制服のリボンの色が私達と同じ赤色だから二年生だ。
「こちらこそよろしくお願いします」
早速アキちゃんは頭を下げつつ、二条さんのおさげにロックオンした。アキちゃんの場合個性的な頭をした人間は大変ウェルカムだ。この辺も一之瀬先輩の配慮なのだろうか。
「それでは仁見さんと九条さんに演劇部見学ツアーをさせていただきます。蜷川さんはオフショットの撮影、お願いしますね」
「はーい」
「え、アンタ暇だからやって来たんじゃないの⁉」
「マナセンパイひどーい。私だって毎日遊んでばかりじゃないんですよ」
そう言うと蜷川は私達に見えるようにスマホ画面を差し出した。そこには演劇部のインスタと公式ホームページ――学校の部活動がホームページを持っているのかよ……――がリアルタイムに編集されている。どれも編集が凝っていて部活動が一丸になって楽しく作業していることが伝わってくる、素晴らしいものだった。
……そう言えばこいつも特進クラス。大抵の事はやらせるとものにしてしまう人間だった……。
「凄いね環奈ちゃん、これソフトは何を使っているの?」
アキちゃん、褒める所はそこじゃない。
「ああ、それはですね――」
蜷川も乗るんじゃない。文系じゃ分からない言葉を羅列して……二条さん困惑しているし……。
「あの、ええっと……」
「この二人は私が何とかするんで、二条さんはいつも通りにお願いします」
「はぁ……」
天才二人を見て目を白黒させつつ、こほん、と一呼吸入れる二条さん。それが彼女のスイッチだったのか一瞬で顔つきが変わる。
「本日は演劇部の見学にご来場いただきまことにありがとうございます。本日は皆様に我が劇団の世界の表と裏、余すところなくお見せいたします。それではオーロラの輝きの如く夢幻に輝く世界へいざ行きましょう」
ディズニーのキャストのように大げさではあるものの、人を惹きつける動作と笑顔。その瞬間二人の会話も一瞬途切れる。チャンスは、今――
「ほら、行くわよ」
私は二人の手を引いて二条さんの後ろをピッタリ追いかける。
「うおっ!」
「ちょっとマナセンパイ、二人の世界に割り込まないでください」
「二人とも、今日は何しに来たの? あんまり油売っていると時間をくれた演劇部に申し訳が立たない」
後ろから「お母さん」、「何だかんだでセンパイが一番楽しんでいます」、なんて抗議が聞こえてくるけど無視。アキちゃんはともかく蜷川の母親は絶対に嫌だ。
小ホールを丸ごと部室にあてがわれている事もあって演劇部は第一印象の通りかなり統制が取れた部活動のようだ。ホールの楽屋にはそれぞれ脚本部門、衣装部門、照明部門、舞台芸術部門などの細かいセクションのネームプレートが並んでいる。そしてそれぞれの部門にも部門長なる役職が存在していて、リーダーの指示に従って一つの舞台を組み上げている。
二条さんは脚本部の部門長兼副部長。学生の脚本賞は総なめで、入学してからの年四回ある公演の内二本は彼女が手掛けてきたとの事。
「お恥ずかしながら色々と大役を任されているんですけど……それでも部長には敵わないんですよね」
技を知らずに演技する事なかれ。演劇部に「役者部門」なるものが存在しないのは部員全員が役者であり、舞台がどのように作られているのか、その本質が分かるまでは役を与えられないらしい。
「なんて言われているんですけど、実は一之瀬先輩の上の代が下級生に雑用を押し付けるための方便だったりします」
どんな集団だろうと上下関係は存在する。しかもそれが学年という単位で構成された組織であれば尚更、文化系の部であろうと例外は無い。
演劇部は文化系を名乗っているものの、作業内容は運動部顔負けの量だ。照明機材に書き割に、準備の段階で重いものはいくらでも存在する。演技だって見る側は優雅に映るかもしれないけど、レッスン室の雰囲気は汗と熱気がこもっていた。指先の動作一つに全身の筋肉が使われている様は白鳥のことわざを連想させた。
これだけハードであれば、「演技に集中したい」という名目で雑用を押し付けたくなる気持ちも分からなくはない。
「でも、そんな悪しき伝統に一之瀬先輩は革命を起こしたんです」
一之瀬累なる人物は演技だけでなく、照明も、芸術も、脚本も、舞台に関わる物事ならばなんでもこなせる人間だった。上級生に雑用のポジションを押し付けられようとも行く先々で神業を披露し、支持を集める。カリスマが小さい集団をまとめ上げるのに時間はかからない。彼はあっという間に演劇部を掌握し、現行の軍隊さながらの秩序ある部活動としてまとめ上げた。
部員を見るとなるほど重労働の中忙しなく動いているにも関わらず彼らの瞳は生き生きと輝いている。誰もが顔に「最高の舞台を作る」と笑みを浮かべ一丸となっている様は彼の偉大さを雄弁に語っている。目の前の二条さんが熱っぽく語るのは演技だけじゃない。心から彼を慕っているから。
「仁見さんはたしか特進クラスでしたよね。だったらウチにはすぐ慣れますよ。なんせ演技と脚本以外はシステムが組まれていますから」
「おー!」
システムと聞いて瞳を輝かせるアキちゃん。いや……だからときめくところはそこじゃないって……。
「まったく……」
「マナセンパイ楽しくなさそうですねー」
スマホのフラッシュを焚きながら蜷川が話しかけてくる。これまでの部活動紹介の中でもSNSを中心に演劇部の宣伝は順調に進んでいた。いいねの数、コメント数も順調に伸びて……これなら本番の客入りも期待できるだろう。ほんと、アキちゃん以外のことならいい仕事をする……。
「別に、私は保護者みたいなものだから楽しまなくていいのよ」
「またまたー。私、マナセンパイが不機嫌な本当の理由、わかっちゃってるんですよねー」
私に向けてフラッシュを焚く蜷川。彼女の視線の先にはアキちゃんの姿が。
……悔しいけど、コイツの観察眼は伊達じゃない。そう、私が落ち着かない理由はアキちゃんの様子にある。
「二条さん、あれはどうなっているの」
「あれはですね――」
始めこそ怯えていたものの、二条さんの言葉は本当らしく演劇部の行動には無駄が無い。軍隊のようにシステマチック、緻密な計算で走査された軌道は人間を無個性な部品に変換する。都心の人混みと同じで、そもそも個人を区別する必要が無ければ、人間を0と1に分解できるならばアキちゃんにとって天国みたいなものだ。
加えて、二条さん並びに演劇部の名物部員たちは髪型や制服の気崩し方、言動に強烈な個性が備わっている。演劇という観客を楽しませるためにどこか誇張して表現する技法の中で生活しているためなのか、それが自然と身についている彼らであればこそアキちゃんは人間を個人として区別することが可能だ。
うさんくさい二十面相の口車に乗るのが大変悔しいけど……演劇部の環境は確かにアキちゃんに向いているみたい……。
「…………」
「良い表情です。もう一枚いただきます」
蜷川の画面の中、私はどんな表情をしているのだろう。アキちゃんが適応できそうな環境を見つけて嬉しい? それとも一之瀬先輩にしてやられたのが悔しい? それとも……、
「……」
この見学が終わった後、私の居場所は残っているだろうか。
少なくとも、今朝私だけでは拭えなかった恐怖を彼女は克服している、私にはそう見えた。
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