第三章 幸福のための犠牲――トロッコ問題

3-1

『臨時ニュースです。本日未明他殺死体が発見され――』

 ピッ!

「………………」

 流石に三度目の事件ともなると理解が追い付かない。しかも前回はスパンが一週間あったというのに今回はまだ三日しか経っていない。一連の事件が同一犯による連続殺人事件なのか。それとも別々の犯人が発作的に殺してしまったのだろうか。いずれにしろ、同じ市内で短期間に三人も死んでいる。

「………………」

 いつの間にか、殺人はスポーツにでもなったのだろうか。競うのはスピードか、殺し方か、それとも人数か。今どれだけ不謹慎な事を考えているのか自分でも理解しているつもりだ。

 不謹慎な事この上ないけど……そうとでも考えなければおかしい。いくら殺人事件が年九百件発生しているからって待木市はいつの間にか犯罪オリンピックの開催地になったとでも⁉

「……行かなきゃ……」

 とんでもない目覚ましのおかげで頭はすっかり起きているというのにあらゆる理解が追い付かない。

 とにかく、私に出来るのは動くことだけ。前回の反省をふまえ――自分が落ち着けるための時間も欲しかった――私は姉に向けて書置きを残し、バイクセットをひっつかんではアキちゃんの下へとばす。

「アキちゃん……!」

 ぐっすり眠る分、あの子の朝は平均的な女子高生よりも早い。もしかしたらとっくに目覚めていて、スマホやタブレットなりで情報を目にしてしまっているかもしれない。

「アキちゃん!」

 玄関ドアを開ける。秋の静けさがあるばかりで家屋から生活の音が聴こえない。それでもあの子が居そうな場所は見当がつく。

「……入るよ」

 オートロックを解除した時点で私がやって来た情報は彼女の端末に転送されている。それにここは勝手知ったる場所。だけど……親しき中にも礼儀あり、アキちゃんをこれ以上怯えさせないように余計な足音を立てずに、一定の歩幅で寝室に向かう。

 ノックは二回。私達で取り決めた合図――

「……」

「……アキちゃん?」

 ドア越しにもぞもぞ動く音が聞こえる。どうやら目覚めてはいるらしい。

 それでも反応が無い言うことは……、

「……大丈夫?」

 ポン! と電子音が響く。音源はスクールバックに突っ込んだスマホ。

『私は無事。この家には誰も怖い人はやってきていないし、今はアキちゃんがいる』

『でも、』

『怖いよ……』

 アキちゃんが落ち着くはずの0と1で構成された情報の海。その中ですら彼女は恐怖に身を震わせている。

『入っても大丈夫?』

『ごめん……今はま』『だ人に会いたくない』『ごめんね』

『大丈夫。落ち着くまで、待っているから』

 ドアの前で私はひたすらその時を待つ。私達を隔てているのはドア一枚。その気になれば蹴破れるそれが、今は古典の天の岩戸のようだ。

 故事にならって、いっそ半裸になって踊っていればアキちゃんを外へ出せるかもしれない。だけど……アキちゃんの場合は人間が行う行動すべてがアウト。敵は皆既日食という自然現象では無い。殺人犯という実態を持ち、今も素知らぬ顔で市井に混じる異常者。十全な視界を持つ一般人ですら犯人を見つけ出せていないと言うのに、まして顔を見ることが出来ないアキちゃんの場合その恐怖は計り知れない。極端な話、彼女には視界に映るのっぺらぼうが全員殺し屋に見えるかもしれないのだ。

「………………」

 長い、長い一時間が経過した。軽い足音が迫ってくると扉が外側へと開く。

「……マナちゃん」

 アキちゃんの視線がツインテールに注がれる。あらゆる恐怖に歪められた瞳、大粒の涙が今にもこぼれそうで――

「――大丈夫だから」

 そんな彼女を抱き寄せる。今のアキちゃんに必要なのは、せめてこの空間だけでも安全である、安心できると分かってもらうこと。

 こんな時私は無力感に襲われる。確かに力は身に着けたかもしれない。それでも、彼女の心を根本的に救うには、心の支えとして私はまだ足りない。

 抱きしめるだけで不安を取り除けるのであれば私は人目もはばからずにべったり出来る自信がある。けれどそんなもの私の自己満足。器だろうと、心だろうと、一度出来た傷はかけつぎを施したって元通りにとは言えない。

 ――まして、一部を永久に失っているならば尚更……。

「……」

「……」

 顔面の水分を絞りつくしたところでアキちゃんが離れる。「ありがとう」と小さく呟くと一度寝室に戻ってもぞもぞと……多分着替えているのだろう。

「ねえアキちゃん」

 私はドア越しに呼びかける。

「ぐすっ……何? マナちゃん」

「学校、サボっちゃおうか」

「ひっく……大丈夫、私はもう平気だから」

 おいおい、枕に恐怖がこびりついてる。気丈になんか振る舞っちゃって……まだ全然立ち直ってないじゃない……。

「私はアキちゃんを尊重する。だから学校に行きたいならそのサポートを全力でするし、行きたくないならここが安全であるように一緒にサボるのにも付き合う。なんて言えばいいのかな……とにかく無理だけはしないで。別にアキちゃんが特性を持っているから、わきまえろ、とかそういうことを言っている訳じゃ無いんだけど……――

 私が言いたいのはそう、アキちゃんが周りに合わせる必要なんて無いって事。泣きたいときは泣いていいし、痛いときは痛いって言っていい。どんな行動をするのもアキちゃんの自由。ただ……私はアキちゃんがこれ以上傷つくのは……それがアキちゃん自身の行為でも悲しいって……ごめん私なにわがまま言っているんだろう……」

「……」

 扉が開く。そこには制服姿をバッチリきめたアキちゃんの姿が。

「……アキちゃん」

「大丈夫……無理はしていない……って言ったらウソになっちゃうけど……それでも学校に行きたいのは本当。嫌なことが起きる度に引きこもっていたらさ、きっとあの人たちを喜ばせる結果になるだけだと思う。一度被害に遭った私だからこそ……当たり前の日常を過ごす事が一番の復習になるんじゃないかって……きっとそう……思うから」

「……アキちゃんは強くなったね」

「私だけの強さじゃないよ。だってさ――」

 アキちゃんの手が私の頬へ伸びる。ぎこちない手つきで、指先は彼女に視界をなぞるように顔に触れたり、離れたりを繰り返す。

「マナちゃんだって一緒に泣いてくれるもん。マナちゃんはいつだって私の気持ちを受け止めてくれる。だから私は安心して泣くことが出来る……嫌なことがあっても、すぐに立ち直れるんだよ」

「……アキちゃん」

 顔にはまだ泣き跡が残っているくせに……この子は……。

 私が力になれていないっていう自己評価は私の見当違いだったみたいだ。私はアキちゃんの支えになれているし、アキちゃんも私が思っている以上に社会復帰の目標を進められている。

 私達は前に進んでいる。止まっていたと思っていた七年は、少しずつだけど時計の針を前へと進められていた――

「でも本音を言えば、まだちょこっと怖い」

「そりゃ、近場で殺人なんて起きたら誰だって怖いわよ」

 軽口を叩けるようになった私達はリビングへ向かう。学校へ行く、そうと決まれば腹ごしらえ。アキちゃんと手分けして朝食と、お弁当を作らなくては。

「事件のニュース、アキちゃんは見た?」

「もちろん。そうじゃなかったらここには来ていないし」

「そうじゃ無くて、報道のされ方って言うのかな……」

 アキちゃんはAIスピーカーに呼びかけるとパソコンの画面に朝のワイドショーを表示させた。そこには事件の内容が無責任に囃し立てられていて見ていて気分が悪くなるものばかりだ。これが本当に報道のあるべき姿だと言うのだろうか。

「そう真面目に見るんじゃなくてさ、ほら」

『被害者の共通点は女性である事』

『死体は頭部を中心に損壊された様子があり、ただの殺しで無い事』

『証拠も残さず、神出鬼没である事から犯人は令和のジャック・ザ・リッパーではないかと噂されている事』

 不愉快な情報を最大限カットして得られた情報はおぞましく、やましい想像をかきたてるものばかり。

 どうやら相手は警察相手に相当上手く立ち回れる奴らしい。それだけ派手ににも拘わらず、核心的な証拠を残さない……まるであの時の誘拐犯めいていて――

「マナちゃん焦げてる!」

「⁉ おっと……」

 目玉焼きが……いけない、失敗した奴は責任をもって私が処分しよう。

「! アキちゃん……」

「あ! あちゃぁ……」

 電子レンジから破裂音が響く。アキちゃんが担当していたお弁当用冷凍食品、ワット数を間違えたのか、時間のミスか、ハンバーグはレンジの中で肉塊に変貌を遂げた。

「……」

「……」

 いけない、私達はお互い相当に参っているらしい。日常に犯罪が関わる事で人間の精神はこれほどまでに脆くなるのか。家事全般私の得意分野であるというのに我ながら情けない。

「ねえマナちゃん」

「ん?」

 今度こそ完璧なベーコンエッグを仕上げ、皿に盛りつける。

「事件が落ち着くまでさ……ウチに住まない?」

「おっふ!」

「マナちゃん!」

 ベーコンエッグが醤油の海に……ああもったいない。これは責任を持って私が処分……って!

「同棲って……アキちゃん大胆」

「いや、最初にその選択肢をくれたのはマナちゃんだよ。私が一人暮らしを始めるって言った時のこと、私ハッキリと覚えているんだから」

「ああ……」

 高校進学を機に仁見家一同がアキちゃんを放棄しようとしたその日、私はこのマンションに一番に乗り込み、引っ越しの準備を手伝うのと同時に一室を私の生活拠点として整備させてもらった。我ながらまったく勢いで行動して……一年前の私は相当にヤンチャだ。

「覚えていなかったんだ」

「結局使わなかったし。何だかんだで一年生って学校に慣れるのに忙しかったし」

 私はアキちゃんを守るために学校中を駆け回っていて、アキちゃんはアキちゃんで順調に保健室登校に順応していって……私がつきっきりで生活の面倒を見なければいけない非常事態は起こらなかったのだ。今日というこの日まで私達は全く順調に過ごせていた。

 それが一つの事件で手がつかなくなる事態になるとは思わなかったけど……過去の私、グッジョブ!

「今いやらしいこと考えていたでしょ」

「べ、別にぃ~私はいつも通りよ」

「前から思っていたんだけどさ……マナちゃんって、女の子が好きなの?」

「いやいやいやいや晶子さん何をおっしゃる」

「だって、マナちゃん男の人には厳しいし、その割には環奈ちゃんとは仲良しっぽいから。私にここまでしてくれるのもひょっとしたら……って思ったり」

「……」「……」

 お互い顔が真っ赤に染まるまでの間、時が止まったように時間が引き延ばされる。先に動いたのはどちらが先か。朝食とお弁当、どちらも形通り仕上げると私達はテーブルに着いて食べ始める。

 火照ったせいか味がわからない。私の分は失敗作の塊みたいなものだからかえってありがたいのだけど……アキちゃんめ、とんでもない爆弾を落としたな……。

 ツインテールの結び目、時間を見つけてもっと頑丈な物に替えるべきかもしれない。

 すべてはアキちゃんを守るため、でも先に誘って来たのはアキちゃんから、いやいや女の子同士シェアハウスをするのだって近年では普通、だからって間違いに性別の壁は存在しないし……ああ! 意識しだしたら止まらない!

 これがほどけた瞬間、私が獣になってしまいそうだ――

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