2-3

「ふんふんふ~ん」

「……」

「ふっふ~、あ! マー君からLINE! 返信返信っと」

「……」

「……あ、レアキャラ出た」

「……」

 何でコイツは私の隣でスマートフォンとお友達みたいにしゃべり続けているのだろうか。

「あのさ、ついてこないで欲しいんだけど……」

「マナセンパイ、それは私のセリフです。センパイこそ私の後つけちゃって……ひょっとしてカマチョです?」

「張っ倒すわよ! それとアンタが『マナ』って言うの腹が立つから止めて。それはアキちゃん専用なの」

 アキちゃん。マナちゃん。

 私達が仲良くなったきっかけはお互い自分の名前が気に入らなかったからだ。私は「愛美」だなんて強すぎる字を与えられるにふさわしい人間だと今でも思っていない。アキちゃんは「晶子」の「子」の字が古風という理由で気に入っていなかった。

 それぞれの呼び名は私達が結ばれて事を示す友情の証。それを蜷川程度にイジられちゃ溜まったものでは――パシャ! パシャ!

「‼」

「すみませーん。怒った表情が面白くってつい」

「……この際隣を歩くことは許可するとして、歩くときは前くらい見ておきなさい。こんな人混みの中なんだから、危ないわよ」

「マナセンパイ私のこと嫌っておきながら基本が保護者なんですよね。悪者になりきれない所がおもしろ……おかしいです」

 本音が漏れているぞ……おい!

 まったく、こんなあくどい性格をしておきながらインスタのフォロワー数一〇万人を超えているインフルエンサーとかいうやつなのだから世の中分かったものじゃない。確かに見た目だけは最高だけど、中身は自分が面白いと思うことしかやらない超絶わがままちゃんなんだぞ。

「……はぁ。いくらアンタでもこれだけ混んでいたら心配の一つくらい出る」

 私は学校の北側に存在する部活棟に移動しようとしている……のだけれど、普段十五分程度で到着する道のりが若干滞り気味である。

 イモ洗い状態って程ではないけど廊下は軽いお祭り状態。生徒たちが制服姿やジャージ、部活動のコスチュームとそれぞれの格好であちこち動き回っているのだ。進めなくはないけど歩きスマホはもちろん、単語帳を暗記しながら歩こうものなら誰かしらぶつかり放題だろう。

「うちってこんなに生徒いたかしら」

「おやおやマナセンパイ、この状況をご存知ないと見えますな」

 蜷川が訳知り顔でニンマリと見下ろしてくる。腹が立つ笑顔だけど……私が事情を知らないのも確かだ。

「特進クラスの世間に疎いセンパイは知らないでしょうけど、今この学校は絶賛学園祭の準備中なんです。開催まで残り三週間ですからね。そろそろみんな本格的に動き出しているんですよ」

 学園祭か……そう言えば去年はアキちゃんが学校にまだ適応できていなかったから参加しなかったんだっけ。

 そうでなくても特進クラスは勉強以外の行事と縁が薄い。開催の連絡はホームルームで知らされないし、出し物に参加する義務だって無い。そもそも学園祭自体生徒による自主的な活動で学校はハコだけ貸すみたいな扱いだったはずだ。

「……」

「ふふん――」

 私の無言を同意とみなしたのか、蜷川はすれ違う生徒の所属活動を言い当てては次々に解説を披露する。インフルエンサーだからか、それとも他人への野次馬根性からだろうか、一年生でありながら彼女の情報網は一介の女学生を超えている。

「相変わらず物知りね」

「センパイがアキセンパイ以外に興味が無さすぎるんです。世の中には面白い物がたくさんあるんですから、少しは肩の力を抜いて人生楽しむ方が面白いですよ」

「一年坊主が生意気なこと言わない。訳知りついでにそれなら一つ教えて欲しいわ」

「年功序列とか古いです。私達一歳しか違わないし、背も美貌も人徳もセンパイよりあります」

 コイツはいちいち地雷を踏んでくる。

「マナセンパイと同じ場所に用事があるからです。ボクシング部の部室。そこでちょっとやることがあるんですよ」

 そして着火するギリギリで逃げ切るのだから大したものだ。蜷川は解答を先回りするとスクールバックからタオルとスポーツドリンクが入っているであろうボトルを取り出した。

「あっそ」

 体感二〇分で私達はボクシング部の部室に到着した。私はロッカールーム、蜷川はマネージャーたちの方へ別れる。

「ふう……」

 ようやくうるさいのと別れられた……。ま、ひょっとするとリングの視界の端には映るかもしれないけどそれは誤差にでもしておこう。

 ツインテールを外す。リミッターが外れたような開放感、それと共に制服を手早く脱ぐとスクールバックの中から取り出したスポーツウェア着替える。

 特定の部活に所属していない私が着替えるべきは学校指定の体育着なのだろうけど、伝統ある私学特有のクソダサいジャージなんて着れたものじゃない。えんじ色のだぼだぼしたハーフパンツなんて動きの邪魔でしかない。時代は素肌にピッタリとフィットしたスポーツウェア。

「……よし」

 ウチの、九条家の人間は――どう表現すればいいのか正しいのか考えあぐねているけど――体育会系の血が流れている。

 ウチの家系はどのような形であれ体を動かしていないと落ち着かない。両親が朝早く、夜遅い仕事に従事しているのも、姉が漫画家という文化系の仕事の中でもトップクラスに体力と根性が求められる物を職にしているのも血筋が影響している。

 その血はもちろん私にも流れていて、指向がスポーツ・運動そのものに向いている。

 この運動欲求は私にとって本能のようなもので、高まるとアキちゃんよりも運動を優先したくなってしまう。体を動かしていないと頭がおかしくなりそうなのだ。

 重ねて私とアキちゃんは常にべったりしている訳じゃ無い。今日のアキちゃんみたいにあちらに用事があるときや、私が運動部に呼ばれた時――や欲求不満を起こした時――は七時三〇分まで別行動を取る。今日もそんなありふれた一日に過ぎない。

「失礼します」

 ボクシング部の顧問に一礼。私は部活動に勝手に上がり込んでいる人間だ。挨拶はキッチリしなければいけない。

「おう」

 顧問は軽く手を挙げて私に応えてくれた。そして何も言わずグローブとヘッドギアを渡すと「リングに上がれ」とジェスチャーで示す。

 同じ属性を持つ人間は言わずとも通じ合う所がある。見栄っ張りなこの学校は学力だけでなく、運動のための兵隊も募集しているので運動部の設備もハイレベル。当然各部の顧問もその道のプロが担当している事が多い。ありがたい事に先生方は私の衝動を理解してくださるので、こうしておもいっきり体を動かすことが出来る。

「よろしくお願いします」

 リングに上がった私は目の前の男子に一礼する。ボクシングにはこのような礼儀作法的な決まりは無いけれど、部員でもないのに神聖なリングの上に上がらせてもらっているのだ。感謝の念は過剰なくらいに示しておく方がいい。

「…………」

 対する男子は私を見ると困惑を隠さない。ふむ……見た所レギュラー仕様のパンツを履いているようだけど見たことない顔だ……。

「木戸、遠慮はいらねえ。そいつの事は女じゃ無くゴリラかなんかと思え」

「いや、コーチ……でも……」

 一八〇を超える男子がどぎまぎする様子は正直「萌え」を感じる所だけど……リングの上でそれは評価できない。なるほど……それが顧問の狙いか。あくどい事を……。

「馬鹿野郎! 女一人ブッ倒せねえでボクシングが出来るか! おめえレギュラーなんだから誰が相手でも倒すんだよ! え、試合の登録外されてえのか!」

 ここまでどやされれば多少はやる気になる。木戸君はしぶしぶ構え、ステップを踏み出す。

 私も構えると顧問がゴングを鳴らした。私は部員じゃないし、男女では試合にならない――らしいので形式はスパーリングに限られる。

「……」

「…………」

 そう言えば木戸君は私を初めて見るのか。対戦相手を前に様子見……というか隙が多い。この状況に未だに戸惑っていると見える。

「!」

「!!?」

 もうゴングは鳴っている――後は殴り合うだけでしょう。

 私は一瞬で距離を詰めると彼の顔面に向けて渾身の右ストレートを打ち込んだ。

「!???」

 体格差があって流石にKOまではとれない。拳から伝わる彼の肉体……優男みたいな性格とは裏腹に鋼鉄でも殴ったみたいに密度が高い。なるほど、顧問が期待するだけの素質はあるみたいだ。

「この……っ!」

 左の鼻の穴から鼻血を垂らしながら、キッ、と目線を向ける木戸君。どうやらやっとやる気になってくれたらしく――

「――!」

「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」

 猛烈なラッシュを仕掛けに来る。木戸君はどうやらスピードファイターらしく、手数で押すのが主戦法。ストレートに、フック……あらゆる打撃を自在に繰り出し私に迫る。

「……っ」

 私の一撃がよほど業腹だったのか、どうやら彼の本気に火をつけてしまったらしい。正直避けるので精いっぱい。私は徐々にリングの隅へと追いやられ――

「うらぁ‼」

「!――」

 猛烈なブローが腹部を襲う。ミシミシとめり込む木戸君の拳、胃液が逆流し、横隔膜が押し上げられる激痛。生命の危機を覚える、見事な一撃――

「へへ」

 これで借りは返した。木戸君の顔にはそう書いてある。

「――っ」

 ついでに「女だから舐めやがって」、「格好つけた表情も台無しだな」、「誰だか知らないがこれでおしまいだ」とも。

 ああ……なんて雄弁な顔。スパーリングとはいえ、試合中にそんな隙だらけで――大丈夫?

「――!」

「⁉ なっ――」

 腹に彼の拳がめり込んだまま、私は左で彼の横っ面を殴った。これもなかなかの一撃、唇が歪むと捲れて彼の青色のマウスピースが覗き見える。

「こっ……」

「!」

「⁉」

 相手に殴られるのと同時に私も殴り返す。先ほどの動作で私は木戸君の攻撃を避けられないことが良く分かった。

 だったら発想を逆転させればいい。。あえて攻撃を受けて――人間は重めの一撃を放った後必ず隙を作ってしまう――がら空きになった所を狙えばいいだけの話。

「な……何なんだよお前……」

 人は通常殴られれば怯むし、痛みは思っている以上に体力を消耗させる。それにも関わらず何事も無いように向かってくる私を見て木戸君は殴っている側なのに怯えだしている。

「……っ」

 私だって痛くない訳じゃ無い。腹部のあれは掛け値なしに良いパンチだった。木戸君は間違いなく将来のボクシング部を率いる選手になれる。ついで殴られた頭は朦朧として来たし、腕も、足も、痺れ出して動きが鈍くなっている。

 それでも立っていられるのは私の九条家の本能ゆえだろう。まだ動き足りない。まだ暴れ足りない。じゃ――内なる衝動を発散しきれない!

「!」

「……っ⁉」

 殴られては殴り返す。その動作を繰り返す中で主導権が入れ替わる。いつの間にか私は彼をリングの隅へと追い詰めていた。

 それがアイデンティティだと言わんばかりに木戸君の猛攻は続いている。でもそれは形だけ。技は精彩を欠き、もはや殴られても痛くもなんともない。心が折れたパンチは蚊ほどの威力も無いらしい。

「…………」

「ひぃ……」

 あとは顔面に一撃与えてKOでも取ろうか。そう考えて拳を構えたその時――

 カン! カン! カン! 

 私達それぞれにタオルが投げられる。

「お嬢、その程度にしてやってくれ」

「はいセンパイ、そろそろお時間です。これ以上はボクシング部の皆さんの邪魔になっちゃいますからね」

 顧問と蜷川が割り込んでスパーリングはお開きになった。

「……ごほっ、げほっ」

 血の衝動が引くと痛みが顕在化を始める。……やべえ、私の体こんなにダメージを負っていたのかよ……。正直ぶっ倒れそうだぞ。

 蜷川がニコニコ笑顔で手を貸そうかとジェスチャーするけどそれはプライドが許さない。タオルだけ受け取ってやせ我慢に汗をぬぐう。……肌が焼けるように痛い……。

「……」

 対する木戸君は顧問の肩をしっかり借りてはうなだれていた。パイプ椅子に座らされた様子は某漫画の「燃え尽きた」姿にそっくりで彼の心を折ってしまった事を多少申し訳なく思う。

「ほらセンパイ、シャワー浴びますよ。汗、女子の出す匂いじゃありません」

 蜷川はぐいぐいと遠慮なく私を押し始める。それはシャワー室へ誘導するのでなく、部室から隔離するような強引な動作。

「……」

 部室に残る視線はおよそ二種類。木戸君を心配するものと、私をまるでバケモノでも見るように困惑するもの。男子レギュラーだけは自分の練習に集中しているから大したものだ。

「……」

 周囲の状況を見るに、私は大暴れ出来ていたのだろう。アキちゃんの過集中程で無いにしろ、衝動に身を任せると私も感覚が遠くなるから上手く状況を把握できない。

 それでも一つ分かるのは、内なる衝動が物足りなさを覚えているという事。全身を痛みにひりつかせながら、私は思う。まだ足りない。もっと、もっと衝動を満足させるだけの強敵が欲しい、と。

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