2-2

「ふあっ……」

 今日も今日とて授業に集中できない。いや、今日ばかりは大目に見て欲しい。結局アキちゃんが立ち直ったのは始業時間ギリギリ。午前中の授業はロクに予習復習が出来ないまま突入してしまったし、午後は午後とて昼食を食べながらアキちゃんのスパルタ指導を受けていたのだ。彼女謹製の宿題は本当に頭が痛くなった。あんなの解説を聞かないと解けないじゃん……。

 これも特進クラスの教室が一般生徒とは別棟にあるのが悪い。勉強に集中できる静かな環境。なんて物は言いようだけど快適に過ごすためにはある程度の雑音が必要なのを知らないのだろうか。

「……」

 同意を求めようかと教室の隅から目配せしてみる。しかしながら誰もが机に噛り付いて視線は下向き。総勢二〇人のクラスともなれば少数精鋭の濃密な人間関係が出来そうなものだけど残念ながら特進クラスほど個人主義者の集まりもない。頭のいい人間はそれぞれ確固たる独自の世界観を持っているらしく他人よりも自分の事が最優先。そんな私もアキちゃん以外友達はいないし、それはお互いさま。この中で一体何人が友達同士なのやら……なんと寒々しい人間関係の集合体か。ま、それが案外居心地いいのだけど。

「さてと」

 時刻は放課後、アキちゃんが教室にやってくる時間だ。人間関係なんて私には所詮アキちゃん以外必要ない。私の高校生活のすべてがやってくるのだから期待しないわけが無い。私は普通科の生徒の如く浮ついた心で彼女を待つ。さて今日は何分でやって来れるかな。今日はどうやって迎えてあげようかしら。今朝の延長で甘えたがるのなら思いっきり抱きしめてあげるのもやぶさかじゃない。

「ふっふ~ん♪」

「マナちゃん」

「⁉」

 私が驚いたのは決してアキちゃんに鼻歌を聞かれたからじゃない。か、かわいい女の子に下心が出せないようじゃ女がすたるし!

 …………苦しい言い訳はともかく、放課後が始まってからまだ十分も経っていないのだ。これは保健室から教室までの常人の移動時間。制限付きのアキちゃんは平均で二〇分以上かかるはずなのに――

「あ! マナセンパイだ!」

「っ……!」

 申し訳なさそうな表情で教室に入ってくるアキちゃん。そして彼女の手を引いて教室にずかずか上がり込んでくる女子生徒。それに二人の一歩後ろを歩く、やけに爽やかな空気を振りまくやさ男。

 アキちゃんは誰か同伴であれば、相手の勢い次第で速く移動出来る。でも……よりにもよってこの二人……。相手をするなら信頼している七草部長がよかったのに――

「うわーマナセンパイ酷いかおー。そんなにイチノセセンパイに会いたくなかったんですかー?」

 リードを引っ張る大型犬の如くアキちゃんを引きずる女子生徒。こいつは私の気を知っていて敢えてそんな事言いながら後ろを指差す。

 私の目の前に迫るデカイ女子はにながわかん。身長一七〇センチにモデルめいた抜群のプロモーションは目を見張るものがあって、女子でも同じく背が高い私もそれには思わず圧倒される。

 だけどどう見ても校則違反な金髪に、顔はもちろんネイルまで全身バッチリキメたメイク、ラフに気崩した制服と見た目は完全にギャルで軽い雰囲気がぬぐえない。これで同じく特進クラスの後輩というのだから世の中分かったものじゃない。

 コイツは何故かアキちゃんの事を気に入って、忘れた頃にちょっかいをかけてくる。アキちゃんの魅力に気付いている点は評価できるけど現れる度に髪色・髪型・メイクを変えるものだからアキちゃんの目に毒だ。今日は軽くウェーブがかかったロングヘア。ゴールデンレトリバーの毛並みみたいだ。

「私はアキちゃんの害になる人間ならだれでもお断りよ」

 私は蜷川の腕を軽く捻ってアキちゃんを解放して、

「やぁん、いたぁい」

「心がこもっていない所がムカつく」

 私の背へ隠す。壁として蜷川と……アイツの後ろに佇む男子にも睨みを利かせる。

「……やあ。相変わらず、みんな仲がいいんだね」

「一之瀬先輩も相変わらず、人を見る目が無いようで……」

 ははは、私の言葉をと受け流す彼は三年のいちるい。この東校舎とは本来無関係なはずの普通科の先輩だ。

 そんな先輩がなんでこのクラスに来ているのかというと――

「九条さん、出来れば仁見さんと話をさせてくれないかい? 今日こそは仁見さんに話があるんだけど」

「アキちゃんなら演劇部には入りませんよ」

 私は代わりに回答を告げる。

 一之瀬累と言えは世間に興味の無い特進クラスの人間でも知っている有名人。演劇部・劇団極光の部長にして学園のプリンス。その演技力はプロ顔負けらしく一年の頃から主演を張り、老若男女幅広く演じられる事からついたあだ名は「怪人二十面相」だとか。

 確かに顔はなかなかのものだ。色素薄めの短髪と白雪姫のような透き通る肌、それに憂を帯びた中性的な顔立ちが加わると天人めいているというか、確かに同じ人類とは思えない妖艶な魅力を覚える。

 それでも背丈が一六五センチ。私と同じ程度なのが猛烈に減点。流行りのイケメンの顔立ちをしているのであれば一八〇は欲しい。そこが可愛らしいと評価する人もいるけど、ガタイが良く無ければ、最低限私よりも強い人間でないとアキちゃんを任せる気になれない。

 一之瀬先輩と――ついでに蜷川――にアキちゃんの事を知られたのは私の落ち度だ。血気盛んな一年生の頃、アキちゃんに纏わりつく学校中の害虫を潰して回っていたことが逆に宣伝になってしまったようで今でも数人根気のある人間がちょっかいをかけてくる。

 とりわけこの二人はしつこい。なんど追い払ってもしばらくたてばひょっこり顔を出してくるのだ。

「入部するかしないか、その返事を僕としては仁見さんから直接聞きたいんだけどな」

「そうだそうだ! アキセンパイの独占反対! みんなで楽しみましょうよ~」

「蜷川は黙って! 先輩、アキちゃんのを知っておきながら不特定多数の人間の前に立たせるなんて残酷なこと、よく言えますね。話題作りなら別の方法を考えて下さい」

「別に僕はそんな。仁見さんの事をそういうふうに思っていないよ。ただ僕は純粋に、彼女の目が演劇に向いていると思っているだけさ」

「そうだそうだ! 偏見はんたーい」

「だから蜷川は黙れって! 偏見じゃありません、実体験です。被害者ってだけでアキちゃんがどれだけの目に遭って来たか……演劇部がアキちゃんを抱えたとして、守り切る覚悟はありますか? 最低限それが出来なかったら傷つくのはアキちゃん本人なんですよ!」

 ああイライラする。どうでもいい人間二人を相手にするだけで私達の時間がドンドン減って行く。いっそ実力行使……いや戦闘能力をもたない人間相手にむやみに拳を振るうのはレギュレーション違反だ。丸腰の相手を攻撃したらそれこそアキちゃんの嫌う犯罪者そのものだ。

 普段なら落としどころを見つけて出ていってもらう所だけど――

「……」

「……」

「ん? はにゃ?」

 蜷川は無視するとして――いつもの事だ。コイツはいつの間にか現れて一通り満足すると勝手に消える――今日の一之瀬先輩には隙が見えない。何か急ぐ理由でもあるのだろうか……これだと本当に実力行使も免れない……。

「……」

「……」

「おおう、一触即発ぅ!」

 ……一名を除いて、睨み合う私達。どちらかが抜けば戦闘は止められない。プリンスだけあって顔はマズいだろう。狙うなら服の上から目立たない腹とかを重点的に――

「あの!」

「「!」」

 いきなりアキちゃんが叫ぶ。

「この教室……終礼まで私の小テストに使うから……だから……」

 アキちゃんは私達をぼんやり見ると、その視線を教室の扉へ。引き戸の窓からはいぶかしげに私達を覗き込む教師の姿が。

 流石に大人の前で恥ずかしい事をする気はない。ここがとりあえずの落としどころ。

「騒がせてごめんね。また来るよ」

 一之瀬先輩はきざったらしくそう言うと一番に教室を出ていった。

「センパイお邪魔ですって」

「うるさい! 分かっているわよ」

 私とてアキちゃんの手助けこそすれ邪魔にはなりたくない。スクールバックをひっつかむと「また帰りにね」と一言告げて教室を出た。

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