第二章 虫がたかるは美味の証

2-1

 普段のルーティーンとしてなんとなくテレビをつける。

『臨時ニュースです。本日未明他殺と思われる死体が発見され――』

「おいおい」

 つい一週間前だぞ! 殺人事件は誘拐の三倍起こりやすい統計があるけど……同じ街で立て続けにとかありえない! こっちにはデリケートな子がいるんだからやるなら余所でやりなさいよ!

「ちくしょう!」

 姉に書置きなんて残す暇は無い。あの人の事だ、私がドタバタしていたらそれはアキちゃんがらみだって理解してくれる。

 自転車なんて悠長な手段使っていられない。ここはお父さんのFTRを拝借する。

「……!」

 メンテは怠っていないらしくエンジンの調子は頗るいい。早朝から近所迷惑だと分かっているけど爆速でマンションまで向かう。株にいい情報も、心に悪い情報も、情報であれば何でも取り込むアキちゃんの事。今頃きっと――

「アキちゃん!」

 今日という日に限って出迎えが無い。自力で開けた玄関は寒々とした空気に包まれていて――

「……まさか!」

 ショックで飛び降りたとか……まさかアキちゃんに限ってそんな事はしない。あの子は痛いことが嫌いなのだ。でも人間衝動的に動かれたら……。

「!」

 自室代わりのリビングを開ける。そこに主の姿は無い。パソコンが画面から音を立てながらスクリーンセイバーを映しているだけ……。

 キッチン、水垢が落ちているし冷蔵庫の中にはこの前一緒に買った食料がぎっちり詰まっている。上下の戸棚の中もキッチリ整っていて――

「だとすると……」

 ベランダ、は可能性が無さそうだ。窓はきちんと鍵が掛けられている。それでも一応引き戸を開けて地上を見下ろす。そこには一階の庭が広がるばかりで赤黒い染みなんて存在していない。

「……」

 ここまで確かめると一周周って落ち着いてくる。すー……はー……目星はついた。私はアキちゃんがいるであろう部屋に向けて歩調を整えながら歩き出す。

「アキちゃん、入るよ」

 ノックを二回、優しめに叩く。

「…………」

 返答こそ無いけど、内側から警戒を解いたように、もぞり、と動く音が聞こえた。

 ドアを開けると――

「アキちゃん! よかったぁ……」

 ――果たしてそこにはミノムシのように布団に丸まったアキちゃんの姿があった。

「マナ……ちゃんなの……?」

「この家に我が物顔で上がれるのは私だけでしょ。ほら、顔を上げて。私、九条愛美!」

 彼女に向かって顔を上げろなんて我ながら残酷な事をする。彼女は誰の顔だって認識できないと言うのに。

 それでも何かショックを与えなければアキちゃんは動けないまま。うつむいていた視線は顔からツインテールへ……。

「なんで……なんでこんなひどいことが出来るんだろうね……」

「…………」

 私は薄情な人間だから、これがアキちゃん相手じゃなかったら「馬鹿のやることなんて分からない」と断じてしまうだろう。

 殺人は最もシンプルな犯罪だ。命を奪う。これ以上に簡潔な恐怖の形は存在しない。

 とはいえ日常において私達が「殺し」と接する機会は限りなく低い。毎日の食事だって、私達は他人によって屠殺された牛や豚の肉を口にしている――命を奪う感覚は現代社会において限りなく希釈されている。

 もちろん生きるための行為と人殺しを同列に語るつもりは無い。一般論として動物と人間では後者の価値がはるかに高い。

「ううっ……」

 アキちゃんは自分を抱きしめるように両腕を背中に回す。手のひらは二つの傷跡へ……。

 キチガイによる快楽殺人か、追い詰められた人間がやむにやまれず殺してしまったのか、人殺しにもそれぞれ事情があるのだろう。

 それでも私は声を大にして言いたい。やるならば、彼女の怯えない範囲でやれ、と。

 記憶とは人生そのもの。自身が生きた証だ。殺人はそれを強制的に断絶するものであり、アキちゃんは殺されはしなかったものの半年分のそれを奪われた。体の傷だってもしかしたら背中程度では済まなかったかもしれない……。

 一度被害を受けた人間は何かしかの恐怖とともにある。日常から一歩でも足を踏み外した瞬間――殺人は身に迫る恐怖として感じる事になってしまうのだ。

「ねえ、アキちゃん」

 私はアキちゃんを抱きしめ、彼女の手のひらごと傷跡をさする。

「学校、サボっちゃおうか。私はいつまでもアキちゃんに付き合うよ。アキちゃんが怖くなくなるまでさ、ずっといてあげる。こんな事になって『大丈夫』だなんて無責任には言えないけどさ……側にはいられるから……」

「……」

 少しずつアキちゃんのこわばりがとけてゆく。本当に少しずつ。そして彼女は腕を自身から私の背中に回して私の胸の中へと、抱き返してきた。

「大丈夫……学校には行く」

「いいの? 外は危ないかもしれないよ」

「そんな事言ったらキリがないし。それに……一日でも休んじゃったらマナちゃん成績が危ないじゃん。私がここを動かなかったらマナちゃん絶対私の側から離れないだろうし……」

「それを突っ込まれたら痛いね」

「あははは……マナちゃん宿題やって来た?」

「もちろん。アキちゃんの事で私が何か忘れた事あった?」

「小学三年生の時に消しゴム借りパクした」

「さすがにそれはノーカンで……」

 はははは、と私達は同時に笑い出した。アキちゃんはなんとか恐怖の底から抜け出すことが出来たみたいだ。

「…………っ」

「アキちゃん?」

 自慢じゃないけど私の胸はそれなりに大きい。その胸の中で子供が母親を求めるがように彼女の顔がひしと、腕もガッチリ私を掴んで離さない。

「学校、行くんじゃ無かったの?」

「もちろん行く。でも――」

 ――もう少しだけこうさせて。言葉と共に胸元がしっとりと濡れそぼる。

「……」

 声を上げず、ひたすらに涙だけを流す。そこに込められた恐怖はいかほどの物か。果たして涙程度で洗い流すことが出来るのだろうか……私にはわからない……。

「……」

 どれだけ時間が経ったのか、それでも私は彼女に「いつまでも付き合う」と約束した。約束した以上私は母親扱いだろうが支えだろうが何にだってなる。

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