1―5

「――じゃあ、次はこの範囲から始めるからな」

「⁉」

 気づいたら四時間目終了のチャイムが鳴っていた。どうやら過去のアレコレをボーっと考えていたらあっという間に時間が過ぎてしまったらしい。

 いや……決して授業をサボっていた訳じゃ無いし。ほら、私って体育会系だから座学が苦手なだけ。

 ……私よく特進クラスに居座れているよな……。

「ま、自由な校風ですし」

 我ながら適当な言い訳……。実際特進クラスは成績さえ出せば授業態度がおろそかでも――最悪授業に出なくても所属することが出来る特権階級みたいなものだ。

「ふぅ……」

 そして私は今からその特権階級の頂点に立つ存在に会いに行く。

「失礼します……」

 保健室の引き戸を開ける。ベッドは相変わらず一床しか使われていない。この学校の生徒はよっぽど頑丈なのか、それとも――

「あ、マナちゃん!」

 私の声に反応して遮蔽カーテンが開く。声は一つ。どうやら佐伯先生は外出中、というか……みんな仁見学級に遠慮しているのだろう。

「じゃあ行こうか」

「うん」

 名目上あの一角はアキちゃんのためのスペースになっているとはいえ、おおっぴらにお弁当を広げる訳にはいかない。体調が悪い人達の前で食事の匂いを嗅がせるのは毒だろう。

 それでなくともアキちゃん特有の視線を気にする人はいる。昼休みくらいは外出しておかないとが悪いとは本人の談――

「今日のお弁当は?」

「今日は超特急で来ちゃったからこれ」

 私はビニール袋から購買で買った菓子パンを見せた。

「えー。お弁当は?」

「作って欲しかったら今度こそきちんとした食品を冷蔵庫に入れなさい」

 私が朝早くやって来た事を棚上げしつつ、アキちゃんの食育を促す高等テク……という名の詭弁。

 確かに二人分のお弁当を作ることが習慣にはなっているけど――私にだって色々あるのだ。アキちゃんにはその事をキッチリ教育しておかないと。

「ちぇ。まあいいや、購買に行くのも私にはまだハードルが高いし……」

「……」

 そう言うことを言われると私も弱い。長い付き合い、私がアキちゃんの弱点を突けるようにアキちゃんもまた私の痛いところを突いてくる。

「メロンパンは? 買ってきてくれた?」

「もちろん、チョココロネも買った」

 やったー!と一転して笑顔になるアキちゃん。視線こそツインテールだけど、その笑顔を見られただけあの人混みの中を掻き分けてきた価値がある。

 ウチの学校は私立のマンモス校、昼食を摂れる場所の候補も結構ある。オーソドックスに教室はもちろん、部室や委員会の事務室、食堂、最近の学校にしては珍しく屋上も解放されているので校庭を眺めながら開放的に食事を摂ることも可能だ。

 けれど私達はそれらのどれにも向かわない。人間の顔を認識できないアキちゃんにとって制服ほど恐ろしい服装は無い。よほど特徴的な頭部をしていない限り、アキちゃんには生徒たちの区別が男女の性差しか分からない。よって人気のある食堂と屋上は真っ先に排除。黙食が習慣になっている教室ではおしゃべりを楽しむことが出来ないし、私達は――そもそも特進クラスの生徒のほとんどが――部活に入っていないので部室での食事も出来ない。委員会の事務室も専用の部屋があるのは生徒会など限られたものだけで、私達はそのどれにも所属していない。

「ベンチ、温まっているよ!」

「快晴だね」

 東校舎と西校舎の間に存在する中庭。アキちゃんはお気に入りの定位置を見定めると一気に駆け出した。

 まったく……今朝のニュースを見ていた時は怯えていたくせに……こういう時は能天気な空に感謝すべきなんだろうか。

 中庭は園芸部が取り仕切っているおかげかプロ顔負けの手入れがなされている。正直市営のしょぼい植物園よりも豪華でお金が取れるんじゃないかって思うくらいだ。今日も秋の花の香りがそよ風に運ばれて……思わず肺いっぱいに満たしてしまう。それから二酸化炭素と共に疲れを吐きださせてくれて……ここはデトックスにちょうどいい。

 かつては中庭もまた昼食を楽しむ一大スポットだったのだけど……羽目を外した一部の生徒が告白のために花を摘んだり、食べ残しを花壇に捨てていったりとマナー違反を積み重ねていったことが原因で、現三年生の七草部長が二年の時に中庭への一般生徒の侵入を禁止してしまったのだ。

 その代償として中庭の全てを園芸部が管理する条件を突き付けられたわけだけど、七草部長率いる園芸部はこうして見事な中庭を造営しているのだから凄まじい。私はそんな先輩に入学当時交渉してアキちゃんの目の保養にふさわしい食事スペースを確保する事ができた。だから私もアキちゃんに「すごい!」と褒められたいわけなんだけど――

「もっもっもっ……」

 アキちゃんは花々には一切目を向けずひたすらスマホとにらめっこしながら菓子パンを咀嚼している。

「それ……何しているの」

「株」

 あきれた私にアキちゃんはスマホの画面を突きつけてくる。そこにはチャートの群れが何画面も展開していて――

「見たら分かるけどなんで今なのよ」

「このスマホ、自宅のパソコンと連動していてタッチ操作でパソコンに指示を送れるの」

「いや、アキちゃんがおじさんのアカウントをつかって株をやっている事は知っているけど……昼休みくらい頭を休ませなさいよ。ほら、あのコスモスとか綺麗な紫色が出ている」

「マナちゃん分かっていないな……前場は九時から十一時半、後場は十二時半から十五時までなの。頭ならもうきちんと一時間休めてます」

「ん?」

 昼休みは十二時半からスタート。だとするとなるほど今はアキちゃんが言う所の後場の真っただ中という事になる。

 いや……いやいやいやいや――

「勉強しなさいよ……」

 わざわざベッドに横づけしてある学習机と大量の教科書、あれは一体なんなんだ。

「大丈夫だよ、勉強ならしているから、ほら!」

 アキちゃんは器用にも腕だけ私に伸ばして再び画面を見せる。そこにはこれまた大量のソースコードの群れ……。

「最近は株取引用のAIのプログラミングにハマっているんだ。金融工学ってやつ。最初は自分で取引していた方が儲けが安定していたけど、ディープラーニングのおかげで今ではプログラム単独で運用した方が勝てるまでになった。人間的に考えると思考がブラックボックス化してきて、なんであんな株を買ったのか分からない時があるけどその代わり当たった時の上がりが手動の比じゃないの! 今ではプログラムのエラーをちょこっと修正して、さらなる学習情報を与えれば――」

 ここから先は専門用語だらけでアキちゃんが何を言っているのかサッパリ分からない。これは私が体育会系なだけではなく、内容が相当突っ込んでいるからであって、多分この学校で一番頭のいい教師でも手が余るはずだ……うん。

 事件の後、人生から顔を失ったアキちゃんはどうにかして社会復帰出来ないか必死に考えた。人間にとって顔とは外見上の個性の九割に等しい。それを認識できないとなれば他人とコミュニケーションする上で大きな障害になる。

 だけど人間出来ない事は逆立ちしたって克服することは不可能だ。近い将来、技術の向上で失った視力を取り戻せるらしいけど、アキちゃんの場合は心因性。打ち込まれたトラウマを取り除くことは精神医学でもずっと議論されている命題だ。仮に機械の力で見る能力が強化された所ですべてが元に戻る保証もない。アキちゃんの顔の範囲は実物の人間の顔はもちろん、静止画、動画、人をかたどった彫刻すら含む広範囲。彼女は奈良の大仏も認識できない。漫画のデフォルメされたイラストですら歪んで見える。

 ところが……恐るべきことに人間には「代替」という能力が備わっている。例えば視覚を失った人間がそれを補うように聴覚や嗅覚を発達させ、健常者以上の空間把握能力を獲得するといった現象だ。

 アキちゃんの場合、人間の顔を認識する能力を失った代わりに他の視覚情報を読み取る際に驚異的な集中力を発揮し、そして事件前後でぽっかりと空いた記憶領域を補うように一度受け取った情報を忘却しない瞬間記憶能力を発達させた。

 彼女の身に起きたポジティブな変化の話を聞くと心無い人々は「ひどい目に遭った割に良かったじゃないか」なんてとんでもないことを行ってくる……――確かにこれら二つの能力は能力主義がはびこる現代社会において役立つ能力であると言えるけど、私に言わせてみれば過集中と異常記憶。まだ体が出来上がっていない当時九歳の子供には毒だったし、傷ついた彼女がその後大人やクソガキたちに受けた辱めを忘れられないとなれば――過ぎたるは猶及ばざるが如し。忘れる事だって……重要な機能なのだ。

 今でこそ呑気に菓子パンを五個ぺろりと平らげている所だけど、昔は脳の機能に体が追い付かずによく気絶したり吐いたりしていた。アキちゃんの体が発育不良なのも過剰に動く脳ミソが大量のカロリーを貪っているからに違いない。

「マナちゃん!」

「ん?」

 アキちゃんは頬を軽く膨らませて私を睨みつける。あ、口元にチョコソースが。とても可愛らしい。

「私の話聞いている?」

「もちろん聞いていたわよ。金融工学の辺りで挫折したけど。金木犀の香りが心地いわねー……」

「お花をめでる素養が無くてわるうございました」

 アキちゃんは嫌々花壇へと目線を向ける。花は当然顔をもたないので焦点を合わせることが出来る。けれどその視線はどこか居心地が悪そうに泳ぎ始める。

 アキちゃんにとって自然や生き物といった存在は脳に合わないらしい。動物は人間を連想させて気持ち悪いし、草花は動きが無さすぎて脳が飽きる。彼女が最も落ち着くのは0と1で構成された電子の世界。目まぐるしく流動を見せる純粋に情報で出来上がった人間離れした領域なのだ。

「マナちゃんはさ、家庭的だよね」

「え? どこがよ」

「だって朝は早いし、お弁当も作れるし、お花の事とか詳しいし……私の面倒もずっと見ていてくれるからさ……」

「……」

 あの日、アキちゃんが戻って来てからの七年間、私は確かに彼女と行動を共にして来た。

 彼女の前では顔の記憶のストック通りに、髪型はツインテールから崩した事は無いし、入院・通院・保健室登校での付き添いもして来た。ホームルームに出られない彼女のために学校に関する情報は全部集めてきたし、少しでも気分が良くなればと人気のない安全な場所を見つけたり、綺麗な物を集めたり……思えば濃密な日々を過ごして来たものだ。

 でも、これは決して母性とか、ましてや友情なんかじゃない。

 私は怖いのだ。もしアキちゃんがあの半年間の、事件直前の記憶を取り戻したら……ひょっとするとアキちゃんは自分が誘拐されたのは私と喧嘩したことが原因だと思うかもしれない。それが怖いから……私は虚勢を張って彼女の騎士ナイトを気取っているだけ――

「まさか、私が家庭的な物ですか。これは打算。私が欲しいのは――アキちゃんの『テスト予想』よ」

 なんて本音はおくびにも出さずにおどけて言ってみせる。

「うわービジネスオカン」

「誰がオカンよ。ビジネスならアキちゃんもう一生分稼いでいるくせに」

「今のところお父さんの口座にね。ま、いずれ私の物だけど。どれどれ……仕方ないなぁ。おバカさんなマナちゃんに天才晶子ちゃんのカンニング情報を進呈してしんぜよう」

 私はわざとらしく「ははー」と平伏してみせて……私達は同時に顔を上げると笑い出した。

 教室という止まったカオナシ空間に耐えられないアキちゃんにとって私は学校の情報を卸す貴重な情報源。私は今日のホームルームの内容と、授業の様子を出来るだけ詳細に、先生の癖をも含めて情報の密度濃く彼女に伝えた。

「ふむふむ……なるほどね」

 アキちゃんは慣れた手つきで私のスクールバックに手を突っ込むと、ノートとペンを取り出して魔法陣を描き始める。魔法陣と言ってもアニメで見るような円形に整ったルーン文字が装飾されているようなものではなく、巻き貝の殻のようにぐちゃぐちゃした文字列が円形に広がる彼女独特のメモ書き。この形で書く方が効率が良いらしいけど……パッと見で何が書いてあるのか読めないし……使われている文字も漢字、ひらがな、アルファベット、数字がごちゃごちゃに書いてあって意味のある単語すら存在していないのだ。

 驚異的な集中力と瞬間記憶能力その二つ以外にもアキちゃんは磨き上げた能力がある。

 それは未来予知とも呼べる強力な予測能力だ。

「出来た」

 魔法陣の下には上記のえげつない筆記とは異なり線の細い綺麗な文字がしたためられている。そこにはこの一週間の内に行われるであろう小テストの予定日と試験範囲の予想がずらりと並んでいた。

 アキちゃんは視覚と聴覚から常に大量の情報を受け取ってはそれを完全な形でストックしている。そしてある瞬間、パズルのピースがハマるように情報が演繹的に繋がり一つの未来像を映し出すのだ。

 アキちゃん曰く、これはAIで言う所のディープラーニングに似ているらしい。何の関連も無い情報がいつの間にか結合して、思いもよらない未来図を描き出す。とはいえこの能力の欠点は予知では無くあくまで予測であること。知れる未来はアキちゃんが知れる範囲の出来事に限定されるし、何か別の材料が登場した瞬間未来図ががらりと変わる事もしばしば。株だって突然の戦争や疫病の発生で相場を崩すもの。絶対では無いのだ。

 とはいえ学校、それも特進クラスというガチガチに真面目な環境において不確定要素は入り込みにくい。少なくとも高校一年生の時からアキちゃんの予測が外れた事は無い。

「ありがとう。これで今学期も降格せずにすみそう」

「もうちょっと真面目に勉強しようよ……。試験範囲の予想なんて真面目に勉強していればなんとなく出来るものだよ」

 優等生に憐れまれる不良の図は胸に来るものがある……いや、これでも頑張っている方なんですよ。空き時間は予習範囲とにらめっこしているし、宿題だって家に持ち帰らずに学校の中で終わらせている。ただ……特進クラスに居座るためにはあと一歩が足りなくて、それをカバーしようとしているだけなんです。

 だから――

「おっ!」

 私はおもむろに彼女をベンチへ押し倒すと、出来る限りのキメ顔を作った。

「悪いとは思ってる……でも……少しでも長くアキちゃんと過ごす時間が欲しいから……」

「マナちゃん……」

 私はそのまま顔をアキちゃんの唇に近づけて――

「ストップ」

 ご丁寧に口元が両手でふさがれた。

「セクハラは禁止です」

 私の体はそのままガッチリガードで押し上げられる。ふーむ……色仕掛けで押し切る作戦は失敗と。

「私たまーにマナちゃんが何を考えているのか分からなくなるよ」

「……」

 お母さんなんだか友達なんだか――と続く言葉。その中に「裏切者」や「真犯人」が含まれていなくて心底安心する。

 そして、そんな私が彼女のなかで「友達」と認識されている事に少しの罪悪感……ははっ、口を開けば「アキちゃんのため」なんてうそぶいておきながら、結局のところすべてが自分のため。私はとんだ道化だ。

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