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アキちゃんが人を……人間の顔を避けるようになったのは七年前、誘拐事件に巻き込まれたのが原因……かもしれない。
理由を断定できないのはアキちゃんが誘拐されていた半年間の記憶を持っていなかったから。彼女はいきなり姿を消して……そしてまたいきなり戻って来た。
殺人事件の発生数が年間九〇〇件であるなら、誘拐事件は年間三〇〇件らしい。犯罪に巻き込まれる事は等しく不幸で、それでも人間命あっての物種、生きて戻って来てくれるのであれば、誰だって殺人よりも誘拐に巻き込まれる方がマシだと答えるのではないだろうか。
けれど……事件後のアキちゃんと、彼女を取り巻く人々、その環境の変化を間近で見てきた私にしてみれば誘拐ほど罪深い犯罪は無いと思わされる。
事件の直前、私とアキちゃんは近所の公園で遊んで、そしてケンカをしてしまった。原因は思い出せない。きっと思い出せないほどどうでもいい理由でケンカを始めたのだと思う。だってお互い小学生四年生で、そんな時期はどうでもいい事でキャーキャーはしゃぐものだろう。
それでも私達は幼馴染で、親友で、明日になれば怒っていたことなんてケロッと忘れて仲直りできるとばかり思っていた。だから私は怒りに任せて公園から飛び出したし、アキちゃんはふてくされてブランコの上で蹲っていた。
……もし時間を巻き戻せるなら、私はその時点まで戻って嫌がるアキちゃんを引きずってでも一緒に帰るべきだった――
異変に気付いたのは夕食を食べていたくらいの頃。アキちゃんの両親から「晶子が帰って来ないの……」と電話を受けてから事態は急変した。
私はアキちゃんがまだ公園でふてくされているのだろうと呑気に考えていた。ところが続くおばさんの声色には鬼気迫るものがにじみ出ていて、それに気圧された私はしどろもどろになりながらアキちゃんと公園で遊んでいた事、ケンカをして別れてしまった事を話した。
「アンタが! アンタが晶子と離れたせいよ‼」
「!!?」
叩き付けるような音と共に電話が切られて私は戸惑った。おばさんはアキちゃんよろしく普段から温厚な人で、滅多なことで人を怒るような人間じゃない。
続けて夜間にも関わらず我が家のチャイムが鳴らされた。両親がドアを開けるとやって来たのは二人組の警察官だった。
「仁見晶子ちゃんの事で、お友達であるお宅の愛美ちゃんにお話しを伺いたいのですが……」
「………………」
警察まで出てくれば子供の頭でもただ事じゃないことが理解できる。彼らから事情聴取を受けてそこで私はアキちゃんが失踪した事を知った。
その翌日、世界は一変したと言っていいほどの大騒ぎだった。事件なんてめったに起きない田舎町、噂が千里走るどころかアキちゃんの事件はローカルニュースはもちろんの事全国区で報道され、失踪・誘拐……そして殺人など、様々な説が飛び交い誰もが彼女の事を口にしていた。
あの日ばかりはウチと仁見家の立地が一軒挟んであっていて良かったと思った。仁見家には連日報道陣が詰め寄り、休まる所が無い。時折おばさんと目が合うと射殺さんとばかりに睨みつけられて……私は今でもあの人との関係を修復出来ていない。
けれど……人の噂も七十五日、事件は常に各所で発生していて、アキちゃんの失踪事件もまたありふれた事件の一つとして日常に呑まれてゆく。しつこい報道陣に囲まれていた時、おばさんは瞳を血走らせながら対応していたのだけど――いざだれもいなくなると一気に老け込んだかのようにボーっと玄関の前で立ちんぼうしていた。誰も自分の子供の事なんて気にかけない。それならば自分がここで待っているしかない。おばさんは食事と睡眠の、生きるのに最低限必要な時間以外は全て玄関で、アキちゃんが帰って来る可能性に賭けていた。
「………………」
私はというと……恥ずかしながらアキちゃんのために何かする事もなく半年間無為に過ごしていた。
あの出来事の……自分が引き金になった結果アキちゃんがいなくなってしまった事。警察、マスコミ、野次馬、あらゆる人間が近所に押し掛けてきた事。学校が休校になったり、短縮したり、先生や同級生に問い詰められたりした事……小学四年生の当時九歳だった私は目まぐるしく変わる状況にショックを受けて、流されるばかりで……なにが一番の親友か……呆れた事に、何も出来なかった。
当時の私は本当に子供だった。そしてその事に自覚的過ぎた。「自分のせいだ……」私はその事実から言い訳を、逃げるために、親友を見て見ぬふりをし始めたのだ。
だから数か月後、人々が事件を忘れて日常を取り戻し始めた時……最低な事に私は安心した。「これ以上自分は罪を問われることは無い」、「おばさんの視線さえやり過ごせば元の生活に戻れるんだ」、と。
愚かで無力な私……そう自覚しているだけで確信的に事件に関わっているようなものなのに。
誘拐ほど罪深い犯罪は無い。人ひとり消えただけで少なくとも一つの家族と私という人間の人生に大きな爪痕を残した。この傷は一生かけてだって元通りに治す事は出来ないだろう。
そしてこれが被害者本人であれば――
「……ただいま」
「「!!?」」
その日の夕焼けを私と……そしておばさんは瞳に焼き付けている。街を飲み込まんと大地に接する巨大な半円。それは異界の門めいていて……そこからいきなりアキちゃんが当時私と別れたままの姿で現れたのである。
「晶子!」「アキちゃん!」
私達は同時に走った。お互いの存在など気にせず、アキちゃんさえ戻ればすべてが解決すると思い込んで、これで一件落着だと、不幸なんて何も無かったんだって――
「⁉……っ」
しかしながら、アキちゃんが示した反応は拒絶だった。彼女は私達の抱擁を避けると、怯える野生動物さながらの警戒心でそれぞれの顔に焦点を合わせようと、瞳を凝らした。
「もしかして……お母さんと……小さいのはマナちゃんなの……?」
「あき……こ……?」
「なに……言っているの……」
確かに、アキちゃんは帰って来た。再びの警察騒動。DNA鑑定の結果私達の前にやって来た彼女は確かにアキちゃん本人だと証明されたし、両親が、親友が彼女の顔を忘れるはずがない。目の前の彼女は外見だけで言うなら半年前失踪したアキちゃんそのものなのだ。
だけど中身は……事件が彼女に付けた傷跡は想像の何倍も上を行くものだった。
まず肉体の面で、彼女の肩甲骨付近にはまるで天使から翼をもいだような深い傷跡が刻み込まれていた。これは七年経った今でも治る予兆を一つも見せない。
そして次は精神的な面。こちらのほうがかなり深刻で……アキちゃんは事件前後の記憶をまるまる失っていた。背中の傷は間違いなく人為的なもので、であれば誰かがアキちゃんを誘拐したはずだ。ところが彼女は誘拐期間中の事はもちろん、誘拐直前の、私と喧嘩した記憶も失っていた。
これにはさすがの警察もお手上げだった。犯人はそうとうしたたからしく、傷跡以外に事件の証拠を残していない。肝心の本人も何も覚えていないのであれば動きようがない。
事件はなし崩し的に解決に向かおうとしていた。失踪事件は誘拐事件だったが、両方とも解決方法が当人の帰還である事に変わりない。形式上捜査は続くけれど、当人たちの間で事件は終わったと……。
ところが……アキちゃんの精神的な傷は記憶喪失に留まらない。
私のことはどうでもいい。どうせ薄情な元親友。記憶があったら絶交されるだけの事をした私だ。そんな私の顔を忘れるのはある意味当然の報い――
だけど……生まれた頃から無自覚に九年間見続けてきたはずの親の顔を認識できないとなると話は変わってくる。
「ねえ……二人なの……ねえ……」
「……」
「……」
お医者様の診断によるとアキちゃんはPTSD、心的外傷後ストレス障害を患っているらしい。背中の傷か、事件に巻き込まれたことそのものが原因なのか、分からない。
いや、原因なんかどうでもいい。つまるところ、アキちゃんは事件によって彼女の人生を破壊されたのだ。
「ねえ……ねえ……二人なんだよね……ねえ……」
アキちゃんは人間の顔という顔を認識することが出来なくなった。人間の首から上だけがぼやけて見えるのか、塗りつぶされたように感じるのか、モザイクがかけられているようになっているのか……本人にもどんな状態なのか説明できない感覚らしい。
一つ言えるのはあの日から今日に至るまでアキちゃんの目が私の目はもちろん、顔を捉えることが無くなったということ。
夕焼けの中、涙ぐんだ目線は頼りなく私のツインテールに注がれていて……
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