第40話 あり得ない
物語の期間が終了すると俺は本当の自宅へ戻っていた。そしてアパートに帰って数日経つと脇役協会から郵便が届けられた。
格式高い封筒の中身には短文で文字が書かれている。正直に言えば封を開けたくはなかったが開けて確認するしかない。
手紙の内容は簡単に言うと協会本部に来てくださいという事だった。おそらく俺が担当した物語の評価が伝えられるのだろう。
早朝、俺は鏡でスーツのネクタイ位置を確認して髪の毛を整えると自宅を後にした。
脇役協会へは電車を乗り継いで行く。俺は通勤ラッシュ前の比較的空いている電車に揺られながら覚悟を決めた。
ランクAの剥奪は間違いない。だが今回の失敗を次に活かす。それしか俺には手段は無かった。
失敗したという経験をそのままにして置くほど俺は暇でも現実逃避好きでもない。
今回の物語を思い返しながら移動しているといつのまにか脇役協会についていた。
脇役協会の本部に行くのは初めてじゃないがいつも通り建物の大きさに驚かされてしまう。俺は高層オフィスビルを見上げた。
青いフィルムが張られているガラスは空に向かって真っすぐに伸びている。迫力で身体が委縮してしまいそうだ。いや、今回の訪問は俺が望まぬ結果を伝えられる。だから身体が拒否しているのかも知れないなと俺は鼻で笑った。
大きな扉を抜けて進むと受付に向かった。俺を見るなり微笑む女性は長い髪が綺麗だった。
「あの、アユトと申しますけど……」
「伺っております。こちらへどうぞ」
エレベーターに乗ると綺麗な女性が俺の横で背筋を伸ばして立った。機械の音に紛れて居心地の悪さが伝わってくる。俺が何者でどういう経緯でここに居るのかを知られているのでは無いかとなぜか不安になった。
上の階に着くと連れて行かれたのは豪華な扉の前だった。
俺は深呼吸を一度してからノックする。中から低い声で「どうぞ」と聞こえてきた。
広い室内は高級感で溢れていた。壁には絵画。中央を陣取ったソファと机は艶がある黒で統一されている。その向こうでもう一つの仕事机に肘をつき俺を眺める人物がいた。
一目見てアイの祖父だと理解した。どことなく雰囲気が似ている。
「失礼致します。初めましてアユトと申します」
「まあ緊張するな。とりあえず立ったままだと疲れるだろ? そこに座りたまえ」
深くお辞儀するとアイの祖父は笑みを浮かべながらソファに促した。
「私はゲンブだ。初めましてだねアユト君。よろしく頼むよ」
「協会理事のゲンブ様ですね。存じております」
「敬称はいらないよ。気軽にさん付けしてくれてかまわない」
親しみやすい雰囲気がやはりアイに似ている。もっと怖い人だと思っていたけど俺の勘違いだったのかな。どうしようか。あまり礼儀を押し付けるのも良くないような気もする。
俺は少し砕けた笑顔を見せた。あまり気を遣わせるのは返って申し訳ない。
「ではお言葉に甘えましてゲンブさんと呼ばせて頂きます」
ソファに腰を下ろした俺は背筋を伸ばしている。ゲンブは俺の向かい側に深く腰掛けた。
「とりあえずお疲れ様。そういえば孫が世話になったな。ありがとう」
「いえそれほどでもありません。アイさんのおかげで自分はとても助けらてもらいました」
「ほぅ……どういう風に助けられたのか聞いてもいいかな?」
俺は素直に思った事を即答した。嘘を付く必要もない。
「アイさんの素直さや前向きさがとても心強く感じました。僕を応援して信じてくれる気持ちが強く伝わってきて何度も弱った心を救われました」
「孫がアユト君にそんな気持ちを……そうか。なら良かった」
率直な意見を聞き入れたゲンブは満足そうに顎を引いた。
「いきなりですみませんが僕の方から先に謝罪させて下さい。今回の物語は申し訳ございませんでした。不甲斐無い結果となったのはすべて自分の責任です」
俺は立ち上がると同時に謝罪した。
責任は全て自分にあるのは重々承知だ。言い訳などせずに真摯に謝罪しようと前日から決めていたことだった。いい訳なんてしても意味がない。結果が全てなのだ。
腰を折った俺は自分の靴を眺めたまま制止してゲンブの言葉を待った。
「頭をあげなさい。今日はその話をするためにわざわざ呼び出したんだ。ゆっくり話そうではないか」
なだめるような低い声に怒りは含まれていなかった。俺が顔を上げるとゲンブは笑みを浮かべている。
なぜ笑って済ましてくれるのだろうか。脇役の重鎮なら一喝するのが常識ではないのか。
ゲンブの柔らかい笑みの理由が全く分からない俺は混乱するしかなかった。立ったままだったがゲンブに指示されもう一度腰を下ろす。
「とにかく君に会って欲しい人物がいる。話はそれからだな」
会って欲しい人物は誰だろうと一瞬だけ考えたが俺はすぐに答えを導き出した。
一般的に考えてランクAの俺だけが呼ばれるのは不自然だ。もう一人のランクAがここに姿を見せないのはおかしい。
ゲンブは携帯電話を取り出し画面をタッチして操作するとすぐに耳に押し当てた。
すると、扉がノックされる。
「あまり待たせないでって言ったのだけれど?」
「すまないマユミ君。こちらにも準備というものが必要だったのだ。許しておくれ」
「年寄りの体感時間で物事を進められると迷惑なのだけれど仕方がないわ。アユトの間抜け顔に免じて許してあげる」
入ってきたのは予想通りマユミだった。マユミはお辞儀もせずにすたすたとソファに近寄り俺の隣側へ勝手に腰掛けた。さすがにその態度はゲンブの前ではまずいんじゃないだろか。というか間抜けな顔っていちいち付け足すなっての。
だが俺の心配は必要なくゲンブは全く気にしていないようだった。
「彼女が今回の指揮をとったランクAのマユミ君だ。ではマユミ君。早速で悪いがまずは今回の感想を教えてくれたまえ」
戸惑いが収まらないままの俺を置いて話は進む。にこやかに感想を求めたゲンブとは対象的にマユミは疲れきったように口を開いた。
これ以上に失礼な事をゲンブに言わないか怖くなる。もし限度を超えるようなら俺が止めなければならない。俺はなぜか使命感を抱いてしまった。
「今回は本当にアユトが無能すぎて疲れたわ。有能だと思い込んだ無能ほど滑稽よね。まぁそれでも……無能は無能なりに頑張ったほうだと私は思うのだけれど」
俺が無能なのはいいが同じ責任者であるお前は何もしていないじゃないか。なぜ俺ばかりが責められている。マユミは人に責任を擦り付けるような奴ではないだろ。
無能扱いされた俺はマユミに対する怒りを堪える。マユミは物語を放棄しており、さらには俺の邪魔ばかりしていただけだ。
「ほう。君が他人を褒めるのはめずらしいな。やはり幼馴染は特別という事かね」
どこが褒めているのでしょうか。もしかして耳が遠いのでしょうか。
「私がアユトを褒めたですって? それは明らかに、そしてあからさまに、さらには絶対的に違うわ」
「そう怒らないでくれたまえ。とにかく私は君の働きに感謝している」
にやりと笑うゲンブに敬語を使っていないマユミはかなりの拒否を表した。褒められたと全く感じていない俺はもちろん話についていけない。
なぜ働いてもいないマユミがいち早く感謝されているのか分からない。もしかしてマユミを特別扱いしているのだろうか。
たしかに俺はまだ未熟者だ。悔しいが認めるしかない。しかしマユミは稀代の天才と認められた脇役。持ち上げられて当然と言えば当然ではある。。
「失礼ですがよろしいでしょうか?」
「何だね」
「なぜマユミが感謝されているのか理由を教えて頂けませんか」
「理由?」
「ここに居るマユミは実際にランクAとして今回の物語に参加していましたが私と同様に良い結果を残していないと感じるのですが? 同じ責任者として評価が下がるのは当然だと考えるのは僕だけでしょうか?」
連帯責任だとすればマユミも今回の物語で評価を落としているはず。そう考える俺は疑問をそのまま口にした。
「おや。まだ気づいていないようだね。じゃあ他の演者も呼び出そうじゃないか」
再び携帯を取り出したゲンブは誰かを呼び出した。
気づいていない。俺が何に気がついていないと言うのだろうか。他の演者となると責任者であるフウキさんか悪態のつくおっさんあたりだろうか。
そして再び扉をノックする音が聞こえる。扉が開くと数人の男女が失礼しますとぞろぞろと部屋へ入室してきた。
驚いた拍子に立ち上がった俺は目を疑った。
「アユト。久しぶりだな。今回の物語は楽しかったよ」
爽やかな笑みで俺に手を上げたのは佐伯裕樹だった。その後ろでは見慣れたポニーテールの真中葵、さらには俺に告白してくれた出雲かなでの姿もあった。
ありえない。主人公達は物語の世界の人間だ。決してこの世界で出会うはずがない。
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