第38話 予感

 帰宅する俺はゆっくりと歩いていた。

 空を見上げると沈みゆく太陽を追いかけるように雲が流れている。視線を横に向けると隣には出雲かなでが肩を並べていた。

辺りを見渡すと同じ学校の生徒はいない。すれ違うのは会社帰りのサラリーマンや夕飯の買い物袋を下げた女性が多かった。

 生徒会は球技大会の後片付けをしており、祝勝会でさらに時間を使ってしまったので同じ生徒がいないのは当たり前だった。

 生徒会以外の生徒達はすでに帰宅した後だろう。学校の行事が球技大会ということもあり部活なども今日は休みになっていた。

 今日の帰り道は出雲かなでと二人きりだ。いつもは佐伯裕樹も一緒なのだが用事があるというので今の状況に至っている。

 佐伯裕樹は校門を出た辺りで自宅と全く違う方向へ走り去って行った。違和感を覚える後姿を見送った俺は首を傾げる。

 佐伯裕樹のスケジュールは確か何もなかったはずなのだが。主人公が友達と遊ぶにしても家庭の用事だとしてもすべて俺の耳に入る。

 主人公の動向はすべてチェックしているので間違いはないはずだ。


「あっ、あの、さっ、最近はどんな絵を書いているんでしょうか……」


 黙って考え事をしていると遠慮がちに出雲かなでが話題を切り出した。徐々にボリュームを下げていく聞き方だった。


「最近は忙しくて全然書けていないんだよ」


 俺は当然のように話を合わす。出雲かなでとは友人関係を保つ必要があるからだ。

だが、実を言うと俺と出雲かなでの二人きりの帰宅はあまり盛り上がっていると言えなかった。

 理由は佐伯裕樹の行動が気がかりであり、さらに出雲かなでが二人きりで帰るのはなんのメリットもないなと冷静に考えてしまっていたからだ。

ただしデメリットもない。

 出雲かなでにいたってはおどおどとした雰囲気だった。今、俺の隣にいる出雲かなでは初対面の頃の出雲かなでのようだ。最近では少し打ち解けてきたと感じていた俺は混乱してしまう。


「すっ、少し疲れました。きゅっ、休憩しませんか?」


 機械的に世間話をしていると出雲かなでが指をさした。目線を先に向けると小さな公園のベンチが寂しく設置されている。


「そうだな。球技大会での疲れが残っているだろうから少し休んでいこうか」


 俺の肯定に出雲かなでが小さく頷いたあと、二人は絶妙な距離感でベンチに腰掛けた。すると、何かのスイッチが入ったように出雲かなでが俺を見つめる。

 

「あっ、あのっ。今日の球技大会で、わっ、私は頑張っていましたか?」

「えっ……ああ、頑張っていたよ。俺だけじゃなくみんなもそう思っていると思う」


 出雲かなでにはめずらしい勢いのある切り出しに反応が少し遅れた。ゆったりと時間が過ぎていき誰もいない小さな公園の電灯がつく。

 出雲かなでは膝を両手で乱暴に掴み、太ももをすり合わせ続けている。


「がっ、頑張ったのなら……ごっ、ご褒美……」


 あまりにも小さな囁きだったので俺は聞こえなかった。薄暗くなってきた公園で俺は出雲かなでに「なんて言ったの?」と問いかけた。

 すると次は力強く胸の前で両手を組んだ出雲かなでは俺に接近してくる。


「私はアユトさんからご褒美が欲しいんですっ!」


 俺の肩に触れそうなほど顔を寄せて上目遣いで見つめられる。さらに出雲かなでの大きな瞳はなぜか潤んでいた。もちろん俺は焦ってしまう。同時に嫌な予感がほんの少しだけ頭をよぎった。


「ご褒美って……あれの事かな……」


 濁した言い方に出雲かなでは大きく頷く。なぜ出雲かなでが俺からご褒美が欲しいんだ。意味が分からない。

 あまりにも接近され、なおかつ見た目は十分に美少女な出雲かなでに上目遣いで見つめられている俺は自然に視線を外すしかなかった。心臓の鼓動が脈打つのが分かる。


「だっ、駄目でしょうか……」

「いやっ、ちょっと待って。駄目ではないけどいまいち理解が出来ないんだ」


 出雲かなでが哀しさを表すと俺は慌てたように出雲かなでに手をかざした。すると出雲かなでは静かに語り出した。


「わっ、私は自分の臆病な性格が嫌いでした。本当は球技大会にも出たくはありませんでした。でっ、でもアユトさんの励ましや応援があったから私は頑張ることが出来ました。それで気づいたんです。自分の臆病は一生変わらないと思うのは間違いなのかも知れないと。だから私は今日の頑張りを忘れたくないんです……そのためにアユトさんのご褒美が必要なんですっ!」


 出雲かなでの内面は変わり始めている。

 それは俺にとっても応援したいと思う気持ちはあるのだが、そのためにご褒美を俺からもらう意味が分からなかった。

 何かのおまじないの意味合いがあるのだろうか。確かに球技大会の出雲かなでは予想を大幅に上回る頑張りを見せていた。それはご褒美をもらうに等しい頑張りだった。

 だが、俺はキスをするわけにはいかない。なぜなら出雲かなではヒロイン。俺は脇役だからだ。恥ずかしいから無理などの理由を覆いつくすほどの強大な制約がある。


「他のご褒美じゃ駄目かな……」


 俺は笑顔を作りながら他の道を探った。すると出雲かなでの表情が一瞬にして曇った。


「やっ、やっぱり駄目ですよね……」


 急に立ち上がる出雲かなでは俺に表情を見せないようしている。俺は哀しげな横顔を見るとすぐに同じように立ち上がる。そして出雲かなでの頭を優しくなでた。


「じゃあ出雲さんが前向きな気持ちを持ち続けていたらご褒美をあげるよ。だから今回はこれで勘弁してくれ」

「ひゃ……」


 いきなり触られて驚く出雲かなでは声を裏返した。


「約束するよ」

「やっ、約束ですからね!」


 地面と俺を交互に見つめている出雲かなでは照れたように笑っていた。

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