第36話 勝利の余韻

「カンパーイ」


 シャツを腕まくりした真中葵の掛け声が生徒会室を響かせる。俺は皆と同じように缶ジュースを掲げた。

 生徒会として球技大会の後片付けも終わり俺達は簡単な祝杯を上げていた。優勝から時間が経っているはずなのだが、他のメンバーは興奮の余韻をまだ残しているようだ。

 そんな和やかな空気の中、俺は愛想笑いを繰り返している。

 フウキさんに勝利したという事は引き続きランクAとして物語を構築しなければならない。意気込みはあるのだが多少の不安もあるのが事実だ。そんな心情が純粋に勝利に浸るのを拒ませている。

 さらにもう一つの要因はフウキさんが気がかりになっているからだった。


「とにかく最後のアユトはかっこよかったな」

「本当にすごかった。鬼気迫る感じだったわ!」


 佐伯裕樹が爽やかな笑顔で他の者に同意を求めると、真中葵は俺に向けて真っ先に親指を立てた。缶ジュースを両手で大事そうに持っている出雲かなでは何度も頷いている。


「あんまりおだてると調子に乗るわよ」

「いいじゃない。マユミもアユトがかっこいいと思ったでしょ」

「ちょっ……そんな感想を抱くだけの心の余裕はないわ」

「本当に素直じゃないなー」


 気分が高揚している真中葵の攻撃が、マユミの不敵な笑みをかき消した。そして少し慌てているマユミは俺をちらちらと視線を送っている。

 俺自身、褒められるほどにかっこよかったと思っていない。ただがむしゃらにプレーしたまでだ。


「そういえばアユト。フウキさんと喧嘩でもしていたのか?」


 真中葵がマユミをからかっている無言で見つめていると、隣にいた佐伯裕樹が何気なく俺に問いかけた。


「……気にするな」

「……そうか。じゃあ気にしない事にするさ」


 気にしている素振りを隠しながら頷かれた。恐らく、決勝戦でのフウキさんとのやりとりに疑問を感じているのだろう。

 あまり妙な誤解を抱かれるのも困るなと考えていたとき、誰かが扉をノックした。


「失礼します」


 マユミにどうぞの合図を受け、入室してきたのはフウキさんだった。

 フウキさんの姿を見て明らかに不審な表情に変わる真中葵と対象的に、出雲かなでは少し怯えた表情を垣間見せた。

 フウキさんは淀んだ空気を気にも留めず、出雲かなでに足早に近づいた。近づかれた本人は後ずさる。


「大変申し訳ございませんでした」


 前置きなしでいきなりフウキさんは深く腰をおった。あまりの勢いに出雲かなではびくっと肩を上下させる。

 実はフウキさんは試合終了と同時に悔しいのかすぐに体育館を後にしていた。結果的に出雲かなでに謝罪するという約束を果たしていなかった。

 それが俺の気がかりの原因だった。


「……えっ、いえいえ私なら、だっ、大丈夫です」

「失礼な発言。また危険球の件をこの場で謝罪します」


 真摯に頭を下げたままのフウキさんに、謝罪の意味を理解したのか動揺する出雲かなでは手を左右に揺らしている。さらに他のメンバーに助けを求めようと視線を移動させている。

 フウキさんは試合中の挑発的な雰囲気はなくなっていた。俺はちょうど目が合った出雲かなでに小さく頷いて見せた。

 許すか許さないかは出雲かなで次第だ。だが結果は予想できるが。


「いっ、いいんです! 私は気にしていません! 頭をあげてください!」

「……ありがとうございます」


 案の上、すぐに許してしまう。

 俺は出雲かなでらしいなと微笑む。真中葵はなにやらまだ文句を言いたそうにしていたが結局何も言わなかった。マユミに至ってはめずらしく口を挟まず、現状を見守っている。

 許しを得たフウキさんは再び出雲かなでにお辞儀し、生徒会室を後にした。俺はすぐにその背中を追いかけた。


「ちょっと遅いんじゃないか?」


 廊下でフウキさんを呼び止める。


「すみません。心の準備に時間がかかってしまいました」


 目を伏せるフウキさんは弱弱しく答えた。以前の威圧的な空気はなくなっている。反省しているのだろうと俺は判断した。


「とにかく約束を守ったから今回はよしとしよう」

「……あまり私を責めませんね」


 意外な対応だったのかフウキさんは俺を遠慮がちに盗み見る。俺の心境としてはとにかく出雲かなでに対する誹謗中傷を反省してくれれば問題はなかった。

 だがそれでも少しは、演者としてではなく人間としてフウキさんにアドバイスしたほうがいいのかなと考え言葉を付け足した。


「フウキさんの正しさが間違いだって事もある」

「……はい」


 フウキさんが出雲かなでにひどい事を言ったのは事実だ。だが本人はそれに気づいてはいない。自分は正しいと思っていてもそれを安易に口にして、他人を傷つけるのはやはりよくない。

 俺自身、ランクAを取得していたとしても大した人間ではないと評価している。なのであまり説教じみた事は言いたくはない。


「あと、今後の事なんだけど……物語の最後までよろしく頼むよ。フウキさんの意見は存分に取り入れさせてもらうから」


 俺は重くなりかけた空気を入れ替えるために未来の話をした。フウキさんには引き続き頑張ってもらう。その気持ちは変わっていなかった。


「……いいのでしょうか?」

「最初からその約束のはずだったけど?」

「私はアユトさんを裏切り自分勝手な行動をしましたし、ヒロインをいじめという案で傷つけました。そして数々の暴言も吐きました……それでも私を頼ってくれるんですか?」


 フウキさんの歯切れ悪い口調には驚きが混じっていた。普通ならありえない。主観的にも客観的にもそう感じているのだろう。俺は迷わず答える。


「フウキさんの方法論はよくないけど物語を面白くしようという強い意思があるのは分かる。次は一緒に意見を出し合って頑張ろう。勝手な行動はなしだからね」

「……あなたは本当に優しすぎます」


 一緒に、の部分を強調して笑顔で手を差し伸べた。すると柔らかな笑みのフウキさんがそっと俺の手を掴んだ。俺はその笑みを見て本来のフウキさんを感じた気がした。

 今後の協力を約束してくれたフウキさんと別れると俺は生徒会室へと戻る。するとすぐにマユミが俺に近づいてきた。


「円満解決したのかしら?」

「想像に任せるよ」


 マユミは俺の表情を一目見るなり「わかったわ」と小さく呟いて俺の元から離れていった。そしてマユミはいつものポジションに戻るとわざとらしく咳払いを行った。

 その下手くそすぎる咳払いのせいで雑談を楽しんでいたメンバーはマユミに気を取られた。


「そろそろ頃合かしら。ご褒美ターイムー」


 人差し指を顔の前で立てながら企んだような笑みで語尾を伸ばす。俺はついにこのイベントが来たかと身構えた。

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