第35話 もう逃げたくない
試合の膠着状態が続くと観客である生徒達からブーイングがおこった。
逃げるなや勝負しろなど人ごみの中から誰かが吠えている。脇役世界の上司である俺やマユミに向かって失礼な行為だが、観客が多すぎて誰が言ったのかは特定できない。
外野のヤジを無視する俺と真中葵は勝利の為にパスの往復を繰り返していた。
「マンネリは良くないわ。早く私にボールを預けるのが最善策だとおもうのだけれど? ねぇ、いつも正しい私のいう言葉が信じられないのかしら?」
「うるさい。邪魔するな」
腕を組んで立つマユミは、味方のはずなのだがブーイングに同意していた。
俺は反復横とびのようにコート内を行ったり来たりしているフウキさんを見る。肩を上下させ息を乱している。疲れているのは明白だった。確かにそろそろフウキさんを仕留める頃合だろう。
決心した瞬間、俺は真中葵に山なりのパスを出さずにフウキさん目掛けて思い切り投げた。
すると敵チームの男子生徒がフウキさんを守ろうと前へ出たが叶わず男子生徒の方にボールがぶつかった。フウキさんを狙ったはずなのだが結果オーライだ。
「ナイスアユトっ!」
佐伯裕樹と真中葵は共にガッツポーズを決めている。そして味方の助けで命拾いしたフウキさんは転がるボールを拾い上げた。
「ふー。後は私一人ですか……追い詰められたようですね」
落胆した表情はまるで見せなかった。むしろさらに挑発的な視線を俺に向ける。
「やっと攻撃が出来ます。一つよろしいですかアユトさん」
「何だよ?」
「ボールを回して揺さぶる作戦より私はもっとシンプルにいきますよ。ではまずは改めて足手まといを仕留めましょうか」
フウキさんは勢いをつけたボールで出雲かなでを狙った。攻撃の対象とされた出雲かなではやはりボールがまだ怖いのかその場でしゃがみこむ。おかげで向かってきた勢いあるボールを避ける事ができた。
「出雲さんっ。次に備えて!」
佐伯裕樹は頭を抱えてしゃがみこむ出雲かなでの片腕を掴み身体を持ち上げた。強引に立たされた出雲かなでも状況を理解したのかボールに集中する。しかしすでにボールの脅威は迫っていた。
フウキさんの投げたボールを外野が受け取り、流れるような連携ですぐさま攻撃を仕掛ける。
出雲かなでに意識がいっていたのか、反応が遅れた佐伯裕樹はキャッチする事が出来ずにアウトとなってしまった。
悔しがっている佐伯裕樹に笑みをこぼすフウキさんは次に俺に向かって挑発するように頬を歪めた。
「足手まといは切り捨てろと言ったはずですよアユトさん。佐伯君と私の一騎打ちなら良い勝負が出来ましたが、そちらは足手まといが一人になってしまいましたね。これではもう楽しめません。私達の勝ちです」
「いい加減にしろ。出雲さんだって一生懸命にやっているんだ!」
「一生懸命でどうにかなるほど世の中は甘くありませんが?」
「まだだ! まだ出雲さんも俺達も負けた訳ではない!」
「……根性論は嫌いなのですけどまあいいでしょう。結果はおのずと出ます」
出雲かなでが残りの一人となってしまったことは絶望的だが、今の俺は試合に負けてしまう事よりも出雲かなでを足手まとい扱いするフウキさんに腹を立てていた。
事実として運動が苦手な出雲かなでは他の者より戦力としては劣っている。飛んでくるボールも今だに克服できてはいない。
だが、出雲かなでは恐怖心を必死で押さえ込んで生徒会チームとしてコートに立ってくれている。チームの為に頑張ると言ってくれている。自分自身を変えようと挑戦し続けている。そんな出雲かなでをフウキさんが馬鹿にする権利などない。
「あまり調子に乗るなよ!」
「怒鳴らないで下さい。私は間違ったことは言っていません……では、彼女が本当に頑張っているのか確認しみましょうか?」
佐伯裕樹が外野に退場すると試合が再開された。コート内にはボールをキャッチしようと身構えた出雲かなでの姿がある。佐伯裕樹にぶつかったボールは外野に転がっていたので敵のターンとなっていた。
出雲かなでを真っ直ぐに見据えたフウキさんは外野にパスを回すように指示を出した。
そこから外野のパス回しが始まった。一人きりとなった出雲かなではボールに振り回されている。体力の少ない出雲かなでにとっては相当にきついだろう。
疲れさせるのが目的で一向に狙おうとはしていない様子だ。
「出雲さん頑張れっ! 走り切れ!」
佐伯裕樹は外野から声援を送り続けていたが、時間が進むとコート内の出雲かなでは体力の限界が来てしまう。出雲かなでの両脚は震えて自分の膝に手を乗せて身体を支えて座り込んでしまうのを耐えていた。
「はぁ……はぁ……まだ走れます……まだ頑張れます!」
そして敵チームはフウキさんに山なりのボールを出した。
「予想通りです。無能な人間がどれだけあがいても何の意味も無い事が証明されましたね。じゃあそろそろ楽にして差し上げましょう」
ボールを握りしめフウキさんは助走をつけた。頑張れ、負けるなと純粋に出雲かなでを応援している俺は声を荒げた。
「来るぞ出雲さん! ボールに集中して!」
出雲かなでは俺の声に耳を傾けたのか必死で構えを取る。どうやらまだ諦めてはいないようだ。
そして手加減抜きのボールは出雲かなでを襲う。
「ひゃっ!!」
少し高く浮いた勢いのあるボールは出雲かなでの顔面をとらえた。派手に崩れ落ちる出雲かなでに俺は慌てて駆け寄った。そして床に倒れこんだ出雲かなでを両手で抱え上げる。
「出雲さん大丈夫っ!」
「アユトさん……すみません……すみません……お役に立てませんでした……」
息を荒く出しながら出雲かなでは俺の腕の中から見上げてくる。謝る必要なんてない。出雲さんは十分に頑張ってくれた。恐怖に立ち向かって勇敢な姿を見せてくれた。
俺は涙を溜める出雲かなでの手を握る。悔しい気持ちを必死で隠そうとしている様子は胸を熱くさせた。
「大丈夫だ。出雲さんは仲間として精一杯頑張ってくれているよ」
俺は笑顔で答える。それを見て安心したのか彼女は瞳をゆっくりと閉じた。そして俺も瞳を閉じる。瞼の裏で出雲かなでの頑張りを思い出す。
「出雲さん……君の勇気は確かに受け取ったよ……」
「アユト、気持ち悪い顔で気持ち悪い台詞を吐かれるとこちらも気持ちが悪くなるから止めてちょうだい。気持ち悪いと思われたらあなたも気分が悪くなるでしょうし……とにかく大丈夫そうね」
俺は唇を震わせると横から覗き込んでいたマユミが冷静に囁いた。気がつくと周りには生徒会のチーム全員が囲っている。
「……はい。なっ、なんとか大丈夫です」
頬を赤らめている出雲かなでは俺の腕の中で弱弱しく答えた。
「アユトさん。私達の勝ちですね」
「……ちょっと待て。その前に出雲さんに言う事があるだろう?」
近づいてきていたフウキさんを俺は睨んだ。わざとではないにしろ女の子の顔面にボールを当てた行為は謝罪するべきだ。俺の言葉を受け止めてフウキさんは表情を曇らせた。
「言う事ですか……あなたが内野じゃなければ勝てたかもしれませんね……ですか?」
「ふざけるなっ!」
フウキさんは純粋にそう思っているのか俺を怒らせるのが目的なのかは分からなかった。中世的な表情は大げさに首をかしげている。
俺とフウキさんとのやりとりを聞いた生徒会メンバーも怒りをあらわにした。案の定、感情的な性格の真中葵が勢いよく食って掛かった。
「あんたさっきからひどいんじゃないかな!」
目の前で威圧されてもフウキさんは平然としている。
「私は事実をありのままに話しているだけですけど?」
腰に手を当て前のめりの体勢でフウキさんを睨みつけている。佐伯裕樹も真中瞳と同じ意見なのか険しい顔つきをフウキさんに向けている
「熱くなっているところ悪いのだけれど……顔面に当たった場合は危険球としてアウトにはならないはずだけれど?」
険悪になりつつある空気を冷静な言葉が壊した。近くにいた審判の生徒もそうですねと答えた。つまりまだ俺達はまだ負けたわけではない。
しかし誰が見ても出雲かなでの体力的にもう限界だろう。試合を再開させるのは難しい。生徒会チームは棄権するしかないようだ。
「審判。怪我をした選手の交代は可能かしら?」
俺が棄権を覚悟するとマユミが審判に提案を出した。すると審判は可能ですと簡潔に答えた。それは勝てる可能性が急上昇した答えだった。
「葵、裕樹。とりあえず出雲さんを保健室へ」
「だっ、大丈夫です。体育館の端で休んでいます。さっ、最後まで試合を見届けたいですから……」
希望通りに真中葵と佐伯裕樹がふらふらの出雲かなでを壁際に連れていく姿を見送る。
するとマユミが俺の肩を掴んだ。ふとマユミが何を言うのか予測出来た。
「私が変わりに出るわ。文句は言わせない」
「……文句ではないがそれは認められない。ここは俺に任せてくれないか。正直俺は腹を立てている」
「アユトが腹を立てるなんて珍しいわね……じゃあ不本意だけど仕方ないわ。あなたに全てを任せることにしましょうか」
少し驚いた表情のマユミから了承を得たところで俺はフウキさんに意識を向ける。
「そういうことになった」
「アユトさんと一騎打ちですか。わくわくしますね」
「わくわくする前に出雲さんに謝罪する事が先じゃないか」
「わざとではありませんよ……じゃあアユトさんが私に勝ったら土下座でもなんでもしてあげましょう」
俺をそんなに怒らせたいのかフウキさんの挑発は止まらない。いつもならわざとらしい挑発になんか乗らないのだが今は違った。
決勝戦が再開される。正真正銘の最後の勝負だ。俺以外のメンバーは全員外野に位置している。ふと体育館の端に座っている出雲かなでに目を向けると、祈りを捧げるように両手をしっかり組んでいた。
ボールの主導権はフウキさんだ。ボールを掴み俺をしっかりととらえている。
そして試合再開の笛をきっかけにフウキさんが助走をつけた。
「アユトさんは今の役職には向いていません」
言葉に乗せて放たれた軌道は真っ直ぐに俺に向かっていた。本当に女子生徒が投げているのか不思議になるほどのスピードだったが、俺は何とかキャッチする事が出来た。
反撃開始だ。俺もパスなど出さずにフウキさん目掛けてボールを投げる。
「向いていないのかも知れないのは俺にだってわかっているさ!」
物語は結果としてうまくいってはいない。それが自分の責任である事は分かっている。他の演者にも迷惑をかけていることも分かっている。
「ならなぜ早く辞退しないのですかっ!」
俺の反撃は実らず、フウキさんが俺を襲う。
「信念があるからだ。任された仕事は最後までやりきるんだ!」
鋭いボールをなんとか受け止めると俺はすぐに反撃した。
自分が権利の剥奪や周りの評価を恐れている事は後輩のアイに気づかされた。俺はもう恐れない。自分の信念に従うんだ。
「あなたの信念に振り回される部下は迷惑ですよっ!」
ボールをキャッチしたフウキさんも俺と同じように間を置かず攻撃してくる。その攻撃を防いだ俺は思いを込めてボールを投げる。
「もしダメだったとしても全て俺が責任を取ってやるっ! 俺はもう逃げるつもりはない!!」
覚悟をも含まれたボールは取りづらい角度でフウキさんを襲う。そして太ももを直撃したボールは地面に落ちる。
その瞬間、観客は今日一番の声を上げた。
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