第26話 ご褒美はキス

 教室に足を踏み入れると空気は重さを感じた。

 クラス全体がどんより沈んでおり、よそよそしさに包まれている。原因は恐らく俺とフウキさんの一件だとすぐに理解した。

 ランクAの俺と学校の責任者であるフウキさんの対立。俺が引きこもっていたせいで他の演者達には何も指示を出していないので混乱するのも仕方がない。どうやら今後の方針が分からず戸惑っている生徒ばかりだった。

 立て直しが必要だなと考えながら俺は生徒会メンバーの近くに歩み寄る。


「裕樹この前はすまなかった! 俺がどうかしてたようだ。許してくれ!」


 挨拶よりも先に俺は頭を深く下げた。周りの目なんて気にしない。まず最初に謝りたかったのだ。


「やっと学校に来たかアユト。大丈夫だ。俺は怒ってはいない。だけどさすがにショックだったけどな」

「本当にすまない。出雲さんのことで俺も追い詰められていたんだと思う。気分を悪くさせたのは本当にすまなかった!」

「そうか。なら許す。アユトにも色々考えがあったんだろうから仕方ない。感情が爆発する時だって人間ならあるよ。俺こそごめんな。アユトの気持ちに寄り添えなかった」


 佐伯裕樹は考え込む顔つきを隠すように苦笑いを作る。なんていい奴なんだ。本当に俺は自分のしてしまった事を後悔してしまう。こんないい奴を馬鹿にした自分が情けない。


「ありがとう裕樹。そういえば出雲さんはどうした?」


 自分の席にも向かう前に出雲かなでの机が空席になっていたのに気がついた。

 いつもは読書などで時間を使っていた出雲かなでがこの時間に座っていないのは始めての事だ。事前に出雲かなでの行動を確認している暇はなかった。


「たぶんあの事で休みだろう……」


 出雲かなでは欠席と知らされた俺はすぐに携帯を取り出した。

 確認すると案の定、数十分前にメールが一件ある。開いてみると差出人は出雲かなでの両親の演者だった。

 内容は、ヒロインの出雲かなで本人が病気でもないのに学校を行こうとしません。本人の意思を尊重し、申し訳ございませんが今日は休ませますとの事だった。

 昨日も同じようなメールが送られてきている。どうやら俺と同じように不登校となっているようだ。

 簡潔な内容を確認すると素早く親指を動かして返事を送った。


「俺はクラスの奴らが許せない。理由を聞いてもたいした何もしていないと言われるばかり。本当に意味が分からない」


 携帯から目を離すと俺は佐伯裕樹に意識を向けた。


「お前が出雲さんを心配する気持ちは分かる。だから今度こそ俺に任してくれないか?」


 佐伯裕樹の質問に簡潔に答えながら、球技大会でのフウキさんとの勝負以前に演者達の対応を決めなければならないなと俺は考えた。

 これまで通り出雲かなでとの距離を置いたままにするのか。それとも反対に仲良くする方がいいのだろうか。


「大丈夫なのかアユト?」

「大丈夫だ。とにかく任せろ。みんなには俺から改めて話してみる。裕樹はとりあえず普通にしていてくれ。お前は感情的になりすぎる。別にクラスのみんなとケンカをしたいわけじゃないだろ?」

「たしかにそうだが……だけどお前に任せっぱなしと言うのも悪い。俺に何か出来るならすぐに言ってくれ」


 佐伯裕樹の肩を俺がぽんと叩くと、心配そうな顔がまたひとつ増えた。


「おはよう……出雲さんの話をしているの?」


 佐伯裕樹の近くで真中葵が遠慮がちに声をかけてきた。真中葵は周りの女子生徒達をちらちらと観察しているようだ。

 俺は再び同じ内容を繰り返し、大丈夫だと真中葵にも伝えて自分の席に向かった。席に腰を下ろしてすぐに俺はノートの端を破り、紙に筆を走らせる。


「おーい。みんな席に着け。出席を取るぞー」


 いつもの時間に担任が決まりきった掛け声を出す。

 自分の席へと帰る生徒達と逆に俺はさっと立ち上がる。ある女子生徒に歩み寄り、素早く先ほど書き上げたノートの切れ端を手渡した。


 昼休みになる頃には教室のぎこちなさは解消されていた。俺の指示がみんなに伝わったようだ。

 いつも通りにざわつく教室で、俺と佐伯裕樹、真中葵は固まって昼食をとっているが普段より会話が少なかった。

 するといきなりけだるい声が校舎を響かせた。


「校内放送。校内放送。これちゃんとみんなに聞こえているのかしら?」


 教室に備え付けられたスピーカーからいきなり校内放送が始まった。


「この声……マユミじゃない?」


 真っ先に反応した真中葵はエビフライを箸で掴んだまま、教室のスピーカーに注目する。他の生徒達も何事かと同じように意識を向けていた。


「確かに……生徒会長だな……」


 ご飯を口に入れていた佐伯裕樹は口をもごもごさせながら答えた。


「こんにちわ。生徒会長のマユミです。本日、全生徒に伝えたい事があります。来週に迫った球技大会に関わる重要な事です。それはわが生徒会のメンバーが参加するドッチボールで生徒会に勝利したチームはご褒美を差し上げる、ということ。そのご褒美とはキスです。生徒会のメンバーであるならば誰を指名しても構いません。なおキスが不満な方は、私の権限で演者しての評価を最高点で協会に報告する、でも構いません。またはそれ以外でも……とにかくあなた方の挑戦をお待ちしております。以上」


 最後の言葉をきっかけにぶつっとスイッチが切れた音が聞こえた。

 静まり返る教室。それは嵐の前の静けさだった。


「聞いたかよ。生徒会長のキスだってよっ!」


 クラスの男子がほぼ同時にざわつきを通りこした歓声をあげる。


「絶対ドッチボール選択しようぜっ!」


 俺も俺もと、やる気に満ちた表情を浮かべる男子生徒達。女子生徒は興奮に満ちた様子を冷ややかな目を送っている。軽蔑の眼差しは鋭利な刃物を想像しうる程だった。


「アユトっ。どういう事なのっ?」


 狂気に満ちた被害者側の女子生徒である真中葵は勢いよく立ち上がる。


「俺も知らされてない……」


 殴りかかってきそうな緊迫感に怯えながら俺は答えた。どうやら今朝の勝負の話だろうと予測出来るがこんな作戦でくるとは。マユミらしいユニークな作戦だ。面白い。

 今の俺は勝負に向けて前向きだった。


「マユミのやつ、何考えのよっ!」


 半分に残した弁当を置き去りに真中葵は走り出した。

 本当にマユミの奴は相談もせずに勝手なことをする。普段なら頭を抱えたくなるのだが今は少しだけ心が熱くなっていた。

 自分を奮い立たせてくれているのだろうとマユミの意志を感じたからだ。


「生徒会長は何を考えているんだろうな。出雲さんがこんな状況でなければ俺も燃える展開なんだが……」


 佐伯裕樹はざわつく周りの様子を他人事のように見渡した。佐伯裕樹の燃える展開の言葉が変に気になった俺に間を置かず話しかけてくる。


「そういえばアユト。生徒会長が言っていた演者とか協会とかはどういう意味なんだ?」

「……俺も知らない。進学を有利にするとかじゃないか……」


 俺はたどたどしく答えるしかできなかった。そういえばマユミは演者や脇役協会など、決して主人公やヒロインに聞かせてはいけない言葉を使っていた。

 ランクA以前にプロの脇役としての自覚はあるのだろうかと呆れてしまう。


「そんな権限が生徒会長にある思えないんだが……」


 佐伯裕樹から間を置かずに追撃を受ける。どうやら本当に気になっているらしい。あまり気にしないで欲しい所なのだが。


「……とにかく裕樹。今日の放課後、生徒会長に文句を言ってやろうぜ!」


 いい案が浮かばないので勢いに任せて佐伯裕樹の話題をそらした。


「そうだな。生徒会長に聞くのが一番早い」


 小さくうなずいた佐伯裕樹は再び昼食を開始する。俺は話題の保留という戦績を残した。

 放課後になると生徒会室へ集まった。

 開け放たれた窓から、真昼より少しだけ冷気を含んだ風が流れ込んでくる。だが太陽は沈むのを嫌がるようにまだ元気に仕事を続けていた。もうすぐ夏だな。俺は真中葵の熱い言葉を聞きながらそう感じた。

 生徒会室では拳を固めたポニーテールの少女が高々に宣言している最中だった。


「絶対優勝するからね。優勝しかありえないわ!」


 生徒会室には出雲かなで以外のメンバーが揃っていた。


「なんで葵がそんな気合が入っているんだ?」


 佐伯裕樹が俺と同じ意見を呟いてくれた。

 昼休みの終わりごろに帰ってきた真中葵は、なぜか燃え上がっていた。おそらくマユミの仕業だろうなと俺は考えている。

 そんなマユミは先ほどから腕を組んで、真中葵を観察するような目で見守っている。口元は少し緩んでいた。思い通りの展開だと考えているのだろう。


「キスなんて絶対したくないからに決まっているじゃない。あと、私は負けず嫌いなの。裕樹もアユトも知っているでしょ!」

「待て葵。そもそもそのキスの件は生徒会長に取り消してもらった方が早いんじゃないか?」


 真中葵の情熱に流されずに冷静に佐伯裕樹が答える。


「それは確かにそうだけど……とにかく優勝すれば問題ないの!」


 勢いで答える真中葵。

 二人のやりとりを耳に入れながらも俺はその先の考え事に意識を向けていた。キスの件はマユミだから取り消す事はありえないだろう。勝利すればキスというご褒美を最大限いかそう。


「アユト。お前はいいのかよ?」

「いいんじゃないか。その方が球技大会も盛り上がりそうだし」


 マユミが目を見開かせてこちらを窺う。それを無視して俺は続けた。


「とにかくあと一週間しかないんだ。みんなで練習しようぜ。場所はそうだな……体育館でどうだ? とにかく他の部活動が使っているかも知れないから俺がなんとか話をつけておくから」

「うーん……そうだな。アユトの意見はもっともだ。よしっ。練習するか。でもその前に聞きたいことがあるんでした」


 佐伯裕樹はマユミに顔を向けた。


「生徒会長が言っていた演者や協会ってのはどういう意味なんですか?」

「……あなたにはまだ自力で考える能力が足りないわ」


 佐伯裕樹は首を傾げる。気持ちは分かる。マユミの回答は質問の答えになっていないからだ。どうやら俺とマユミで佐伯裕樹の質問を何とか誤魔化さなければ。


「あれですよね。会長は進学を有利に出来るって言いたいんですよね。例えば色んな大学協会とか詳しいとか……」


 色んな大学協会って意味が分からないだろうがマユミが合わせてくれれば何とかなるだろう。


「はぁ? アユト。あなたは何が言いたいの?」


 おい。話を合わせてくれよ。しかもなんでそんな冷たい視線で俺をみているんだ。


「本当にどうしたアユト。今日はいつもと違うから心配だ」


 佐伯裕樹も俺を心配してくれるようだ。これはこれで話を逸らす事になった。俺に注目が集まると同時に生徒会室の扉が遠慮がちに開いた。

 俺はこの時間に訪問してくる人物を知っている。両親からかなりの説得を受ければ優しい子である出雲かなでなら反抗できるはずもなかった。


「しっ、失礼します!」


 全員が扉を注視していると出雲かなでがうつむき加減で入室してきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る