第8話 恋は気合と根性なのか?
入学式が終わり帰路につく俺は、決して居心地の良いとは言えない空間に身を投じていた。
本日の入学式は午前中には終わったので、新入生はお昼前には帰宅する許可が出た。
ざわつく教室の中で帰り支度を始めた佐伯裕樹に、一緒に帰らないかと誘った。
予想通り佐伯裕樹に了承を得たところで、俺はさらにもう一人、初対面の相手が苦手な事を知っている少女に一緒に下校しないかと声を掛けたのだ。
真中葵も主人公と一緒に帰りたそうにしていたが用事があるらしく、しぶしぶ一人で帰宅していた。
ちなみに用事がなくても真中葵の家は俺と佐伯裕樹の逆に位置するので一緒に帰宅とはいかない。
「アユト。お前は何を考えているんだ。どうしていきなり出雲さんも誘った?」
俺の耳元で囁く佐伯裕樹。現在の状況は左から、俺、佐伯裕樹、出雲かなでといった配置で出雲かなでの歩く速度に二人が合わせながらゆっくりと帰宅している。
「別にいいだろう。帰り道も一緒だしクラスメイトだし」
「そうだけど……」
理由は早くお前ら二人の距離を縮めてもらうためだ、とは言えずに俺は答えになっていない答えを出した。
「何だ。嫌だったか?」
「そんな訳ないけど……」
挙動不審な出雲かなでは、胸がドキドキしやすい傾向があることはプロフィールから学んでいる。
そんな彼女のドキドキを利用して、このドキドキは近くにいる異性のせいで起こっていると錯覚させようという作戦だ。
錯覚してもらうには彼女と接する時間が重要となってくる。同じ時間を共有するのが長ければ長いほど勘違いという名の恋心を咲かせる可能性が上がるはずだ。
そのためには佐伯裕樹を出来る限り、出雲かなでに接近させなければならない。
「……空気が重すぎだろ。誘ったアユトも何か話しかけてくれよな」
出雲かなではロボットのようにぎこちない歩き方をしている。
ロボットになりたい願望は無いだろうが客観的な意見としてぎこちなく映ってしまう。
校舎を出てから、佐伯裕樹は出雲かなでに出身地や好きな食べ物など、この場を盛り上げようというのが分かりきった口調でいくつか質問を投げかけていた。
質問を受けた出雲かなでは、一瞬だけ電流を流された様に身体をびくっとさせてから質問を一言で答える。
どの質問に対しても一言を繰り返しばかりだった。
出身地はどこなのと聞くと、田舎の方ですと答え沈黙。好きな食べ物はと聞くとパスタですと答え沈黙。当然のように出雲かなでから話しかけてくることはない。
簡単に言うと会話が全く続かないのだ。でもそれは仕方のない事かも知れないと理解は出来る。
初対面の男子学生二人に、いきなり一緒に帰ってくれないかと言われれば普通は断る可能性は高いだろう。だが奇妙な誘いを出雲かなでは断わらなかった。
実際には気を遣って断れなかったと言うのが正しい。
嘘をつく事が苦手、誘いを断る事も苦手、さらには知り合いが全くいない学校で早く友達が欲しいという願望、話し相手が欲しいという気持ち。
断るはずがない出雲かなでの心理を利用して、俺は三人での下校に誘ったのだ。
俺は隠すように吐息をつく。
出雲かなでの純粋な気持ちを利用する俺って嫌な奴なのだろうか。いやいや。これは仕事だ。割り切っていかなければならない。俺は脇役としての仕事を全うしているだけなのだ。
気持ちの整理を素早くつけると、改めて餌をまく。
「そういえば最近になって絵を描き始めたんだよ」
沈黙が続く中で突然会話を始める。
出雲かなでの身体がぴくっと反応したのを目の端でとらえた。
「いきなり何を言い出すんだ?」
困惑気味な表情の佐伯裕樹とは対象的に驚きを隠しきれずに、大きな瞳をさらに大きく開きながら出雲かなではこちらを盗み見ている。
「風景画を主に描いているんだよ。でも俺は才能ないからめちゃくちゃ下手くそだけどな」
わざとらしく声を上げて自虐的に笑う。出雲かなでは明らかに聞き耳を立てているが会話に参加してこない。もう一押しか。
「だから描くのは好きだけど才能ないしもう辞めようかな、なんて思っている所だ」
「さっ才能なんて関係ありません。えっ絵を描くことが好きなら下手でも構わないと私は思います……」
先ほどまで話そうとしなかった出雲かなでが、いきなり自分の意見を強く主張した。力強い瞳はまっすぐに俺を見据えている。
ただ見つめたのは一瞬の事で自分から初めて会話に参加した出雲かなでは、「すっすいません」と頬を染めてまたうつむいてしまった。どうやら餌に食いついてくれたようだ。後は分かるだろう。
俺は佐伯裕樹に目線だけで合図を送る。親友に凝視された形となった佐伯裕樹は、目線の意味を理解できずにいたが、数秒ほど経過するとこちらの意図が伝わったのか小さく顎を引いてくれた。
「もしかして出雲さん……絵を描いているの?」
いつもの爽やかな笑みを作り、主人公は期待通りのセリフで問いかける。どうやら俺の期待に答えてくれたようだ。
「えっ……はっはい。そうです。わっ、私もそちらの方と一緒で風景画を好んで描いています。じっ人物とか動物もいいんですけど、風景画は自然と向き合えますし、春や秋などの四季を楽しめますから……」
一言で終わらせることはせず、出雲かなでは放水されたダムのようにいくつもの情報を提供してくれる。
表情はいつもの少し怯えた表情とは違い、自然と照れた笑みがこぼれていた。もっと彼女を笑わせてやりたいという衝動にかられるような不思議な魅力のある愛らしい表情だった。
計ったように絵の話に焦点を絞ると、少しずつ会話が弾むようになってきた。やはり自分が夢中になっている趣味の話をするのは好きなんだな。
趣味の絵についての知識を披露する出雲かなでは少しずつ口数が増えいく。俺は出雲かなでが風景画を趣味で描いていたのはすでに知っていた。
「でっ、では私はこちらなので……」
一つのきっかけにより校舎を出た頃とは全く違う空気が三人を包み出した頃、出雲かなでが遠慮気味に告げる。帰宅時の教室とは違い、静けさのある住宅街の十字路で三人は立ち止まった。
辺りを見回すまでもなく立っている十字路は今朝の忌まわしき場所だ。出雲かなでが転ばなければ。もう思い返しても仕方のない未練が一瞬だけよぎった。自分は未練がましい男なのだなと小さく笑ってしまう。
「じゃあまた学校で」
別れの挨拶を交わす佐伯裕樹は出雲かなでと向かい合う。片手を挙げた佐伯裕樹はやはり爽やかな笑顔のままだった。
「はっはい……あ……あの、今日は誘っていただいてありがとうございました。でっ、出来ればこれからも仲良くしていただけたら、うっ、嬉しいです」
健気に一礼した出雲かなで。「もちろん」と大きくうなずく佐伯裕樹。
出雲かなでは嬉しかったのか自然と笑みを見せるが恥ずかしくなったのか、すぐに表情を強張らせて早口で別れの挨拶を交わした。
「そっ、それではまた学校でっ。さようならっ」
再び一礼した出雲かなでは背中を見せて、自分の家を目指すためにあたふたと歩き出した。
先ほどの妙に嬉しそうで愛らしい笑顔が写真の静止画のように瞼に強く残った。
「笑顔が可愛い子だ。葵のやつが気に入るのも分かる」
二人きりとなった帰り道で横に並んで歩く佐伯裕樹が彼女の印象を何気なく口にした。「そうだな」と俺は本心で同意する。
「お前があの子を誘った理由が分かった気がする……アユト。困った事があったら何でも相談してくれ。俺はいつだってお前の味方だからな」
考え込んだ表情を滲ませた佐伯裕樹は、答えを導き出したのかいきなり俺の肩に手を置いた。力強く置かれたその手は決意が込められているのか妙に重たく感じる。
いきなり何を言っているんだこいつは。逆に主人公の思惑が分かれば物語を進めやすくなるから相談して欲しい立場なのだけど。
「そうか。あのアユトがついにか。そうか、そうか!」
「声を荒げてどうした。意味が分からないのだけど?」
「大丈夫。俺には全て分かっているから」
なぜこいつはこんなにテンションが高いんだろうか。不気味に感じた俺と妙に嬉しそうな佐伯裕樹は何かズレのような物がある。
温度差がある二人のテンションの差がどんどん開くばかりだった。佐伯裕樹に喜ばしいことでもあったのだろうか。そんな情報は届いていないはずだが。
「じゃあなアユト、俺はこっちの道だから」
意味がわからない佐伯裕樹の高揚に遅れを取っていると、気がつけば分かれ道に差し掛かっていた。
佐伯裕樹の後ろ姿を俺は立ち止まり見送る。すると急に振り返った佐伯裕樹は拳を空に高々と勢いよく突き上げた。
「恋は気合と根性だ!」
恥ずかしい言葉を俺に浴びせると佐伯裕樹は満足気に歩き去っていく。
俺はぼんやりと漫画のセリフか何かだろうかと考えてしまった。
恥ずかしいセリフを凛とした表情で言ってのける男はそうはいない。
いや、いるのかもしれないが俺自身は絶対に恥ずかしいのでやりたくはない。
さすがは主人公といった所だ。主人公の馬鹿正直な性格だからこそ堂々と出来るのかもしれない。ほんの少しだけ憧れの気持ちが浮き上がる。
ただ、なぜ佐伯裕樹が気合と根性の話をしたのかは不明なままだった。
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