第7話 真中葵という女子生徒

 学校に着くと入学式の会場となる体育館に足を運んだ。

 まずは自分の指定されている席に腰を下ろす。周りを見渡すと俺と同年代ぐらいのはしゃいでいる男子、顔見知りと意味のない雑談を交わしている女子が騒いでいた。

 脇役ランクCに所属している生徒達はさすが脇役のプロといった所だ。

学校という空間に全く違和感がない。見事に学生を演じきっていた。

 中には二十歳を超えている者もいるのだが誰が高校生でないのか見ているだけでは分からなかった。

 座席にゆったり座りながら生徒達を観察していると、後ろで無意味な雑談をしていた女子生徒が俺の存在に気づいた。

 女子生徒は律儀に立ち上がると「おはようございます」とこちらに向かい一礼する。彼女の様子に気がついた他の演者達も次々に俺に向かって挨拶をしてきた。

 この物語の現場監督である俺に挨拶してくるのは当たり前なのだが、ここまで大勢の人数に挨拶をされると嬉しい反面、正直鬱陶しかった。

 あまり注目されるのが苦手なんだよな。ランクAの憂鬱な部分が少し分かったような気がする。


「挨拶はもういらないから演技に戻ってくれ」


 はいと短い返事をした演者達は再び物語の世界へ。そんな演者達を少しの間眺めていると誰かが俺の肩に手を置いた。最重要人物の目の前で俺も自分の役柄に集中する。


「アユトはもう着いていたのか。春休みは楽しく過ごせたか?」


 爽やかな笑みで声をかけてきたのは、佐伯(さえき)裕樹(ゆうき)だった。

この物語での軸となる人物。つまり主人公だ。


「とくに春休みは何もしていないよ。お前と何日か遊んだくらいだ。それより式が始まる寸前なのに今着いたのか? お前がぎりぎり来るなんて珍しいこともあるんだな」


 時刻を示す時計は入学式開始時刻二分前を教えてくれていた。佐伯裕樹は後頭部に手を添えながら笑みを見せる。


「まあ色々あってな。だけど間に合ったのなら問題はない」


 今朝のことを思い出しているのであろう佐伯裕樹は当然のように隣に腰を下ろした。

 俺の役割は佐伯裕樹の親友だ。小、中、高、とすべて同じ学校といういわば幼馴染という関係である。

 佐伯裕樹は俺のことを何でも知っているし、俺もこの男のことを何でも知っている、という設定なのだが、俺が実際に主人公と会話をしたのはこれが初めてだった。

 この物語の世界では親友を演じなければならない。つまり気安く話しかけてくる初対面の相手に心をすぐに開かなくてはならない。

理由は物語の上では二人は昔からの幼馴染だからだ。

 このように脇役の演者達は実際にはこの世界に数ヶ月しかいないのだが、主人公とヒロインには何年も前から親友や両親が存在しているという記憶がある。

その記憶に間違いがないように俺たち脇役は辻褄を合わせる為にこの世界の情報を叩き込まなくてはならない。

 予定通り本物の佐伯裕樹と接触した所で入学式が静かに始まった。

 そして入学式が終わると、佐伯裕樹とクラス分けを確認するために学校の玄関口に向かう。

 佐伯裕樹はクラス分けに興味があるのか瞳を輝かせながら展示版を見つめていた。

 好奇心を隠さない佐伯裕樹とは対象的に俺は全く興味がなかった。誰がどこのクラスに、どこの席に座らせるのかを決めたのは俺だからだ。


「おっ。アユトと俺は同じクラスじゃないか」

「本当に裕樹とは縁がある。ここまでくれば運命を感じてしまうほどだ」


 自然な笑顔で佐伯裕樹の肩を叩いた。


「アユトは大げさだな。だけど同じクラスになれた事が嬉しいのに変わりはない。アユト。これからも仲良くやっていこうな」


 明るい声に喜びをにじませている佐伯裕樹はこちらに向って微笑んだ。会話の流れとして喜んだ方がいいだろう。


「俺も嬉しいよ。一年間よろしく。だけどもしかしたら大学も裕樹と一緒の所になったありするかもな」

「高校に入学したばかりでもう大学の話か? アユトと同じ大学か……悪くない。だってお前といるのは楽しいからな。まあ先の話はこれからだ。とにかく高校生活もよろしく頼むよ」


 佐伯裕樹は俺に手を差し出した。握手を求めているようなので俺は迷わずに握手を返す。

 優しい笑顔、裏表のない性格、友達思い、馬鹿正直。俺は出会って間もない主人公に好印象を抱いた。

 魅力的な主人公と固い握手を交わしていると、視線の先でもう一人の重要人物を確認した。

 人ごみの中で自分のクラスを確認しようともがいている人物がいる。人ごみが慣れていないのか、それとも自分の名前が探し出せずに焦っているのか分からないが悪目立ちするほど挙動不審だった。

 困りきった表情で下唇をかみ締めている様子から泣き出しても不思議ではない様子だ。

 違う方向をじっと見つめる俺を不思議がったのか佐伯裕樹が俺の背中を叩いた。


「どうした。何をそんなに見ているんだ……あっ、あの子はたしか……」


 俺が意識している少女を確認すると、佐伯裕樹は人混みをすり抜けて彼女との短い距離を詰めた。


「ここにいるって事は君も同じ新入生だったんだ。俺も新入生なんだ。俺は佐伯裕樹。よろしく頼むよ」


 俺は二人の邪魔にならないように佐伯裕樹の後ろで見守っていると、佐伯裕樹は握手をしようと彼女へ片手を差し出していた。

 今朝のあの出会いの後でよくそんな軽々しく話しかけられるなと感心してしまう。そして俺は預言者ではないが、この後の出雲かなでの行動を予知することが出来た。


「あっ……あっ……」


 出雲かなでの白い素肌は、桜の花びらのように頬を染めていく。足を震わせて今にも逃げだしそうな挙動に俺は吐息をつく。

 やっぱりな。予想通りすぎて面白みがない。


「恐がらなくていいから。君は自分のクラスを確認するために来たんだろ。俺が確認してあげるよ。名前は何て言うの?」


 同じ予想を立てたであろう佐伯裕樹は、落ち着いた優しい声で彼女に問いかける。すると彼女の動き出そうとしていた両足は固定されて、顔をうつむかせたままかすかに唇を動かした。

 佐伯裕樹の背中に立つ俺は周りの生徒による雑音で聞き取ることが出来なかった。まあ聞こえなくても自分の名前を口にしたと予想は出来る。

 出雲かなでが主人公に惚れるのも時間の問題かもしれない。誰が見ても主人公の親切心はきっと出雲かなでに好感触に違いないと思ってしまうからだ。

 出雲かなでの名前を聞き入れた佐伯裕樹は掲示板に目を凝らした。

 すると佐伯裕樹は出雲かなでに向って微笑んだ。いや見つめているといっても過言ではない。


「なんだ。俺達と同じクラスだ。よろしく出雲さん。あと転んだとき怪我とかなかった?」

「だっ大丈夫です。あの……私はこれで……」


 出雲かなでは深く腰を折ると人ごみの外へと駆け出した。どうやら恥ずかしくて逃げ出したようだ。

 俺は二人の話が落ち着いた所で佐伯裕樹の正面へと歩み寄る。


「そろそろ教室に行くぞ」


 佐伯裕樹の同意を得ると人ごみを離れ教室へ向かって二人で歩き始めた。

 教室までの雑談としてなぜ知らない女の子を手助けしたのかを聞いてみる。親友を演じている俺の質問には冷やかしが大部分を占めていた。


「あの子は今朝会ったんだよ。だから合うのは二回目になるのかな」


 それは知っている。なんせ現場にいたからな。今思い出しても出雲かなでのドジっぷりに腹が立つ。

真実を知らない佐伯裕樹は言葉を続けた。


「なんだかあの子が困っている様子だったから話し掛けただけだよ。別にそれ以上でもそれ以下の意味でもない。とにかく手助けが出来てよかった」


 本当に主人公はいい奴だな。このままの調子で出雲かなでにとって王子様的な存在になって欲しいものだ。まず彼女にこの男を好きになってもらわないと物語が破綻してしまう。

 いや破綻は大げさかもしれないが俺のラブコメ構想に支障が出るのは間違いない。


「一つ質問をしていいかアユト」

「どうした?」

「もしかして彼女を知っていたのか?」

「いや知らない子だ。どこの中学から来たのかも分からない」


 いきなりの質問に俺は間を置かずに淡々と答える。

 「そうか」と発した佐伯裕樹の表情は言葉とは逆でまだ納得のいかない顔をしている。

 あまり深く考えられると面倒なので俺はすぐに話題の方向を変えようしていると背後から声が届いた。


「あーいたいた。やっと見つけた……あんたら存在感薄すぎ!」

「葵(あおい)か。どうしたそんな慌てて?」


 二人揃って振り向くと目の前には二人目のヒロイン、真中(まなか)葵(あおい)が呆れていた。

片方の手を制服のポケットに入れ、もう片方のポケットからは小さな熊のぬいぐるみが顔を覗かせている。

 俺と佐伯裕樹との幼馴染。真中葵とも小さい頃からずっと仲良く過ごしていて今に至るというのがこの世界での設定だ。

 真中葵は目じりが少し上がっているが威圧的ではなく、可愛いというよりより美人な容姿をしていた。他の同年代より大人びて見え、赤みを帯びた茶色の髪をポニーテールにして全体的に健康的な印象を受ける。

 情報では可愛い物がたまらなく好きらしく、美人な顔立ちとは対象的に幼い少女のような一面があるらしい。


「どんだけ探したと思ってんのよ。まだこの学校に慣れてないから探すのに疲れた……」

「お疲れ様。それより俺やアユトに用事でもあったのか?」


 佐伯裕樹は考え込んでいる表情はすでに爽やかな笑みに変わっていた。


「あんたらとクラスが一緒になったからこれからよろしくって言いたかったの!」


 頬を膨らまして子供のように拗ねる真中葵は早口だった。美人な顔立ちであるが内面はやはり可愛い女の子だなと俺は感じた。

 そうだったのかと適度に驚きを見せた佐伯裕樹と俺は交互によろしくと真中葵に声をかけた。

 三人一組となった俺達は自分の在籍する教室に入る。

 それぞれの席順は黒板に書かれていたので学校側に指定された席に向かった。クラスの席はあらかじめ主人公の両サイドにヒロインが位置するように俺が決めていた。


「あっ出雲さんは同じクラスだけじゃなく席も隣なのか。あらためて。一年間よろしくね」


 佐伯裕樹は予定調和のようにすでに隣に腰を下ろす出雲かなでに気さくに声をかけた。自然な口ぶりは相手に安心感を与えているような印象がある。


「はっ、はい。よっ、よろしくお願いします。あっあと先ほどはありがとうございました。きっ、きちんとお礼を言わなくて……すみません」


 正面に向いていた身体をわざわざ隣の席に腰掛ける佐伯裕樹の方へ向けると、足の膝と胸を引っ付くほど座っている状態で深くお辞儀をした。

 そこまでされると困るだろうなと俺はその光景を主人公のすぐ後ろの席で見守っていた。俺の席は主人公の後ろに位置する。


「そこまで感謝されることなんてしてないよ。だから顔を上げてくれないかな?」


 佐伯裕樹は周りを気にしながら想像通り困ったように笑う。周りから見れば主人公がヒロインをいじめているのだと勘違いされてもおかしくない構図となっていた。

 真中葵は主人公の姿を机に頬杖を付いて薄目で眺めている。あからさまな不快感の視線には気がつかない出雲かなでは「すっすみません」と謝罪の言葉を述べて、急いで上半身を起こした。


「裕樹。入学早々にナンパしてんじゃないわよ。確かにその子が可愛いのは認めるけど……部屋の棚に飾りたいって気持ちは分かるけど……」


 ポニーテールの隣人から冷めた口調が佐伯裕樹に飛ぶ。


「勘違いするな。ナンパじゃない。出雲さんとは今朝から色々あってな……あと出雲さんをぬいぐるみ扱いしないでやってくれ」


 今朝の事を思い出したのか佐伯裕樹は少し照れたような表情が見え隠れする。

 その様子から同じ事を思い出したであろう出雲かなでは、自分のスカートにしわが出来るのもお構いなしに強く握り締める。


「……あんた。こんな無垢な少女に何をしたのよっ!」


 出雲かなでの素振りに異変を感じた真中葵は驚き半分嫉妬半分といった表情で佐伯裕樹に迫った。

続いて佐伯裕樹の両肩を上下左右に乱暴に揺らし始める。

 

「何があったのか今すぐ教えなさいっ絶対教えなさいっ!」

「ちょっと待て! 何もないから!」

「何もないならなんでその子が顔を赤らめているのよ。可愛さが増しているじゃない!」

「登校中に転んでいた出雲さんと出くわしたんだ。転んだ拍子に下着が丸見えになったから出雲さんは恥ずかしいんだろう。見てしまった俺も何だか俺も悪いことをしたなと思っている!」


 何を馬鹿正直に説明しているんだ主人公。被害が増すのが分からないのだろうか。


「下着を見たですって! 変態! どんな可愛い下着だったのよー!」


 遊園地の絶叫マシーンのように身体を揺らされている主人公。

ラブコメの主人公も大変だなと同情しながら真中葵の追及に心で答える。

 ピンクの下着だった、と。


「葵。そろそろ止めないと裕樹が可哀想だ。首の骨が折れてしまうかもしれない」


 意識を失いかけている被害者に俺は助け舟を出した。

 ホラー映画のような光景を隣で見ているだけしかできない出雲かなでは、葵の狂気に驚きを隠せない様子だ。


「あっ、ごめん。つい興奮して……」


 我に返った葵は我に小さく謝罪しながら動作を止めた。どうやら真中葵の狂気は霧散してようだ。


「大丈夫だよ葵。おかげで首のこりが少し和らいだ気もするし……」


 こいつは怒りというものを知らないのだろうか。苦笑いで自分の肩に手を置いている佐伯裕樹に疑問を感じてしまった。


「すっ、すみません。私が転んだので心配して駆け寄ってくれたんです……そっ、それだけです……」


 出雲かなでの主張により、真中葵はそれ以上に何も追求しない。どうやら完全に頭が冷えたらしい。佐伯裕樹はくたびれたのかふーっと息を漏らした。

 確かファイルによるとこの二人のじゃれ合いは昔からだと記載されていたはずなので、佐伯裕樹はいつものことと慣れているのかも知れない。

 場が落ち着いた所で真中葵は自分の胸に手を置いた。


「私は真中葵。これから一年間よろしくね出雲さん」

「こっ、こちらこそ。よろ、よろしくお願いしますっ!」


 ハキハキと話す真中葵に出雲かなでは視線すら合わせない。視線を逸らしながら深々と頭を下げている。


「本当に出雲さんって同い年とは思えないほどの可愛いさね。抱きしめたくなる!」


 両手を絡めて出雲かなでを見つめる真中葵に佐伯裕樹が何気なく答えた。


「さすが葵は可愛いものに目がない。可愛い所はお前と一緒だな」

「なっ! 何を馬鹿な事を言ってんのよ……とりあえずあんた。間違っても出雲さんに手を出さないように……可愛いが汚れるから」


 笑みをこぼす佐伯裕樹に妙に照れた真中葵が小さく呟いた所で教室の扉が開く。

続いて教師役の演者が登場して席に座れと指示を出した後に教師は自己紹介を始めた。

 俺はそれを聞き流しつつ、真中葵の方へ目を向ける。

 やはりファイルに記載されていた真中葵のプロフィールは確かだったようだ。

 真中葵の佐伯裕樹に対する雰囲気は俺と接する時と違うように感じられる。佐伯裕樹の親友だからついでに俺と仲良くしているといった印象を受けた。

 ついでに仲良くというのは少し悲観的過ぎるかも知れないがヒロインのプロフィールが当たっているようなので俺はひとまず安心する。

 主人公の好きな食べ物や、ヒロインの好きな色など、あまり必要性の無い情報とは違いこの物語では重要となる情報がある。

 情報とは、真中葵は佐伯裕樹に好意をよせている、だった。

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