ラブコメ編

第6話 物語の始まり

人通りがあまりない住宅街も朝になると様子は違っている。スーツ姿で足早に歩く会社員。小さな子供を引き連れた母親や登校する学生服の姿も決して少なくない。

 眠たそうな顔をしている者も多いような気がした。


「ついに始まりますねアユトさん! 始まっちゃいましたねアユトさん!」

「あんまり騒ぐな」


 電柱の影に一緒に隠れている中学生の制服を着たアイが嬉々とした言葉でささやく。本当に何でこいつはいつもひょっこりと現れるんだろうか。

 高校の制服を着た俺と電柱の間に挟まれたちびっ子ツインテール。密着しているせいか俺のあごの下のツインテールからほのかにシャンプーの香りがした。

 本日は入学式。つまり物語の開始の記念すべき日だ。

 これから三ヶ月間の物語が始まる。

 この日まで幾度となく会議を開き、幾度となく街の責任者であるおっさんに罵倒を浴びせられた。

 おっさんが協力的ではないのが原因で議論が止まり、ランクBのおっさんとアイが衝突する。そして男にも女にも見える中性的なランクBのフウキさんが笑顔で無駄な衝突を抑えてくれる。

 会議での悪循環が今もなお続いており現場監督であるランクAの俺は頭を悩ませている。やはり俺の責任だろう。部下をまとめるのも自分の仕事なのだと分かっていながらもおっさんの挑発に腹を立てる俺はまだまだ若い。


「そろそろ二人が来ますよ!」


 緊張感を高めるアイに釣られてか俺もその十字路を凝視する。

 今回の作戦は俺が立案した。内容は入学式の登校中に主人公とヒロインを衝突するというものだ。ありきたりすぎて反吐が出るとおっさんからは罵られたが、俺はあえて使い古された手法でいきたいと考えていた。

 この作戦は時間とタイミングとの戦いだった。二人が自宅を出る時間、学校までの通学路のルート、歩く速度、二人が衝突する最適なポイントなどをシュミレーションしなければならない。

 シュミレーションを立てた後は実験、検証を繰り返し、三日かけて二人の自宅を出発する最適な時刻を算出することが出来た。

 出発する時刻を主人公とヒロインの両親役の演者に報告して、二人を当日の朝に決めておいた時刻に登校させるよう誘導するようにと指示を出している。

 通行人の演者達には二人の邪魔を決してしないようにと念を押し、衝突ポイントまでの不要な道はすべて通行止めとしている。なのでよほどの馬鹿でない限り、こちらの思惑通りの道順を進んでくれるだろう。

 ただそこまでしても不確定要素が多いこの作戦は成功率が三割程度と報告を受けた。あとは神のみぞ知るだ。


「アユトさん、出雲かなでが来ましたよ」


 この物語のヒロインの一人、出雲(いずも)かなで。

 両親の都合でこの街に引越してきたばかりで、物語の舞台となる高校に入学することとなった少女だ。この少女は引っ越してきたばかりなので友達や先輩、後輩もおらず、知り合いが誰一人いないこの町で新たなスタートを切ろうとしている。

 くせ毛で少しボリュームが増している髪は肩の長さまであり、すこし垂れた瞳は大きく優しそうな印象を受ける。図書館が似合いそうな可愛い少女だった。

 人付き合いが苦手らしいと知ってはいたが実際に見てみると確かにそうだろうなと感じてしまう。


「なんだか少し挙動不審ですね。何かに脅えているんでしょうか?」

「たしかにそうだな」


 アイの意見に同感だ。周りをきょろきょろと観察して怯えるような足取りで歩を進める出雲かなで。

 まるでお化け屋敷の中みたいだ。確かプロフィールでも挙動不審な所があると書いてあった。だとしても大げさなような気もする。


「次はお兄ちゃんが来ましたよ」


 この物語の主人公、佐伯(さえき)裕樹(ゆうき)。

 人当たりがよく、困っている人を見ると放っておけない馬鹿正直な人間らしい。物語の中ではアイの兄でもある。

 アイはマユミに主人公の妹役に任命されていた。マユミにしてはいい判断だと感心せずにはいられない。さすがは歴戦のランクAといった所か。

 アイは誰もが認めるであろう妹役の適任者である。


「やっぱりアユトさんの方がかっこいいです……どうせならアユトさんの妹が良かったな……」


 呟くアイは俺と佐伯裕樹を交互に確認していた。


「んっ。なんか言ったか?」

「何も言ってません。それより集中してくださいアユトさん!」

「うぐっ……」


 アイの肘が俺の下腹に突き刺さる。なんなのだこの仕打ちは。

 腹を押さえる俺はツインテールを引っ張るという報復を実行に移しかけたが、主人公とヒロインの距離が詰まっていたので先送りにした。

 息をのみ、二人の動向に意識を向ける。

 歩くスピード、十字路への距離、十字路への侵入角度、すべて完璧だと俺は感じた。そのままだっと期待を込めるように拳に力をこめた。


「ほえっ……」


 アイが間抜けな声を出す。俺は言葉すら出さず、瞬きを忘れて目で捉える情報を解析する。結果、解析不能だった。なぜそうなるんだ。ありえないだろ。

 二人の距離がつまりあと五秒もすれば作戦の成功だったのだが、成功寸前で出雲かなでが転んだ。コンクリートで整備された平らな道で前のめりに転んだ。受身をとれずに顔面から勢いよく転んだ。

 俺は頭を抱える。

 出雲かなではドジっ子とプロフィールに書いていたがまさかこのタイミングでその要素を出してくるとは。

 俺は作戦の失敗によるショックからか出雲かなでの安否など気にする余裕もなかった。


「大丈夫ですかっ?」


 大胆な転倒に気づかないはずがない佐伯裕樹は、驚いた面持ちで急いで地面にうつぶせ状態で倒れている彼女に軽快に走り寄った。


「……すっすみません。わっ私は大丈夫です」


 地面に膝をつく佐伯裕樹の両腕によって抱き起こされた出雲かなでは、動揺した仕草で素早く立ち上がる。そしてお礼の言葉も口にせずに何事もなかったように歩き出した。

 かなり恥ずかしかったのか赤みをまとった顔を地面と平行にして歩いている。

 挙動不審さが増した彼女がどこも怪我をしていなようなので安心をしたのか、彼女の背中を眺めながら、佐伯裕樹は笑みを浮かべ何度か小さくうなずいた。


「……とりあえず、これはこれで出会いになったんじゃないですかねアユトさん?」


 活発が取り得なアイとは思えないほど落ち着いた声で励まされる。

 そうだな。アイの言う通り、インパクトはないがこれはこれで一つの出会いの形だ。ただもう少しお色気要素が欲しかったのだが。

 俺は内心期待していた、両者がぶつかる、主人公がヒロインに覆いかぶさる、主人公の右手はヒロインの胸に、というシナリオを破り捨てた。

 俺の期待を見事に裏切った犯人を睨むと、俺とアイが隠れていた電柱を通り過ぎた少し先で再び何もない所で転んだところだった。

 どんだけドジなんだよ!

 向かうべき目的地は同じなので、出雲かなでの後ろを歩いていた佐伯裕樹は先ほどと同じように彼女の元へ駆け寄る。同じ展開を見せつけられた俺はため息しかでない。

 この作戦が失敗したことをマユミやあのおっさんに知られるのは嫌だ。といってもそれは無理な話だと分かっているのだが俺は嫌な未来を想像してしまう。

 三日かけたシュミレーションが時間の無駄になったな。開き直るよう精神をもっていきたいのだが時間が経つにつれて、どんどん暗闇に陥ってしまう。


「アユトさん……アユトさん! あれを見てください!」


 少し卑屈になっていると真剣味を帯びたアイの声が耳を貫く。

 ゆっくりとアイが示す先に目を凝らす。よく見ると転んだ出雲かなでのスカートが大胆にめくれあがっており、丸みを帯びたお尻を覆っているピンクの布が見事に披露されていた。

 駆け寄ったはいいが下着丸出しの出雲かなでを見てしまった佐伯裕樹は顔をさっと快晴の空へ背ける。

 決して見ないよう努力している状態を維持したまま、大丈夫ですかと言葉を添えて四つん這いの出雲かなでに片手を差し出している。どうやら立ち上がる手助けをするためらしい。

 転んだ張本人は少しの間その手を見つめると、ふいに自分の下着が見えていることに気づいたようだ。気づいた瞬間の表情の変わりようは凄まじかった。

 目を見開き頭から湯気を出しそうなほど真っ赤な顔になっていた。

 パニック状態に入ったなと俺が判断する頃には、顔を両手で覆い隠してクラウチングスタートで走り去っていった。

 俺は彼女の逃亡を眺めながらまた転んだりしないか少し心配になったが足を絡めることなく過ぎ去っていった。

 一部始終を見終えたアイは人差し指を立て、落ち着いた声を出す。


「アユトさん。真実は小説より奇なりですね」


 こいつは笑いを取りに来てるんだろうか。アイの言葉に対して笑ってやるべきなのだろうか。そもそも言葉の意味を理解しているのだろうか。

 発言の選択を迷っているとアイが痺れを切らした。


「無視しないで下さいよ……とりあえずそろそろ私も中学校に行きますねっ」


 腕時計に目をやると確かに俺も学校に登校しなければならない時間だった。じゃあ行って来まーすと元気な声をあげるとアイは軽快に走り出した。アイの華奢な背中にお前も転んだりするなよと俺は釘を刺してみる。

 ありえませんよと笑うアイは少し離れた先で立ち止まり、俺の方へと身体を向けた。


「アユトさんなら大丈夫です。私は死に物狂いで応援していますからー!」


 そこまで大きな声で言わなくても聞こえている。

 後輩のエールに答えるように俺は苦笑いで片手を挙げた。

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