第2話 後輩という名の存在「アイ」

 俺はベッドの前で正座をして、部屋の中央に置かれている机を眺めていた。

 積み上げられていた小説たちは自分の部屋、つまり本棚にお帰りいただいた。ついでに部屋の掃除も行い、使用済みの資料はゴミ袋の中に捨てておいた。

 綺麗になった部屋の中央に置かれている机の上には、認定書と顔写真つきの認定カードだけが並べられている。二つは封筒の中に入っていたものだ。

 見つめるのは何度目かになるが全く興奮が冷めず自然と口角が上がってしまう。

 俺もついにランクAか。自分でも聞こえないぐらいの声でつぶやいた所で本日二度目の呼び鈴が鳴った。


「はーい! お待ちくださーい!」


 愛する主人が帰ってきた新妻のような声を出した俺はすぐさま玄関へ。

 つまり俺は完全に浮かれていた。ただこの瞬間だけは浮かれるのを許して欲しい。軽い足取りで歩く俺は無駄に許しを請いながら扉を開ける。

 玄関の外には運送屋のおじさんが立っていた。足元には大きなダンボール。受け取りのサインをお願いされた俺は笑顔でペンを躍らせる。

 さらには「ご苦労様です」といつもは口にしない労いの言葉をおじさんに投げかける。するとおじさんから「それ重いから気をつけな」と思いやりの言葉が返ってきた。

 二度目の荷物を部屋へ招き入れる。おじさんの言うとおり予想以上の重量だった。床に置き中身を早速確認する。

 中に収められていたのは分厚いフャイルが三つ入っている。表紙には物語資料と印刷されていた。俺は早速ファイルを持ち上げて開いてみる。



 物語は脇役によって成り立っている。脇役の実力によりその物語の良し悪しを決める。またその事を主人公達に気づかせてはいけない。それらの責任を持って物語を完結に導かなくてはならない。



 ファイルの最初のページにはいつもの格言めいた文章が書き連なっていた。予想していた通り仕事の資料だ。だとすれば次のページは。

 ドキドキが止まらない俺のページをめくる軽快な指さばきは楽器を弾いているようだった。

 現場監督・作戦指揮とかかれた隣にアユトという文字が印刷されている。

 アユトとは紛れもなく俺の名前だ。

 責任者欄に自分の名前が連なっているのを確認すると俺は天井を見上げ、肺の呼吸を入れ替えるように深呼吸する。

 ついに俺が。この俺がっ!

 瞳を閉じ、映画の回想シーンのようにこれまでの苦労や努力を思い返す。達成感や満足感、さらには優越感が混ざり合い一気に押し寄せる。

 持て余した興奮を抑えながら自分の名前を確認するためにもう一度資料に視線を落とす。ただ初見では気がつかなかったが、アユトの文字の横に見知った名前が印刷されている。横にというのは現場監督がもう一人いるという意味だ。

 おいおい。俺だけじゃないのか。しかもこいつと一緒だなんて……。

 喜ばしくない事実を知ってしまった俺はかゆくもない頭をかいた。天国から地獄とはまさにこのことなのだろうか。

 いやそれはさすがに大げさか。初めての責任者で一人きりというのがおかしな話なのかも知れない。


「アユトさーん! いらっしゃいますかー?」


 適度に落胆していると高いトーンの声が扉の方で響いた。


「……何しに来た?」


 またあいつか。俺は待ってもいない来訪者に向かってその場で声を出す。玄関にわざわざ迎えに行く事はしない。

 全くもって必要性などないからだ。


「アユトさんの所在確認! ではいつも通りお邪魔しまーす!」


 俺の皮肉たっぷりの声をきっかけに勢いよく扉が開かれる。

 俺は入っていいぞとは言っていないからなと、声を大にして言いたいところだがこれはいつもの事だった。

 無駄にテンションの高いちびっ子ツインテールは仕事の後輩であるアイだ。

 ブーツをすばやく脱いだ個性的なファッションの少女は広くもない部屋をこちらに向けて全力で走る。


「アユトさーんお会いしたかったですー!」


 アイは両手を広げながら俺に抱きつこうとダイブ。俺はいつも通り身体をひねり元気いっぱいの猛攻をぎりぎりでかわしてみせる。

 猪突猛進のアイはそのままの勢いで顔をアパートの壁に激突させた。


「……アイ。壁に大きな音を立てたらお隣さんが迷惑じゃないか。しかも薄い壁なんだがら余計に響くはずだ。もし寝ていたら飛び起きてしまうぞ」

「私の心配よりお隣さんですか……ひどいですー……」


 四つん這いになりこちらにお尻を突き出している状態のアイを俺は背後から見下ろす。

 腕を組む俺は下着は意識せずに痛いだろうなと、ほんの少しだけアイの突進をかわした事への罪悪感が芽生え始めていた。

 しかし簡単に抱きついてやられる訳にもいかない。一度抱きしめられるとアイの拘束を破るのに時間が掛かってしまうからだ。なんでこんな小さな身体なのにあれほど力が出るのかは未だに不明ではある。

 俺はしばらくアイが復活するのを黙って待っていた。

 すぐさま飛び起きて来るだろうと予想していたがなぜかそのままの状態が続く。

 もしかしいて相当痛かったのか。沈黙の中でさすがに可哀想になったので俺が手を差し伸べようとするとアイはお尻を上下に動かしだした。

 真っ赤なひらひらのチェックのスカートからは、健康的な太ももの上部に位置する赤い下着が見え隠れしている。

 俺はただ思う。こいつは一体何がしたいのだろう。

 アイは俺の脇役の後輩である。幼馴染というわけではなく前回一緒に仕事をしたのがきっかけで仲良くなった。年も下で瞳が大きく小動物のように可愛らしさがあるのがアイの特徴だ。短所としては騒がしいところだ。

 なぜここまでなついてくれているのかは俺としても分からない所ではある。ただ悪い気は決してしない。


「私の下着の鑑賞はどうでしょうか? お楽しみいただいているでしょうか?」

「なっ……別に見たくて見たわけではない。お前が見せ付けてくるだけだろうが!」

「照れなくてもいいですよ。思春期男子アユトさん!」

「思春期男子って言うな……たしかに間違いではないが」


 冷静に答える俺はアイのお尻から顔を背ける。視界の端でこちらを振り返るアイがにやついているのが分かる。するとなぜか無性に腹立たしくなってきた。

 下着を見られるのを恥ずかしいと思えよ。羞恥心さんはいずこへ。


「あー! そういえばアユトさん大事な事を忘れていました!」


 何かを思い出したアイは早口でまくしたてると素早く体勢を立て直した。俺はいきなりの復活でつい身体をびくつかせてしまった。

 勢いをそのままにおでこが赤くなっているアイは俺の正面へとゆっくりと歩み寄ってくる。アイは満面の笑顔を作りながら栗色のツインテールが大げさに上下するほど腰を折った。


「この度はランクA認定。おめでとうございます」


 ツインテールの風がシャンプーのいい香りを漂わせるのを意識しながら、何でこいつが知っているんだと俺は考えた。

 ついさっき届いたばかりの認定書に視線を向ける。そんな首を傾げている俺を見て、瞳をキラキラさせているアイが「なぜかと言えば」と言葉を付け足してきた。


「この件はおじい様からお聞き致しました」


 なるほどそういうことか。

 脇役業界の重鎮であるアイの祖父なら知っていても不思議ではない。アイの祖父は実績を積み重ねて脇役の世界では知らない者はいないとまで言われている。

 祖父は脇役引退後、ランク認定者の選考委員長を任されている。

 事情を理解した俺は笑みを見せる。祝われて嬉しくないはずなんてない。むしろ誰かにお祝いされたいと思っていた俺はアイに向けて素直に感謝した。


「ありがとう。俺も信じられないよ。しかもさっき新しい仕事も入ったばかりだ。物語の責任を担うランクAでの最初の仕事になる。気合が入るよ」

「アユトさんならすぐになれると私は思っていました。一緒にお仕事頑張りましょう。私もアユトさんの初めて責任者となる物語に出演できるなんて光栄です。一生懸命に頑張らせていただきますのでよろしくお願い致します!」


 凛々しく気合いを込めた表情でこちらを見つめているアイは元気いっぱいの共闘の宣言をした。

 凛々しくしてもやっぱり童顔だな。うーん。身長が低いのが幼さの原因なのだろうか。いや、身長が低いから子供と決め付ける固定観念がそうさせているのだろうか。

 いや待て、そんな分析より一緒にとはどういう意味なんだ。

 俺はアイがやる気を出す意味が全く分からなかった。

 少しの沈黙のあと俺は無言で再びファイルを開く。ページをめくりすぐに出演者一覧を確認してみる。ア行にはアイの名前は印刷されていなかった。


「アイの気持ちは嬉しいがこの仕事にお前の名前は書いてないんだが?」

「ですからこれを現場監督であり作戦指揮のアユトさんにお渡しします」


 質問の答えの代わりに差し出されたのは手紙だった。差出人を確認すると直筆でアイの祖父の名前が書かれていた。ものすごく達筆なのでよく見ないと読み取れないが確かに選考委員長の名前だった。


 仕事に孫を参加させて頂くようお願いいたします。


 手紙の内容を確認するとその一行のみが書かれていた。俺はぼーっとその一文を何度か読み返した。俺の率直な意見はなんだこれは、だった。

 アイは勢いよく拳を固めた。


「私も参加させて頂きます。愛するアユトさんの初陣。私がサポートしなければなりませんからねっ! いやっ。これは宿命なのですよ!」


 気持ちは嬉しくもあるが別にそんな心遣いはいらないんだが。しかも宿命はおおげさだから。

 ただ哀しいことに俺に拒否権はない。理由は至って単純明快。アイの祖父の依頼を断れないからだ。脇役協会のつまり重鎮の命令を断るなんて出来ない。

 社会の流れに逆らえない俺は自分の不甲斐無さに肩を落としたがすぐに前向きに考える事にした。

 理由はどうあれアイを別に嫌っているわけではない。むしろ一緒に仕事できるのは好ましいことではある。アイはランクBの実力者だ。心強いのは確かだった。


「では私の配役はどう致しましょうか? アユトさんのガールフレンドでよろしいでしょうか? それとも奥さんでも構いませんが? 愛人でも全然構いません!」

「……なんでそんなキラキラとした期待の瞳を向ける。しかも愛人ってのはさすがに嫌だろ?」

「覚悟の上です!」

「なんの覚悟なの?」


 目をキラキラさせながら返事を待つアイは上目遣いで両手を絡めている。いやギラギラと瞳をギラつかせている気もするが気のせいだろう。うん。気のせいだと決めよう。

 元々は俺が携わる仕事の出演者でないのでもちろんアイの配役は決まっていない。


「うーん……それはあとで決めることにするよ。まだ世界感やジャンルを確認してはいないからな。とりあえず彼女路線は止めて置こうとは思う」

「……本気で言ってます?」

「いやいや。そんな信じられないような顔されても……俺はお前の考えが信じられないよ」


 ランクAとなり現場の指揮監督を任される俺は配役を決定する権限がある。

 だがすべての脇役の演者を決めるわけではない。物語の規模にもよるが人数が多すぎるからだ。

 物語が始まる前からある程度に脇役協会推奨の配役が演者達に決められている。そのまま利用してもいいがランクAの権限により変更も可能だ。

 そういえば今回の物語はどういった内容なのだろう。ランクA認定に浮かれておりさらにアイの乱入もあって、大事な内容を確認するのを忘れていた。

 俺は再度ファイルを開ける。俺の横でそのファイルを覗き込もうと、アイが必死で背伸びをしていた。

 二人の目線がジャンル名を探す。先に見つけたのはアイだった。


「学園ラブコメディって書いてますねっ」


 学園ラブコメか。SF系や冒険ファンタジーなどではなかったことに俺はひとまず安堵した。

 学園ラブコメだと日常生活の延長線上なのでそれほど知識が必要とされない。

 しかしSF系などでは専門的知識が膨大な量だ。俺やアイのように脇役たちはその物語に溶け込むために前もって舞台となる世界観の知識を蓄えておかなくてはならない。

 学園ラブコメだと、街の名前、駅名、親しい人名など比較的易しいので知識習得に長くても二ヶ月程度だ。しかしSF系ともなると長くて二年はかかることになる。

 舞台を宇宙に移動させるとなればもっとかかる可能性もある。実際、俺の知人はSF系の物語で敵国の天才パイロットを演じる依頼がきたため、専門的知識に加え一からのロボット操縦訓練の為に二年ほど時間をかけていた。


「良かったですね。このジャンルなら同年代のアユトさんなら楽勝ですよ」


 激励をしてくれているであろうアイは指先でVの字を作っていた。何が楽勝なのか分からない俺は「頑張るよ」と短い言葉を投げかける。

 楽勝の根拠はどこから来ているのだろうかとは考えない。考えた所で答えなんて出ないだろう。

 無駄な時間を切り捨てた俺はこれからの予定を楽観的なアイに伝えた。


「とりあえず俺は早速出かけようと思うんだが、お前はどうする?」

「私は今日の予定はありません。アユトさんのお邪魔でなければご一緒します!」

「気持ちはありがたいが大丈夫だ。一人で見て回りたい気分だしな」

「分かりました。ご一緒します」


 あれ……言葉が通じないのかな?


「……一人でじっくり回りたいから帰っていいぞ」

「ぜひご一緒します」

「いやだからお前が一緒だと邪魔になるからもう帰れ!」


 アイは俺の右腕に両手を絡めてがっちり固めた。


「そうですか。ではなおさらご一緒しますー!!」


 会話が成り立ってませんよアイさん。俺についていくのが当たり前のように話すのはおかしいですから。あと人懐っこい雰囲気で誤魔化すな。

 俺は自分に慕ってくれているだろう後輩にむけてわざと大きめのため息をついた。アイにつきまとわれるのはいつものことなので慣れるようにしている。もう勝手にしてくれとアイに投げやりの気持ちを伝えると「アユトさんは優しいですね」とアイが微笑む。

 俺は優しさの本当の意味って何だろうと自分に問いかけながら玄関へ歩み寄った。

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