第7話
「お、お父さん……? 」
それは紛れもなく、灯里の父親の幻灯だった。
「灯里、すまなかった。お父さん、悪いお父さんだったなぁ」
「そんな……そう言うなら何で今まで、私の事避けてたのよ。なんで何も話してくれなかったの……何で顔すら見てくれなかったのよ! 」
「灯里……」
両手で顔を覆った灯里へと、幸助の幻灯が近づく。伸ばされたた手を、灯里は振り払った。
「どうして、どうして帰ってきてくれなかったの……あの日の朝、帰ってくるって約束したのに……」
灯里の叫びに、幸助の幻灯は苦しむように様に顔をしかめ、一瞬ノイズが走る。けれども、その目は決して灯里から離さなかった。
「灯里、君は本当にお母さんによく似てる。けど、成長していくにしたがってそっくりなっていく君を、僕は見ていられなかったんだ。お母さんを思い出してしまって、辛くて、怖くて、耐えられなかったんだ。……だから、僕は君から逃げた」
幸助の幻灯は、灯里を真っ直ぐに見つめている。愛おしさと優しさが滲む目で、本当の父親のように。
「けれど、君が小説を書いていると聞いて気づいたんだ。お母さんは、小説は好きだったけど書くことは無かった。お母さんは裁縫が得意だったけど君は少し苦手だった。君とお母さんは違う人間なんだって」
「そうよ、違う人間よ。私は私なの。私は娘としてお父さんに傍にいてほしかったの! 」
「すまない、灯里。本当にすまなかった……」
幻灯の朧な腕が灯里の身体を抱きしめる。灯里は身動ぎせずされるがままでいたが、ややあってその手がゆっくりと幻灯に伸ばされていった。
「私も、お父さんが分からなかった。それが辛くて、怖くて、いつの間にかお父さんから逃げ出してた。……なんだ、同じだったんじゃない。やっぱり親子なんだね、私達」
この一連のやり取りを、千樹は半ば驚きを持って見つめていた。
確かに持っているデータは全てスキャンしてAIを組み、外見や音声もあの映像群からサンプリング出来たおかげで殆ど本人のそれと呼べる程度にまで調整が出来た。突貫工事にしてはよくできた方だと胸を張って自画自賛出来る。けれど、そこにはある肝心なデータが著しく欠如していた。
それは“依頼者と接している本人のデータ”だ。
人間は接する相手との関係性によって声のトーンや態度といった接し方を変えているものだ。会社の人間にする態度と家族にする態度では、それぞれの関係性が異なるために、当然接し方も違ったものになる筈である。
そして、ビデオカメラ越しに話しかけるのと、本物の娘に話すのも、全く同じという訳にはいかない。だが、これまで接触をほぼ断っていた二人であるので、いざ顔を合わせた時の自然な対応がどのようなものなのか、そこをどうプログラムするかが全く分からなかった。
結局はビデオカメラに対する対応を優先してAIに学習させたのだが、なかなかどうして然なやり取りに思える。まるで、本物の幽霊とでも話しているかのようだと千樹は思った。
「お前が作ってくれたお守り、お父さんいつも肌身離さず持ってたんだよ。いつも力を貰ってた。ありがとう」
「警察から返された時に初めて知ったの。お父さんがずっと持っててくれてたんだって。渡した私ですら忘れてたのに……ねえお父さん、あの日帰ってきたら何を話すつもりだったの? 」
やり取りを見つめていた千樹は静かに目を伏せた。
動画の最後が決意表明で終わっていたので、結局何を話そうとしていたのかは分からずじまいだった。だが、他にそれを伺わせる材料など存在しない。
故に、ここから先の答えはAIが算出した予測にかかっている。幻灯に嘘をつかせるわけにはいかないが、答えがどこにも無ければそれは予測するしかない。なので、AIに学習させるデータが非常に重要となってくる。依頼人に否定的なデータが増えればそれだけ算出される予測は悲惨なものとなってしまう。
今回は娘を思う父親のデータばかりが集まった。だから、頼む。“どんなことでもいい”とまで言った彼女の覚悟に応えてやってくれ。祈る思いで千樹は幻灯の幸助を見つめていた。
「お前の事が大好きで、ずっと大切だった。誕生日おめでとう、灯里。お父さん、ずっとそう言いたかったんだ」
「ありがとう、お父さん。私も大好きだよ」
そう言って千樹を振り返った灯里の目は潤んでいた。頬には幾つもの雫が流れた跡が、幻灯の仄かな灯りに煌めいている。
「ありがとう千樹さん。もう大丈夫」
「いいのか? 投影できるのはこれが最初で最後だぞ」
「いいの。もう充分話せたから」
そうか、と一言返して千樹は投影を終了させようとした。その時、ふと幻灯の幸助がちらりと目線を向けてきた気がした。
「え? 」
一瞬千樹の手が止まり、顔をしかめて目を凝らす。が、やはり幻灯は灯里を見つめたまま微動だにしない。気のせいかと思い、千樹はそのまま投影を終了させた。
扉の横にあるスイッチを入れると、電灯の光が煌煌と部屋に灯る。千樹は幻灯機を箱へ仕舞うと、泣きじゃくる灯里へハンカチを差し出した。
「今は俺しかいない。だから今のうちに泣いておけ。いつか親父さんとまた笑って再会するために」
ハンカチを受け取った瞬間、溢れ出てきた涙が灯里の頬を幾重もの筋を書いて流れてゆく。軽く促すと、灯里はハンカチで顔を覆い、千樹の纏うダークスーツにの胸にそのまま顔をうずめてしゃくり上げ始めた。
千樹はそれを咎めず、されるがままで居続けた。こんな時、肩の一つも抱きしめてやるべきなのかもしれない。会えてよかったと、声の一つもかけるべきなのかもしれない。
けれどこの時の千樹は他に何一つすることが出来なかった。ただされるがままになって、胸に抱える感情を持て余し続けていた。
「ありがとう……お父さんに会わせてくれて」
暫く経って、目に涙を溜めて灯里が懸命に笑いかけてくる。だが、千樹は顔を隠す様に背を向けた。
「ちょっと、こういう時くらい顔見せてよ」
「関係ない。……けど、良かったな」
「え? 」
「いや、なんでもない」
顔を見られないように、千樹は幻灯機を持ってそそくさと部屋を出て行く。
これでいい筈なのに、胸の奥で燻るものがある。それが何かを、千樹はよく分かっていた。そそくさと部屋を出たのは、それが顔に出てしまいそうだったからだった。
背後から「照れちゃってーっ」と飛んでくる野次に、後ろ手でしっしと手を振って応える。
その瞳に、羨望を浮かべたままで。
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