第6話
都心部にある雑居ビルの階段を駆け上り、二階の突き当りにある『千樹幻灯事務所』と書かれた扉を蹴破る勢いで開け放つ。床を埋め尽くす書籍やファイルの山を越えて机迄辿り着くと、置いてあったパソコンを起動した。
時刻は既に夕方の六時を過ぎている。猶予はもう残り少ない。
インストールされている幻灯製作用アプリケーションを開き、写真や手帳、日記帳の画面を特殊なスキャナーで読み取っていく。すると、ブルーバックの背景を背にして一人の壮年男性の姿がパソコンの画面上に映し出された。
『名前は? 』
『中嶋幸助です』
『職業は? 』
『流通系企業の代表取締役をしています。本社は代官山にあります』
会話用ウインドウを呼び出し、キーボードで言葉を打ちこめば即座に返答が返ってくる。まだ音声データをインストールしていないので筆談状態なのは仕方がない。
今表示されているこの人物こそ、幸助の幻灯の雛型である。ただし、見た目はまだ不気味の谷にも辿り着いていない稚拙なもので、会話はどこか機械的なものでしかない。ここからさらに微調整を繰り返して、漸く幻灯は完成するのだが。
「そのまえに、このメモリーカードだな」
机の周囲にそびえる資料の山の中から、外付けタイプのカードリーダーを引っ張り出して接続し、そこにカードを入れ込んだ。
暫く読み込んだ後に、いくつかのファイルが表示される。タイトルは年月日のみ。どうやら毎年新たなファイルが造られているようで、日付はどれもここ二、三日中のどこかであった。その中で最も古い二十年前の日付を開くと、中には映像データが一つだけ入っている。
「さて、何が出てくるかな……」
データを再生すると、四角いウインドウの中に一人の女が姿を現した。どこか灯里にそっくりなその女は目の前にあるカメラの位置を調整すると、画面をみてにっこりとほほ笑んだ。
『初めまして灯里ちゃん。これを見てくれてる頃にはどんなお姉さんになってるかな? 灯里ちゃんはまだここにいるから会えてないんだけど、きっと素敵なお姉さんになっていると思います。女の子だからパパに似てるかもしれないね』
女は膨らんだ腹を愛おしそうに撫でながら話し続ける。自分がいとおしく思っている全ての事を。口調の端や、目の細め方、腹に振れる指先の一本一本にまで滲む優しさと愛おしさ。女が灯里の母親なのは明らかだった。
「生まれてすぐ亡くなったと言ってたな……その前に撮ったものか」
よく見ると、病室のベッドの上で取られた映像らしく、背景にナースコールといった設備が映りこんでいる。そこから出産間近に録画された物なのだろうと推察出来た。
よくインターネットなどで、亡くなった母親が子供が成人するまでの毎年分の録画映像を残していたという話を聞くことがある。死を悟っていた母親が残される子供を思って自分の映像を残す、それを毎年の誕生日に父親が天国からのプレゼントなどと称して子供に見せるという内容だ。どうやらこれはそういう類の映像らしい。
『灯里ちゃんの名前は、大好きな小説の主人公から貰いました。皆の心を優しく照らせる灯のような人になってほしいと思ったからです』
これは灯里に残された母親の意志そのものだ。ならば、自分は見るべきではないと千樹は途中で再生を切った。
しかし、ここである疑問が生じた。生まれてすぐになくなっているのならば、翌年以降にファイルが造られる筈がない。映像だけ先に撮って後からファイリングしたのであれば話は分かるが、他のファイルを開いても、中の映像データとファイルの制昨年は同じであった。
なら、ここにある大半の映像データは一体なんだ?
千樹は迷った末に、最も新しいファイルを開き、中にあったデータをダブルクリックした。
四角いウインドウが表示され、どこかの部屋と思しき内装が映し出される。床には絨毯が引かれ、正面の扉の前には椅子と、その両側に本棚が備わるだけの簡素な部屋。
そこは、灯里のマンションで見た幸助の部屋だった。カメラを調整しているのか、時折ぶれる映像の合間にぼそぼそとした男の声が混ざる。
暫くすると映像のぶれは無くなり、そしてカメラの前に一人の男が姿を現した。
「こいつは……」
男は椅子に座り、緊張している様に何度か咳払いする。まだ少し硬い笑顔でカメラに笑いかけると、どこか灯里の母を思わせる優し気な口調で話し始めた。
『やあ、こんにちは。僕は――』
夜の十時を過ぎた頃、千樹の姿は再び灯里のマンションの前にあった。
インターフォンを鳴らせば、少し怒りを滲ませた灯里がドアから顔を出す。
「うわ、本当に今日来てくれた」
「うわって何だようわって……約束したからな。今日中に来てやったぜ」
そういうと、灯里は目を見開いた。千樹はお返しとばかりにしたり顔を浮かべてドアを開けて滑り込むと、幸助の部屋へと真っ直ぐに足を進める。
「え、お父さんの部屋でやるの? 」
「その方が帰ってきたって感じがあるだろ」
そりゃそうだけど、と口ごもる灯里を背に、千樹は部屋の前まで来ると扉をあけた。途端に広がった古い紙の香りに鼻をくすぐられながら、灯りの無い部屋の中を真っ直ぐ進んでいく。
窓際の机へとたどり着くと、ノートパソコンを少しずらして脇に抱えていた幻灯機をそこへ置いた。
「よし、準備は良いか? 」
「ちょ、ちょっとまって! もう始めるの? 」
「そりゃそうだろ。あと少しで今日が終わっちまう」
幻灯機の電源を入れ、タッチパネルを操作していた千樹の手が、一回りも細い手に抑えられる。
「待って、まだ心の準備ってのが」
「大丈夫だ、いきなり幻灯は映さない。まずは見てもらいたいものがある」
そう言って灯里を椅子に座らせると扉を閉め、より暗闇の深いそこへと幻灯機を向ける。タッチパネルを操作すると、レンズから放たれた光の帯が壁に映像を映し出す。
扉の両側の本棚、床に敷かれた絨毯。そして椅子。映し出されたのはこの部屋の映像だ。
「え、なにこれ……ここじゃない」
「いいから、ちょっと見とけ」
暫くすると、映像の中に一人の壮年男性が姿を現した。
『やあ、こんにちは。僕は君のお父さんです。最近はどうだい? 高校の文芸部で小説を書いてるって先生から聞いた時にはびっくりしたよ。お母さんも小説が好きだったから、お父さん嬉しかったなぁ』
「嘘……お父さん? どうして」
「日記帳の中にあったメモリーカードに残ってたんだ。どうやら、毎年録画してたらしい。どうしても面と向かって顔を合わせられない娘に向かっての言葉をな」
その声は果たして聞こえていたのだろうか。灯里の目と耳は一心に映像へと向けられ、千樹の声に気づいた様子はない。
暗い部屋を四角く切り取ったかのような明るい光の中で、幸助が一人話し続けている。彼は夢にも思っていなかっただろう。向かい合っているビデオカメラの先に娘が居るなんて。
そしてこの二日後、娘の誕生日に自分が死んでしまうなど、決して思っていなかったに違いない。
『灯里、毎年お前の顔すら見られず本当にすまない。今年こそは直接お前におめでとうを言えるようにお父さん、頑張るから。今日やっとお前が欲しがってたテディベアを見つけたから、明日はそれ買って帰る。これは僕の決意表明だ』
映像はそこで終わっていた。時間にすると五分程度ととても短いものである。余りにも中途半端な終わり方は、正しく決意表明だったからだろう。続きは直接本人へ伝えるのだと。
「……なんで、何でこんなの残すならもっと早く言ってくれなかったの……何で……」
灯里は立ち上がると、部屋の隅で隠されるように置かれていたダンボール箱へと手を伸ばし、蓋を開く。
中から取り出したビニール袋には、ボロボロで原型を留めていない布の塊。幸助のメッセージを聞いてなければ、それがテディベアだった事など千樹にはわからなかったかもしれない。
「事故から暫くして警察の人から渡されたの。お父さんの車にあったって。生地とか、リボンの切れ端もあったから、もしかしてって思ってたけど……でも、こんなの用意するなら、どうして私の事……もっと……」
「それは、直接きいてみるといい」
タッチパネルを再び操作し、今度は幻灯の投影に移る。幻灯機の内部にある核灯が点灯し、あらかじめ読み込ませていたデータが光となって投影される。すると、暗い壁の前に薄ぼんやりと光を纏った壮年の男が現れた。
「お、お父さん……? 」
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