第5話


 その後、千樹は情報収集のテンプレートに沿って本人の経歴や覚えている限りの行動を聞き出した。正直、殆ど交流の無かった灯里から得られる情報は少なかったが、日記帳と手帳があるので幻灯作成に恐らく支障はないだろう。

 そして最後に、やはり他の写真や映像は無いかと聞いたのだが。

 「ごめんなさい、私が持っている写真はあれだけなんです」

 帰ってきた無常な答えに、予想していたとはいえ千樹もこれには頭を抱えた。

 携帯端末の普及で誰でも何処でも撮影、録画が可能な時代である。とはいえ、友人ならともかく家族の録画映像となると持っていない人はまだ多い。

 だが、出来れば映像の一つや二つは持っておいてほしいと思うのが幻灯師としての考えだ。それは、幻灯製作をするのであれば本人の声、つまり音声データが非常に重要になるからだった。

 顔だけならば宣材用の写真や映像だけでもどうにかなる。だが、声に関しては出来る限り依頼人が聞いていたものに近いデータが欲しい。というのも、顔に比べて声の方が僅かな違いも感じやすいと言われているからだ。

現在における幻灯製作では主に合成された疑似音声を用いて故人の声を作る手法が一般的である。少ない音源で作成可能であり、納期と人件費の双方にとってもお手軽で財布に優しい方法だからだ。近年では技術向上もあって、疑似音声でもかなり本物の人間に近づけられるようになった。

 ――が、そこが疑似音声の限界でもある。

 過去、幻灯の音声におけるストレス値の有無を追った研究があった。そこでは特に音源のデータ自体に普段とは違う違和感を抱いていれば、制作した音声ではその違和感がより強調されてしまう傾向にあるとされていた。

 更に研究では、顔に比べて声に感じた違和感の方が、依頼人にとってはより大きなストレスとなり得るとのデータもまとめられていたのだ。

 よって現在では“使用音源は依頼人の所有データを基本とすべし”というのが幻灯師の間での暗黙の了解であり、千樹自身も過去の経験からそれが望ましい事は理解している。しかし、今回の場合は一応社員紹介用の映像データは得られたものの、たった数分にも満たないデータでは音源としては非常に心許ない。だからこそ、音声データだけはなるべく多く手に入れたいと思っていたのだが。


 「不味いな……さて、どうしようか」

 夜までには連絡すると言い、ひとまず灯里のマンションを後にした千樹は、パン屋の前にある公園へと足を運んだ。そこには既にあの父子を始め遊んでいた人の姿は無く、どこか薄寂しさを感じながらも園内のベンチに腰を下ろす。

 鞄から取り出したのは汚れとよれが目立つ幸助の手帳。既に乾いているとはいえ、無理に扱えば容易に破けるだろうページの重なりを、丁寧に一枚ずつ剥がしていく。 

 破損に注意しながらの慎重な作業だったが、剥がせたのは僅か五枚だけだった。


 『十時、○○商社の担当者と顔合わせ』

 『二十時、退勤後飲み会』

 『二十三時、米とのオンライン会議』


 日付と共に書かれていたのは幾つかの短いメモ。分単位で組まれた予定の数々は深夜にまで及ぶこともあり、これでは確かに自宅にはあまり帰れなかっただろう。

 ページを破かないよう慎重に読み進めていくと、その中に気になる記述を見つけた。


 『○○を購入。明日渡す』


 ○○の部分は破けてしまっていて読めないが、辛うじて読めた日付からすると事故の前日の話らしい。それは業務予定に関する他のメモと違い、誰に対しての行動かは書かれていなかった。

 が、だからこそ考えられる人物は一人しかいない。そういえば、今日は誕生日だと灯里は言っていたが。

 「プレゼントでも用意してたのか? それらしいものは無かったが」

 もしかすると事故で破損し、原型を留めない状態になって処分されてしまったのかもしれない。そもそも、それは本当に灯里へのプレゼントだったのだろうか。

しかし、仕事に持って行っていたというこの手帳は、いわば自宅の外における幸助を写した鏡のような物だ。ここにいるのは企業の社長であり、娘の事を自慢げに語っていた一人の父親としての幸助なのだろう。

 ならば、今日の為に買った物はきっと娘への贈り物だったに違いない。恐らくは、届かなかったのだろうが。


 「……そんな父親がどうして娘を避けてたんだ? 」


 ふと思い浮かんだ疑問。プレゼントを用意する程の父親が、何故娘を避けるように仕事漬けの日々を送る事になってしまったのか。飯田の発言からは、本来はもっと仕事の時間や量の調整が効くだろう事が示唆できたのだが。

 「答えは多分、こっちにあるな」

手帳を脇に置き、鞄から幸助の日記帳を取り出す。汚れの一つすら無い綺麗な表紙を開き、亡くなる前々日で終わっている最後のページから、時を遡るようにぱらぱらと捲っていく。

 捲って、読んで、捲って、また読んで。そうして全てが読み終わると、千樹の胸に残ったのは悲しみだけだった。

 「……馬鹿野郎」

 そこには、幻灯に使えるだけの情報が詰まっていた。考えも、感情も、思い出も、信念も、幸助という人間を構成する多くがあった。だからこそ理解できたのだ。どうして彼らは空虚な関係性のままでいてしまったのかを。

 知れば、灯里もきっと嘆くだろう。どうしてと。けれど、それにこたえられる人物は既にこの世にはいない。

 千樹は日記帳を閉じると、手帳と共に両手で包むように持って暫し閉眼する。

 掌から伝わるのは表紙のざらつきと、薄く脆い紙の感触。そして――悲しみ。

 帰りたかった。痛かった。苦しかった。そして、帰ってきてほしかった。伝わってくるのは、残す側と遺される側、その双方が積み重なった無念の重み。

 この重みだけは、いくら経験しようとも馴れはしない。人の死に触れる上で、決して避けては通れない重さだ。そして、灯里が受け止めようとしている重さでもある。

 無念も、後悔も、思い出も、意志も。遺されたものが少しでも残された者達に受け止められるように。そして残された者達が、抱えた重みで押しつぶされないように。

 幻灯師の映す幻灯は、死者と生者双方の心に寄りそう為にある。

 「何かないか……何か……」

 その時、強く握りしめた日記帳の端に、何か固いものが触れた。よく見ると、薄いカバーが掛けられている。

 カバーを外した瞬間、裏から白い何かが地面へと落ちていった。

 「何だこれ、手紙か? 」

 封がされていない小さなレターパックを開けると、中にあったのは一枚のメモリーカード。大分型の古いものだが、事務所のパソコンでなら見られそうである。

 もしかすると、これが最後のピースなのかもしれない。僅かな期待を胸に、千樹は駅へと走った。


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