第3話
数十分後、千樹の姿は幸助の経営していた物流系の企業が入るビルの前にあった。
「代官山の一等地とは、流石だなぁ」
「こんなとこにあったんだ。けど何の会社なんだろ? 」
隣りで目を丸くしていた灯里が、ビルの下から上までを嘗めるように見上げて言う。ここの住所は灯里から聞いたものだったが、その言葉で彼女も来たのは初めてだったと知った。けれど、父親の仕事への関心なんてそんなもんだろうと、特に異論を挟まなかった。
「とにかく、入ってみるか」
エントランスへ続く自動ドアが開くと、涼しい風が身体を包んだ。そのままビルの中に入り、エレベーターに乗って会社のある三階のボタンを押す。扉が閉まり、暫しの浮遊感と制動の後に止まったエレベーターを降りて、千樹は「中嶋通商株式会社」と書かれた扉を叩いた。
ここへ来たのは幸助の仕事歴と、職場における様子を知る為だった。どのような経歴を歩んできたのか、重要な局面でどういう選択をしてきたのか、職場での人間関係は、コミュニケーションをどうとってきたのか。そう言った事を把握して幻灯製作に取り入れる為である。当初は住所だけ聞いて千樹一人で赴くつもりだったのだが、同行すると言ってきかなかった灯里もこうして付いてきていた。
受付の女性に要件を話すと、最初はにこやかだった顔が途端に不審な者を見る目に変わる。少し離れた席で待たされるように言われ、千樹は並んでいた椅子の一つに腰かけた。
密かに聞き耳を立てていると、女性の訝しげな声が聞こえてくる。
「ねえ、さっきからあの人なんかしかめっ面してみてくるんだけど」
「いいから黙ってろ。てかお前もあんまりこっち見るな。気になって仕方ないんだよ」
「え、あんたって年下趣味? 」
「そういう意味じゃねぇ! じろじろ見るなってだけだ」
つい大声を出してしまった。慌てて受付の方を見ると、こちらをちらちらと見る女性の眉間に寄る皺が増えていた。
全く、今日はなんて日だ。厄介な仕事を引き受けた上に他人の視線にさらされ続けなければならないとは。その上、灯里のせいで余計に怪しまれかねないと、千樹は密かに肩を落とした。
ただでさえ幻灯師という存在は良い反応を得られにくいというのに、と。
同じ“死”に携わる医療従事者や葬祭関係者等とは違い、幻灯師の立ち位置は非常に曖昧なところがある。
理由の一つは、需要となる期間、対象が限定的である事だ。直接的に医療処置等で関わる訳ではなく、かといって葬儀やその後の継続したアフターケアでメインに携わるわけでもない。
あくまでも対象の死後に依頼があって初めてその人と関り、終了後は基本的に幻灯のデータを依頼者に渡すか破棄して終了する。中には地域医療における包括的な悲嘆ケアのメンバーとして活躍している者もいるが、そんなのはほんの一握りに過ぎない。
恐らくは、一生を幻灯師と関わらないまま過ごす人も少なくは無いだろう。要は単純に知名度足りてないのだ。
そしてもう一つは、幻灯を映し出すという幻灯師の職務内容そのものにある。
幻灯師の映し出す幻灯とはあくまでも対象者の写し、人工的に作り出した複写である。それは降霊術といったオカルトの産物などではなく、精巧なAIと緻密なCGを組み合わせて制作する科学技術の成果だ。
しかし、その発想元はかつての霊能力者が行っていた降霊術にある。それが嘘か本当かはまた別の話として、行為の外見だけ見れば胡散臭さの塊とも言える降霊術と似たような事をしているのだから、いくら基礎に科学があっても胡散臭さはぬぐい切れない。
幻灯師という存在は、そんな限定的でかつ曖昧という微妙な立ち位置に存在する仕事なのである。
「お待たせしました。営業を担当しております飯田と申します」
見るからにオーダーメイドの一点ものと分かるダークグレーのスーツを着込んだインテリ風の男。目の前に現れた人物に、千樹はそんな印象を抱いた。
「初めまして。幻灯師をしております千樹と申します。お忙しいところ誠に恐縮です」
「いえ、亡くなった前社長にはとてもよくしていただきましたから。私共でご協力出来る事なら何でもおっしゃってください」
提示した幻灯師のライセンスを一瞥し、名刺を受け取った飯田はにこやかにそう話した。
「お嬢さんもお久しぶりです。中々お線香も上げに行けず、すみません」
「いえ、そう言っていただけるだけでありがたいです」
「お一人になられてしまって色々と大変でしょうから、何かあったら遠慮なくおっしゃってください」
「ありがとうございます」
聞けば葬式以来になるという二人は暫く話していた。その間傍に会った業界誌に目を通していた千樹だが、二人の言葉が途切れた瞬間ここぞとばかりに割り込んだ。
「こちらの先代社長さんは皆さんから見てどういう方だったんですか? 雰囲気や、人当たりはどうでした?」
「誰にでもフランクに接する柔らかな物腰の方、って感じでしたね。頭ごなしに怒鳴りつけたり、難癖付けるなんてことは絶対にされない方でした。飲み会にもたまに参加されてたんですけど、適度にお酒飲みながら会話で楽しむ、って感じで……仕事も決断力あるし、まさに理想の上司でした」
隣で灯里が驚いているのを千樹は気配で感じた。職場の事を家庭に一切持ち込まない父親だったのだろうと思いつつ、質問を重ねる。
「お仕事はどのようにされてましたか? 人一倍熱心だったとか、プライベートを優先されるタイプだったとか」
「社長は人一倍仕事をされる方でした。仕事を残すという状態が嫌いだったみたいで、皆が帰った後も一人で仕事をしていたのは良く知ってます」
灯里の言葉から家庭を優先する父親の印象を抱いていたのだが、どうも少し違うようだ。
「皆さんが帰った後も仕事を、ですか」
「ええ。以前忘れ物を取りに深夜近くに社へ戻った事があったのですが、そうしたらまだいらっしゃったこともありました。けれど、これが終わったら帰ると言われていたので、たまたまそうだったと思ったんですが……もしかして、帰られてなかったんですか? 」
思わず灯里を見るも、目線が合う事はなかった。
つまり、幸助の仕事状況は社畜同然の物で、もしかすると殆ど自宅に戻ってなかったのかもしれないという事になる。
灯里の反応からは想定外の幸助の姿に、千樹は戸惑いながらも話を続けた。
「分かりました。そうだ、出来れば映像か何かお借りしたいんですが、どんなものでも結構ですので」
「どんなものでも……それでしたら、弊社の宣伝に使用した社員紹介の映像がございますので、よろしければそちらで」
「助かります。何しろあまり写真やビデオを撮られない方だったそうですから、資料が少なくて」
途端に飯田が目を丸くしてぽかんと小さく口を開いた。
「飯田さん? どうされたんですか」
「え、いえ。前社長って結構社員と写真を撮ったり、先程言った映像だって率先して出演してくれた位でしたから。てっきりご自宅でも家族写真とかいっぱい撮られているとばかり……」
それを聞いて、今度は千樹が口を開く番だった。
「本日はありがとうございました。本当に助かりました」
「いえ、また何かございましたら遠慮なくおっしゃってください」
映像データを貰い、飯田の紹介で他の社員からも話を聞いたところで、千樹はこの場を辞することにした。エントランスまで見送りに来た飯田が、去ろうと下灯里を呼び止める。
「お嬢さん、出来れば私達にも幻灯を見せていただきたいのですが、駄目でしょうか?」
「え……ねえ、見せてあげても良いの? 」
「あんまこっちみるなよ……画像で良ければな。今日やるのなら流石にお前さんだけにしといてくれ」
幻灯は幻灯機でなくては投影は出来ない。が、幻灯の姿だけであればいつでも見ることが出来る。ただし、ただの画像データとしてだ。
幻灯の悪用を防ぐために基本的には一度の投影をもってデータは破棄されるが、投影中の録画映像であれば依頼人に渡しても良いとされている。それは、一般に普及する機器では遠隔での空気密度の調整による質量の再現までは不可能だからであるのと、単なる画像データでは音声は無く画質もかなり劣化してしまうからだ。
そうなると幻灯としての再利用が実質不可能になるので、悪用される危険性も少ないだろうというお偉い方々の判断である。それでもと手元に起きたがる家族は決して少なくはなかったが。
が、そもそも、要求した灯里はともかく、流石にただの関係者が経った半日程度での突貫工事の産物を良しとはしないだろう。ただの画像データでも、数日掛ければ今日よりもクオリティはマシな筈だと、千樹は乾いた笑いを浮かべた。
「灯里さんが希望すれば画像データをお渡ししますのでそちらを参照していただければと思います」
「分かりました。ありがとうございます」
随分あっさりと納得した飯田が再び灯里を見る。
「灯里さんも、また是非いらしてください。今日いなかった社員にあなたと同じ文芸部だった者がいるので、ぜひ作品を読ませてほしいって言うと思います」
「え、何で私の作品……? 」
千樹もまた困惑していると、柔和な笑みを浮かべて飯田は言った。
「よくおっしゃってたんですよ。『俺の娘は高校で小説書いてるんだ。将来は小説家になるんだぞ』って。社長にとって、お嬢さんはまさに自慢の娘さんだったんですね」
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