第2話


 「私は……私は、お父さんに会わなくちゃいけないの。貴方も幻灯師なんでしょ? お願いです、父に会わせてください」


 灯里は勢いよく立ち上がると千樹に向かい頭を下げる。どうやら間違いでもなんでもなかったらしいと知って、千樹はうんざりしながら灯里を見上げる。膝の辺りで二つの拳が強く握りしめられるの見つめ、小さくため息をついた。全く、今日は気が乗らない事ばかりだと、扉を開けたことを後悔しながら。


 灯里の言った通り、千樹の生業は『幻灯師』である。

 そもそも幻灯師とは『“幻灯機“と呼ばれる機器を使用し、残された人の記憶や遺物から特定の人物の”幻灯“と呼ばれる分身を作り出して、故人となった者の意思を伝達する者』を言う。有り体に言えば、機械の力を使って人工の幽霊を呼び出し、生きた者と会わせる仕事である。幻灯師という名は、分身をこの世に映し出す様を、大昔にライトを使って絵や写真を映し出していた幻灯になぞらえたものだ。

 その需要は、主に突然の別れを経験した人々に対する心理的ケアの一環としてや、何らかの法的手続きにおいて故人の意志が不明瞭である場合等において発生する。そこで映し出した故人の幻灯との触れ合いを図ったり、残された人々にその意思を伝えるというのが幻灯師の基本的な職務としていた。

 かつては降霊術、口寄せ等として行われ、一部の霊能力者の存在と共に数ある眉唾物の一つと語られた行為であった。しかし、その後のオカルトブームに便乗し、見えぬ死者が物言わぬのを良い事にその意思を利用して私腹を肥やす輩が急増。法の隙間を搔い潜って跳梁跋扈し、激しい取り締まりと反発の末に自治体が特定の目的、手段に限り基準をクリアした霊能者を公認するに至った。

 そこへ科学的なアプローチとして開発された“幻灯機”と“幻灯”の登場で、死者との触れ合いはその存在を確立した科学となり、専用機材さえあれば誰でも実施可能となったのである。それが公的資格化され、今の幻灯師に至っている。


 「じゃあ、お前さんは間違いなく幻灯の依頼をしに来たんだな」

 一応の念押しで千樹が問いかけると、ソファに座り直して灯里は頷く。

 「はい。一度他のとこに頼もうとしたけど、忙しいからって断られちゃって。そしたらここを紹介されたんです。ここなら依頼を受けてもらえるかもしれないって」

 「そのクソッタレはどこのどいつだ。全く……で、お前さん幻灯は見たことあるのか? 」

 延々と続きそうだったノックの騒音は迷惑以外の何物でも無いが、そもそもの非はどうやら灯里には無いらしい。なら仕方ないと千樹は渋々ながらも話を聞く姿勢を作った。

 「ううん、祖父母の時はどちらも頼まなかったし……テレビとかでしか見たことないけど」

 「そうか。依頼の前には確認も兼ねて一度見て貰ってるんだ。ちょっと待ってろ」

千樹はゴミ山を抜けだすと、背後の机へと向かう。そこには、様々な資料と共に高さが四十センチ程の大きな黒い箱が置かれていた。両手を添えて箱を持ち上げると、その下から小さな映写機に見える機材が現れた。

 「これが幻灯機だ。これで今からサンプルを写すから見とけ」

 日差しの差し込む窓に厚いカーテンを閉めれば、部屋の中は闇に包まれた。千住は幻灯機の電源をいれ、レンズを壁に向ける。

 側面のタッチパネルを操作すると内部にある核灯が点灯し、プログラムされたデータが光となってレンズから照射され、目の前の壁にぼんやりと光を帯びた老婦人の姿が現れた。

 半透明である事以外は、肌や服の質感から呼吸での僅かな動きに至るまで本物の人間と見まがう程の存在感を醸し出していた。

 「これが幻灯。サンプルだけどな。何か話してみたらいい」

 「話って、出来るの? 」

 「出来るに決まってるだろ。幻灯ってのは、要は人工知能とアバターの応用だ。特殊なスキャナーで読み取った対象の画像や声で外見を再現し、そこに性格や癖、決断の傾向といった精神面のデータを組み合わせてもう一人その人を作る様なもんだからな。ほら」

 促すものの、灯里は身動きすらとらずに老婦人の幻灯を見つめ続ける。目を見開き、時折重い吐息を零すその内情は、まさしく驚嘆そのものといったところか。

しかしこうも黙ったままでは埒が明かない。仕方ないと一つため息を零して千樹が口を開いた。

 「おい婆さん、あんたは彼女にどうしてほしい」

 「ちょ、ちょっと! 」

 虚を突かれたとばかりに焦った灯里の声が響く。全く、一々叫ばないと気が済まないのだろうか。うるさくて堪らないと顔を背けた千樹へ、更に抗議の声が重ねられようとした時だった。


 『そうねぇ……お名前が聞いてみたいわねぇ。教えてくださる? 』


 俄かに騒々しくなりそうだった場を沈めたのは、老婦人のにこやかな声。

 「え……えっと、私は中嶋灯里といいます。よろしくお願いします……? 」

 灯里が挨拶を返すと、老婦人は片手を差し出してくる。戸惑う様な灯里の気配に千住が一言促すと、灯里の手がそっと老婦人の手を握り返した。決してフリなどではなく、まるでそこに手が存在しているかのように。

 「え、うそ! 手があるんだけど!? 」

 「幻灯機で局所的に空気の分子量と密度を調整して、質量を変えてるんだ。だから触れるし、握手も出来る」

 半透明の手を握ったままはしゃぐ灯里を見て、老婦人はその笑みを深めた。

 『そう、灯里さんっていうのね。素敵なお名前ねぇ、どなたが付けてくださったのかしら』

 笑い皺をより深くし、手を合わせて嬉しそうに話す仕草はまさに本物の人間そのものだった。それを見て緊張と興奮が落ち着いたのだろうか、灯里がほっと息を吐く音が聞こえた。

 「それは、母が」

 老婦人へと返事をする声が聞こえてきていたが、千樹はお構いなしに幻灯機の電源を落す。再び訪れた暗闇と失われた手の感触に戸惑う灯里の気配を背に感じつつ、千樹は窓辺へ向かいカーテンを開けた。途端に注ぎ込まれる陽の光に目が眩むのを堪えつつ、背後にいる灯里へと声を掛ける。

 「これで分かったか? 今のが幻灯、限りなく本物に近い写し身ってやつだ」

 「すごい。本当の人みたいだった。これでお父さんに会えるなら充分。これなら私もお父さんに会える……」

 振り向き様に見た灯里は、胸に手を当てて感極まっている様子だった。どうやら依頼の意志はさらに固くなったらしい。見せるんじゃなかったと内心で後悔しつつ、幻灯機を箱へ戻すと千樹はソファへ座り直す。

 「いや、これは本人じゃない。あくまでも人工的に作り出した複製だ」

 そして、灯里の目を真っ直ぐに見つめて言った。


 幻灯の依頼を受ける際に必ず言わなければならない告知事項というものがある。依頼人の尊重、個人情報保護の誓約、報酬の算定方法と様々だが、最も重要視されているのが幻灯の非代理人としての免責事項と呼ばれるものだった。

 幻灯はあくまでもデータベース化された情報の具現化であり、当人のコピーに過ぎない。作成には、より正確に本人を再現できるよう、心理学的見解に基づくテンプレートに従って収集した情報を用いるので、限りなく本人に近い存在であるとは言えても。

 それでも、決して本人そのものにはなり得ないし、生者と同じ権利や義務は生じない。

 そして幻灯師は故人の意志や人格の悪用を防ぎ、権利保護に遵守しなければならないとされていた。それは、かつて乱用された故人の姿や意志の悪用を防ぐための指針である。

 その一環として作成した幻灯の投影は一度限りの物とし、その発言や意志は故人を慮るためのツールの一つとしての扱いに限るのだと、依頼人にもその事を通告しなくてはならないのである。


 「つまり、幻灯はその場限りに使用できるコピーであり、決定事項等があればそれはあくまでもあんたが決めなくてはならないってことだ。契約書も当然書いてもらうことになるが。やめるなら今のうちだぞ」

 「幻灯は本人じゃないのは分かった。けど、何でそんなに嫌がるのよ。依頼人が来れば嬉しいものでしょ普通」

 こっちにも色々あるんだよ。首をかしげる灯里にそう胸中で愚痴る。夢見が悪かったから、などとはとてもじゃないが言えないだろう。

 「それで、あんたは父親に会いたいって事でいいのか? 」

 伏し目がちに問いかければ、視界の端で灯里が頷いた。

 「お父さん……父は二年前の今日、事故で亡くなったんです。中野区で発生した大規模な玉突き事故、覚えてます? 」

 免許証か何かを引き延ばしてきたのだろう。ブルー一色の背景で硬い顔をした灯里の父幸助の写真を手渡される。その顔にどこか見覚えがあるのは、恐らく気のせいではないだろう。

 「……ああ、あの事故か」

 二年間のこの日、中野区の細い一般道にて発生した車両数十台分に及ぶ玉突き事故のことは、千樹も頭の片隅で覚えてはいた。十数名もの死傷者を出したその事故原因は追突した乗用車のスピード違反であったが、雨で濡れた路面とひしめき合う渋滞が事故の被害を拡大させた要因であったと記憶している。

 しかし、近年数を減らしていた大型事故であった事から、事故の凄惨な現場と悲痛な遺族のコメントをセンセーショナルな見出しで競うように報じていたマスコミの姿の方が印象的ではあったのだが。

 灯里が差し出してきた父幸助の写真に見覚えがある気がするのも、恐らくはそういった報道のたまものだろうと千樹は思った。口には出さなかったが。

 「当り前の日常のはずなのに、どこかぽっかりと穴が開いたようなきがしてならないんです……話さなきゃいけない事とか、話したい事も多分色々あって、それでどんなことでもいいから、父の声を聞きたいんです」

 灯里の言葉に、項垂れながら写真を返そうとした手が止まる。

 「どんなことでもいい、か」

 ちらっと見上げた先にある灯里の潤んだ眼差し。そこに映る苦く顔をしかめた男と目が合った。咎めるように睨むそいつの目から逃れたくて、千樹は顔を逸らす。そのまま目を閉じて暫く考え込むこと数十秒。

 ややあって唸りながら頭を掻き乱し、千樹はやけくそとばかりに叫んだ。

 「……分かった! 依頼は受ける。ただし、その話とこの写真だけじゃ幻灯には使えない。他には写真とか家族旅行の映像とか、何か持ってきてないか?」

 「いえ、私が持ってるのはこの写真だけなんです。ごめんなさい……けど良かった。今日中に会わせてもらえる人が見つかって。紹介してくれたあの人に感謝しなきゃ」

 「……ちょっと待て、今日中? 」

 「ええ、今日中にお願いしますね」

 呆然と聞き返した言葉に返ってきた灯里の声は、追い詰められた鼠を見て笑う醜悪な猫のように思えた。

 「阿呆か! 個人の性格、口癖、判断傾向、生活歴に仕事歴、その他諸々の莫大なデータを集めるだけで丸一日はかかるんだぞ。そこからプログラム組んでアバターと声データ作ってテストしてってやってたら最短でも三日は必要になる。今日中なんて無理に決まってるだろ」

 「そこを何とか! とにかく今日中じゃないと駄目なの、お願いします! 」

 「いや、無理な物は無理だ。大きな事務所ならともかくうちみたいな個人事務所は尚更出来るわけが無い」

 なる程、通りで断られたわけだ。本来ならば依頼から短くても三日程度は要するところをたった一日、寧ろあと半日ちょっとでやれと言われればどこの事務所でも断るだろう。

 他社からの紹介という時点で大分怪しい話だったが、つまるところ、これは不良債権の押し付けだったのだと千樹は理解した。

 千樹も資格を持つプロの幻灯師だ。プロであるならば、自己の実力に嘘をつくべきではない。この依頼はやはり断ろう、もしくは投影までの最短期間を提案しようと口を開こうとした時。


 「どうしても、今日じゃないと駄目なんです。だって本当は、今日帰ってくるはずだった……約束して、ずっと待ってたのに」


 微かに呟かれた声。湿り気を帯びた響きが千樹の声を押しとどめた。

 きっと早く出来るかどうかは意味がない。彼女にとっては今日である事が重要なのだ。千樹にとっては数ある日の一日に過ぎなくても、彼女にとっては父親が二度と帰らぬ日となったままなのだから。

 「……動作テストが出来ないからぶっつけ本番になる。それでもいいな? 」

 気が付くと、千樹の口は勝手にそう話していた。

 その言葉に頷き、胸をなでおろす灯里から顔を逸らせたままで、千樹はひっそりとため息をつく。

 言ってしまったからにはやるしかない。仕事だと割り切って淡々とやりきってやる。千樹は出掛ける用意をすべくソファから立ちあがり、山と積まれたファイルに埋もれる机へと向かった。胸に去来する苦い感情を持て余しながら。

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