第10話
ばきん。
ついに、食器が飛んで来た。
何が悪かったのか。
たまたま、父親の虫の居所が悪かったのだろう。
ただ、入浴の時間が五分長かっただけだ。
だがそれは、目の前の男を激昂させるには充分だったらしい。
アズマは、己の愚かさを悔いた。
もっと自覚するべきだったのだ。
けれど、もう遅い。
「そこに座れェ!!!!」
いつものように、父親はアズマをフローリングの床に正座させた。
そして次の瞬間………アズマの顔を、思い切り蹴飛ばしたのだった。
………………
二度、日を跨いだ。
近づいてきた雨雲は、ついにこの街に到達。
ザアザアと雨を降らし、ゴロゴロと雷を鳴らしていた。
それこそ、台風というレベルでこそない。
だが、視界を埋め尽くす程の豪雨を見て、外出しようとは思えなかった。
………彼女を除いて。
「うう、これじゃ我慢すりゃ良かったかしら、ビール………」
アルコールを求めて豪雨の中をさ迷い、その長い帰路についている、スカーレット・ヘカテリーナ。
傘は挿しているものの、あまりの豪雨で最早意味をなしていない。
時刻は深夜の12時。
真夜中の豪雨の中、彼女が濡れ鼠になって歩いている理由。
それは、手元のビニール袋に入った二本の缶ビール。
そして、彼女の持つ愚かさである。
………………
………その日、スカーレットは夜中まで神沢ロックホールで過ごしていた。
あのスケルトンの行方を探る為だ。
ダンジョンにあまり人が来ないとしても、あれを放置できないと考えたからだ。
が、再エンカウント所か手がかりすら掴めず、適当にスライムを狩るだけに終わった。
ダンジョンを出たスカーレットは、せめて一日の最後ぐらいパーッとやろうと、ビールで晩酌をしようと考え、近くのコンビニに入った。
だが、そこのコンビニはビールが売り切れていた。
諦めて帰ればいいのに、スカーレットはビールを諦めきれなかった。
そして隣のコンビニに行ったが、そこでもビールは売り切れ。
さらに隣を目指したが、売り切れ、さらに隣を………。
そんな事を繰り返し、気がつくと活動拠点である民宿から、ずっと離れた場所に来てしまった。
時刻はもう深夜。
スカーレットは、己のビールに対する執念深さと愚かさを、身をもって悔いる事となった。
………………
日は跨いでしまった。
雨は相変わらずザアザアと降り注ぎ、スカーレットの服をぐっしょりと濡らす。
もはや、ビール所ではない。
「うう………素直に帰ってればよかった………」
後悔しても、もう遅い。
とにかく、今は早く帰ってシャワーを浴びよう。
そう考え、民宿への帰路を急ぐスカーレットだった………が。
「ううー、さぶさぶ………ん?」
たまたま通りかかった橋。
民宿の近くにある、その橋の上に、ぽつんと立つ人影があった。
自分のように濡れ鼠を強いられた人かと、スカーレットは考えた。
だが、こんな時間に出歩いている人にしては、やけに身体が小さい。
そして。
「………アズマくん?」
雨の向こう。
傘も挿さずに佇んでいたのは、他ならぬアズマその人であった。
こんな時間に何を?
何故、ここに?
そんな疑問を浮かべるスカーレット。
その眼前で、アズマが動いた。
………………
もう、終わりにしよう。
もう、意味がないと解ったから。
アズマは考える。
そこに、ポジティブなど欠片もない。
そもそも、自分には持つ資格はないという認識だ。
頭の中で、父親から吐き捨てられた台詞が反復する。
『お前が野垂れ死のうと関係ない、悲しくともなんともない』
『むしろ死ね、お前なんか生まれてこなければよかったんだ』
『今すぐ出ていけ、そして死ね』
『お前なんか、生きていなくていい』
もう、何もかもが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
必死に「普通」になろうと………親の期待に応えようと、今の今までもがいてきた。
だが、それは無駄だった。
そもそも、両親は自分に期待すらしていなかった。
………いや、悪いのは期待を裏切り続けた自分だろう。
自分が「普通」になれなかったから。
どこまで行っても、異端者の陰キャにしかなれなかったから。
だから、見捨てられたのだ。
全て、自分が悪い。
なら、償うしかない。
命を持って。
もっとも、「野垂れ死のうと関係ない、悲しくともなんともない」と言われた人間が死んでも、両親は何とも思わないだろう。
それでも、自ら命を断たなければならない。
それが、今まで親を悲しませてきた自分がつけるべき「ケジメ」なのだ。
もう、未練はない。
自分は、死ぬ事でしか親に償いができない。
そんな考えが、アズマの頭を支配していた。
橋の柵に手をかけて、よじ登る。
人が落ちない為の物だが、越えようと思えば越えられる。
すう、はあ、と、深呼吸をする。
覚悟はできた。
「………生まれてきて、ごめんなさい」
迷惑をかけてきた全てに謝罪し、アズマは宙へと飛び出した。
びゅうう、と、落下と風圧が襲いかかる。
真下には、豪雨で荒れ狂う川。
これなら、死体はバラバラになり、見つかる事はない。
最後の最後で、迷惑をかけずに済んだ。
そう思い、アズマが意識を手放そうとした、次の瞬間。
………がしっ!
落下するアズマの身体を、横からの衝撃が襲った。
それが、横から飛んで来た「彼女」が、落下する直前の自分を受け止めたからという事にはアズマが気づいたのは、向こう岸にどさりと落下した直後だった。
………………
スカーレットの判断は早かった。
アズマが柵を越えた時には、もう身体が動いていた。
瞬時に、Dフォンより炎剣イフリートを展開。
アズマが深呼吸している間に素早く詠唱し、蛇腹剣モードを展開。
傘とビールはその場に捨てた。
気にしている場合ではなかったからだ。
飛び降りたと同時に、イフリートの刃を伸ばし、橋の先に突き刺す。
器物破損に問われるなど考えなかった。
人命がかかっているのだから。
そして巻き取り機能を使い、スカーレットもまた宙に躍り出た。
某巨人の漫画に登場する、ガスとアンカーで立体的な機動を舞う機械と、同じ要領だ。
そして落下するアズマを空中でキャッチ。
二人揃って、向こう岸の土手の下へと転がり込んだ。
「かはっ………はっ………あ、あなた、何やってるの?!」
押し倒したような格好になり、スカーレットが声を荒げる。
身体中が痛いし、雨で寒いが、気にはならない。
「あんな事したら、死んじゃうんだよ?!そんなのダメでしょ!!」
目の前でアズマが、自らの手で命を断とうとした事。
それが、何よりも重要だったからだ。
人として、見過ごすべき状況ではない。
見過ごせる、訳がない。
「あ………」
何が起こったか解らないかのように、唖然としているアズマ。
スカーレットに組伏せられたような体制で、目を見開き、沈黙する。
そして。
「あ………ああ………」
しどろもどろに、声が出る。
最初は、何を言えばいいか解らないようではあったが、次第にはっきりとしてきた。
「………死にたくない………死にたくないよぉぉ………」
嗚咽はやがて、涙となり、大声になった。
雨は、変わらず降り続けた。
アズマの涙と慟哭を、彼を追い詰めた「世間」から、隠すかのように。
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