第3話
自分はなんて愚かなんだ。
少年は、暗い暗い神沢ロックホールの中を必死に走りながら、後悔に苛まれていた。
考えてみれば、当たり前だ。
普段から自分を蔑み、いじめている連中からの誘いだ。
何かあるに決まっている。
それに気づかなかっただけでなく、喜んでしまった自分の愚かさを悔やみながら、少年は走る。
軽いハズの装備は鉛のように重く感じ、足が痛む。
普段からの運動不足を悔やんでも、もう遅い。
「逃げんじゃねえよゴルァ!」
罵声が、悪意が背後から迫ってくる。
捕まれば、もっと酷い目に逢わされる。
逃げなければ。
棒のようになった足に鞭打ち、身体中の傷の痛みを抑えながら、少年は逃げた。
………………
ザンッ、と、振り下ろされた刃がモンスターを切り裂く。
相手にそれを防ぐ術はなく、柔らかい身体を真っ二つにされ、地面に落ちる。
………スライム。
学名・テレストリスプルモー。
和名・メイキュウリククラゲ。
魔力と共にやってきた異世界の生物の一種であり、地球のクラゲに似た性質を持つ。
大抵のダンジョンに生息しており、数は多いが力は弱い、所謂「雑魚モンスター」の代名詞だ。
切り裂かれたスライムが、Dフォンから放たれた光に吸い込まれ、消滅する。
Dフォンには、倒したモンスターを内部に吸収し、魔力を抽出する機能がある。
多くのテイカーは、この魔力をダンジョンの入り口にある機関で売って、日々の収入を稼いでいるのだ。
「よし、いい感じね」
愛用の、宝玉のついた自身の身の丈程ある長剣を手に、スカーレットは以前の勘を取り戻しつつある事を実感する。
今回は、あくまで「慣らし」だ。
その為、動画サイトに投稿する事もないし、装備も不必要と判断した為に普段着のままだ。
「ステイタスっ」
構えられたDフォンがスカーレットの音声を拾い、立体映像の画面を展開する。
そこには、スカーレットの顔写真と名前。
そして「攻撃力」「防御力」といった、まるでゲームのステータス画面のような物が映し出されている。
これは、現在のスカーレットの状態と戦闘能力を解析し、解りやすく表したパラメーターだ。
攻撃力は、物理的な攻撃の強さ。
防御力は、相手からの攻撃に対する耐性。
スピードは、移動速度や反射神経の速さ。
魔力は、魔法の効力。
特攻は、特殊な攻撃の威力。
身体の持つ耐久力を示すHP。
これが0になる事は、死を意味する。
体内に蓄積した魔力を意味するMP。
これがある限り魔法が使える。
これらをもって、テイカーの状態を分かりやすく数値化している。
「レベルは変動なし………ま、当然よね」
レベルについても、ついでなので話しておこう。
知っての通り、運動を重ねれば身体能力は向上する。
勉強をすれば、頭もよくなる。
レベルというのは、そんな成長を段階ごとに表した物だ。
例えば、 日本基準での「普通の人生」を送った場合、人が一生かけて上がるレベルの平均は10。
軍人なら、15前後とされている。
ちなみに、スカーレットの現在のスペックは以下の通り。
名前:スカーレット・ヘカテリーナ
レベル:50
HP:450
MP:250
攻撃力:250
防御力:250
スピード:300
魔力:280
特攻:300
ちなみに、今はテイカーとしての装備もしていない状態であり、
レベル50というのは、単純換算すると一個師団並みの戦力という事になる。
昔のアメコミに登場する超人、あれが現実に居るような物だ。
「さーて!もう少し稼いだら帰りますか」
勘も取り戻したし、本格的な活動再開は明日からにしよう。
そう思い、スカーレットがDフォンに内蔵された、ダンジョン外に出る転送装置を起動しようとした、その時。
………ボウウッ………
聞こえた。
僅かであるが、火炎放射機を噴射するような音が。
スカーレットは、その音の正体を知っていた。
今まで何度も聞いた、炎属性魔法の初歩「ファイア」を使う時の音だ。
「私以外にも居るのかしら………?」
名簿をよく見ていなかったが、自分以外にもテイカーがいるようだ。
そう思うと、先ほどまで帰ろうとしていたスカーレットであったが、気が変わった。
どれ、日本のテイカーの腕前でも見てみよう。
ボウボウと音の響く方向へ向け、スカーレットは歩いて行った。
………………
追い詰められた。
見よう見まねで覚えた防御魔法で身を守り、見よう見まねで覚えた回復魔法で傷を治しながら逃げ続けたが、とうとう終わりが来た。
連中がそれを最初から考えていたかどうかは解らなかったが、少年の背後は断崖絶壁の崖っぷち。
飛行魔法の類いが使えず、飛び降りるだけの度胸も、
「逃げてんじゃねえぞクズ野郎!!」
そこに雪崩れ込んでくる、恐るべき追っ手達。
少年のように、衣服の上から簡素なプロテクターを纏った、テイカー基準で見ると取るに足らない奴等。
けれども、これといった攻撃手段を持たない少年からすると、十分な驚異だ。
「う………う………!」
恐怖で頭がぐしゃぐしゃになり、神経を集中して魔法を展開できない。
この日の為に、ゲームの為に貯めたお小遣いの大半を叩いて買ったのに、だ。
「………んだよその態度、俺達が悪者って言いたいのか?」
「被害者面してんじゃねえぞ!どこまでもクズだなお前は!」
痛みに震え、恐怖に怯える少年だが、その態度は彼等の怒りを煽る結果に繋がった。
だが………たしかに、彼等の言うとおりだ。
少年は、痛みに震えながらも、うっすらとそう考えていた。
目の前の連中は、スポーツも出来て友達もいる、社会的に正しいとされる、模範的な存在。
対する自分はどうか。
勉強はそこそこできるが、根暗で内気な、社会的に間違った人間。
自分は、存在そのものが悪なのだ。
そう思うと、ここまで痛め付けられるのも、仕方ないと言える。
「こっから落ちて死ね!今すぐに!」
今から、殺される事も。
連中の内の一人が、手にしたライフル型の装備を構え、少年に向けて引き金を引く。
ダンッ!と、魔力で形成された弾丸が吐き出される。
プロテクターのお陰で致命傷にこそならないが、当たれば落下は避けられない。
回避するだけの時間も体力もない。
もうだめだ。
「(………まあ、しょうがないよね)」
少年は、死を受け入れた。
それまでの人生に、疲れていたというのもあるかも知れない。
それに、暗くジメジメした所で、スライムに死体を食われて朽ちてゆく事が、自分にお似合いだと考えたからだ。
この場に、少年の味方はいない。
少年自身を含めて、全てが少年の死を望んでいた。
………バキンッ!
だが、異変が起きた。
少年に向かい飛来した魔力弾が、横から飛んできたより強力な火球………火属性魔法によって、かき消されたのだ。
「あなた達何してるの!」
驚く少年と、追っ手達。
そこに、怒った様子の女性の声が飛んできた。
この場に少年の味方は居ないといったが、訂正しよう。
少年の味方は、ただ一人いた。
剣を背負い、こちらに向かい走ってくる、赤い髪の女テイカーが。
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