⑷水掛け論

 使えもしない竹刀を持たされて、一方的にボコボコにされて、自分は一体何をしているんだろう。


 侑に会いたい。パーティーの準備をしなくちゃ。

 怪我の具合はどうだろう。すぐに無茶をするから、心配だ。


 朱鳥無心流の道場に連行されて、ボロ雑巾みたいになりながら、湊は海の向こうの弟や侑に想いを馳せた。無事だろうか。怪我や病気はしていないだろうか。

 そんな現実逃避を、桜丘がばっさりと斬り捨てる。




「お前はどうしてそんなに弱いんだ?」




 心底不思議そうに言われて、流石に腹が立った。

 本人は善意で稽古を付けているつもりなのか、道を踏み外した子供を矯正しているつもりなんだか知らないが、余計なお世話だった。




「俺は、暴力が大嫌いだ」

「お前がやったことも、暴力だ」

「一緒にするな」




 俺は戦意の無い相手を甚振ったり、無意味に傷付けたりしない。湊は床に突っ伏したまま、桜丘を睨んだ。竹刀を肩に担いで、偉そうに踏ん反り返る様が気に入らない。何も知らない癖に、正論を押し付けて来る大人も嫌いだ。


 怒りが顳顬を震わせる。それが爆発すると思った時、湊は何処かに隠れたくなった。いつもそうだ。俺は怒るのが怖い。頭が真っ赤になって、自分が何をしでかしてしまうのか分からないからだ。


 桜丘がもう一戦と言ったタイミングで、霖雨くんが駆け付けて、湊は救出された。




「お前、本当に逮捕されるからな」




 去り際、霖雨くんが桜丘に言った。

 けれど、桜丘は微塵も反省していないみたいにそっぽを向いている。その代わり、また明日も来いなんて悪魔みたいなことを言った。絶対に嫌だ。


 霖雨くんの車に乗るのは二度目だ。

 今日は手当てをする時間が無かったので、掌から血が流れていた。車のシートを汚さないようにポケットに手を突っ込む。


 桜丘驟雨は、自分を更生させたいらしい。

 誤った道を進んでいる自分を引き戻そうとしている。


 理由は分からなくもないが、遣り方には共感出来ない。其処等の不良少年なら立ち直れるかも知れないけれど、俺は世の中に諦念していじけている訳じゃない。自分で覚悟を持って道を選んだ。例え、望んだ道でなかったとしても。


 手当てをすると言って、霖雨くんは勤務先の法律事務所に連れて来てくれた。都心の外れ、雑居ビルの二階。事務所には何人もの弁護士が六法全書や判例集を片手に電話したり、パソコンと向き合ったりしている。みんな忙しそうだった。


 霖雨くんは、なんと所長だった。

 弁護士バッチを見せてもらって、何故だか感動した。思わず拍手をすると、霖雨くんが照れ臭そうに笑った。




「普通の子に見えるんだけどな……」




 霖雨くんが呟いた。

 救急箱を渡されて、自分で手当てをした。新しい傷は腕の青痣と、手の甲の裂傷。下半身への怪我が少ないのは、桜丘が手加減したからか、自分の技量が上がったからか。


 湿布を貼っていると、霖雨くんはメモ帳を開いた。

 予想はしていた。証言が欲しいんだろう。しらばっくれるよりも正直に話した方が、霖雨くんの心証は得られそうだと思った。




「刑事裁判の鉄則は話したよな?」

「疑わしきは、被告人の利益に」

「そう。十の真犯人を罰するより、無辜の一人を罰してはならない」




 冤罪のことだ。

 裁判は難しい。警察の捜査は罪を立証するが、裁判所は罪を決める。無罪の被告人が無実を証明出来ず、冤罪であるのに刑罰を受けて人生が狂わされることがある。


 無罪を訴えるのは、悪魔の証明だ。

 検察は組織で証拠を捏造出来る。弁護士は、己の良心と法律を武器に立ち向かう。とても立派な仕事だ。


 この後に及んで、知らぬ存ぜぬでは通せないだろう。

 湊は頬の湿布を貼り替えて、霖雨くんに向き直った。












 9.夜空に光る

 ⑷水掛け論












「お前が、エンジェル・リードなんだな?」

「そうだ」




 湊は肯定した。此処で話すことが今後の裁判に響いて来る。言葉は慎重に、偽る必要が無ければ真実を、話したくないことには沈黙を。安易な発言は利用され、陪審員の心証を悪くする。




「お前、なんで被害者側に加担する?」

「被害者のお父さんに頼まれたんだ。イジメの実態調査で、実際にあのクラスに編入した。勿論、偽名だけど」

「正式文書に偽名を使うのは、書類偽装って犯罪だからな」

「本件とは関係ありません」




 湊は言った。

 裁判所でもきっと、そう言われるだろう。




「イジメのあったクラスに編入して、調査をした。そうしたら、今度は俺がターゲットになった」

「具体的には、何を?」

「無視されたり、持ち物を隠されたり、大声で悪口を言われたりした。俺の教科書が破かれて、机が荒らされていても、誰も助けてはくれなかったよ」

「……」




 霖雨くんのメモを取る手が止まった。

 今回の裁判の争点は、イジメがあったかどうかだ。被害者は自殺しているし、家庭では親が全てを支配していた。自殺の原因がイジメなのか、親の教育なのか。明瞭学園の用務員である柳瀬は、イジメがあったことを認めているが、証言だけでは足りない。遺書が残されていない以上、証拠で決めるしかない。




「お前はSNSで子供達に社会的制裁をした」

「そうだったかな? 俺じゃないかもね」




 湊は肩を竦めて笑った。

 正式文書に記録を残されるのは困る。

 湊がメモを見遣ると、霖雨くんは肩を落とした。




「この証言は裁判では使わない。誓約書を書いても良い。本件とは別の話だからな」

「じゃあ、誓約書を書いてね」




 湊は携帯電話を見せた。録音は間に合っただろうか。

 霖雨くんは嫌そうな顔をしたが、チラシの裏に誓約書を書いてくれた。湊は受け取った書類を確認してから、丁寧に畳んだ。




「これは俺が個人的に訊きたいんだが、あの情報拡散はどうしてやったんだ?」




 湊は霖雨くんを見遣った。

 効くかは分からないが、一先ず泣き落とし作戦も試してみる。湊は俯いて、顔を覆った。




「あいつ等が俺のことをいじめるから……」

「明らかにやり過ぎなんだが?」

「やり過ぎなきゃ、報復とは言えないよね」

「故意にやった、と……」




 霖雨くんがメモを取る。

 誓約書を失くす訳にはいかないな、と湊はポケットの上から撫でた。泣き落としは効きそうにない。湊は舌を打った。

 霖雨くんが苦い顔をする。




「やったらやり返されるのが世の常だぞ」

「それは中途半端な仕返しをするからさ」

「反省の色無し、と……」




 霖雨くんが目の前で書き込んだ。

 何を言っても不利益になりそうだ。誓約書も取ったことだし、湊は開き直ることに決めた。




「あれは共同不法行為に当たる。賠償請求が出来るんだ。裁判で被告人が負ければ、あいつ等はイジメを行った加害者として罪を償うことになる」

「教師は兎も角、生徒は16そこらの子供だ。更生の余地がある」

「無いよ。そういう証拠を集めたからね」




 提出した証拠は一切手を加えていない。全部、事実だ。

 霖雨くんは苦い顔をした。




「お前を出廷させた方が早そうだな……」

「そうしたら、スピード判決で霖雨くんが負けるよ」




 湊は言った。




「俺は霖雨くんのことが好きだから、応援したい気持ちはある。だけど、今回の件については手を貸せない。被害者が死んでいて、罪を犯した人間が反省もせずに許されるなんて前例は絶対に作っちゃいけない」

「……そりゃそうかも知れないが、今回の件は世論の関心を集めてる。イジメ問題の解決に繋がる可能性もあるが、社会全体が疑心暗鬼になっちまうよ」

「別に良いんじゃない? 最小の不幸をみんなで背負えば良いさ。誰か一人を生贄にするよりずっとマシだ」

「大勢が救われる為に、あの生徒達が生贄になるのか? それじゃあ、お前のやってることはあいつ等と同じだろ。お前のやったことを許したら、後に続く馬鹿が現れる」




 湊は眉を寄せた。

 どうして自分が責められているのか、分からなくなってしまった。イジメ裁判だって、他人事だ。俺達は依頼を受けて調査し、事実を伝えただけだ。これ以上、積極的に介入するつもりは無い。


 霖雨くんは身を乗り出して、真剣な顔をした。




「どうして民事ではなく、刑事裁判にした? 民事で示談にすれば、傷は浅く済む。加害者は社会的制裁を受けた。これ以上は死体蹴りと同じだ」

「それを選んだのは、ご両親だ」

「だが、それを止めることも出来た筈だ」

「出来たか如何かは分からないし、止めたとして、あいつ等が釈放されることに何の意味があるの?」




 霖雨くんは加害者の弁護人だ。刑事告訴された未成年の子供の更生の可能性を信じているし、未来を守ろうとしている。

 人の善性を信じるのは、素晴らしいことだ。生命は尊い。だけど、だったらどうしてそれを被害者にも適用してくれないのか。


 エンジェル・リードの証拠はイジメが存在した事実を証明しているのに、加害者は事実そのものを否定している。挙句に自殺未遂なんて下らないパフォーマンスで同情を集めて、反吐が出る。


 正論も綺麗事も結構なことだ。けれど、更生するには反省しなければならないし、反省するには罰が必要だ。

 湊は他人の嘘が分かる。自分のやったことの責任も取らず、他人に罪を擦り付けて、あいつ等は反省なんかしていない。


 湊は、自殺未遂を図った子供の遺書も読んだ。

 被害者に謝罪したい、反省しているなんて文章は何処にも無かった。あったのは、もう堪えられない、なんて馬鹿げた愚痴だけだ。




「霖雨くんはさ、被害者が何をされたのか分かってるの?」




 湊が両手を組むと、霖雨くんが身を引いた。




「あいつ等が撮影した動画を見た? 遺体は? 被害者の両手首は紐で縛られて出血して、ずっと両親に助けを求めてた。けれど、あいつ等はそれを面白がって、裸の被害者を犬みたいに紐で繋いで、サンドバッグみたいに暴行して、撮影し続けた。それを脅迫材料にして半年間、毎日続けたんだ」

「……」

「俺は犯行が行われた体育倉庫も見たよ。埃臭い閉鎖空間で、複数人で囲んで、あいつ等は罵倒し尽くした。被害者は言い返すことも許されず、唇を噛み締めて堪え続けたんだ。子供の遊びじゃ済まない。被害者が自殺しても、あいつ等は笑ってた」




 笑ってたんだよ、霖雨くん。

 誰も被害者を悼まなかった。反省しなかった。自分が裁かれる番になったら、被害者面して逃げようとしている。


 湊は調査の為に学校へ潜入したし、その時は侑や翔太という味方がいた。でも、被害者はそうじゃなかった。逃げ場も、味方もいなかった。

 加害者の更生や未来の為に、被害者の苦しみが無かったことにされるなんておかしな話だ。




「人間の尊厳を踏み躙る最低最悪の行いだ。それなのに、あいつ等は社会が守ってくれると思って、反省もしなかった。……法が裁けないのなら、俺は報復殺人も支持する。どっちがマシな未来なんだよ、霖雨くん」




 霖雨くんは黙っていた。

 湊は、両親を死なせた爆弾魔を捕まえて、司法の場に突き出した。それは、司法を信じていたからだ。もしも、司法が腐り切って罪も裁けないお飾りだったのなら、自分は家族を守る為に刃を握ったと思う。


 今回のイジメ裁判では、遺族は刑事罰を求めている。

 其処には、金銭では解決出来ない程の深い悲しみと憎悪がある。




「学校も教師も、被害者を守ってはくれなかった。親の責任を追及するなら、それでも良いさ。だけど、あいつ等に刑事罰を求めるのは正当な要求だ」




 両親が支配的で、娘の自室に鍵を掛けて閉じ込めるような教育方針だったとしても、それは今回のこととは別の話だ。イジメは実際にあったのだ。裁かれるべき罪がある。


 霖雨くんは静かだった。




「この裁判で、どのくらいの人が影響を受けると思ってんだ。冤罪の可能性は? 罪の比重は?」




 霖雨くんは諭すように問い掛ける。




「奴等は許されないことをした。人として卑劣な行いだ。被害者には心底同情する。……だけど、人は更生出来る。そうでなければ、法とはただの罰だ。子供達の未来を奪って何になる」




 霖雨くんの黒々とした瞳が、灯火のように揺れる。それは受容しているようにも、諦めているようにも見えた。




「いたちごっこなんだよ、湊」

「どちらが勝つかは社会が決める。俺が口を出すところじゃない」

「勝敗が全てじゃない」

「それなら、そっちが潔く敗北を認めろ」




 被害者も加害者も、湊にとっては他人だ。

 だけど、絶対に譲るつもりは無かった。自分が此処で折れたら、エンジェル・リードはマスコミの餌になって、食い荒らされてしまう。


 それは、駄目なんだ。

 エンジェル・リードは、俺の夢なんだ。


 霖雨くんが口を開き掛けた時、携帯電話が鳴った。それは殆ど同時に、湊のポケットからも鳴り響いた。互いに顔を見合わせて、席を立つ。


 携帯電話のディスプレイには、侑からの着信が通知されていた。

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