⑷与太話

 銃声が鳴り響き、弾丸は金属音を伴って乱れ跳ぶ。硝子の割れる音が叫声の如く響き渡り、光の粒子が時雨のように降り注いだ。


 硝子の破片が頬を掠める。

 立花は壁に身を隠し、階上の天神侑を窺った。しかし、既に其処には誰もいない。踊り場の硝子が割れて、木枯しが厳しく吹き抜ける。


 足音は無い。気配も無い。――だが、凍り付くような殺気が足元から冷気の如く立ち昇る。

 天神侑は理性的な男である。激怒と憎悪に染まりながらも、狂気に支配されることは無い。故に、彼は論理的な行動を起こす。


 ターゲットの姿が無かった。

 立花が到着する前に何処かへ隠したのだろう。ならば、此処で自分と殺し合うよりも、ターゲットの安否を気に掛ける。


 立花が階段へ足を踏み出した、その瞬間。

 階段の手摺りを乗り越えて、天神侑が頭の上から降って来た。その手には鈍色の刃が握られ、鉄槌のように振り下ろされる。立花は紙一重で躱し、後方へ後退った。


 小さなイレギュラーだった。

 ターゲットも置き去りに、殺し合いを選んだのか。

 立花としては、どちらでも構わなかった。この男が立ち塞がるのならば、それを打ち倒して行くだけのことだ。




「……湊がよォ、言ってたんだ」




 ナイフをぶら下げた天神侑は、まるで影のようにゆらりと立っていた。無防備、隙だらけ。だが、迸る殺気は空気を歪める程に凄まじい。




「連絡が無い時は、死んだと思えってな」




 知っている。

 そういう覚悟の仕方しか知らない馬鹿なガキだった。

 だから、利用される。


 予備動作も無く、天神侑が一瞬で距離を詰める。鋭い刺突を弾倉で受け止め、立花は腹を狙って踵を捻じ込んだ。手応えは無い。忍者のように天神侑が躱し、首筋を狙って刃を滑らせて来る。


 こんな化物と肉弾戦をする程、愚直ではない。

 立花はスーツの袖から閃光弾を落とした。途端、回廊が凶暴な光に包み込まれる。天神侑が一瞬動きを止める。立花は右目に装着していた眼帯を外し、引き金を絞った。


 天神侑の網膜は焼かれて、眼球は強烈な痛みを伴う。動けない。立花の銃弾は頭蓋骨を貫き、それで全て終わる筈だった。だが、ナイフが銃弾を弾く高音が響いた。


 視力を失くし、激痛に襲われ、至近距離から撃たれて、それでも倒れない。天神侑は正真正銘の化物である。だが、身体能力だけで生き残れる程、甘い世界ではない。


 天神侑は両目を閉じていた。警戒が木の根のように周囲へ張り巡らされているのが見える。まるで、手負いの獣である。立花は銃口を向けたまま、突き付けるように言った。




「テメェがやってんのは、ただの自己満足で、救えねぇ代替行為だよ。ガキのお遊びに付き合って、一緒に地獄行きで満足か?」




 何処まで行っても過去からは逃れられないし、血塗れの手では何も救えはしない。


 天神侑はナイフを握ったまま、荒い呼吸を繰り返していた。心臓を撃ち抜かれても、首だけになっても、此方の喉笛を喰い千切って来る。そんな獰猛な殺気が漂っていた。




「テメェとは一生分かり合えねぇわ」




 天神侑が吐き捨てた。




「……一応、確認なんだが」




 空咳を漏らして、天神侑が言った。




「俺達は利用されたって認識で、あってるか?」

「そいつは時間稼ぎか? それとも、命乞いか?」

「確認だって言ってんだろ。俺は此処で決着付けても構わねぇが、間違いだった時、あいつが困る」




 立花は呆れてしまった。

 甘い。甘過ぎる。国家公認の殺し屋と呼ばれた化物が、銃口を突き付けられながら誰かを気遣うのか。


 答える必要は無かった。意味も、義理も無い。

 立花は黙って指先に力を入れた。引き金を引く。そして、天神侑の頭蓋骨に穴が空いて脳漿が飛び散って、終わる――筈だった。


 天神侑の懐から、まるで虫の羽搏きにも似た微かな音がした。バイブレーション。その瞬間、視力を失くした天神侑の口角が釣り上がった。


 

 肩を外して縛り付けるだけでは、生温かったらしい。


 その瞬間、天神侑が後方へと走り出した。

 立花は脊髄反射で発砲した。銃弾は脇腹と大腿部を貫いたが、天神侑は立ち止まらず、階段を駆け上がった。立花が追い掛ける。だが、先程の奇襲が脳裏に焼き付き、足が鈍った。


 階上に辿り着いた時には既に天神侑の姿は無く、廊下に血痕が僅かに残るばかりだった。













 6.毒と薬

 ⑷与太話よたばなし












 懐で携帯電話が震えた。

 立花がそれに応えると、スピーカーの向こうから澄んだボーイソプラノが聞こえた。




『蓮治に話がある』




 立花は携帯電話を耳に押し当てながら、床の血痕を辿った。

 奇襲を掛ける程の気力も無かったか、作戦があるか。しかし、湊と連絡が取れる以上、自殺行為はしないだろう。


 研究所の二階は、事務机の並ぶオフィスだった。開いたままのパソコンに床に散らばった書類。開け放たれた窓にブラインドカーテンが揺れる。


 辺りに人の気配は無い。

 床の血痕はオフィスを通過して、奥の研究室へと向かっている。では、ターゲットも其処に身を潜めているのだろう。今なら翔太でもとどめを刺せそうだ。




「俺は無ェよ」

『お願いだ。聞いてくれ』




 電話口で湊が必死に訴え掛ける。

 立花は溜息を吐いた。




「お前の飼い犬が失血死しても良いなら、訊いてやるよ」

『蓮治に銃殺されるよりマシだ』




 どちらも大差無いと思うが。

 と言うか、お前はどうやって脱出したんだ?


 立花は話の先を促した。湊の話を聞いて仕事を切り上げるなんてことは絶対に有り得ないが、懸念があった。


 エンジェル・リードがこんなに一方的にやられるのか?

 湊はどうしてこんなに容易く利用された?

 天神侑は何故、決着を付けに来ない?


 僅かな違和感、疑念。

 そういえば、翔太は何処に行った?


 スピーカーの向こうで、湊は呼吸を整えるみたいに深く息を吸い込んだ。




『エンジェル・リードは、エトワスノイエスに出資している。それはね、其処がBlancブランの製造工場だからなんだ』

「はあ?」

『薬のデータを其処に預けて、製造を委託してるんだよ』




 翔太の声が脳裏を掠めた。

 天神侑がお使いに行っている。

 まさか、このことか?




『研究データを管理しているのは、吾妻光莉あづま ひかりという研究者だ。彼女一人しか知らない』




 立花は足を止めた。

 つまり、ターゲットは、この国で唯一Blancブランを作ることが出来る研究者だった。そして、その薬は立花や天神侑にも処方されている。




「……お前、検体を流してるらしいじゃねぇか。何のことだ?」

『それは、翔太の血だよ』




 頭の奥がずきりと痛む。

 出資に検体。――ああ、なるほど。

 立花は溜息を吐いた。


 件のBlancブランと言う有難い薬は、実は神谷翔太の血を使って作られている。立花や天神侑が人体実験を受けて脳に時限爆弾を仕込まれたように、神谷翔太も同様の実験を受けていたのだ。

 だが、神谷翔太には症状が現れなかった。耐性を持っていたのだ。だから、湊は翔太の血を使って薬を開発した。


 散らばっていた点が糸で繋がった。

 だから、翔太の見学を受け入れて、自分を疑いもしなかったのか。




『蓮治や侑のような被害者が、この国にはまだ沢山いるんだ。経済的な理由や体質の為に治療を受けられていない人もいる。製造が遅れたら、全員手遅れになる』

「……」

『犠牲者が増えるぞ、蓮治。アンタはまたあの悪夢が見たいのか』




 立花は深く息を吸った。

 頭の奥にこびり付く湊の泣き声、天神侑の怒声。血塗れで死んだ天神新。脳を破壊され、操り人形になった憐れな男。

 そんなものは、もう二度と御免だ。――だが。




「お前の撒いた種だろうが。他人に尻拭いさせて、何を偉そうに言ってんだ?」

『……』

「聖者だろうが悪人だろうが、死ねばみんな同じだ。俺は仕事に私情は挟まねぇ」




 この世の科学者は、吾妻光莉だけじゃない。

 そいつが死んだら、他を探せば良い。どうせ命は代替される。誰かが死ねば補われる。ただ、それだけのこと。




『依頼人は誰なんだ、蓮治。何処の誰が、何の為に吾妻さんを狙う。敵は一体何者だ』

「お前に教えることは何もねぇな」

『蓮治!』




 立花は通話を叩き切った。

 折り返しが来ると面倒なので、そのまま電源を切る。携帯電話をポケットに押し込み、立花は暫し逡巡した。


 吾妻光莉は、不治の病と呼ばれる先天性疾患の特効薬を開発していると聞いた。依頼人は、そのデータを手放さないのならば、殺せと。

 大学時代は薬物依存について研究していた。留学先は欧州で、湊の父親との接点もある。湊がBlancブランの製造を頼む理由は納得出来る。


 奇妙な食い違いが生じている。

 それは、何故だ。




「まあ、良いさ」




 立花は一人呟いて、歩き出した。

 依頼人の思惑もエンジェル・リードの行動も、自分には関係が無い。邪魔をするなら始末する。それだけだ。


 床には血の痕が続いている。相手は手負いで、荷物を抱えている。逃す道理は無い。一番面倒なのは、警察が押し寄せて来ることだ。


 オフィスフロアを抜けると、硝子張りの扉が見えた。関係者以外の立ち入りを禁じる書き付けがあった。血痕はその先に続いている。


 建物の構造を考えると袋の鼠である。何故、この場所に逃げ込んだのだろう。考える余裕も無かったのだろうか。それとも、何か理由が?


 剣の腹を渡るような緊張感が心地良かった。

 扉の取手には血が付いている。押し開けると薬臭い冷風が頬を撫でた。窓の無い白い回廊に点々と血液が落ちる。分かり易い罠だが――……。


 その時だった。

 建物そのものが震えるような大音量のサイレンが鳴り響いた。天井の空調から白い煙が噴き出して、足元に蟠って行く。


 火災だと、冷静に思った。

 原因を精査する必要は無かった。やるべきことの優先順位は変わらない。立花は装弾数を確認し、壁に背を預けた。


 サイレンの音が鼓膜を揺らし、回廊が煙に包まれる。

 かつん、と。リノリウムの床に足音が響く。立花は銃を構えた。




「好い加減、撤退しろよ! しつけぇよ!」




 姿は見えないが、天神侑の声だった。

 立花は笑った。




「じゃあ、さっさと決着付けようぜ」




 白い床に赤い血の筋が出来ていた。

 止血する余裕も無かったのかと思うと、腹の底から笑ってやりたかった。




「湊から話聞いてんだろ?!」

「どうだったかな」




 立花は笑った。

 空調から噴き出した煙が濃霧のように辺りを包む。

 薬品と血の臭いが漂っている。それから――……。




「……?」




 立花は咄嗟に口元を覆った。

 手足の末端に奇妙な痺れがあった。視界が揺れるような目眩と、鳩尾を押し込まれているような吐気が込み上げる。


 何だ?

 何かの薬品か? それとも、酸欠?

 嫌な予感が全身を駆け巡る。立花は廊下を駆け抜け、声の元へ躍り出た。


 濃厚な血の臭いがした。

 足元に血溜まりが広がっている。

 血塗れの天神侑が、力無く壁に寄り掛かって座っていた。

 両目は開いていない。出血箇所は大腿部と脇腹で、止血はされておらず、死人のような酷い顔色だった。


 立花は銃口を向けた。天神侑は既に虫の息だった。




「惨めだな」

「……うるせぇよ」




 言い返す気力があったことに驚いた。

 僅かに瞼が押し開けられ、エメラルドの瞳が覗く。焦点は合わなかった。銃を持つ所か、立ち上がる体力すら残されていない。むしろ、これだけ出血しながらよく動いた。


 立花は銃口を向けた。




「じゃあな、ペリドット。あの世で会おうぜ」




 乾いた銃声が回廊に木霊した。

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