⑽変毒為薬
「Who killed Cock Robin?」
明瞭学園の校舎を見上げていると、湊と侑が声を揃えて歌っていた。今頃、あの教室はどうなっているだろう。彼等は泣いたか、憤ったか、それとも保身の為の言い訳を並べているか。
「報酬は、振り込みよりも手渡しの方が良いよね?」
フルフェイスのヘルメットを抱えて、湊がにこやかに言った。先程までの剣幕は微塵も無く、笑っていると天使みたいだった。
翔太は肩を落とした。
「いらねぇよ。俺は大したことしてねぇし」
「それはダメだ。君とは対等な友達でいたいんだ」
「分かった分かった」
翔太は降参を示すように手を上げた。
今回の件に報酬はいらないと思っていたが、貰えるなら貰っておこう。翔太は腰に手を当てて溜息を吐いた。バイクに跨った侑がキーを回し、エンジンを温めるみたいにアクセルを吹かす。
湊と侑。
改めて見ると、変な二人組だ。
生きて来た世界は全然違うのに、同じものを見ている。
エンジンの拍動の中、湊は機嫌良さそうにあの歌を口ずさんでいた。
「All the birds of the air fell a-sighing and a-sobbing, When they heard the bell toll for poor Cock Robin...」
クックロビン。
しつこいくらいに韻を踏んだ、レトロなメロディだった。
湊が後部座席で体を揺らすので、侑が「うるせぇ」と悪態吐いた。
「あの子が死んだのは、イジメのせいだったのか?」
何となく、翔太は訊ねた。
事実、イジメはあったのだろう。その少女には逃げ場が無かったし、助けを求める相手もいなかった。だから、両親に謝罪だけを残して死んだ。可哀想な女の子だった。
湊は歌を止めて、明るく言った。
「分かんない」
「分かんない?」
「だって、死んじゃったんだもん。分からないよ。遺書にも残されてない」
なんだか、とても恐ろしいことを聞いている気がする。
翔太は辺りを見渡して、人気が無いことを確認した。
「じゃあ、イジメが原因じゃなかったかも知れないのか?」
「さあ?」
湊は首を捻った。
無責任過ぎないか?
翔太が追及しようとすると、湊は平然と言った。
「事実として、あのクラスにはイジメがあって、愛梨さんは誰にも助けを求めることが出来なかった。他のことは分からない。解釈するしかないんだ。人が死ぬってそういうことだよ」
湊は死後の世界を信じていない。残された人間が解釈するしかない。それは湊の中にあるイデオロギーの一つだった。
「自殺の原因は特定が難しい。被害者が死んでるから、証言は全て憶測だ。依頼人は、イジメが原因って証拠が欲しかったんだ。俺はそれに応えただけ」
……ああ、本当に他人事だったんだ。
翔太は今更ながら理解した。
湊と侑は、依頼に応えただけのこと。探偵のように真実を求めていた訳でもなければ、ヒーローのように悪を正そうとしたのでもない。
侑はクラッチの具合を確かめ、ヘルメットのシールドを上げた。エメラルドの瞳は春の新緑のように輝いている。
「お前、依頼人の家を見たか? 違和感は無かったか?」
「違和感?」
「本当に何も気付かなかったのかよ」
侑は、まるで信じられないものを見るみたいに目を丸めた。悪意は全く感じられないが、見下されているのは分かる。侑に説明してもらうのは癪だったので、後部座席の湊を見遣った。
「娘さんの部屋の扉、鍵が外側に付いてたんだよねぇ」
湊は困ったみたいに肩を竦めた。
どうして、部屋の外側に鍵が付いているのか。それじゃあ、部屋から出られないじゃないか。
「部屋の窓には格子が付いてた。あれはまるで、牢屋だ」
「牢屋……」
そういえば、最初にそんな話を聞いた。
近所の人からの証言だった。柊木愛梨の両親は教育熱心で、支配的な親だったと。
娘を、部屋の中に閉じ込めていた?
ぞくりと、鳥肌が立った。
柊木愛梨は逃げ場が無かった。――学校にも、家にも。
「……誰があの子を殺したんだ」
深淵を覗き込んだような心地だった。
言葉尻が震えた。真実は分からない。解釈するしかない。残されたのは、事実だけ。
「それはね、翔太」
湊は優しく、語り聞かせるように言った。
「あの子自身だよ」
あの子自身が殺したんだ。
湊は囁くように、言った。
翔太は言葉が出て来なかった。クラスメイトと教師は、司法によって裁かれる。では、娘を閉じ込めていた親はどうなる。本当の邪悪は、誰だったんだ。
湊は困ったみたいに眉を寄せて笑った。
「翔太の真面目さは良い所だけど、手の抜き方も覚えた方が良いよ。もっと適当に生きろ、翔太!」
「お前は頭がおかしいわ」
「君が真面目過ぎるんだよ。適当に生きる! 言ってみて」
「適当に生きる」
「もっと腹に力を入れて!」
「……もういいや」
二週間分の疲れが背中にどっと伸し掛かる。その場に座り込みそうになる程の脱力感に襲われて、翔太はそれ以上、苦言を呈すことも出来なかった。
「Catch you later!」
侑がヘルメットのシールドを下げると、湊が手を振った。
バイクは唸りを上げて、流星のように一気に走り出した。明らかなスピード違反である。閑静な街に轟く排気音を聞きながら、翔太は歩き出した。
5.誰が駒鳥殺したの
⑽
翔太の住居は、繁華街から十五分程歩いた住宅地にあった。それは丁度、エンジェル・リードの事務所とは繁華街を挟んだ点対称の場所に位置している。路地が入り組んでいるので歩いて行くには少し面倒だが、それ程、離れていない場所にあった。
事務所は三階建てのビルの二階部分にあり、一階はテナントで、三階は翔太や立花の居住区である。屋上部分は洗濯場にしており、外には立花の愛車のBMWが停まっている。
駐車場の隙間に押し込むみたいにして、アメリカンバイクが停まっていた。湊と侑が来ているらしい。
薄暗い階段を上って、事務所の扉を押し開ける。その時、まるで眉間に銃口を突き付けられているかのような殺気に襲われた。
部屋の中は一触即発の緊張感に包まれていた。
応接用のテーブルを挟み、立花と侑が睨み合っていた。ソファでは湊が暢気にお茶を飲んでいる。緊張感の落差に頭が如何にかなりそうだった。
立花と侑は、仲が悪い。同い年で同じ仕事をしている筈なのに、水と油みたいに相入れないのだ。これまでも何度か殺し合いをしているし、睨み合いで済んでいるのは奇跡なのかも知れない。
「おい、湊」
地獄の底から響いたような低い声で、立花が呼んだ。
金色の眼光は針のように鋭い。立花は、蛇蝎の如く湊を睨んだ。
「誰もがお前みたいに、いかれてる訳じゃねぇぞ!」
「失礼だな!」
湊が頬を膨らませて怒った。
けれど、立花は眉を顰めて厳しく言った。
「お前はいかれてるから何も気にしねぇのかも知れねぇが、うちの番犬はそうじゃねぇ」
その言葉で初めて、翔太は自分の話なのだと気付いた。
立花はそのまま侑を睨むと、唾を吐き捨てるみたいに言った。
「テメェもちゃんと見張っとけ!」
「首輪付けてりゃ飼い主って言えんのか? 紐で繋いでるだけじゃ人間は育たねぇんだよ」
「何言ってんだ? テメェの弟のせいでこうなってんだよ」
立花は心底軽蔑したみたいに言った。
よくもそんな酷いことが言えるものだ。翔太は憤りを通り越して、感心してしまった。侑にそんなことが言えるのは、世界中を探したって立花くらいしかいないだろう。
確かに侑の弟は、湊が道を踏み外したきっかけの一つだった。だが、彼だって望んだ訳じゃない。
侑の怒りが爆発しないか、不安だった。
だが、侑は嘲笑うみたいに言った。
「こいつはそれを損失とは思ってねぇ。外野が決めることじゃねぇよ。なあ、湊」
「Quite so!」
湊が力強く同意する。
立花は腹の底から溜息を吐いて、ソファに崩れ落ちた。
頑張れ、立花。
翔太は内心で応援した。侑は湊の暴走を助長する節があるので、手綱を握る大人は大切だ。
「サレンダーの仕方を知らねぇのは、損失だよ」
苦々しく立花が言った。翔太は拍手を送りたかった。
側から見ると、湊と侑は手の付けられない悪ガキである。俺達はルールの外に生きているが、全くの無法地帯ではない。彼等が暴走した時は、立花が始末を付けなくてはならないのだ。
それは、嫌だな。
翔太は思った。
彼等と殺し合うのは、嫌だ。
手強くてしぶといだろうし、絶対に一筋縄ではいかない。
「他所の教育方針に文句付ける前に、テメェは犬の調教しとけ。クソ真面目で融通も効かねぇし、俺達がどれだけ手ェ焼いたと思ってんだ」
侑の親指が翔太を指した。
思い当たることは特に無い。立花が睨んだので、翔太は両手を上げて首を振った。
「ねぇ、蓮治」
ソファに座った湊が覗き込むみたいにして言った。
濃褐色の瞳は透き通るように美しかった。
「俺は約束を忘れてないよ。蓮治が言ったんだ。何でもかんでも救える訳じゃないって。だから、俺は少しでもマシな未来を選んでる」
マシな未来。
湊の人生は、螺旋階段に似ている。湊は凡ゆる分野で活躍出来る才能も人格も持っていたのに、彼とは関係の無い小さな歪みが積み重なって、帳尻合わせみたいにどんどん転落してしまった。
彼には輝かしい未来が待っている筈だった。多くの人を救い、称賛され、迎え入れられるだろう温かな世界が与えられる筈だった。それなのに、こんな底辺みたいな世界で、血の海を泥舟で渡るような真似を続けている。
翔太は、それを損失だと思う。
けれど、湊は胸を張って否定する。
「世界を変えるより、自分を変える方が簡単だ。生き残る為には、適応して行くしかない」
「虫みたいだな」
立花が言うと、湊が笑った。
湊がこんな場所にいるのは、損失ではなく、生き残る為の適応だった。そう考えた方が、幾らかマシに思える。
明瞭学園の二年一組には陰湿で苛烈なイジメがあった。あの生徒達はとんでもない報復を受けることになったが、恐らくそれは氷山の一角に過ぎないのだと思う。
空気という群衆心理の怪物は、今も其処過去を徘徊し、気紛れに誰かを吊し上げる。だけど、湊が行った公開処刑は、きっと誰かの救いになる。同じ境遇に苦しむ誰かに勇気を与えるかも知れないし、怪物に飲まれた誰かが腹を食い破って戻って来られるかも知れない。
彼等が何処まで意図していたのかは、分からない。だけど、信じたって良いだろう。怪物を消し去ることは出来なくとも、止めることは出来る。それこそ、マシな未来じゃないか。
俺達がやっているのは、世界中から掻き集めた汚れ仕事だ。顔も知らない何処かの誰かが引かなかった分岐器のレバーを、代わりに引き続けている。
いつ死んでもおかしくないし、人様に誇れるような仕事でもない。憎まれ恨まれ、ろくな死に方はしないだろう。だけど、最期の瞬間は笑うと決めている。
「お腹が空いたから、お昼ご飯を食べようよ。久しぶりに俺が作ってあげる」
湊が立ち上がって、得意げに言った。
立花は冷ややかに目を眇めた。
「偉そうに言うんじゃねぇ。どうせ、お好み焼きだろ」
「なんで分かるの?」
湊がびっくりしたみたいに目を丸めるので、翔太は笑った。彼は料理となると大体お好み焼きを作るのである。立花は、味が濃いとか量が多いとか文句を言うけれど、残したことは無い。
「お前の料理、適当なんだよなぁ」
立花が嘆く。けれど、翔太は知っている。
湊がいつ来ても良いようにホットプレートがちゃんと洗ってあって、小柄な彼が取り出せるように棚の低い所に置いてあることを。立花と言う男が、元保護者として気に掛けてくれていることを、俺達はちゃんと知っている。
侑が機嫌悪そうに言った。
「だったら、テメェが作れよな」
「飯の味の分かんねぇ奴は黙ってろ」
翔太は肩を落とした。
立花と侑の仲の悪さは、もしかすると教育方針の違いなのかも知れない。
キッチン代わりの給湯室から、湊の歌声が聞こえる。
翔太は苦笑を漏らし、声の方へ向かった。
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