⑸疑心暗鬼

 裏庭は冷たい風が吹き付けている。

 砂利の隙間からぼうぼうと生える雑草を引っ掴み、翔太は腕に力を込めた。引き抜いてみると、その根が地上で見るよりも深く、広く伸びていることに驚く。翔太は引き抜いた雑草をゴミ袋に詰め込んで、額に滲む汗を拭った。


 教育実習生と言っても、内容は実習先によって異なるらしい。明瞭学園では、基本的には担当教諭に付いて授業風景を学ぶが、空いている時間は何かしらの手伝いをする。


 裏庭で好き放題に伸びている雑草の処理に駆り出されたのは、午後四時を過ぎた頃だった。勤務時間が終われば解放されるのだが、嫌な時間は中々過ぎていかない。


 学校設備の管理は、用務員が中心となって行っている。年老いた用務員には重労働だろうが、侑のような体力の有り余った若者が入ったことで、後回しにされていた面倒な仕事が一気に押し付けられたらしかった。


 用務員なんて殆ど暇していると思っていたが、間違いだった。設備点検に備品の補充、ドブ攫いに草毟り。侑は学園内の誰より運動量が多く見えた。それでもぴんぴんしているのは、手の抜き方が上手いらしかった。


 背の高い雑草を抜いたら、地中からカブトムシの幼虫みたいな虫が出て来た。蚯蚓や百足など、兎に角、気味の悪い虫が多い。侑は一人だけゴム手袋をして、要領良く片付けている。


 全体の三分の一くらいを終えた所で、侑はゴミ袋を閉じてしまった。




「まだ終わってないぞ」

「勤務時間は終わってる」




 時計を見ると、午後五時を回った所だった。

 一時間近く屈んでいたので、腰と首が痛かった。背伸びをすると関節が小気味良い音を立てる。侑は手際良く後片付けをして、今すぐにでも帰りそうだった。




「この後はどうするんだ?」

「湊を連れて帰るけど」

「俺は?」

「勝手に帰れば?」




 酷い差別を見た。

 翔太は溜息を吐いた。


 多分、自分はまだ帰れない。どうやら、この国の教育実習生は残業が暗黙のルールらしい。湊御所望の回答用紙も見られるかも知れないし、何か情報が得られるかも知れない。


 膝に着いた泥を払うと、ゴミ袋を下げて侑が言った。




「そんなに真面目だと、早死にするぞ」

「なんだそれ」

「俺達は仕事の為にやってるが、お前はそうじゃないだろ? ボランティアに命懸ける必要は無いぜ」

「命は懸けてねぇよ」




 翔太が憮然と言うと、侑は鼻で笑った。

 侑も相当生き難い性格に見えるが、五十歩百歩なのだろうか。侑は背中を向けて、ひらひらと手を振った。













 5.誰が駒鳥殺したの

 ⑸疑心暗鬼












 午後十時。

 職員室は、サービス残業に精を出す教員が詰めている。

 指導担当である清水は七時過ぎに帰った。翔太は特にやることも無かったが、残業中の教員の世間話に捕まって帰れなかったのだ。




「二年一組に留学生が入ったろ? どんな子だった?」




 中年の男性教諭が尋ねた。山中やまなかと言って、三年生の世界史を担当しているらしい。仕事の効率が悪いのか、お喋りが好きなのか、毎日のように残業しているそうだ。

 採点作業に追われている山中の横、翔太は資料のまとめを手伝っていた。




「良い子そうでしたよ」




 本心からそう思っていた訳ではないが、生徒のことを訊かれたらそう答えるように湊から言われていた。

 山中は意外そうな声を出して、手にしていた赤ペンにキャップをした。




「清水先生は、ルールを軽んじてるって言ってたけどな」

「そうなんですか?」

「教室に玩具を持って来て遊んでたらしいじゃないの」




 山中が意味深に笑った。

 何のことだろうと思ったら、湊が自己紹介に使ったトランプのことらしかった。没収されていたが、返して貰ったのだろうか。




「髪の毛も染めてるだろ? 清水先生、真面目だからね。そういう子はあんまり好きじゃないんだよね」

「……あれは地毛だって言ってましたけど」

「みんなそう言うんだよ」




 山中が決め付けるので、翔太は少し気分が悪かった。

 湊は染めている訳じゃないし、玩具で遊んでいた訳でもない。大体、それが何だと言うのか。一体何処の誰に迷惑を掛けているのか、翔太にはまるで分からなかった。




「編入前のテストは殆ど満点だったらしいね。でも、現代文だけ点数が低かったとか。それも反抗的に見えるんだろうさ」

「テストの点数、関係あります?」

「あるよ、あるある。嫌いな先生の教科はわざと点数落とすとか、あの子達は平気でやるよ」




 山中は得意げに言った。

 そんなことして、一体何になるのか。翔太には疑問だった。

 其処で山中は辺りを見回して、声を潜めた。




「二年一組の柊木さん、死んじゃったでしょ。俺達は校長から、生徒のことしっかり見なさいって言われててね。問題のある子は特にちゃんと見張っとかないといけないんだよ」

「……その子、なんで亡くなったんですか?」

「自殺でしょ、警察はそう言ってたよ。受験シーズンだし、焦っちゃったんじゃないの」




 その程度の認識なのか?

 翔太はもう、理解出来なかった。生徒が一人自殺しているのに、この意識の低さはどうなっているのだ。まるで、宇宙人とでも会話しているみたいだった。


 自分は人殺しで、それで飯を食っている。だからと言って、人殺しが好きな訳ではない。ましてや、自分よりも若い子が自宅で、両親に謝罪しながら死んだのだ。


 湊が怪我の一つでもしたら、サブマシンガンを持って暴れてやる。侑が言っていた。翔太は、自分もそうするかも知れないと思った。


 残業から解放されたのは、十一時を過ぎた頃だった。

 疲労と睡魔で意識が朦朧とする。頭が鈍く痛んで、これから電車で帰るのかと思うと憂鬱だった。


 校門を潜ると、一台のアメリカンバイクが停まっていた。見覚えるあるバイクだと思ったら、フルフェイスのヘルメットの下にエメラルドの瞳が見えた。




「よう、お勤めご苦労さん」




 シールドを上げて、侑が明るく笑った。

 バイクの拍動が夜の闇に響き渡る。ダウンジャケットを羽織った侑は、まるで映画のワンシーンみたいに様になっていた。




「あれ、高梨たかなしさん」




 翔太の後ろから山中が顔を出して、驚いたみたいに言った。高梨は侑の偽名である。侑は如何にも社交辞令みたいな笑顔を貼り付けていた。




「斎藤先生と知り合いなの?」

「休憩中に仲良くなりました」




 侑が平然と嘘を吐く。山中は追及しなかった。侑は後部座席に置いていたヘルメットを投げて寄越した。




「送ってやるよ、斎藤センセイ」




 バイクに乗るのは久しぶりだった。

 翔太はヘルメットを受け取って、山中に別れを告げた。


 街はひっそりと静まり返っている。学校が近い為なのか住宅地だからなのか、遊び歩く若者も、薬物の売人もいない。明かりの灯った家も、寝静まった家もある。




「Who killed Cock Robin..."I," said the Sparrow...」




 侑があの歌を口ずさむ。

 しかし、運転は淀みなく安定している。免許を持っているようには見えないが、どうして運転が出来るのだろう。


 バイクは滑らかにアスファルトを走った。前方の信号が黄色から赤に変わる。速度を落としながら、バイクはゆっくりと停まった。

 足元でガチャガチャとギアを変える音がした。翔太は運転出来ないので、それが何なのかよく分からない。




「湊がさァ」




 ヘルメット越しの曇った声で、侑が言った。




「お前のこと、迎えに行ってやれってうるせぇから」

「ああ、ありがとな」

「あと、適当にやれって言ってたぞ。真面目なのはお前の良い所だが、あんまり深入りするなってさ」

「……ああ」




 翔太は頷いた。

 スーツは風が通り抜けて寒い。自然と体が縮こまる。


 侑は、立花と顔を合わせたくないと言って事務所の近くにバイクを停めた。もうすぐ日付が変わる。事務所を見上げると、電気が点いていた。


 挨拶もせず、侑は逃げるみたいにバイクを出してしまった。

 翔太はポケットに手を突っ込んで、狭い階段を上がった。


 事務所は相変わらず紫煙に包まれていた。立花が定位置で新聞を片手に煙草を吹かせている。灰皿には吸殻が山を作り、今にも崩れ落ちそうだった。




「おかえり」




 不機嫌そうな低い声で、立花が言った。

 翔太が応えると、立花は新聞を閉じた。もう寝るらしい。もしかしたら、自分の帰宅を待っていてくれたのかも知れない。




「夕飯、冷蔵庫」

「ああ、ありがと」




 立花は欠伸を噛み殺して、立ち上がった。

 そのまま出て行くのかと思ったら、立花は金色の目を眇めて翔太を見た。




「無駄だと思うが、一応言っておくぞ。湊は頭がいかれてる。お前が心配するようなことは、全く気にしねぇ」

「何のことだ?」

「他人のことより、自分の心配しろって言ってんだよ」




 おやすみ、と言って立花は事務所を出て行った。

 上の階が居住区になっている。夜型人間の立花にしては早い就寝時間だが、明日何かあるのだろうか。もしかしたら、何か仕事があったのかも。


 ボランティアに命を懸ける必要は無い。

 侑もそう言っていた。今回の件が如何なろうと、自分には何の損失にもならない。だが、中途半端だと自分が納得出来ないのだ。


 翔太はソファに座り、深く溜息を吐いた。そのまま眠ってしまいたかったが、山積みになった灰皿が気になって、片付けてから、泥のように眠った。


 疲れを翌日まで持ち越したのは、久しぶりだった。

 湊のモーニングコールが無ければ起きられなかったと思う。教育実習生は遅刻してはならないらしく、侑が駅前までバイクで迎えに来てくれた。代わりに湊が遅刻して、清水が職員室で愚痴を零していた。




「学校の近くにホテルを借りてあげる」




 昼休み、裏庭で湊が言った。

 侑は今日も草毟りをしていて、半分程が終わっていた。三人で西棟の石段に座り、昼食を取っていた。

 遅刻した湊は時間に余裕があったらしく、三人分の弁当を作ってくれた。ずぼらで適当な湊らしかぬ、彩の豊かな弁当だった。


 塩茹でされたブロッコリーを箸で摘みながら、侑が笑った。




「そりゃ良いな。残業し放題だぞ」

「好きで残ってる訳じゃねぇよ」




 翔太は口を尖らせて、ミートボールにピックを突き刺した。

 作ってから数時間経っているとは思えない程、柔らかく味の染みたミートボールだった。湊が料理に凝っていることは聞いていたが、才能のある奴は本当に何でも出来るな、と感心した。




「お前、問題のある生徒だと思われてるぞ」

「なんで?」




 翔太が言うと、湊が不思議そうに言った。

 理由を問われても、翔太も正直な所、よく分からない。




「自己紹介で使ったトランプとか、髪の色とか、ルール違反なんだってよ。今日も遅刻したし」

「なにそれ。先生って暇なの?」




 湊が笑った。

 思い出したみたいに湊が箸を置いて、ブレザーの内ポケットに手を入れた。取り出されたのは掌程の大きさの生徒手帳だった。




「校則って、くだらないことがいっぱい書いてある。……髪を染めてはいけません、ピアスは禁止、スカートの丈は膝が隠れるように、シャツは白で、黒い下着はダメ。学校は勉強する所でしょ。これって、勉強に何の関係があるの?」

「規則ってそういうもんだろ」

「こういうのはディストピアと一緒だよ。意味の無い規則を守らせることで、一体感を生み出して、生徒を支配したいんだ。先生達は偉そうな顔をしたいから、逆らう生徒を吊し上げて、追い出したいんだよね」

「全部がそうだとは思わないけどな」




 翔太が言うと、湊は肩を竦めた。

 生徒手帳を戻して、湊がおにぎりを頬張る。中から黄色い物が覗いたので何かと思ったら、卵焼きらしい。何でおにぎりの中に入っているのかは分からない。




「現代文の授業でさ、教科書を読み上げろって言われるんだ。あれなんなの。先生が読めば良いじゃん」

「生徒に参加させたいんだろ」

「生徒は参加してるでしょ。あんなの先生の自己満足だよ」




 湊が吐き捨てるように言った。

 いつもにこにこしていて、ストレスなんて感じないように見えるが、実際は違ったらしい。




「結構、文句あったんだな。楽しんでるのかと思ってたよ」

「俺が?」

「友達に囲まれて楽しそうにしてたじゃん」

「あれは友達じゃないよ」




 湊がきっぱりと否定した。




「あいつ等は、俺のことを新しい玩具だと思ってるんだ。此処って中高一貫だろ。留学生って言うブランドに惹かれてるだけ」




 少し、背筋の寒くなる話だった。

 まだ子供だと思っていた。だけど、彼等は独自の人間関係を持ち、他人を選別している。しかも、湊も上部だけの付き合いと割り切って笑っているのだ。




「気持ち悪ィ。蕁麻疹じんましん出そう」




 侑が言った。

 翔太も同感だった。


 弁当を食べ終えてから、湊が裏庭の隅に蹲み込んでいた。何をしているのかと思ったら、土の中にいる幼虫を観察しているらしい。


 辺り一帯の雑草を抜いたせいで、砂利が引っ繰り返り土が散乱している。それも片付けるのかと思うと、侑を労ってやりたかった。


 湊は土の中で蠢く幼虫を眺めながら、歌を口ずさんでいた。




「Who killed Cock Robin..."I," said the Sparrow..."With my bow and arrow...I killed Cock Robin...」




 侑も口ずさんでいた歌だった。

 マザーグースのクックロビン。

 邦題は――、誰が駒鳥殺したの。


 湊は徐に小石を拾った。そして、その小石をそっと幼虫の上に翳した。頭の中で誰かが声を上げて叫んでいる。サイレンが、蝉時雨が、有りもしない過去の幻影が蘇る。


 翔太が悲鳴を上げそうになった、その時。




「Good night, larva」




 流暢な英語で、湊は幼虫の住処に蓋をした。

 翔太は、過去の幻影が遠去かるのを感じた。


 心臓の音が煩い。耳鳴りがする。

 乗り越えた筈の過去が、落ちない染みみたいにいつまでも頭の中に残っている。翔太が俯いていると、頭の上で湊の声がした。




「What is that?」




 翔太が顔を上げると、湊は草叢の奥を指し示してした。

 以前、侑が言っていた墓だ。何の墓なのかは、誰も知らない。侑は弁当箱を包みながら、慣れたように答えた。




「墓だってよ」

「何のお墓?」

「さあ、知らねぇ。でも、用務員の爺さんが毎朝手入れしてるから、触らない方が良いぞ」




 湊は曖昧に頷いて、それ以上は追及しなかった。

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