⑶通過儀礼

 湊から連絡が来たのは、午後四時を過ぎた頃だった。

 燃え盛るような夕焼けが街を呑み込もうとしている。何処かで烏が鳴いて、居酒屋が開店準備に動き出す。


 エンジェル・リードの事務所に行くと、いつものように湊が出迎えた。出会った頃と変わらない天使のような微笑みで、温かく迎え入れてくれた。


 室内はエアコンが付いているが、肌寒かった。外出していた彼等が戻って来てから、まだ時間が経っていないのだろう。翔太は促されるままソファに座り、湊がテーブルを挟んだ斜め前に座った。




「柊木さんに会って来たよ」

「どうだった?」

「嘘は、吐いてなかった。あれは、愛梨さんが生前に受けた仕打ちだ」




 翔太は膝の上で拳を握った。

 参考書に刻まれた悪意の数々が思い出される。被害者である少女は、それをどんな気持ちで見たのだろう。そして、加害者達はどんな気持ちでそれを行ったのか。


 無駄な問答は切り捨てるつもりで、翔太は訊ねた。




「イジメはあったのか?」




 湊は少しだけ眉を寄せた。




「分からない。……近所の人から聞いたんだけどね、柊木さんは教育熱心だったそうだ。支配的な親だったと」

「近所の人に何が分かるんだよ」

「うん、そうだね。愛梨さんの遺書には、両親への謝罪だけが書かれていた。これだけでは、イジメがあった証拠にはならない」




 少女を殺したのは、親のしつけか、学校の怠慢か。

 湊は他人の嘘が分かる人間だ。こうして話していると言うことは、近所の人の証言も嘘は無かったのだろう。ただ、その能力には欠点もあって、本人が自覚しない嘘は分からないのだ。




「やっぱり、クラスメイトに直接訊くしかない」

「学校に潜入する必要はあるのか?」

「柊木さんは裁判をしたいんだ。証拠がいる」




 それはそうだ。だけど、翔太は賛成することが出来なかった。

 少女を追い詰めた悪意は、今も処罰されず呑気に暮らしている。証拠が無ければ、法律では裁けない。力になってやりたい気持ちは十二分にあるけれど、そんな魔窟に湊を送り出すのは不安だった。


 悪意という見えない凶器は、今も獲物を探して彷徨っている。その矛先になるのは翔太かも知れないし、湊かも知れない。




「翔太のことは、俺が守るよ」




 湊が笑った。

 そういうことじゃないんだけどな、と思いつつ、釣られて翔太も笑った。

 奥の事務室から侑が出て来て、きょとんと目を丸めている。相変わらず、普段は殺し屋に見えない好青年だ。




「制服が届いてるぜ」

「本当?」




 侑が段ボール箱を見せると、湊がソファから飛び降りた。ボールを投げられた子犬みたいに駆けて行く。


 段ボール箱から出て来たのは、グレーのブレザーとチェックのスラックスだった。ネクタイは臙脂色で、ティーンエイジャーが好きそうなデザインだった。ビニール袋に掛かった制服を合わせて、湊が「どう?」と振り返る。




「似合うよ」

「やったね」




 湊が白い歯を見せて笑った。

 こいつくらい顔が良いと、服なんてどれだけダサくてもお洒落に見えるんだろう。翔太がそんなことを考えていたら、侑が湊の頭を両手で掴んで、髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた。




「お前は目立つから、変装しろ。オタク風にして行け」

「航からはナードって呼ばれてたよ」

「滲み出る空気がオタクじゃねぇ。もっと陰気で目立たないようにしろ」




 湊は曖昧に頷いて、棚から野暮ったい黒縁の眼鏡を取り出した。パソコンをする時に使うブルーライトカットの眼鏡で、度は入っていない。




「これで良い?」

「まあまあかな」




 侑はコメディみたいに楽しそうに笑っている。




「情報収集するのは構わねぇが、ターゲットにはなるな。傷の一つでも作ってみろ。俺はサブマシンガン持って暴れてやるからな」




 冗談ぽく言っているが、目が笑っていなかった。

 湊が怪我の一つでもしたら、侑は加害者を徹底的に殺るだろう。例えそれが堅気の人間で、未成年であってもだ。翔太は溜息を吐いた。


 侑という狂犬のような男を、よくぞ此処まで手懐けたものだ。

 湊はくすぐったそうに笑っていた。




「侑を銃乱射犯にする訳にはいかないな。頑張ろうね、翔太」




 湊が拳を差し出して来る。

 翔太は苦笑して、拳を当てた。














 5.誰が駒鳥殺したの

 ⑶通過儀礼













 明瞭学園高等部は、都内にある男女共学の私立校である。

 創立は1960年、中高完全一貫制の全日制課程で、普通科のみであるが高い偏差値から進学校としても知られている。


 外国語教育に力を入れており、英語の他にフランス語を学習する。ネイティブの教員や講師による本格的な授業も行われ、交換留学生も盛んに取り入れている。


 また、課外活動として部活動も行っており、生徒は必ず何処かに所属する。特にコーラス部とバスケットボール部は全国大会に出場する程の高い実力を持ち、都内外からの入学希望者も多い。多彩な行事は生徒会を先頭に生徒中心に進められ、校風は自主性を重んじ、比較的緩やかである。


 三人で一度に潜入するのは不自然なので、侑は先に潜入した。勿論、凡ゆる身分証は偽造であり、彼の正体を特定する情報は無い。


 侑が潜入している間、翔太は湊と高校二年生の勉強をした。教育実習生は学生だが、実習先では教師と同じ役割を果たす。つまり、自分がいつか教壇に立って教える立ち場になることもある。指導教員はいるだろうが、翔太は高校教育についての知識が全く無かったので、明瞭学園のカリキュラムと照らし合わせた最低限の内容だけを覚えることにした。


 一月下旬、翔太は湊と共に明瞭学園の門を潜った。

 赤煉瓦の石畳に、白を基調とした建物が凜然と佇んでいる。辺りは自然に囲まれており、都会の喧騒から離れた校内はまるで一つの世界を作り上げているようだった。


 湊は、留学生と言う役割になっている。保護者の同行が不可能なので、その方が都合が良かったらしい。一足先に校長室に行く背中を見送り、翔太は職員室へ向かった。


 金属製の引き戸には硝子の窓が付いている。職員室内には無数の机が整然と並び、教員達が歩き回っていた。まるで水槽の中を見ているみたいだった。翔太は真新しいリクルートスーツの襟元を正し、扉を叩いた。


 硝子の向こう、教員達が一斉に振り返る。思わず後退りそうになるのを寸前で堪え、腹に力を入れた。

 翔太が扉を開けるより早く、一人の女性教諭がやって来た。


 セミロングの黒髪をハーフアップにした女性で、見た目はOLと言っても差し支え無いような綺麗な服装をしている。翔太の学生時代にはいなかったタイプの教師に見えた。




「貴方が教育実習生の斎藤さんですね?」




 斎藤と言うのは、翔太に与えられた役名である。

 身分証の類や必要物品は全てエンジェル・リードから支給されている。この場所にいる自分は、神谷翔太ではなく、斎藤たかしという22歳の大学生である。




「はい。二週間、お世話になります。宜しくお願いします」




 翔太が頭を下げると、女性教諭も同じように返した。




「私は二年一組の担任で、現代文を担当しています。清水智子しみず ともこです。此方こそ宜しくね」




 清水は目を細めて微笑むと、翔太を職員室に促した。

 職員室では、老若男女問わず様々な教師が仕事をしていた。間も無く朝礼が始まり、翔太は校長に促されて自己紹介をした。


 当たり障り無い、特徴の無い挨拶をした。

 なるべく印象に残らない台詞を、事前に準備していたのだ。色々と情報を出すと、突っ込まれた時にボロが出る。そういう時の躱し方を翔太は身に付けていなかった。


 朝礼は早々と終わり、翔太は清水に連れられて教室に向かった。大きな窓から冬の日差しが差し込んで、廊下を白く照らしている。明瞭学園にはチャイムが無いそうだ。


 明瞭学園には大きな芝生の校庭がある。朝練に励んでいたらしい学生達が校舎に向かって走って来るのが見えた。全員黒髪の黄色人種で、留学生の姿は見掛けられない。


 校庭を両手で抱えるようにして、丁度コの字の形で校舎が建っている。校庭から見て西棟と東棟があり、本校舎と渡り廊下で繋がっている。職員室は本校舎にあり、昇降口の目の前だった。


 翔太が実習に入るの二年一組は、湊が編入するクラスである。清水に連れられて一足先に教室に足を踏み入れると、無数の視線が針のように射抜いた。


 殺意や害意とは違う、物珍しいものを見る好奇な目である。

 生徒達は既に着席しており、清水の登場と共に波が引くようにして静かになった。




「おはようございます」




 教壇に立った清水が挨拶をすると、生徒達が元気良く返した。真面目で素直な子供達に見えた。とても、イジメがあったようには見えない。


 翔太が扉の前で待っていると、清水が簡単に紹介をした。




「此方は斎藤敬先生です。これから二週間、二年一組で先生として一緒に過ごしますよ。ご挨拶をしましょう」




 宜しくお願いします、と生徒が唱和する。

 翔太もまた、事前に用意していた台詞を告げて挨拶をした。清水は満足そうに頷くと、まるで思い出したみたいに両手を打った。




「今日はもう一人、紹介する人がいます。どうぞ入って下さい」




 その時、教室の前方の扉が開いた。

 真新しい制服を着た男子生徒で、栗色の髪に黒縁の眼鏡が印象に残る。緊張しているみたいな硬い表情で、その生徒は促されるまま教壇に上がった。




「イギリスから来ました、吉田さとるです。どうぞ宜しくお願いします」




 ぺこりと頭を下げた時、眼鏡がずり落ちる。

 生徒達が騒めいて、近くの仲間と耳打ちする。この陰気な男子生徒こそが、あの蜂谷湊なのである。


 どうしてイギリスなのかは知らないが、留学生なのに日本名で、陰気な雰囲気でありながら栗色の髪をした異物に、生徒達は興味を示したようだった。




「英語喋れんの?」




 生徒達の中、活発そうな背の高い男子生徒が声を上げた。

 吉田悟――湊は、微かに口角を上げて微笑んだ。




「喋れるよ。日本語もね」

「イギリスの何処に住んでんの?」

「ロンドンの田舎町さ」




 不躾な質問に対して、湊が手際良く答えて行く。

 湊という青年は天性の人誑しであると同時に、嘘吐きなのである。彼が堂々と語る内容が、何処まで真実なのか翔太にも分からなくなってしまった。




「ねぇ、なんか特技見せてよ」




 机に頬杖を突いた少女が、仮面のような笑顔で言った。

 くっきりとした二重瞼の気の強そうな少女だった。




「みんなも吉田くんのこと、もっと知りたいよね?」




 少女が同意を求めると、生徒達が同意した。

 居酒屋で見掛けるような一発芸の強要が、青天の霹靂みたいに鳴り響く。担任教師の清水は苦笑いをしていたが、部外者の翔太には余りに異質に見えた。


 まるで、生贄だ。

 一発芸のコールが囃立てるように響き渡る。

 誰も諌めない。誰も仲裁しない。誰も庇わない。好奇心と退屈凌ぎの矛先となった湊が、降参を示すように手を上げた。




「良いよ」




 湊は、まるで挑戦を受けるみたいに不敵に笑った。

 アルコールでも飲んでいるのかと思う程の興奮状態の中、湊はポケットからトランプの箱を取り出した。




「俺がトランプを捲るから、好きな時にStopを掛けてくれる?」




 この状況を作り出した女子生徒に向けて、湊が言った。

 湊はトランプを片手に持ち、片隅を勢い良く捲って行く。少女が停止を訴えると、手を止めてカードを見せた。


 スペードのエース。

 湊はカードを確認させると、自分は見ないままカードの束に混ぜた。右手にカードの束を持ち、湊は教室中を見渡した。




「俺は何のカードを引いたのか知らないね?」

「それ、動画で見たことある。何のカードか当てるんでしょ」




 興醒めしたみたいに、窓際の男子生徒が言った。

 嫌な空気だ。だが、湊は口元に笑みを残したまま、ゆったりと否定した。




「違うね。カードが教えてくれるのさ」




 湊がそう言った瞬間、まるで吸い込まれるかのような存在感が迸った。教壇にスポットライトが当てられているみたいに目が離せない。野次を飛ばすことも、揶揄することも出来ない。


 湊の左手が指を鳴らす。その瞬間、カードの束から一枚のトランプが湊の左手に飛び込んで来た。まるで瞬間移動だ。何が起きたのか全く分からない。そして、それは女子生徒の選んだスペードのエースだった。


 カード束の上を捲ると、ハート、クラブ、ダイヤのエースが次々に現れた。教室の彼方此方から感嘆の声が漏れ、自然と拍手が起こる。湊は教卓にカードを扇状に広げると、マジシャンのように深く礼をした。




「すごい!」

「なんだ、今の!」




 破れんばかりの拍手と歓声が教室を包み込む。室内に充満していた嫌な閉鎖的な空気が霧散して行くのが分かる。


 湊はトランプを集めてポケットに入れた。

 苦笑いしていた清水が、湊の側に立った。




「吉田くん、ありがとう。では、そろそろ授業を始めるから席に着いてくれる?」

「分かりました」




 湊が返事をすると、清水は窓側中央の空席を指し示した。湊が重そうな鞄を担ぎ、足を踏み出す。その時、清水が言った。




「学校に玩具は持ち込み禁止なのよ。放課後まで預かります」




 そう言って、清水は手を差し出した。

 湊は少し驚いたように目を丸くしていたが、にこやかに返事をしてトランプを手渡した。翔太は、奇妙なものを見ているような心地だった。


 侑には目立つなと言われていたが、良いのだろうか。

 翔太はこれからの二週間を思うと、胃がキリキリと痛むような気がした。

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