⑽追悼

 鮮度の高い死体と言うものには、それなりの利用価値がある。例え、それがどれだけ徳を積んだ聖人であろうと、非道の限りを尽くした悪人であろうと、死ねばみんな同じだ。


 死体の処理を考えた。誰が手を下したのか明確にするよりは、業界に臭わせる程度の方が良い。憶測とは時に都合良く作用する。


 お隣さんのヤクザに相談したら、ただで引き取ってくれることになった。死体が新鮮なので、臓器を売り払うらしい。湊には無いルートだったので、有効利用してくれるなら有り難かった。


 死体を渡してから、事務所を片付けた。ブルーシートのお蔭で汚れは少なかったが、多少、血の臭いは残った。それもやがて、観葉植物やハーブの香りに消えて行くだろう。窓を開けると真っ暗な街が広がっている。繁華街の明かりはまるで漁火のようだった。


 殴られた頬が腫れて来たので、湿布を貼った。切れた口の端は消毒して、裂傷には絆創膏を。幼い頃には弟としょっちゅう殴り合いの喧嘩をして来たので、生傷には慣れている。




「お前の番犬が言ってたんだが」




 思い出したみたいに、侑が言った。

 湊は救急箱を閉じて、キッチンで湯を沸かしていた。疲れたので、ハーブティーでも淹れようと思ったのだ。


 番犬とは、翔太のことだった。

 湊がハヤブサの事務所にいた頃、行き場の無い翔太を拾った。その時、彼は記憶を失くしていた。彼は元々正義感が強く面倒見が良い善人だったので、事あるごとに湊を助けてくれた。だから、侑は翔太のことを番犬と呼んでいる。




「俺達のやってることは世界中から掻き集めた汚れ仕事で、いつか清算する時が来る。自分一人じゃ落とし前を付けられないこともあるだろうってさ」

「ふうん」




 実はその話は、湊も夢現に聞いていた。

 因果論とでも言うのだろうか。


 棚から乾燥ハーブを取り出す。航が母国に帰る前に色々とブレンドして行ってくれたので、一々量を測らなくて良いので楽だった。こういう細かな気遣いは、自分には一生出来ないと思う。




「俺もお前も、いつか清算の時が来る」




 侑は、机に頬杖を突いて笑った。悲壮感は無い。向かい風で胸を張る侍みたいに、堂々としていた。


 湯が沸いたので、ティーカップとポットに注いで温める。真空パックに小分けにされたジャーマンカモミールとエルダーフラワーは、甘く爽やかな香りがした。


 ティーカップとポットの湯を捨てる。ポットにブレンドハーブを入れてから、静かに湯を注いで蓋をする。少し蒸さなければならない。大事な一手間だ。




「望むところだね」




 湊は水盤に背を預け、侑を見た。

 エメラルドの瞳は微睡んでいる。とても、大量殺人鬼には見えない穏やかな姿だった。




「その時には、中指立てて笑ってやるさ。俺が今まで受けて来た理不尽と不条理を清算してくれるなら、感謝したって良い。例え王様や億万長者になっても、釣り合いが取れるとは思わないけどね」

「そういう話だったか?」

「そうだよ」




 一体、何処の誰がどんな権利で清算すると言うのか。もしもそれが神様だと言うのなら、胸倉を掴んで殴ってやりたいくらいだ。




「人間なんてそんなに立派な生き物じゃないよ。人の脳は大きいけど、その殆どは自己弁護と正当化の為に使われているんだ。崇高な信念とか大義名分なんてただの言葉で、自己正当化の言い訳なんだ。つまんないだろ」

「お前は脳味噌の専門家だろ」

「だから、分かるのさ」




 三分経ったので、茶漉ちゃこしでハーブを取り除きながらティーカップに注いだ。弟の作るブレンドハーブはハズレが無い。ハーブの匂いに心が休まる。湊は二人分のティーカップを机に置いて、席に着いた。


 せっかく淹れたてのハーブティーが冷めてしまうのは勿体無い。急いで口を付けたら熱くて驚いた。侑が呆れたように肩を落とすので、湊は咳払いをして誤魔化した。




「スネークが全滅したのは、弱かったからだよ。相手との力量差を見定めることも、己を省みることも出来ない馬鹿な奴等だった。そいつ等が俺に喧嘩を売って来たから、倍の値段で買ってやっただけ」




 それだけの話なんだ。

 俺のやったことが道徳的に許されないとか、司法の裁きを受けるべきだとか言うなら、そいつが助けに来てくれたら良かったじゃないか。


 でも、そんな下らないことを言う奴等は助けに来なかったし、火の粉の降り掛からない遠くから眺めているだけだった。そんな有象無象が何を言おうと、どうでも良い。


 湊が鼻で笑うと、侑と目が合った。




「じゃあ、その傷は?」

「これは俺が未熟だっただけだ」




 想定の範囲内ではあったけど。

 あの気持ち悪い男が自分を性的対象と見做していることは分かっていたし、侑達が残党を始末するまでは事務所に引き留めておかなければならなかった。丸腰で餌のふりをした方が生存率が高いと判断しただけのことで、誰のせいでもない。




「侑のせいじゃないよ、一つもね」




 当然のことを言ったつもりだった。ハーブティーが熱過ぎるので息を吹き掛けていたら、侑が奇妙な顔をしていた。まるで、フレーメン反応の猫みたいだった。




「どういう顔だよ、それ」

「いや……。お前があんまり変な奴だからさ」

「そうでもないよ」




 湊は笑った。




「ハーブティーを飲み終わったら、帰って寝よう?」




 湊は席を立ち、壁に設置した警備装置を作動させた。侵入者がいれば警報が鳴り、監視カメラ映像が自分の元に届く。けれど、湊は機械を絶対的に信頼している訳ではないので、重要なデータの入ったパソコンは持って帰る。


 締め作業をしていたら、侑が言った。




「明日、新の墓に行くぞ」

「うん。花を買って行こう。あと、お線香?」

「そうだな」




 ハーブティーを飲み干して、侑が立ち上がる。空になった二人分のマグカップを侑が洗ってくれた。キッチンに立つ背中は、彼の弟にそっくりだった。












 4.殺し屋たちの奇想曲

 ⑽追悼











 冬の澄んだ青空の下を、一台のバイクが駆け抜ける。

 乾いたエンジンの音が小気味良く、寒さが気にならないくらい爽やかな天気だった。


 先日、侑の愛車は高速道路で廃車にされてしまったので、自分達の主な移動手段はバイクだった。ちなみに、湊も侑も運転は出来るが無免許なので、検問に引っ掛かったら一発でアウトである。


 単調な高速道路の風景を眺めながら、湊は母国の空に想いを馳せた。新が亡くなる前、一緒に母国をバイクで巡ったことがある。両親が死んだ爆弾テロの主犯を取り押さえる為の、或る意味では復讐の道程だったのかも知れない。


 犯人を目の前にして最初に感じたのは、虚しさだった。そいつはドブネズミみたいに汚らしくて、腐った牛乳みたいに濁った目をした薬物中毒者だった。


 湊は新と一緒にそいつを捕まえて、警察に突き出した。

 両親が死んで何も思わなかった訳じゃないし、憎まなかった訳でもない。ただ、こんな奴の為にもう誰も犠牲になる必要なんて無いと思った。


 名誉の死なんて与えたくないし、英霊になんてさせない。

 俺がとびきり幸せになって笑ってるのを、そいつは電気椅子で眺めていれば良い。


 そいつは司法によって死刑台送りになって、湊も航もその最期を見届けなかった。どんな最期だったのかは知らないし、別に知りたくもない。


 高速道路を一時間くらい走ってから、サービスエリアで饂飩を食べた。寒さに凍える体が暖かさに痺れるようだった。其処からまた高速道路を走って、着いたのは東京都郊外の田舎だった。


 途中に花屋があったので、白いカサブランカの切り花を買った。寺の境内は人気が無く、住職が几帳面なのかどの墓も綺麗に手入れがされていた。ブロック塀に囲まれる墓所の一角に、名前の無い真新しい墓石があった。




「名前は、入れなかった」




 寺で買った線香を取り出して、侑が言った。

 湊はカサブランカを供えた。侑が線香に火を点けたので、見様見真似で手を合わせた。特定の信仰は持っていないが、死者の冥福を祈るくらいの倫理観はある。


 線香の先がオレンジ色に光り、白い煙が細く伸びて行く。線香をあげるのは、俗世に生きる者の身を清め、死者と心を通わせると言う意味があるそうだ。糸のような頼りない煙が、故人との橋渡しをしてくれるらしい。


 湊は、死後の世界も輪廻も信じていない。それでも、こうして故人の為に時間を作って、花や線香をあげるには理由がある。


 侑は眠っているみたいに、静かに目を閉じていた。金色の睫毛が太陽に透けて、きらきらと光っているように見えた。




「なあ、湊」




 不意に目を開けた侑が、名前の無い墓石を見詰めて言った。




「お前と新は、本当にただの友達だったのか?」

「どういう意味?」

「友達ってものがどういうものなのか俺にはよく分からねぇが、お前等がそれだけの関係には思えないんだ」




 俺と新がどういう関係だったのか。

 正直、それは湊にも分からない。

 侑は下ろした手をポケットに突っ込んで、苦い顏をした。




「詮索したい訳じゃねぇから、答えたくなかったらそれで良い。悪かったな」

「いや、良いよ」




 湊も手を下ろした。

 冬の弱々しい日光が、まるで硝子のように降り注ぐ。白いカサブランカが寒風に揺れて、白檀の匂いが漂っていた。




「どういう関係だったのか、答えるのは難しい。俺も新も、関係性に名前を付けなかった。友達だったのか、親友だったのか、共犯者だったのか、それ以上の何かだったのか。もう、答え合わせも出来ない」




 墓場の空気は痛いくらいに澄んでいる。正午を知らせる鐘の音が腹の底に響き渡る。何処かで鳥が羽搏く音がして、湊は目を伏せた。




「ただ、大切だった」




 それだけだった。

 新と一緒にいると息が楽で、こんな世界でもまだマシだと思えた。彼の為なら自分の何を切り捨てても良かったし、何も惜しくなかった。


 夢があった。

 新と一緒に綺麗なものを探して、世界中を旅する。疲れた時には背を預け、苦しい時には手を差し出し、悲しい時には声を上げて泣き、楽しい時には腹を抱えて笑う。


 だから、エンジェル・リードを立ち上げた。

 新の居場所に、帰るべきホームを作りたかった。


 もう、叶わないけれど。




「俺は、死後の世界を信じていないし、特定の信仰も持っていない」

「じゃあ、なんで墓参りなんてするんだ?」




 侑が訊いた。

 死者の為に出来ることは、とても少ない。

 俺は新に沢山助けられて、命さえも守られた。だけど、返してやれるものは無い。俺が新の為に出来ること。




「忘れない為だよ」




 一陣の風が吹き抜けて、線香の煙が薄く消えて行く。

 死後の世界も霊魂の存在も信じていないので、死者と心を通わせるなんて考えてもいない。


 俺はエゴの為に生きている。

 復讐も埋葬も生きている人間のエゴで、それ以上の価値は無い。死者は生き返らないし、時間は戻らない。だから、俺達が死者の為に出来るのは一つだけだ。


 彼等の生き様を胸に深く刻み付けて、忘れない為に生きて行く。




「さあ、帰ろうか」




 悴む両手をポケットに入れて、湊は微笑んだ。

 何でもかんでも救える訳じゃない。この手にあるものだって、次の瞬間には零れ落ちているかも知れない。自分はそういう世界で生きているし、これからも生きて行く。


 俺は沢山の命の上に生きていて、いつか清算の時が来るのかも知れない。それが罰なのか祝福なのか知りたくもない。


 寒くなって来たから、今夜は鍋にしよう。

 航が漬けて行ったキムチがまだ残っているから、今夜はチゲ鍋だ。湊が歩き出す後ろで、侑が言った。




「お前のことが、ちょっと分かった気がするよ」

「そう?」

「ああ。思っていたより、人間臭ぇ」




 まるで、野生動物みたいな言い方だな。

 湊は笑って歩き出した。

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