⑸虚構の海

 一人目の被害者、田山章一郎たやま しょういちろうは外資系企業に勤める会社員。

 二人目の被害者、川畑健児かわはた けんじは開業医。

 三人目の被害者、那須川芳雄は元参議院議員の秘書。

 四人目の被害者、庵原奈津子はOLだが、母の遺産を相続し派手な生活をしていたようだった。


 被害者の共通点は二つ。

 一つは裏社会に通じる美術品売買のコミュニティに所属していた資産家であること。もう一つは、ダムの底に沈んだ豊栄村の関係者であること。


 坂田は十年前の新聞記事を読みながら、指の隙間から砂が零れ落ちて行くかのような虚しさを抱いた。ダム建設の為の強制的な立ち退き、地上げ。癒着に賄賂。其処には社会の闇が広がっている。しかし、それを裁く方法は無い。真実を公にする方法さえも。


 いや、もしかしたら。

 坂田は或る考えに至った。

 事件にすることこそが、犯人の狙いなのではないか?

 連続殺人事件が大々的に報道され、それが過去のダム建設に関係していると分かればマスコミは食い付くかも知れない。そうして真実を明るみに出すことで、社会的な制裁を与える――。


 坂田が考えに没頭していた時、携帯電話が鳴った。静寂を守る図書館に高らかに響いた間抜けな着信音に、司書や利用者が睨む。坂田は慌てて携帯電話を取り出した。


 着信、エンジェル・リード。

 坂田は新聞記事を棚に戻し、急いで外に向かった。


 着信は天神からだった。坂田が折り返すと、数コールと待たない内に応答があった。天神は目の前で話しているみたいな悠然とした口調で言った。




『計画の詳細が決まったから、今日か明日にでも来いよ』




 坂田は了承した。

 情報を共有することで、整理したかった。密偵だらけの捜査本部より、事情を知っている外部の彼等の方が信頼出来る。


 エンジェル・リードの事務所に到着した頃には、午後八時を過ぎていた。今日も帰宅は深夜になりそうだ。妻に謝罪の連絡を入れ、坂田は雑居ビルの階段を上がった。


 出迎えてくれたのは、天神だった。見事な金髪が蛍光灯の下で煌々と輝いている。室内は相変わらず整頓され、生活感というものが無い。応接室へ促す天神は、革靴を履いているにも関わらず足音が無かった。


 応接室では、航が待ち構えていた。

 居心地悪そうに目を背けるのが、微笑ましく思えた。年相応の姿を見ているとほっとする。戦隊ヒーローに憧れる五歳の我が子も、いつかはこんな風に大きくなるのだろう。


 天神はいつものようにソファに座った。




「パーティは来週の水曜日。受付開始は午後七時だ。一張羅は用意したか?」




 様々な情報が交錯して考えが纏まらない。

 集中力は散漫だ。坂田が頷くと、仏頂面で黙っていた航が睨め付けた。




「なんか話したいことがありそうじゃねぇか。聞いてやるよ」




 航は手負いの獣のような警戒を滲ませていた。それだけ自分に余裕が無かったのだろうと、坂田は苦く笑った。

 ソファに浅く腰掛け、両手を組む。断片的な情報が浮雲のように頭の中を流れて行く。




「今日、図書館に行って来た。新しい被害者の共通点が見付かったんだ」

「へぇ。……それって、捜査本部に報告しなくて良い訳?」




 航は不思議そうに言った。

 捜査本部の状況を、何処まで打ち明けて良いのだろう。坂田は少し考えて、何も話すべきではないと結論を出した。




「この後、報告するさ。それより被害者の共通点なんだがな、出身地が同じだったんだ」

「なんでそんな簡単なことが今まで分からなかったんだ?」




 航は率直に訊ねた。

 被害者の出身地なんて、確かにすぐに分かることだ。だが、今回は特殊だった。




「彼等の出身地は、もう地図上に無いんだ。ダムの底に沈んでいる」

「戸籍には残ってる筈だろ。警察は其処まで調べないのか?」

「……これは俺の憶測なんだが、意図的な情報操作が行われている気がする」




 航と天神が揃って眉を寄せた。

 坂田は図書館で調べた十年前の新聞記事や、藍村の語った黒い噂について話した。二人は相槌一度打たず、黙って耳を傾けた。


 坂田が話し終えた時、天神は溜息と共に背凭れに寄り掛かり、探るような目付きで言った。




「それで、アンタは誰が犯人だと思ってんの?」

「それはまだ分からない。だが、犯人は豊栄村に関わる人間だろう」

「つまり、復讐?」

「その可能性はある」

「何に対する復讐なんだ?」




 天神が言った。




「犯人は、そのダムの底に沈んだ村を愛する元村人か? 十年前だろ。何で今更、このタイミングなんだ?」

「何かきっかけがあったのかも知れないし、偶々かも知れない」

「あのさ」




 航は深く溜息を吐いて、壁に寄り掛かった。




「うちのボスも、これは復讐だろうって言ってる。ただ、その矛先と動機が分からないって。あと、気になるのは、遺体に残された火傷の痕と凶器」




 エンジェル・リードのボスは、今も正体不明で姿を現さない。航は携帯電話を片手に、退屈そうに言った。




「うちのボスは嘘吐きでね、俺もよく騙された。嘘は真実に紛れさせるのが、常套手段だった」

「木を隠すには森の中って奴だな」

「まあ、そんなとこかもな。……アンタが掴んでる情報は、本当に全部真実なのかい?」




 航が言った。坂田には、答えられなかった。

 自分が得た情報というものは水のように流れ、姿を変える。其処に決まった形は無く、故に物的証拠も無い。




「それから、単独犯じゃないだろうってさ」

「凶器は同一の銃だぞ」

「知らねぇよ。うちのボスのぼやきだよ」




 居心地の悪い沈黙が訪れた。坂田には、それを打ち破る術が無かった。天神は暫く天井を眺めていたが、思い出したみたいに手を打った。




「作戦会議の途中だったな。……続けても良いかい?」




 坂田は頷いた。




「例のパーティなんだが、俺は裏方として潜入する。出席者として参加するのは、航と坂田さん」




 そういえば、そういう話だった。

 不安が積乱雲のように急速に膨らんで行く。裏社会のパーティに、航と二人で潜入して乗り切れるだろうか。そもそも、自分は其処で何をするべきなんだ。




「アンタ等には、エンジェル・リードの代理として参加してもらう。あんまりマナーが悪かったら、俺が裏口で締めるからな」

「お前等は何をしに行くんだ?」

「最初から言ってんだろ。うちは若い芸術家を援助してんだよ。そのパーティでオークションが行われるんだ。うちで見付けた作品も出展する予定だ」




 オークションのことは、初めて聞いた。

 益々、自分の存在意義が分からなくなる。

 航は少し苛立ったような口調だった。




「参加者はこっちでリストアップしてやるよ。でも、警察には流すな。うちもビジネスでやってる」

「いや、助かるが……」




 彼等はビジネスをしに行くのだ。坂田は連続殺人事件の捜査で調査する。犯人の手掛かりが掴めるかも知れないし、全くの無駄足になるかも知れない。けれど、何もしなかったらそれこそ無意味だ。




「これだけ御膳立てしてやってんだ。結果を残せよ、正義の味方」




 航は挑戦的に笑った。

 その姿は、幼い頃に見た正義の味方に重なって見えた。五歳の息子が戦隊ヒーローに憧れる気持ちが坂田には分かる。




「任せろ」




 坂田が答えると、航は目を眇めて微笑んだ。

 その笑顔が早戸に重なって見えて、坂田は目を瞬いた。

 時刻は午後九時半。これから警視庁に戻って、報告書を挙げて、それから……。

 考えると気が遠くなりそうだった。坂田は考えを放逐し、席を立った。




「そういや、お前の彼女さ」




 坂田が言うと、航は苦虫を噛んだように顔を歪め、天神が目を丸めた。




「お前に痩せっぽちって言われたこと気にして、ラーメンどか食いしてたぞ」




 航は目を逸らし、天神が噴き出した。

 天神の朗らかな笑い声が部屋中に響いて、坂田は愉快な心地になっていた。




「良い子じゃないか。大事にしてやれ」




 坂田が言うと、航は深く溜息を吐いた。

 天神が腹を抱えて笑っている。












 1.水底のマグマ

 ⑸虚構の海










 警視庁に戻る帰り道、坂田は電車の中でニュースアプリを開いた。大見出しは連続殺人事件について。凶器が拳銃で、それが警察官の支給品と同じであることが記されていた。


 捜査本部の密偵がマスコミに流したのだろうか。

 公安が動いていると聞いた。一体、誰の何を調べているのか。


 次の記事は、中国マフィアの抗争について書かれていた。

 中国マフィアの一大勢力である青龍会が、海の向こうで派手に暴れているらしい。一年程前に総帥が死んで息子が後を継いだと聞いているが、まだ落ち着かないらしい。


 その火種が日本にも飛んで来ている。青龍会からの武器密輸が摘発されたのも一年前。公安と銃撃戦になったらしい。

 青龍会の新しい総帥は李嚠亮リ リュウリョウという青年で、まだ二十代だった。マル暴が、青龍会の幹部が来日して会合を開いていると言っていたことを思い出す。場所は確か、五反田のロイヤル・ホテル。




「五反田?」




 坂田は声に出してから、慌てて口を噤んだ。電車内の客は少なく、目を向ける者はいなかった。

 連続殺人事件の四人目の被害者が出たのも、五反田だった。凶器は拳銃。青龍会は武器の密輸を行なっていた……。


 見えない何かが、足元から迫って来るような気がした。それは侵食しようとする海水なのかも知れないし、気味の悪い蛆虫うじむしなのかも知れない。


 航の彼女、早戸は大丈夫だろうか。

 そんなことが気に掛かる。


 犯人の目的は、復讐……。

 裏社会の抑止力、ハヤブサ……。

 凶器は拳銃。天神の手には、胼胝があった。

 姿を現さないエンジェル・リードのボス。

 犯人は複数人の可能性。


 アンタが掴んでる情報は、本当に全部真実なのかい?

 航の言葉が脳裏を掠める。

 嘘は真実に紛れさせる……。


 坂田は窓の向こうに目を向けた。眠らぬ街の明かりが、まるで水面に反射する星明かりのように眩しく輝いている。

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