第肆章の肆【嵐前】

 厚い曇天が覆う空の下、高層ビル群を真っすぐに貫く大通りを、黒塗りの公用車が走っている。路上に積もる枯れた葉が、風に舞い、後塵に散っていく。信号が赤になり、車は速度を落として停車した。

 車には、総理大臣のイトウが乗っていた。隣に控えるカワノベが言う。

「無事に議決出来て良かったですね」

 二人は、御聖廟開帳の再可決を採った帰りであった。

「ああ、これで無事に開帳がなされれば、年内にも国会は閉会。落ち着いた年末と正月が過ごせる」

 イトウは、これまでの重荷が下りたような、疲れた口調で答えた。そしてふと、遠くから聞こえてくる大量の声に気が付いて、窓の外にそっと目をやった。道路の先の曲がり角から、人々が大蛇のごとくぞろぞろと歩いてくるのが見えた。それは、平凡で退屈な日常の風景からは程遠い光景だった。

「デモか……」

「ここ最近、急に増えましたね……」

 人々の手には、派手な色彩で激しい言葉が綴られた横断幕やプレエトが握られていた。イトウは何気なくそれらの文字を目で追った。複写人の排斥、スラムの一掃、対テロ対策、そんな文言が飛び交っている。

 イトウは不思議に思う。彼らの様々な要求が、どうしてたった一枚のプレエトに収まるのだろう。事態は彼らの発する二三の単語で収まるほどに単純ではない。イトウは小さく息をはく。

「どうしたんですか?」カワノベが尋ねる。

「いや、ちょっとね……考え事さ」

「……?」

「彼らのあのデモは……言ってみれば、教会の意思なわけだ」

「……ええ」

「つまりさ、結局は全て何もかもが、教会の行いの一部なわけだよ」イトウが一旦言葉を切る。「今この国で相次いで起こる、テロも内戦まがいの捜索も、そして私たちの議決ですら、教会の行いがまず始めにあって、その結果、生じているんだよ」

 イトウが前の席に取り付けられた小さな基匣に触れてみせる。〝神の御加護〟が起動する。

「これもそうだ。超高度情報網にあふれる情報にも教会の偏向がかかっていて、人々もまたそれに寄りかからざるを得ない。彼らが従順な信者であろうとすればするほど、それに合わせた都合の良い情報をしか提供されない。だから、複写生命やスラムに怯えてしまうんだ。まだ何もされちゃいないのに、教会の思惑に踊らされて……だけどね、本来この国は、この国の人々のものなんだ。教会とその敵との争いに、この国の民を巻き込まないでもらいたいんだよ」

 カワノベは何も答えない。そんな後進を見て、イトウは少し語気を弱めた。

「……きっとあのデモの中の彼らだって、誰一人、自分たちが本当に何を望んでいるのか、分かっていないんじゃないかな」

 イトウが頬杖を付いて、呟いた。

「だけどまあ、それは私たちだって同じなんだろう……」

 公用車の周りを人々の大群が通り抜け、信号が青に変わる。車がゆっくりと動き出した。その時、イトウの前の席に設置された基匣が着信を告げた。イトウは画面に触れて、応答をする。相手は彼の私設秘書であった。

「何か用かね?」

「総理、大変な事が……」

「……?」

「民衆院議員がまた一人殺されました」

 イトウは身を乗り出して、話を聞く。被害者は、イトウたち国民党の議員ではなく、改新党――オオクマの党の者であった。今から数時間前、都内の高級ホテルにて殺害されたとのことだった。議会が終わった直後と言っていいだろう。イトウは、議決の際、彼がいたかどうかを思い出そうとした。

「……彼は、一人身なのか?」イトウは尋ねる。

「いえ、そこまでは……ですが、恐らくは」

「彼はどう殺されたんだ? 拳銃か?」

「ええ、拳銃で数発とのことです」

 イトウは手を顎にやり、思案した。

「分かれば教えてほしい。拷問の跡はあったのだろうか?」

 秘書は、少し間をあけて答える。

「すみません……そこも把握していません。もし必要なのであれば、調べておきますが……」

「いや、まあいい……しかし、どうしたものかな」イトウは腕を組んで、溜息をつく。「多分これ、情報抜かれているよ」

「抜かれているって、何がですか?」とカワノベ。

「多分だけどね、このタイミングで、この殺しだろう? もしも襲撃犯が〝鉄の腕〟の一味だとすれば、ほぼ間違いなく御聖廟の開帳日がバレてると思うよ」

「まずいじゃないですかっ!」

 カワノベと秘書が同時に声を上げた。カワノベがイトウに向かって言う。

「今すぐに教会に連絡を取って、開帳日の変更を進言されては?」

「うーん、どうだろうね。一応、連絡はしてみるが、多分無駄だろう……教会側としては、断固として開帳を実行するだろう」

「そんな……」

「襲撃者に怯えて開帳日を変更するなんてこと、決してしたくはないだろうからね……ただし、教会側も二度も開帳を邪魔されるわけにはいかないから、必死で防衛線を引くだろう。ま、総力戦ってやつだね」

「総力戦……」

「〝歪な鉄の腕〟か、教会か、どちらかが倒れるまでは、これが続くだろう」

「教会が倒れる……そんなことがありますかね?」

 カワノベが信じられなさそうに言った。イトウはカワノベの顔をジッと見つめてから、尋ねた。

「君は、この前の報道で、気が付いたことはなかったかい?」

「え? ああ、あの歪な鉄の腕の男が逮捕された件ですか。ええっと、何ですかね。彼がリリアンヌ教皇を救ったあの男だとか、そういうことですか?」

「いや、彼のことではない。その彼が逮捕される前日に報道された指名手配の少女、彼女のことだ。彼女のことで何か気が付かなかったかね?」

「……えー、いや、うーん……特にこれと言っては……」

「そうか。まあ、いいさ」

 イトウはクスリと微笑み、会話は終わった。それから彼は、自身の秘書に教会への言付けを依頼して、視線を再び窓の外にやった。

 分厚い雲の天幕は、今にも雪を降らせそうな気配を称えていて、どこか遠くからは、未だ鳴りやまない大勢の人々の声が聞こえていた。

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