第参章の捌【真相】

 ソウジ・アイゼン殺しの犯人が発表される一週間前。

 タケミカヅチとその部下クザンは、第一御教殿にあるアマツビト=レイガナの執務室へと向かっていた。真っ赤な絨毯の敷かれた長い大理石の回廊を、二人の男が足早に歩いていく。

 タケミカヅチはすでに、先日の即位式をもって、レイガナの護衛のにんを解かれていた。そもそも、警護隊の実務部隊長が直接的に教皇を守っていたこと、それ自体が異例中の異例だった。だが、タケミカヅチは、叶うかも分からない自身の僅かな望みのため、また教皇へ取り入ることを目的に、レイガナの護衛という職責に就いていたのである。そしてその積年の願いは、今手にしている一枚の写真が果たすかもしれなかった。

 タケミカヅチは、歳若いシヱパアドが控える執務室の前に着くと、ノックすることもなく乱暴に扉を押し開けた。

「何だい……ああ、タケミカヅチじゃないか」レイガナが驚いた様子で顔を上げる。「一体どうしたんだね? 何の連絡もなしにいきなり……」

 執務室には、レイガナとダイスマンの二人がいた。レイガナはデスクの前に座っており、ダイスマンはその机に手をかけて、元教皇のそばに立っていた。

 タケミカヅチはそんな二人を交互に見やり、後ろを向いて部下に目で合図をした――外で控えて待っていろ。そして、タケミカヅチは後ろ手に静かに扉を閉じた。僅かな静寂が辺りを満たした。

「すまないが、タケミカヅチ、今は見てのとおりダイスマンと打ち合わせの最中なんだ。急ぎの用件でなければ、またの機会にしてくれないか?」

「いえ、アマツビト様。これは、重大かつ早急の案件です」

 レイガナの眉間に皺が寄る。タケミカヅチは、手にした茶色の封筒から一枚の写真を取り出して、落ち着いた手つきでデスクの上にそっと置いた。

 二人の男は、その写真をよく見てみようと身を乗り出した。そして次の瞬間、激しい衝撃が二人の身体を貫いたことを、タケミカヅチは見逃さなかった。だが、それでも、今目の前にいる二人の為政者は、一切の動揺をこらえ、そんな様子は微塵も見せないよう静かに息を吐き出して、ジッと動かなかった。十数秒の沈黙ののち、先に口を開いたのは、ダイスマン・ウォヱンラヰトだった。

「この写真の彼女は……?」

 写真には、金髪青眼の少女が写っていた。タケミカヅチが平坦で事務的に、そして恐ろしく冷徹な口調で答える。

「我々は、彼女をソウジ・アイゼン殺しの容疑者として指名手配する予定です。また先の襲撃事件への関与も大いに疑われています。よって、その点を含めて、改めて我々警護隊によって、より広範で大規模な捜索および保護活動を開始させていただこうと考えています」

 ダイスマンがレイガナを見るが、元教皇は何も答えなかった。仕方なく、ダイスマンが続けた。

「話はそれだけか?」

「ええ。本日はただ御報告に上がった次第です。来週の今日、報道関係各社にこれを発表する予定です」

「……彼女は、この写真の彼女は複写人なのか?」

「ええ」タケミカヅチは嘘をついた。そんな確認はしていない。

「御聖廟の持つデヱタベヰスデータベースから、そう判断したんだな?」

「ええ」この日、二度目の嘘。

 ダイスマンは溜息をつく。

「彼女が犯人であるという証拠、もしくは発表するに足る証拠は揃っているのだろうな?」

「ええ、もちろん。状況証拠だけではありますが、私は確実だと思っております」

「……状況証拠。なあ、君。もしもこの発表が間違いだった場合は、君が責任を取ることになるんだが、そこのところは分かっているのだろうな?」

「ええ、もちろんです」

「ほう……結構な自信じゃないか……」ダイスマンが皮肉を含んだ調子で言う。

「ええ。ですが、自信の有無はここでは問題になりません。それに、これが間違いであろうとなかろうと、この発表にはきっとそれ以上の責任が伴ってくるはずです」

 タケミカヅチは、その大きな体躯でもって二人を見下ろした。口元には隠しきれない笑みがこぼれていた。ダイスマンはタケミカヅチを見上げて、何か一言言い返そうと口を開いたが、言葉は何も出てこなかった。

 タケミカヅチはしばらくのあいだ、待った。二人の男が、特にレイガナが、発言することを期待した。だが、結局どちらもその口をつぐんだままだった。仕方なくタケミカヅチは言った。

「それでは、私はこれで失礼いたします。発表まであと一週間になりますので、何卒よろしくお願いいたします」

 そう、まだ時間はある。タケミカヅチはそう考え、踵を返し、部屋をあとにしようと歩き出した。

「待て」

 後ろから声がかけられた。振り返ると、レイガナの顔にこれ以上ないほどの苦悩の表情が浮かんでいた。

「なんでしょう?」タケミカヅチは白々しく尋ねた。

「タケミカヅチ……貴様、これがどういうことなのか、分かっているのだろうな?」

「……はい。恐らくは全て、理解しているところかと」

「何が目的だ? 何が目的か、言え」

 レイガナの声は憤怒にまみれていた。隣に控える貴族院議長も、険しい表情でタケミカヅチを睨みつけている。

「目的、ですか? アマツビト様が何をおっしゃりたいのか、よく分かりませんが、そうですね……私の目的は、ただ一つです」

 一瞬の静寂。そしてシヱパアドは言った。

「私は教皇になりたい」

「……っ! 教皇になりたい……だと?」

「そうです。教皇です」

「き、貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか? 教皇に向かって、教会の象徴に向かって、なんてことを言っているのか……」

「元、です。アマツビト様。あなたはすでに元教皇だ」

「だとしてもだ! お前が教皇になる方法なんか……」

「あります。もちろん、私は教皇の直系親族ではありません。ですから、本当の意味での極東御十教皇にはなれない。ですが、あなたと同じ方法ならば、それが可能です」

「――ちょっと待て」

「そうです、アマツビト様。あなたと同様に、直系親族の教皇と婚姻を結べばいい。さすれば、私にも代理教皇としての地位と権力が手に入る」

 レイガナは驚きのあまり固まってしまう。代わってダイスマンが言い返した。

「馬鹿を言うな。リリアンヌ教皇が生きている間は、貴様に代理教皇としての権力は生じない」

「そんなことは百も承知だ。だがあの若い小娘に、この教会を、極東御十教イヰスタンクロスを、ひいては十字共栄圏クロスエリアを動かせるはずがない。だからこそ、私が彼女を妻としてめとり、裏からこの国を動かすのだ。教皇一族に入ることさえ出来れば、それくらいの采配は実に容易い」

 タケミカヅチの口調から、徐々に敬意の欠片がこぼれていく。

「いいですか、アマツビト様。あと一週間だ。あと一週間で決断するんだ。この写真の女が誰かは分かっている。これを報道機関に流されたくなかったら決断をしろ。私にあの小娘を差し出すか、それともこの写真を世界に公開するか――二つに一つだ」

 そしてタケミカヅチは、絶望に顔を歪めるレイガナたちを後ろ手に見やり、執務室をあとにした。

 外に停めた車へ向かう途中、タケミカヅチは部下に命令を下した。

「クザン、一週間後に記者会見を開くことになった。どこか適当な会見場を押さえて、報道機関各社に通達を出してもらえないか?」

「承知いたしました」クザンは頭を下げた。「会見内容は、ソウジ・アイゼン殺しについてでよろしいでしょうか」

「そうだ」

「もし差し支えなければ教えていただきたいのですが……何故ここまで早急に、元教皇にこの話を……?」

 タケミカヅチは部下を向いた。その顔面には、暴力的なまでの野心と隠しきれない冷酷な笑みがあふれていた。

「これは国を揺るがす大事件なのだ」

 クザンは、上司の言う言葉の意味を理解出来ない。

 そして、タケミカヅチは遂に真実を口にした。


「彼女は――あの少女は、先代教皇ナタァリヱ様の複写生命だ」

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