第参章の漆【アジト】2/3

 アジトに着いてから、およそ三週間が過ぎた。

 ユリアたちは、日々繰り返される、コミュニティでの炊事や洗濯、そういった当たり障りのない雑務をこなしながら生活をしていた。それがここで与えられる彼女たちの役割だった。

 一方で、ここにいる者たちの大半には、他の役割があった――武力工作員である。彼らは、どこからか運ばれてくる火器を、日々点検、調整し、時には実際にそれらを使用した。だから時折、このアジトからは、何人かの男が消える。もちろん、帰ってくる時もあった。場合によっては血だらけで、そして場合によっては物言わぬ死体になり果てて。

 彼らの約半数は、まだ二十歳にも満たない複写人だった。そして残りの半数は、スラム出身者や亜細亜近圏からの不法滞在者たちだった。彼らは皆一様みないちように荒くれ者だった。そして皆、何かしらの社会的不満を抱いていた。だから、世界に対抗するための力を欲した。それが、彼らがここに集まる理由だった。そして、その中でも一番に大きな理由は、壱號の存在だった。壱號は、あの教会を、教皇を、怯えさせるだけの圧倒的な力を持っていた。だから、彼らは皆、鉄の腕の男のを欲した。あの宣戦布告により、壱號は、教会に仇成す者たちの〝抵抗と破壊の象徴〟になっていたのである。

 そしてその結果は、彼らの望んだとおり、硝煙が絶え間なく立ち上り、血が延々と流れ続ける世界であった。

 だが、これほどのコミュニティを維持するだけの金や資源は、一体どこからくるのだろう。ユリアは不思議に思った。食事の時、サンジョウに聞いてみたこともあった。だが、答えはつれないものだった。

「あなたが知る必要はない。あなたはここのコミュニティにおいてもらっている身なのだから」

 このコミュニティにユリアたちの居場所はほとんどなかった。隠れるようにひっそりと生きることしか出来なかった。


 ある日、壱號たち、歪な鉄の腕が、地上から一人の男をとらえてきた。ユリアはその男の顔に見覚えがあった。その男は、ニュウス番組の解説者だった。アイゼン殺しについて、したり顔で語っていたあの男である。

 壱號ほか歪な鉄の腕たちは、一段高い所に立って、集まってきた百五十人近い聴衆を見下ろした。そして、ぐったりとくずおれている解説者を、壱號が鉄の腕で掴み、持ち上げてみせた。

「こいつが今日の生贄だ」

 壱號が声を上げた。群衆は何も言わずに、主の動向をジッと見守っている。壱號が隣に控えるロクムネに目で合図した。ロクムネは三脚で固定したカメラで撮影を開始した。これから行う残虐行為を超高度情報網に流すためである。

 壱號がゆっくりと話し始めた。

「さて、こいつの名前はキイナ・カクライ。そうだな?」

 壱號がカクライに尋ねる。カクライは頭を垂れたまま何も答えない。

「俺が尋ねてるんだ。答えろよ」

 壱號が、狂気に歪んだその顔をカクライに近付ける。幾度も殴られただろう血だらけの顔をどうにか持ち上げて、カクライは小さくうなずいた。

 ユリアはこの光景を人混みの外から見守っていた。ちょうど夕食の片づけが終わった頃合いで、手には洗った食器を入れた銅製の鍋を持っていた。子供たちには、先に寝るよう伝えてあった。だから、ユリアも足早にその場を去ろうとした。

「さあ、問題は、だ。お前らみたいな報道機関が、だ」

 一語一語を区切って、壱號は大声で叫んだ。

 ユリアの足が止まってしまう。いつか、どこかで見た暴力の影を強く感じた。激しい嫌悪の感情が胸の奥底に沸き上がる。

「まるで俺たちが悪者かの如く報道するからさぁ、こういうことになっちゃうんじゃん? ねえ、おい、違うか?」

 カクライは泣きじゃくった顔で首を激しく横に振った。

「ああ? 何だ? その顔は!」

 壱號がカクライを床に投げ捨てた。そして思い切りカクライの腹を蹴りつけた。激しい音とうめき声が上がった。そばにいた他の鉄の腕が、すぐさま主君をなだめた。壱號は頷いて、機械の腕で黒い髪を掻き上げた。そして小さく一回、咳払いをした。

 先程の罵声と打って変わり、今度はアンニュイな声色で壱號はカメラに向かって話した。

「……すまない。少しばかり取り乱してしまった……いや、本当に申し訳ない」

 めちゃくちゃだ――と、ユリアは思った。

 人格が崩壊している。

 そう、彼は、ただの子供だった。暴力の許すがままにワガママを押し通す子供。

 ユリアは胃の腑にゾッと冷たいものを感じた。何故、誰も彼もが彼を崇めたてまつるのか、理解出来ない。けれども、彼は悪魔だった。それは、この世界の歪みから生まれた〝理不尽〟。

 だから、逆説的に、こう言えてしまうことにユリアは気が付いた――彼は、生まれるべくして生まれたのだ。ここにいる者たちが、望んだ結果として、彼が存在している。世界が、人々を虐げる者と虐げられる者に分かち続ける限り、それはきっと絶対だった。

「さあ、この映像を見ている報道機関関係者諸君。俺らを悪者にしたければ、すればいい。ただし、その時はこうなる」壱號が声を張り上げて、カクライの身体を左手で宙に持ち上げた。

「止めろっ! 止めてくれ!」

 カクライが大声を上げて、騒ぎ出す。壱號が笑顔でそのさまを見上げている。

「ははっ、良い気味だ。自業自得さ」

 壱號は右手をカクライの喉元に近付けて、彼ののど元にそっと手をかける。

「ううっ! ああ、止め、止めっ……!」

 言葉にもならない、悲鳴ともつかない声が、辺りを満たした。群衆はおとなしく、その様子を見つめるばかりである。そして、大きな音が響き渡った。

 金属が床に落ちた音だった。それは、ユリアだった。彼女が鍋を落としてしまったのである。散らばる皿の一枚に、ひびが入る。

 人々が振り返り、ユリアを見た。舞台上の鉄の腕の者たちもユリアを見た。そして壱號も――離れていても分かるくらいに不愉快な表情を浮かべて――ユリアを見た。

 落としたくて落としたわけではなかった。ユリアは衆目にさらされて、たじろいだ。一瞬の沈黙が生まれた。ユリアはそれを振り払うように、落とした食器類を拾おうと急いで屈みこんだ。

「おい……」

 声が掛った。壱號の声だった。ユリアは聞こえないフリをした。

「おい……」

 二度目の呼びかけ。ユリアは震える手を止めて、ゆっくりと壱號たちの方を向いた。

「何してんだよ? ああ?」

「ご、ごめんなさい……」

 それだけ言って、すぐにまた拾い始めた。これ以上関わることは絶対に避けたかった。

「た、助けてくれっ! 助けて!」

 カクライの大声が上がる。ユリアはそれも聞こえないフリをした。無視が一番だと判断していた。だが、どうしてかは分からない――結局、この沈黙と反駁はんばくの機会を、心のどこかで望んでいたのかもしれないと、思ってしまったのだ。カクライの悲鳴がユリアの心をかき乱した。誰かが死ぬのをこの目で見ることは、もう耐えられない。うんざりだ。たとえ、それが複写人でないとしても――。

 ユリアは仕方なく、立ち上がった。

 壱號が不思議そうにユリアを見た。ユリアは震える足を鼓舞して、真っすぐに壱號を向いた。そして、言った。

「や、やめてください」

 数秒間の沈黙。そしてざわめきが人々の間に生まれる。

「……やめてください? やめてください、だと……?」

 壱號が驚いた様子で、ユリアの言葉を繰り返した。恐ろしく馬鹿にしたような眼つきでユリアを見下ろす。ユリアは身体がこわばるのを感じた。

「お前……何言ってんだ? ああ?」

 壱號が怒鳴った。

「ここに、いて、何で、そう言うことが、言えるかなあ!? ああっ?」

 ユリアは怯んだ。

「お前、どういうつもりでそんな事を言ってんだ? おい、おい、おいっ!」

「……い、いや、で、で、でも、だって……その人、い、嫌がっています……」

「……お前、何にも、分かってないな? こいつの意思はどうでもいいんだ! こいつは、テレビを通じて、俺たちの存在を否定したんだぞ……」

「ち、違う。否定してるのは、教会……そ、その人だって、ただそれを……」

「いっっしょだろうがっ! こいつが、自分で、教会の教えを受け入れて、ニュウス番組で、べらべらべらべらしゃべってたんだ。だから、同じだろうがっ!」

「……で、でも、多分、多分、い、意味ない」

「意味が、ない?」

「そ、その人を殺しても、た、多分何も変わらない。ち、地上の様子も変わらないし、ここだって良くならない……」

 壱號の顔から表情が消えた。

「……殺す」

 壱號が、舞台を降りた。カクライを左手で引きずりながら、ユリアに迫った。だが、他の鉄の腕が慌てて彼を止めた。

「壱號さん、ちょっと、待って下さい」

「そうだよ。急に怒りすぎ」

 壱號は立ち止まり、ニノミヤやサンジョウに振り返る。ロクムネが言う。

「まだ、ビデオを回してますし……ここで彼女をどうこうするのは、ちょっと……第一、彼女は切り札としてここに置いたんでしょう?」

 少しの間。壱號が逡巡をする。抑え切れない苛立ちと葛藤しているようだった。そしてついに言った。

「……ああ、分かったよ。俺が悪かったよ」壱號は右手で頭を掻き、溜息をついた。「でも、俺、こいつ、大っ嫌いだわ……」

 ユリアに向かって、言い放つ。

「お前は、こいつを助けたいのか?」

 壱號がカクライを持ち上げてみせる。ユリアは何も答えない。

「それは、肯定ってことだよなあ? なあ、お前、すげえよ。よくもまあ、俺に盾突いたもんだよ、そこんところは褒めてやるよ……そうだ、良い事を思い付いた」

 そして壱號は、意地の悪い笑みを浮かべた。邪悪の限りを、ユリアはそこに見た気がした。壱號は、一言だけ言った。

「お前、俺の女にならないか?」

 静寂、次いで壱號の笑い声。まるで心の伴わない空っぽな発言。ユリアは理解できない。

「いいな、これ、最高だ。お前、俺の女になれよ。お前が俺の女になれば、こいつは助けてやる」そしてまた笑い声。うるさいくらいの笑い声。笑い声がアジト中を駆け巡った。「そうだ、愛人だ、愛人! そうだよな、だってお前はあの貴族の愛人なんだから! こりゃあ傑作だ!」

 パンッ、と乾いた音が響き、壱號の笑い声が止まった。誰も彼もが言葉を失った。ユリアの平手が、壱號の左頬を引っ叩いていた。

 壱號の青白い顔に戸惑いの表情が浮かんだ。そしてそれはすぐに消え去り、壱號の真顔がユリアに向いた。恐ろしい顔だった。ユリアは目をつぶり、身をすくめた――殺される覚悟をした。

 鮮血が飛び散った。真っ赤な血が、遥か高い天井に向かってぶちまけられた。

 ユリアは顔面に生暖かい血漿を浴びた。固く閉じた目をゆっくりと開いた。眼前で、壱號の指がカクライの喉元に穴を開けていた。カクライは目を見開いたまま絶命していた。ほとばしる血が出尽くしてから、壱號は、冷めた声でユリアに言った。

「お前が、殺したんだ。俺はこいつを助ける機会を与えたのに、お前はそれをふいにした。だから、こいつはお前が殺したんだ」

 壱號はカクライの死体を放り出し、黙って去っていった。

 ユリアは、腰が抜けてその場にへたり込み、気を失ってしまった。

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