第参章の漆【アジト】1/3
壱號が率いる〝歪な鉄の腕″。
彼らが、現在アジトにしている地下空間には、ざっと百五十人近くの人間が住んでいた。これだけ広い空間が、一体何のために存在しているのか、また、この空間がアズマ都のどこら辺に位置しているのか、そこに辿り着いたばかりのユリアたちには全く分からなかった。だが、しばらくして長老から貰った黒い手帖を見て、おおよそのところを察した。ここは戦時中、軍が人体実験を行う極秘施設の一つだったである。
それならば、教会側でもすぐにこの場所が特定出来たはずだ。しかし、未だここには教会の手が伸びていない。その事を疑問に思い、ユリアは一度、ナイフの指の彼女に尋ねたことがあった。そして、その理由が分かった。
アジトに繋がる正規の通路は全て塞がれており、付近には教会の者が近づかないよう、歪な鉄の腕の者たちが随時、巡回をしていた。そして、近辺に教会の手が伸びそうになれば、その時は問答無用に、力に寄る排斥を行っていた。だから、この空間に辿り着くためには、壱號たちが秘密裏に
あの日、ユリアを助けたナイフの少女は、アジトを守るための巡回をしている最中だった。そして、およそ歓迎とは呼べない形でユリアたちは、テロリストとの対面を果たした。
「何だ? お前ら……?」
壱號は、その空間の中央に積まれたガラクタの山の上から、ユリアたちを見下ろした。羽織ったマントの隙間から、例の鋼鉄の腕が垣間見える。ナイフの少女が答える。
「巡回の途中で、シヱパアドに襲われてるところを助けたの」
「そうか。お前らは皆、複写人なのか?」壱號が尋ねる。
ユリアは頷く。
「ふむ……ロクムネ!」
壱號が大声で誰かを呼び、手に持っていたファイルを閉じた。紫の装飾が施された奇妙な薄い台帳だった。それから、壱號はゆっくりとガラクタの山を降りてきた。男の狂気を感じてか、テオやマオがユリアの足にしがみついた。
「さて、検査の時間だ」
そばまで来て、壱號が縮こまる子供たちに言った。そして丸眼鏡をかけた細身の青年がやってきた。彼もまた歪な鉄の腕――鈍く
「さて、そこの少年。こっちへ」
壱號がレンズを手にして、ナナヒトに声をかけた。ナナヒトは一瞬、不信な目を向けたが、大人しく壱號へと一歩近づいた。壱號がレンズを通して、ナナヒトを見た。すると、ロクムネ青年の持っている端末が緑色に点灯し、小さく音を鳴らした。
「合致。複写生命です」ロクムネが言う。
「ふむ。では、次。そこのお嬢さん」
お嬢さんと呼ばれたハナは、不安そうにユリアを見上げた。ユリアは小さく頷き返した。壱號が、ナナヒトにしたようにレンズをハナにかざす。機械が再び音を立てた。ユリアはそれが複写人かどうか判別するため装置だと気が付いた。恐らくゴダイと同じように、御聖廟に不正接続して、複写生命の遺伝子情報を盗んだのだろう。
テオとマオの認証も済んで、ユリアにレンズが向けられた。数秒の間。機械は何も告げなかった。壱號が首を傾げて、隣に控えるロクムネを見た。
「機械は正常に作動しています」
壱號がもう一度、ユリアをレンズ越しに見た。長い髪を後ろに撫でつけた青白い顔。その目の奥底に潜む赤黒い光。
機械は沈黙をしたままだった。
「……お前は、複写生命ではないな?」
ユリアは首を微かに横に振る。
「いえ……複写生命です」
「だが、照会情報に反応しない。お前の記録はどこにもない」
「……情報が足りていないってことは考えられませんか?」ユリアが問う。
「あり得ない。あり得るか? ロクムネ」
「いえ、それは考えられませんね……」
「だ、そうだ。だが、まあ、ここに来るのに複写人である必要はない。スラムの出身で、教会を敵視する者であれば、俺は誰でも歓迎する」
壱號は小さく笑みを浮かべた。ひどく嫌な笑みだった。そしてその顔をユリアに近付けた。指一本分の距離だった。
「だが、お前は何だ? お前は今、俺に二つ、不信感を募らせたんだ」
機械の手がユリアの頬をそっと撫でた。殺すことを目的にした血の通わない冷たい手。ユリアの身体が固まる。
「一つは、俺に嘘をついたこと。そして、もう一つ……お前、この国の人間じゃないだろう?」
壱號の息がユリアにかかる。
「薄汚れてはいるが、その金髪は地毛だ。それにその青い目……お前、何者なんだ?」
「……嘘なんか、ついてません。私も複写人なんです」
壱號の眉間に皺が寄った。しまった、ユリアはそう思ったが、すでに遅かった。壱號が恐ろしく冷めた目でユリアを見下して、踵を返した。次の瞬間、鋼鉄の腕が一閃し、ガラクタの山を破壊した。恐ろしい音が響き渡った。マオ、テオ、ハナが悲鳴を上げた。
「嘘を! つくなっ!」
けたたましい怒声。
「壱號さん、抑えて下さい」
ロクムネが慌てて、壱號のそばに駆け寄る。壱號がユリアを見つめた。もうすでにその目には、何も映っていなかった。興味を失った空っぽの眼球だけがあった。
代わって、ロクムネがユリアに尋ねる。
「君、足の裏は?」
ユリアは首を振った。どうせ、足裏にも自分が複写生命であることを示すものは何もない。
「サンジョウ、こいつを外へ。ここに置いておく理由がない」
壱號が事務的に言い放った。ナイフの少女――サンジョウが、ユリアの両脇に腕を入れて、身体を引こうとする。ユリアは抵抗をした。子供たちがうろたえ始めた。
「ちょっと待って!」
ユリアが声を張り上げた。
立ち去りかけていた壱號は、歩みを止めて、ゆっくりと彼女に振り返った。
「私はこの子たちと一緒にいなくちゃいけない! だから、私をここに!」
「……なあ? じゃあ何で、嘘なんかついた? 初めからスラムの女だと言えばいいものを……第一……金髪青眼の複写人なんか、とてもじゃないが、考えられない。この国じゃあ、あり得ないんだよ」
壱號は背を向けて、再び歩き出す。ユリアがその後姿に叫んだ。
「だから、私は、その西洋人の複写人なのっ! ダイスマン・
テロリストの足が止まり、ユリアを向いた。
「……何? お前、今何て言ったんだ?」
「……ダ、ダイスマン・ウォヱンラヰトの愛人の……」
「ちょ、ちょっと待て……お前、あの貴族院議長のダイスマン・ウォヱンラヰトの女なのか?」
ユリアは小さく頷き、ぐったりと頭を垂れて――
「女って言うか……多分、愛人の代わりとして……」か細い声で答える。
壱號は、口元に手をやって考え込んだ。
「ロクムネ、お前、今の話どう思う?」
「……さあ、どうでしょうね……ただ、もしも本当なのだとしたら、まあ、御聖廟内の複写生命情報に記録がない事も一応説明はつきます。それに足裏の生体符号も、貴族の出であれば、無いかもしれませんけど……」
壱號は怪訝な目で、ユリアをジッと見つめる。
「……置いておくんですか?」
ロクムネが不安そうに尋ねる。
「……もしも今の話が本当なら、この女にも価値がある。あの貴族が、複写生命に手を出していたという証拠になるのだから」
「ですが、それが本当かどうか、確認する
「まあ、いいさ。いつか何かに使えるかもしれない。それに――」
壱號はユリアに近づいて、歯車の回る音を立てながら、彼女の顎にそっと指をかけた。ユリアの目に嫌悪の色が滲む。
「もし、こいつが何かを仕出かそうとも、俺たちが見張っていれば問題はないだろう」
そう言って、壱號は手を離した。
「お前、名前は?」
「……ユリア・ウォヱンラヰト」
「ユリア・ウォヱンラヰト。ふははは、おかしな名前だ」
そして、甲高い笑い声を上げて、壱號はその場を後にした。
子供たちは怯えた様子で、ユリアの周りに集まってきた。ユリアたちは放りだされた格好だった。
どうしたらいいのか分からずに立ち尽くしていると、サンジョウが不機嫌そうに声をかけた。
「……あんたたち、今日からここで暮らすんなら、それなりに
ユリアは固い表情で頷いた。だが、その場から動くことが出来ない。サンジョウがそんな様子を見て、頭を掻く。
「ああ、もう……。ったく、いいから、こっちに来て。色々教えるから」
そう言って、サンジョウはユリアたちの手を引いて、アジトでの生活について一通り教えて回った。
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