第参章の陸【楽園】

 ゴダイが終楽ノ園に放り込まれてから、二ヶ月と少しの時が経った。外はすでに冬の様相を呈し、地面には霜が降り始め、時折チラつく粉雪があった。

 白い息を吐きながら、ゴダイはジュウゾウと食堂のあるガレヱジガレージへと向かう。二人はつい先ほどまで、他の複写人たちと共に用水路の工事に従事していた。工事と言っても大掛かりなものではない。木片で囲った用水路のあちらこちらにあった、腐って朽ちた箇所を修理修繕する程度のものだった。だが、この寒空の下だ。従事した複写人は皆、汗をかきながらも、仕事が終わればすぐに手足の先までかじかんでしまう。

「まあ、こういう時は、鉄の腕で良かったって思うよね」

 ジュウゾウが隣を歩くゴダイに軽口を叩く。ゴダイは、何も答えない。ジュウゾウが溜息をつく。

「しかし、お腹が空いたね。早く温かい料理を食べに行こうじゃないか」

 二人は集落の坂道を登り切り、幾つかもガレヱジが並ぶ通りに入る。そこには集会場や、遊技場、複写人が寝泊まりをする寮などがあった。

 だが、この間までゴダイがいた独房は、そこよりもさらに山を登った先にあった。だから、ゴダイは教皇に独房から出る許可をもらったあの日以降、ナリタカを見ていない。聞くところによれば、この園には十数人の準シヱパアドが常駐しており、ナリタカはそれを統括する責任者だということだった。


 あの日、ナリタカに叩きのめされ、墓を目にしたあの時から、ゴダイは自分のなすべきことが分からなくなっていた。それまで自分には力があると思っていた。ユリアたちとの生活を守るだけの力があると信じていた。

 だが、そんなものは全てただの子供じみたおごりに過ぎなかった。一体どこで何を間違えたのか。ナナヒトを救おうとしたことか。それともあの襲撃で教皇の前に立ったことか。何が悪かったと言うのか。自分は理不尽な暴力に抵抗した。ただそれだけだった。間違ったことは何一つしていないつもりだった。だが、結果は散々だ。何一つ上手くいってない。何一つだ。誰かの複製であるせいで、この左腕のせいで、ゴダイは惨めにも、今ここにいる。

 大事な人たちと平穏な暮らしを営むことが、何故これほどまでに難しいのか。ゴダイは自身の境遇を恨みそうになる。

 そして最大の皮肉は、教会の用意したこの集落で、彼には平穏な生活が与えられているということだった。天に最も近いこの場所で。偽りの楽園の中で――。


 そこでの生活の一から十について、そのほとんどをゴダイはジュウゾウから教わっていた。自棄に陥っていたゴダイにとって、彼の講釈はわずらわしいだけのものであったが、彼はゴダイを一人にはさせてくれなかった。ゴダイにはそれが監視の目のように感じられた。

「いや、そんなつもりはないよ」ジュウゾウがある時、ゴダイにそう言ったことがある。「僕はただ同じような友達が欲しかっただけだよ」

「友達?」

 ゴダイが不信の眼差しを向ける。

「そんな目で見るなんて、君は酷い奴だなあ」

 ジュウゾウは人懐こい笑みを浮かべる。

「ここには複写人も沢山いるし、皆とも仲良くやれているけどさ。ほら、僕はちょっと変わっているだろう」

 彼は黄金こがね色に輝く機械仕掛けの腕を広げる。

「だから、君がここに来るって聞いた時は、ちょっと嬉しかったわけさ。僕と同じ鉄の腕が来るって分かってさ」

 そう言って、ジュウゾウは事あるごとにゴダイと行動を共にした。ゴダイにしてみればいい迷惑だったが、ここで生活をする以上、彼の助言を全く仰がないわけにはいかなかった。

 以前ナリタカがゴダイに言った通り、ここでの生活に不自由はほとんどなかった。もちろん、園内では何人もの準シヱパアドや教会職員による監視があったし、多少の労役もあったが、少なくとも衣食住や娯楽の類は大抵用意されていた。それに、幾らかの労役は、複写人たちの余りある時間を潰すのに役立っていたし、事実ここにいる若い彼らの日常に、幾らかの張りも与えていた。


 その日の労働を終えたゴダイたちは、食堂へと入った。食事を盆に乗せて、席に着く。今日はきじと山菜の炒め物と豆のスウプだった。

 スウプを口に運びながら、ゴダイは何となしに窓の外を眺めた。葉のない死んだ木々が、風に激しく揺れている。さっき外にいた時よりも、その勢いは強まっているようだった。ゴダイは頬杖をつく。

「変なことは考えない方がいいよ。多分この調子だと夜は吹雪だ」

 隣に座るジュウゾウが声をかける。うわの空だったゴダイは、ジュウゾウに向く。

「……変な事?」

「君さ、気が付いてないかもしれないけど、いつも塀の外を見てるよね?」

「……そうかな。そんなつもりはなかったんだけどな」

「ここを出るの、まだ諦めきれてないんじゃないの?」

「いや、そんなつもりはないよ」

「そう、それならいいんだけどさ。もし、どっかから出ていこうとしても、必ず監視の目に見つかる。それにその時だけどうにか逃げ出せたって、結局、労役の際に君がいないことがばれる」

「だから、そんなつもりはないって言ってるだろ」ゴダイの声がわずかに大きくなる。「もしも無事にここから逃げ出せたって、俺の代わりに誰かが犠牲になるんだ。そんなこと出来るわけがないだろう」

「……ごめん、君の気を悪くするつもりはなかったんだ」

 ジュウゾウが謝った。ゴダイは彼を一瞥して、食事に戻った。

 そう、ただ出ていくだけなら何の問題もない。そんなことは、ゴダイが一番分かっていた。だが、ゴダイがここを出ていけば、ここにいる複写人が五人――それも完璧に無意味かつ無慈悲に――殺される。状況は完全に行き詰っていた。ゴダイ自身が誰かを犠牲にするだけの覚悟がないのであれば、外に出ることは出来ない。全てを敵に回してでも、戦うだけの勇気はなかった。結局、どれだけの力があったとしても、ゴダイの望みは叶わない。あまりにも理不尽だと思った。

「もう、疲れたんだよ……」

 負け犬の言葉だった。

 ジュウゾウが憐れむようなまなざしをゴダイに向けた。

「そんなに落ち込むこともないよ。ここでの生活だって、そう悪いもんじゃない。適度な労働に、適度な食事。ある程度の自由も与えられているじゃないか」

「……そうだな、まるで家畜みたいだ」

 ジュウゾウが鼻白んだ目でゴダイを見つめた。ゴダイは言葉が過ぎたことに気が付く。これじゃあまるであのテロリストと同じ物言いだった。

「悪かった。別にここに住んでる君らを馬鹿にしたつもりはなくて……」

「……いや、いいよ。でも、そうだね……家畜か、まあ、言い得て妙だよね」

 ジュウゾウが乾いた笑いをこぼす。

「……」

「君には、向こうにも居場所があったんだね」

 ゴダイはジュウゾウを見つめて、小さく頷いた。

「うらやましいね……僕なんか、研究所が破壊された後は、施設をたらい回しにされてたから……」

「……まあ、俺も似たようなもんだよ。でも、そうだな。俺はたまたま運が良かったんだ……」

「外の世界って、こことは全然違うんだろう」ジュウゾウが身を乗り出して尋ねた。

「うーん……俺がいたところは、スラムだったから何とも言えないけど……そうだな、ベヱベヱチョコのクッキィとかさ、そういうのは出店で見かけたことあるよ」

「ベヱベヱチョコ?」

「お祭りの屋台でよく出てる奴だよ」

「ふーん……」

 ゴダイは、あの即位式の祭典で出店を回るはずだったユリアとの約束を思い出す。胸が激しく締め付けられる。あまりに遠い日の出来事のように感じられる。守られなかった約束。悔恨の情が、心の奥底に沸き上がりそうになり、ゴダイは急いで話題を変えた。

「でも、君だってその腕があるんだ。施設から逃げ出すくらい、訳なかっただろう?」

「……うん、そうだね。僕も昔、一度だけ脱走を図ったことがあるんだ。でも、駄目だった。結局逃げ切ることが出来なかった」

「それでここに?」

「いや、そうじゃない。脱走が失敗して捕まった時、僕はほとんど殺されかけていたんだよ。拷問まがいの暴力によって」

 ゴダイは何も言えない。

「でも、良い人がいてね。その人の助言で僕をここに収容することが決まって、何とか一命をとりとめたってわけなんだ。だからね、僕はここで生活できているだけで、十分過ぎるくらいなんだよ」

 ジュウゾウが笑顔でゴダイを向いた。ゴダイは言葉を返せない。それが正しい事なのか、判断が付かない。黙り込んでいると、ジュウゾウが言った。

「でも、君の腕は、僕のとはずいぶん違うんだね。一体それ、何で出来てるの?」

 ジュウゾウがゴダイの腕を見る。銀色の腕。明らかに鉄製のそれ。だがそれは、壱號やジュウゾウの腕とは違い、歯車やパイプで構成されたものではない。

「ああ、これ? これは正確には機械仕掛けじゃなくて……」

 その時、辺りが妙に騒がしくなった。周りの者たちが皆、立ち上がっていた。食堂内にあるテレビの前に、人々が群がり始めている。

 ゴダイたちは顔を見合わせる。そして周りにつられて席を立ち、テレビの方へと近づいていった。誰かがテレビの音量を大きくし、キャスタァの緊張した声が聞こえてきた。

「――それではこれから、緊急記者会見の模様をお送りします。聖皇庁、記者会見室より中継です――」

 ゴダイは、人混みの間から、テレビの画面を見た。そこには、大柄で屈強なシヱパアドが、厳粛な面持ちで映っていた。大仰なテロップが、その人物が誰かを教えてくれていた。

 聖皇庁警護局・タケミカヅチ部隊長。つまり、シヱパアドの総大将。

 そう、保護の名の下に、全ての複写生命を狩る、神のしもべである。

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