第参章の伍【逃避行】2/2

 軍式聖衣ぐんしきせいいを身に纏うシヱパアドが三人。黒い炭素高甲冑たんそこうかっちゅうに、電メスを銃剣として携えたライフル銃。教義を説き、人々の命を略奪する、矛盾の極致。

 一人が声を発した。およそ個性を剥ぎ取られたような、無味な声だった。

「貴様は何だ? ここで何をしている?」

 ユリアは、不安を悟られないように、無理にでも、笑顔を称える。声は出ない。

「そこを出ろ」

 銃を向けられて、ユリアは震える足を二歩だけ動かし、階段の外へ出た。後ろ手で、扉をそっと閉める。

 ユリアは、微かに視線を右に動かした。豆電球の弱々しい光だけでは、長老とニイダに何が起こったのか分からなかった。泣き出しそうになる。

「貴様は何なんだ? 似て非なる者か?」

 ユリアは首を横に振る。大丈夫だ、自分にそう言い聞かせる。ユリアの足裏に番号はない。今ここで、ユリアが複写人かどうかは判断されない。今この場で保護される可能性も低い。だから、彼女は率先して矢面に立ったのだ。

「靴を脱げ」

 大の男が三人、少女一人に向かって、銃を突きつける。ユリアは声を大にして言いたかった。一体、私たちが何をしたというのか。ユリアは、三人のうちの一人、隊長格の男を涙目で睨みつけた。

「何だ? その顔は……」男が鋭い眼光で睨み返す。

 ユリアは怯んで、大人しくしゃがみ込む。そして震える手でブウツの靴ひもをほどき始めた。

「早くしろ」

 銃が頭に突き付けられる。ユリアの動きが固まる。呼吸が止まりそうになる。

 すると突然、何の前触れもなく、水が跳ねる音が聞こえてきた。それは、全く緊張感のない足音だった。ユリアは顔を上げた。足音は左から聞こえてきた。シヱパアドの三人も、そちらに目をやった。少女が一人、こちらに向かって歩いてきた。

「お前ら、教会の犬だな……」

 少女のハスキィな声が地下道に響いた。

 その少女は、ユリアと同じくらいの背格好だった。ファアファーの付いた革のジャケットと黒いビロヲドビロードワンピイスワンピース、真っ赤なレギンス、そしてハイテクスニヰカァスニーカーといった、今このシチュヱ々ションシチュエーションには全く似つかわしくないファッシオンファッション

 棒付きキャンデヱキャンディーを舐めながら、彼女は言った。

「私が質問してるんだ。答えろよ」

「何だ、お前は!」

 三丁のライフルが、その少女に向けられた。

 そして次の瞬間、水面みなもを駆ける足音が響き、少女はシヱパアドたちの懐に素早く潜り込んでいた。

「おっそいな」

 そう呟いて、少女が腕を振り上げる。ユリアの目の前に、何かが、音を立てて落下した。それは真っ二つに叩き切られた銃身だった。

「な、何だ、貴様は!」

 隊長格の男が叫んだ。少女は、まだ破壊されていない隊長格のライフルを右手で掴み、相手の眼前で左手を開いて見せた。

「この腕を見れば分かるでしょ」

 少女が狂気を滲ませた笑顔で答えた。か弱い電光の下、彼女の指先はナイフのように鋭く、黒く艶やかに光っていた。

「鉄の腕っ!」

 男がそう叫んだ瞬間、少女の指の一本が、敵の喉元を深く突き刺していた。男の言葉は途中で立ち消えて、代わりに血を吹く音があふれ出た。

「お、お前っ!」

 残りの男たちが、銃身を失ったライフルを捨て、腰に装着したサアベルサーベルに手をかけた。

 だが、何もかもが後手だった。まるで遅すぎた。

 彼女は風切り音を立てて、左足を振り上げた。回し蹴りが相手の顔面に蹴り込まれる。次いで、残る男へ後ろ向きで踏み込んで、一閃。彼女の右足が男の腹部に一直線に入った。鉄の腕の少女は、地べたを這いずり、うめき声を上げる男たちの喉元にナイフの指を突き刺していく。その様子が恐ろしく事務的で、ユリアは背筋に寒いものを感じる。

 そして、大の男三人の死体がそこに出来上がった。

「……あなた、大丈夫?」

 ユリアはその場にへたり込んでしまい、自分に声が掛けられたことに気が付くまで、十秒近くの時間を要した。

「……え、ええ。だ、大丈夫」

 少しずつ状況を把握しなおし、答えたと同時に、長老とニイダのことを思い出す。

「ちょ、長老たちが……」

 ユリアは力の入らない下半身を鼓舞しながら立ちあがり、二人の消えた右手の丁字路へよろよろと歩き出す。けれども、数歩歩いたところで、腰砕けに屑折れた。もうそれ以上先には行きたくないと思った。だが、それでもユリアは立ち上がり、もう一歩、もう一歩と、不恰好に駆けた。

「ねえちょっとちょっと、あなた、ホントに大丈夫? 何? 何かがあるの?」

 水を跳ねながら、鉄の腕の少女が着いてくる。ユリアは振り返らない。

 行った先に何があるかは、内心きっと分かっていて、絶対に見たくはなかった。だけど、それでも、自分の目で見ないという選択もやっぱり出来ない。

 ユリアは曲がり角まで来た。

 ニイダが、倒れていた。腹部からは、血が流れ出ていた。

「ニイダさんっ!」

 ユリアは服が汚水に浸かることも構わずに、しゃがみ込んでニイダを抱き上げる。

「ニイダさんっ!」

 大声で叫んだ。ニイダは全く動く気配を見せない。ぐったりした肢体。青白い顔。

「これは……」鉄の腕の少女が、居心地悪そうにひとりごちる。

 ユリアの顔が悲痛に歪んだ。ニイダの骸の先に、もう一人、いた。

「長、老……」

 声にならない悲鳴に似た、か細い声。ユリアは、ニイダをコンクリイト舗装された箇所まで引き上げて、四つん這いで、長老の元へと近づく。

「長老! 長老っ! ねえっ! 目を覚ましてよ!」

 抱き上げた長老の身体をゆする。長老のコオトがべったりと赤く染まっている。だが、長老はまだ微かに息があった。右手がわずかに動いて、ユリアの手を取った。

「長老っ!」

 ユリアが涙目で叫んだ。長老の傷だらけの顔に、苦悶の表情が浮かぶ。それでも、その顔には幾ばくかの安堵も垣間見えた。長老は、ユリアの手を優しく叩く。それから、血で濡れた自身のコオトの胸ポケットを指差す。ユリアは、長老の言いたい事を察して、ポケットに手を入れる。そこに仕舞われていた血まみれの黒い手帖、それを受け取る。そして、長老は何かを言おうと口を開く。

「話さないでいいから」ユリアが言う。

 しかし、それでも口を開こうとする長老に、ユリアは耳を近づけた。

「……良かった」

 か細い、老齢な、ひしゃげた声。これがあの屈強な男の声なのか。

「あとは、ゴダイだけだ……」

 ユリアは顔を上げた。長老はほんの微かにニッコリと笑ってみせた。堪えていた何かが、一斉に崩壊した。ユリアは大声を上げて泣いた。ニイダと長老の名前を何度も叫んだ。

 しばらくして、一通り泣きやむと、辺りには、いくつもの人影があった。いつの間にかハナたちがユリアの傍らに立ちつくしていた。

「……長老、死んじゃったの?」

 ハナが涙目で尋ねる。ハナとマオはすでにぐしゃぐしゃに泣き腫らしていた。ユリアは、みんなを見返して、頷いた。

「二、ニイダも?」

 もう一度、頷く。

 子供たちもせきを切った様に、大声で一斉に泣き始めた。泣き声は、地下道に木霊した。ナナヒトはしゃがみこんで、鼻をすすり、ハナはユリアに抱きついてきた。テオとマオも泣きじゃくり、ユリアに駆け寄ってきた。ユリアは、ただ彼らを抱き返すことしかできなかった。

 鉄の腕の少女は、そんな彼女らを遠慮がちに見つつ、しばらくしてから言った。

「あなたたち、これからどうするの?」

 ユリアはゆっくりと立ち上がり、答える。

「決めてません……」

「あなたは、複写生命なの?」

「……はい、この子たちも含めて――」

 胸の前で掌を閉じたり開いたりしながら、鉄の腕の少女が尋ねる。

「もし、あなたたちにその気があればだけど、私たちのコミュニティまで来てもらっても構わない……どうする?」

 ユリアは子供たちを見た。ハナたちはその誘いに戸惑っているようだった。ユリアが決断しなければならなかった。そして、彼女の答えは決まっていた。

 ――何があったって、皆で生き伸びなくちゃいけない。

「……行きます」


 その後、長老とニイダの遺体を水から引き上げて二人をキチンと並べた。遺体にそっと、持っていた麻布をかけて、合掌をする。出来るお別れはそれだけだった。

「二人のことは残念だったわ……」

 前を歩く鉄の腕の少女が、ユリアに言った。ユリアは何も答えない。

「でも、アレ、普通の人間でしょう? 一緒に暮らしていて、問題なかったの?」

 鉄の腕の少女は、後ろを着いてくる子供たちに遠慮せずに、尋ねる。誰も何も答えない。ユリアは彼女の声の大きさに、シヱパアドが再び来るのではないかと不安になった。だが、彼女にとっては、それはきっと無用の心配なのだろう。

「ああ、でも、アレか。うちのコミュニティにも、スラムの奴らがいるしなあ。そういうことなのかな……」

 一団は、先刻長老たちを襲い、鉄の腕の少女に殺されたシヱパアドの遺体の横を通り過ぎる。辺り一面が、真っ赤な血で染まっている。

「てゆうか、あなたたち、武器は持ってなかったの?」

 鉄の腕の少女が、振り向いて後ろ歩きで聞いてくる。血だまりが跳ね、足跡が波紋を残していく。

 抵抗しなければ、殺されないと思った――そう答えたいのを堪えて、ユリアは黙り込んだ。長老やニイダと話し合って決めた生き方が、なんだか馬鹿にされそうだと思ったから。そして、それでいて、結局、無惨にも彼らの命は摘み取られた。ユリアは、ただ泣き喚くことしか出来なかった。そんな弱く惨めな自分が、どうしても許せなかった。ユリアは苛立ちと歯がゆさと、悔恨の情に囚われて、つい思う。

 銃を持っていれば、力さえあれば、長老たちを助けられたのだろうか。

 そして、ゴダイならばどうしただろう。あいつなら、今の私たちを救うことが出来たのだろうか。


 数時間後、ユリアたちは辿り着いた。そこは、巨大な地下空間だった。目的の定かでない機械の山の上に、そこのあるじがいた。

 男はユリアたちを見下ろして、言った。おそよ、祝福からは程遠い声色だった。

「何だ? お前ら……」

 ユリアはその男を見上げた。

 彼はゴダイと対峙した、あの男――壱號だった。

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