第参章の参【収容所】2/3

 牢のあった建物の外は、酷く寒かった。空は青く高く、空気は非常に澄んでいた。辺り一面は砂利に覆われ、その上に枯れた芝生が跋扈している。見れば、そこかしこに小さな雑木林が点在している。

 ゴダイが寒さに震えていると、ナリタカが厚手のコオトコートを一枚手渡してくれた。彼らが今までいた建物は、小高い丘の上に作られた味気ないコンクリイトの打ちっぱなしだった。なんとも寂しい場所だ――ゴダイはそんなことを思いながら、前を歩くリリアンヌたちによろよろと着いていった。

 そして、丘を下った先で、ゴダイの眼前に、想像もしていなかった光景が広がっていた。

「何だ、これ……」

 ゴダイは思わず呟いた。そこには、大きな集落があった。

 丘を下る石段を進み、四人はのどかな集落へと入っていく。山小屋や、畑、水車を回す小川があった。そしてそこには人々がいて、生活が営まれていた。道行くゴダイたちに、彼らは挨拶をした。

「これ、どういうことなんですか? 俺がいた場所は、複写人の保護施設だったんじゃないんですか?」

 ゴダイは前を歩くリリアンヌに尋ねる。リリアンヌは振り返って、ゴダイを見つめた。

「……説明が少し難しいのですが、大体のところは、そうですね、保護施設の一つと言って差し支えないでしょう。ここの集落全体で、一つの保護施設なのです。もっとも、あなたが先ほどまでいたところは、特別に設けられた独房ですけども……」

「それじゃあ彼らもみんな、複写人ってことですか?」

「ええ、そういうことになりますね」

 言われてみれば、目に付く人々は皆、ゴダイと同世代かそれ以上に若い人たちばかりだった。ここ二十年以内に生まれた者たちなのであれば、確かに複写生命なのかもしれない。

「でも、俺が知っている保護施設とは随分様子が違います。何でみんな外で生活しているんですか?」

「ここは、各州に設置された通常の保護施設とは少し違うのです」

「……?」

 リリアンヌはゴダイの疑問には答えず、顔を上げて何かを見た。その何かはゴダイの背後にあった。だから、ゴダイも後ろを振り返った。そしてゴダイは、今自分がどこにいるのかを、ハッキリと理解した。

 そこには、フジの山があった。

「ここは、似て非なる者の隔離居住区域。人によっては〝終楽ついらくその〟とも呼んでいます」

 そう、ここは樹海の中の最奥、複写人たちの最期の保護施設だった。


「今日あなたにお会いした理由は、二つあります」

 指を二本立てて、リリアンヌは話し始めた。

 ゴダイたちは今、集落から少し離れたところにある小さないおりの中にいた。付き人のタマヨリとナリタカは、庵の入り口付近に直立不動の姿勢で控えている。

「一つは、あなたにキチンとお礼を言いたくて……」

「お礼……?」

「ええ。あの襲撃の際、私やタマヨリを守ってくれたことに対してのお礼です」

 そう言って、教皇は深々と頭を下げた。ゴダイは戸惑う。

「いや、ちょっと……顔を上げて下さい……俺は別に、あんたを助けたつもりは……」

「あら、そうなの?」リリアンヌが顔を上げて、とぼけた調子で言う。

「それに、あんただって……その怪我……」

 ゴダイは包帯の巻かれたリリアンヌの左肩を指差した。あの襲撃事件の際、ナイフの女が指を突き刺した傷だった。何故か、あの時あの襲撃者たちは、教皇を殺さなかった。怪我だけさせて、行方をくらましていた。

「ああ、これ。まあ、怪我はしましたけど、大したことありませんから」

 リリアンヌは微笑む。

 だが、ゴダイは、先ほどから教皇が左腕を庇うように動いていることに気が付いていた。

「あんた、変わってるな。俺は、その……複写人なんですよ? そんな俺に礼なんか言わなくても……」

「そんなことは関係ありません。あなたに私を助ける気がなかったんだとしても、行動の結果に対しては、きちんとお礼を言うべきだと思うのです。だから、本当にありがとう」

 彼女はゴダイの手を取った。皇女のみどりの瞳に見つめられ、ゴダイは眼をそらしてしまう。

「あなたの方こそ、怪我とか、そういうのは大丈夫だったのかしら?」

 リリアンヌは、掴んだ両手のうち、全く機能していない銀色の左腕を見ながら、訊いた。

「いえ、別に大した怪我は……」

 それは事実とは少し異なる。実際には、あの襲撃の時、空に投げ飛ばされ、地面に叩きつけられたゴダイの足の骨にはヒビが入っていた。加えて、三日前の公園で受けた怪我も、酷くなっていた。だが、ゴダイは、自分が普通の人間よりも早く怪我が治ることを知っていたし、今それをここで説明する気にはなれなかった。

「でも、この左腕は……」

「ああ、これはただの電池切れみたいなものです」動かない左腕を右手でさする。

「電池切れ……?」

「ええ、まあ」

「では、充電すればまた動くんですね?」

「そうですね」

「良かった」リリアンヌは手を叩いて、笑顔になった。「あとでナリタカさんにでも言って、動くようにしてくださいね」

「……いいんですか?」

 ゴダイは驚いた。

「いいって何が?」

「いや、その、俺は普通とは違うんですよ? この腕がどういうものか、あんただってよく知っているでしょう?」

「ええ。でも、それが何か?」

「いや、だって……俺のこの腕は、兵器として作られたものなんですよ? それなのに、その……いいんですか?」

「ええ。だって、あなた、悪い人ではないでしょう?」リリアンヌのハッキリとした口調。「私たちを守ってくれましたし……それに、その腕でまさか事件を起こすつもりでもないでしょう?」

「ええ、それはまあ……」

「じゃあ、大丈夫じゃないかしら? それに、私たちの命の恩人が檻の中に閉じ込められているのも、我慢できませんでした。だから今日、あなたを外に出すために私はここに来たんです。それが、二つ目の理由」

「外に出て、いい?」

「ええ、何もあのような独房にいる必要はありませんから」

 ゴダイは笑みをこぼしそうになる。これは絶好の機会だった。今すぐにでもここを出ていき、ユリアたちのもとに向かいたいと思った。だが、教皇は言った。

「それでも、この集落からは出ないでいただきたいのです……」

 ゴダイの表情が陰るのを見ながら、リリアンヌは言葉を続ける。

「ごめんなさい。私に出来ることはここまでなんです。あなたは、その、気を悪くしないでほしいのだけれども、やっぱりどうしたって〝似て非なる者〟ですから……。父や、その取り巻きは、複写生命技術が生まれてからこれまでの二十年間、経典に忠実に従おうとしてきたんです。そういった教会の意向に、私はまだ抵抗することが出来なくて……。でも、この集落内の生活であれば完全に保障されています。多少の監視とかはあるけれども、それでも普通の保護施設に比べれば……」

 そこまで話すと、リリアンヌの声は尻つぼみに、小さくなっていった。

「……本当にごめんなさい。やれるだけのことはやったのだけれども……」

「別に……あんたに対して文句を言うつもりは……。でも、ここは一体何なんですか? 複写人が、普通に表を出歩いて、畑を耕して、生活をしている。街から隔離されたこんな場所で。俺たちが嫌われて、迫害されて、痛い目に遭っているのであれば、まだ理解出来る。でも、ここは何かが違う。一体、ここは何なんですか?」

「……先ほども言ったように、ここは、あなたたちにとって最期の場所なのです。あなたたちはこれから先もずっと、ここで生活をしていく。そういう場所なのです」

「それは、死ぬまでってこと?」ゴダイの声が僅かにこわばる。

「……ええ」

 ゴダイの顔がゆがむ。リリアンヌが弁解するように言った。

「分かっています、そんなことがおかしいということは。でも、それが教会の意向なのです……だから、私に出来ることは、あなたをさっきの独房から出すところまでで……」

 ゴダイは怒りに震えながら、立ち上がった。そして教皇に背を向けて言い放つ。

「……独房から出してもらったことには感謝します。だけど、あまりにも無責任だと思います。これから先の人生を、この集落で死ぬまで生活しろと……?」

 ゴダイの右腕に力が入る。リリアンヌは何も答えず、小さくうつむく。

「第一、あんたは教皇なんだ。俺たちを迫害してきた人たちの代表なんだ。それなのに、それなのに何を今さら、俺の前にのこのこやってきて、施しをしてやったみたいな態度を……ふざけてんのか、あんたは」

「違うっ! 私は別にそんなつもりでは……」

「まあでも、そんなことはもうどうでもいい。あの独房から出してもらえれば、あとはこっちのもんだ。俺は、勝手に出ていく」

 断固とした口調で言い切って、ゴダイは、うなだれる教皇を冷めた目で見下ろした。そして庵を出ていこうと出口に向かった。だが、ゴダイの行く手には二人のシヱパアドが立っていた。

「それはやめた方がいい」

 ナリタカが言う。ゴダイは、素行不良のシヱパアドを睨んだ。

「あんたには世話になりました。でも、俺を牢屋から出したのは間違いでしたね。俺はここから出ていきます……だから、そこをどいてください」

 だが、二人のシヱパアドは動かない。

 ゴダイは舌打ちをして、二人との衝突を覚悟した。

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