第参章の参【収容所】1/3

 ここでの生活がどのくらい経ったのか、ゴダイには正確なところが分からなかった。

 今、彼のいる場所は独房の中だった。時間の経過が分かるようなものは、何一つそこには無かった。三方を冷たいコンクリイトコンクリートで覆われて、唯一廊下に面した壁だけが、全面、強化ガラスで出来ている――そういう寂しい独房だった。


 ゴダイはあの襲撃事件で気を失った後、この独房に入れられていた。汚い木枠のベッドに横にされ、気が付いてみれば、目の前にはまた知らない天井があった。いつの間にか、あの御聖廟のある御教殿から、ここに連れてこられたに違いない。ゴダイはベッドからフラフラと立ち上がり、唯一その部屋にあったドアノブを回してみたが、もちろんそれは回らなかった。ガラスの壁を手の甲で軽く叩いてみる。機械化されていない右腕だけで壊せるかどうか、微妙なところだった。ゴダイはすでに満身創痍で、鉄の左腕は完全にその機能を停止していた。

 何もすることが出来ず、ゴダイは再びベッドに横になった。しばらくして、足音が近づいてくるのに気が付いた。

 顔を上げて見れば、青い聖衣に身を包んだ男がガラスの前に立っていた。よわい四十頃だと思われる。これまでの苦労を刻んだような険しい顔つきの男だった。

「起きたか……」

 男は一言そう呟いて、踵を返して行ってしまった。ゴダイが、男をもっとよく見ようとガラスに近づいてみると、男は独房へと戻ってきた。右手には皿をいくつか乗せたトレイを、そして左手には槍状の武具を持っていた。

 男はドアの前に着くと、床すれすれに設けられた小さな窓から、トレイを中に押し込んだ。

「それを食べるといい」

 壁に唯一開けられた小さな穴を通して――それが空気穴なのか、会話をするためのものなのかは定かではない――男が言った。断る理由もなかったので、ゴダイは床に座り込み、それを食べ始めた。味のしない冷めたパンとぱさぱさのサラダ。それからゴダイは、男に尋ねた。

「ここはどこなんですか?」

「ふむ……君は敬語が使えるんだな」

 男は皮肉めいた笑みを浮かべて、ゴダイを見下ろした。ゴダイは眉間に皺を寄せ、もう一度聞く。

「ここは、複写人の保護施設か何かですか?」

「そうだとも言えるし、違うとも言える。だが、私には何も答える権限がない」

 意味がよく飲み込めない。それでも、ゴダイは質問を続ける。

「俺はこの前の事件の後、ここに運び込まれたんですよね?」

「そうだ」

「どのくらいの間寝ていたか、分かりますか?」

 男は少し首を傾げてから、三日だと答えた。

「俺をここから出してはもらえないですかね?」

「ははっ、それは不可能な相談だ。君は、似て非なる者なのだから」

「……」

「君は、この独房で暮らすほかはない。申し訳ないが、諦めたまえ。食事は日に三度、決まった時間に持ってきてやる」

 そう言い残し、男は去っていった。ゴダイはガラスの壁を右手で一発殴りつけたが、それは全くびくともしなかった。ゴダイは諦めて、薄汚いベッドに横になった。


 それから、どのくらいの時間が経ったのだろう。独房で目を覚ましてからの十数日間、ゴダイは日数を数えていたが、そのうちに無意味だと思い、やめてしまった。そして、その無為な日々の中で、ゴダイは男と少しばかり会話を交わすようになった。男の名前はナリタカといった。ナリタカの身に着けている聖衣は、ゴダイの知らない物で、準警護隊の着用する服だということだった。

「準警護隊?」

「そうだ。通常の警護隊員みたいに、保護活動や護衛任務を任されない、中途半端な警護隊員のことさ」

「へえ……初耳です、そんなのがいるなんて」

「まあ、普通はそうだろう。そんなに数は多くないからな。大体は、正式な警護隊員から降格させられた奴がなるもんなんだ」

「降格?」

「そう、降格。素行が悪かったりするとな、教会からお叱りを受けるんだ。私なんかは、少しの酒とたばこ、あと他にも色々とな。まあ、何かと言うことを聞かない隊員だったから」

「ふーん……あなたみたいに不真面目なシヱパアドがいるとは思いもしなかった」

「そりゃあ、世の中いろんな奴がいるからな。私なんかは、金のためにやってたんだ。正直言って、別に信仰に厚いわけじゃない」

 ゴダイは何も言わずに、その不良聖職者を見た。ナリタカは廊下の丸椅子に腰かけて、眠たそうに一つあくびをした。

「君は、酒やたばこはやるの?」

「いや、俺、未成年ですし……」

「そうか。じゃあ、女は?」

「女って?」

「娼婦とか、そういうのさ」

「ありませんよ」

「じゃあ、彼女は?」

 ゴダイは、口をつぐむ。

「……いたのか。それはまあ、何ともなぁ」

「何ですか、その言い方」

「いやいや、別に君の気分を害するつもりはなかったんだけどね」

 ゴダイはそれ以上何も言えない。これまで、この狭い独房の中で、動かない左手を持て余しながら、出来るだけ考えないようにしてきた。だけれども、どう頑張っても、ユリアたちの事を思わない日はなかった。どうにかして、ここから出ないといけない。ゴダイは唇を噛んだ。

 そして一週間後、わずかな希望がゴダイの前にやってきた。

 その日の朝、ナリタカは朝食とは別に小さな包みをゴダイに渡した。

「今日、君に大事なお客さんが来る。これはただの囚人服だけど、今までの汚いものよりは幾らかマシだろう。着替えるといい」

 ゴダイは包みを開いて中を見る。中には綺麗に洗濯された灰色の囚人服が入っていた。

「客って……誰なんですか?」

「すぐに分かる」

 ナリタカはそっけなくそう答え、行ってしまった。

 三十分後、廊下の奥の金属製の扉が開く音が鳴り響き、誰かが廊下を真っすぐにゴダイの独房へと歩いてきた。足音が一人分ではない。ナリタカだけではないようだ。ゴダイはガラスの壁に近寄って、その客人を見ようとした。

 姿勢を正し、慣れない足取りでこちらに向かってくるナリタカの後ろに、その人物はいた。それは、現教皇リリアンヌ、その人であった。

 ナリタカ、リリアンヌ、そして彼女の付き人のシヱパアドの三人が、ガラス壁の前で立ち止まった。ナリタカが敬礼をして、声を上げた。

「こちらが、先日の襲撃事件の際に鹵獲した、似て非なる者の一人であります」

 リリアンヌが軽く右手を上げ、ナリタカに礼を言う。そしてゴダイに向いた。彼女の襟元から左肩にかけて、白い包帯が巻かれていることにゴダイは気が付く。

「やっと、会えましたね。私は、アマツカミ=リリアンヌ。極東御十教皇きょくとうごづきょうこうになります。あなた、お名前は?」

 リリアンヌがゴダイに微笑む。ゴダイは戸惑った。いきなりの来訪者がまさかあの教皇だとは、全く思いもしなかった。

「……ゴダイ」

 ただその一言だけを返す。

「ゴダイ。名字は?」リリアンヌが聞き返す。

「名字はない……」

「へえ、本当にないのですね。いえ、ごめんなさい。あなたに関する資料はこちらに来る前に、一通り目を通してきたのですけれども……名前を少し不思議に思っていて……」

 ゴダイの眉間に皺が寄る。

「でもまあ、私たちにも苗字はありませんから」

「はあ……」ゴダイは曖昧に頷く。

「で、ゴダイというお名前は〝素体製造第五世代型〟とか、そういうところから取って付けた名前なのですか?」

「……驚いた……教皇にもなると何でも調べがつくんですね」

「貴様、教皇に向かって何て口の訊き方だ」

 教皇のそばに控えたシヱパアドが声を上げた。

「タマヨリ、そんなことで怒らないで。彼は私たちの命の恩人なのよ?」

「……ですが……いえ、すみませんでした」

 タマヨリは、深々と頭を下げた。

「そうですね、教皇にもなれば、大概の情報は手に入ります。これも、国防省の官僚に依頼をかけて集めてもらったんです。戦時中の機密事項の中にあなたが生まれた研究所の資料が残っていたんです。でもまあ墨塗りだらけの資料で、判別できる箇所はそう多くはありませんでしたけれども……」

 そう言って、彼女は脇に抱えた革の書類入れをチラリと見せる。

「あなたにはお礼も言いたいし、色々と話したい事もあります。そうですね、ちょっと外に出ませんか?」

「外?」

 ゴダイは、教皇たちの後ろに控えるナリタカを見た。ナリタカは緊張した面持ちで頷いて、ベルトにかけた鍵束に手をかけた。

「ええ、私が許可しました。あなたをこの牢から出すと」

 リリアンヌが事も無げに言う。ナリタカが強固なガラスの扉を押し開いた。

「大変だったんですよ。父には頭を下げなくちゃいけないし、ほうぼう回って色々と書類を作らなくてはならなくて」

 リリアンヌは小さく笑った。

 そして、ゴダイはおよそ一か月ぶりに外の世界に出た。

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