第参章の参【収容所】3/3

「……ねえ、いくら俺が弱っているからって、あんたたち二人くらいなら、難なく逃げられると思いますよ。それに、二人を傷つける理由もない。だから、そこを……」

「君は何も分かっていない。君はここを出ていくことは出来ない」

 タマヨリが冷たい声で言う。ナイフのような鋭さを持った声だった。

 ゴダイは眉をしかめた。俺に飴をよこしたと思えば、これだ……こいつらは、いつでも相手が自分たちの思い通りになると信じているんだ。彼らが正しい云われなんか、どこにもないっていうのに――。

「……その傲慢さが、あの失態を招いたんじゃないのかよ?」

「言っていい事と悪いことがある。君はやはり危険だ。あの独房に戻す必要があるな」

 タマヨリが、自身の胸の前で、威嚇するかのように指の骨を鳴らした。そして一瞬の静寂。次いで、地を蹴る音が響き、ゴダイが一気に駆け出した。

「……っ!」リリアンヌの声にならない悲鳴。

 このまま力尽くで、庵を駆け抜ける――ゴダイは右腕に力を込めた。

 だが次の瞬間、ゴダイの眼前で何かが煌めいた。

 槍――ナリタカの持つ槍だった。

 瞬きの合間に距離を詰めたは、ゴダイの右肩に迫る。避けきれない。肩を突かれたゴダイの右腕は、振り上げることも叶わず、姿勢を崩される。その隙は見逃されない。

 ナリタカが超低姿勢を取って、ゴダイの懐に潜り込んだ。まったく無駄のない見事な体技。二人の眼がかち合う。

 ゴダイはその瞬間、気が付いた――相手を舐めていた。

 だが、すでに遅い。

 次の手が繰り出された。

「すまんな」

 ナリタカの拳が、ゴダイのみぞおちにめり込んだ。

 うめき声を上げ、ゴダイは膝を折って、そのまま床に倒れ込んだ。呼吸が定まらない。足音が近づいてきて、タマヨリがそばに立った。

「噂にたがわぬわざですね、ナリタカさん……あなたほどの人が何故下野げやしたのか、分かりかねます」

「何を言ってるんですか。強化人間のあなたには及びませんよ……」

「そうですかね……」タマヨリは頭を掻く。「私はあの襲撃では何の役にも立てませんでしたから……」

「タマヨリ、それにナリタカさん、こんなやり方は認められないわ……」

 リリアンヌが言う。

「……すみませんでした。ですが、彼をここから出すわけにはいきませんでしたので……」

 そう言って、タマヨリはゴダイを見下ろした。

「君に忠告しておこう。この集落の周りは全て五メヱトルメートル級の壁で囲まれている。もし誰かがそこから逃げ出せば、監視カメラでそれを追うことが出来る」

 ゴダイは、苦痛に満ちた顔を上げる。

「それが、何だっていうんだ」

「そうだな。確かに君には、五メヱトルの壁も監視カメラも意味を成さないかもしれない。だが、もし君がここを出ていけば――」

「タマヨリッ!」リリアンヌが制すような声を上げた。

 タマヨリはあるじの言葉を無視した。

「もし君がここを出ていけば、その時はこの集落にいる似て非なる者を五人、処刑する」

「……何?」

「分からないか? 君がここから逃亡すれば、君の代わりに五人の複写人を殺すと言ったんだ」

 ゴダイは何かを言おうとした。だが、言葉が何も出てこない。思考が止まりそうになる。俺の代わりに、別の誰かが殺される?

「だから君はここを出られない。今、我々を殴りつけて、外に出ていってもいい。だが、その時は、誰かが君の代わりに死ぬことになる」

「……お前らは……お前らは、本当に、ほんっとうに、クズだっ!」

 ゴダイは身体を起こして、シヱパアドを見た。目には、二人を殺さんばかりの怒りが灯っている。ふらふらと立ち上がり、後ろに立つ教皇に向いた。

「あんたも、最低だっ……!」

 リリアンヌは泣きだしそうな目でゴダイを見つめ、それから顔を横に振った。仕方がないとでも言うように――。

「ナリタカさん、彼に現実を見せた方がいい。ここから逃げ出す気が一切起きないように……」

 タマヨリの提案。ナリタカは頭をかき、中々動こうとしない。

「ナリタカさん」タマヨリが彼を急かす。

 ナリタカは溜息をついて、ゴダイを向いた。

「着いてこい……」

 ナリタカの覇気のない声。ゴダイは、動かない。ナリタカが外でジッと待っている。十数秒間、逡巡して、ゴダイは諦めた。心が折れそうになり、足を引きずりながら、庵を出た。敗北だった。動かない左手をみじめにぶら下げながら、ゴダイは歩いていった。教皇とその付き人は何も言わずに、ゴダイが去るのをただ見ているだけだった。


 林の中、二人は土埃の舞う野道を行く。前を歩くナリタカが一人、呟く。

「分かっている。これが最低な監視の仕方であることは……でも、ここにいれば普通の生活を営める。食事も寝る場所も用意してある。ここの敷地内から出ない限り、大抵のことは出来る。だから……」

 ゴダイは何も言わず、押し黙っている。だから、ナリタカもそれ以上は何も言わなかった。それから二人はただ歩き続けた。

「……なんでさっき、あんたは槍ので攻撃したんだ……?」

 しばらくして、ゴダイが痛む肩を抑えながら、小さな声で尋ねた。先ほどの庵での攻防で、ナリタカは槍の切っ先ではなく、持ち手の柄でゴダイの肩を突いていた。ナリタカは肩越しにゴダイを見て、答えた。

「切っ先でやったら、大怪我をするじゃないか……」

 そしてそのうちに、雑木林の中の小さく開けた場所に辿り着いた。

 ゴダイは、目の前にあるものが何なのか気が付いた。それは墓だった。木と縄で作られた十字架だった。およそ十五、六個だろうか。それらが無造作に点在している。ナリタカが、居心地悪そうに、ゴダイに言う。

「これは、この施設が出来てから処罰を受けた者の墓だ」

「あんたが殺したのか?」

 ナリタカは何も答えない。肯定とも否定とも付かない表情で、前の虚空を向くばかりだ。

「こんなものを見せて、何がしたいんですか?」ゴダイは声を押し殺して尋ねた。大声を上げたかった。「……あんたは、最低だよ」

「……いいか、君は教皇を守った。そのおかげで、その歪な左腕にも関わらず、こうやって外に出ることが許されている。これは、彼らが出来る最大の恩赦だ。ここの施設での自由は、私が保証する。ここからさえ出なければ、何をしても構わない……」

「だから……大人しくしてろって言うんですか……」

 ゴダイは悲壮に顔をゆがめた。酷い仕打ちだと思った。あんまりな現実だった。ゴダイにとって、ナリタカは――例えシヱパアドであっても――多少なりとも会話が成り立った、そういう稀有な存在だった。ゴダイは彼に、僅かではあったけれども、信用を抱き始めていた。教会にも理解しあえる人間がいるのかもしれないと、淡い期待を抱いてしまっていた。

 だが、そんなものは、空虚な幻想に過ぎなかった。

「そんなにイライラすることもないさ」

 その時、二人の後ろから不意に声がかけられた。ゴダイたちは後ろを振り向いた。そこには一人の少年がいた。年端はゴダイと同じくらいだろう。

「ジュウゾウ……」

「やあ、ナリタカさん、お疲れ様」少年はナリタカに小さく頭を下げて、二人に近づいてきた。

「君が噂の〝歪な鉄の腕〟か」

 少年の肩まで伸ばした薄茶色の髪、雪のような白い肌、黒い大きな瞳。まるで少女のような顔立ち。彼は、邪念を感じさせない笑顔――だがそれは、ゴダイには作り物に思えた――を称えて、握手を求め、ゴダイに右手を差し出した。

 ゴダイは彼の手を見て、驚いた。

 それは、バネとパイプと歯車の腕。

 そう、彼もまた歪な鉄の腕だったのである。

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