第弐章の参【過日】2/5
外の世界を二年ぶりに見たユリアの第一声。
「全然変わってない」
闇夜にまぎれているとはいえ、街並みは未だに瓦礫と廃墟で覆い尽くされていた。
「こっちだ」
遠くからゴダイの呼ぶ声が聞こえた。ユリアはそっちへ駆け寄った。
「ねえ、どこもかしこもまだこんななの?」
「こんなって? 瓦礫のこと?」ゴダイが歩きながら聞き返す。
ユリアが頷く。
「そうだなあ、場所にもよるけど……金持ちが住むようなところはどんどん工事してるかな。ああ、あと、アレだ。教会。アレもどんどん建てられてるな」
ユリアは、辺りを見回す。暗がりで分かりにくいが、少なくとも瓦礫の山々から離れていっているようには思えない。
「私たち、どこに向かっているの?」
「俺たちのコミュニティ」
「コミュニティ?」
「アニキが集めた何人かで
二人はしばらく歩き続けて、半ば廃墟と化した建物に辿り着いた。真四角な正方形のコンクリイトの打ちっぱなし。そしてそこら一帯は、崩れかけたアパアト等が建ち並ぶスラム街だった。ひとまずここで生活をするのなら雨風だけは避けられそうだと、ユリアはひとりごちた。
建物の割れた窓から、光がこぼれていた。中に入ると、十代から二十代くらいの男女が、十人程で焚き火を囲んでいた。ゴダイがユリアを皆に紹介する。皆からアニキと呼ばれていた男が、ここのコミュニティの
「ここにいる人は皆、どういう人たちなの?」
その日の夜、寝る前にユリアはこっそりとゴダイに尋ねる。
「色々だよ。戦争で親を亡くして施設に入ってた人もいるし、戦争に行って頭おかしくなっちゃった人もいるし……」
「ゴダイは?」
「……俺の場合は、父さんが死んじゃったんだよ」
「……ごめんなさい」
「別にいいよ。ここにいる奴らは皆、大抵どっか変だからさ」
「……戦争で死んじゃったの?」
「……違う、俺の父さんは、戦争が終わった後に殺されたんだ」
「殺された……?」
「うん。でも、よく覚えていないんだ」
ユリアはそれ以上何も聞けなかった。この前聞いた偽者の話も聞きそびれてしまった。そして疲れ切ったユリアは、ぼろ布の中で眠りこんでしまった。
それからの日々はユリアにとって、これまで味わったことのない刺激的な毎日だった。朝起きて、瓦礫の山と廃墟の中を歩き回り、ガラクタを回収する。売り物になりそうな物は修理や修繕をして、回収屋に引き取ってもらう。正確に言えば、それが盗みだということは、コミュニティの誰しもが理解しているところではあったが、そうでもしなければ食っていけない。誰かに止められない限り、彼らはそれを続けたし、ユリアもそれを手伝った。時には縄張り争いで、他のコミュニティと争うこともあった。怪我した仲間のために病院から薬をくすねたこともあった。大変なことだらけだった。汚いし、臭いし、危なっかしい。生きることにギリギリな精一杯の生活だった。疲れ切って、夜はただ寝るだけだ。だがそれでも、眠りに落ちる直前に見る、欠けた天井から覗く夜の星に、ユリアはそれだけの価値があるものだと思っていた。ユリアは今、生きていた。
ある日、ユリアとゴダイは、壊れかけの冷蔵庫を見つけた。ユリアは他の人を呼ぼうと言ったが、ゴダイは持ってきた台車に乗せると言って聞かなかった。どうにかして二人で汗だくになりながら、台車に冷蔵庫を乗せて運び出した。
「信じられない力ね、あんた」ユリアがゴダイに言う。「男の人って皆そうなの?」
「さあ? どうなんだろ」
二人がコミュニティの家まで近づくと、見慣れない黒塗りの自動車が停まっているのに気が付いた。二人は、重たい冷蔵庫を放り出して駆け寄り、そばの壁からそっと覗きこんだ。仲間が、知らない二人組と揉めているのが見えた。ユリアは出ていこうとしたが、ゴダイがそれを止めた。
「バカ! あれ、教会の人間だぞ……」
「教会の人間……?
ゴダイが頷く。
白い聖衣に身を包んだ男二人が、大声で命じた。
「いいからそこに並んで、靴を脱げ」
「何なんだよ、お前ら! いきなり――」ハバシリが声を上げた。
「いいから、言われたとおりにしろっ!」
聖職者が、力づくで抑え込もうとする。他の仲間もハバシリに倣って、次々に不満を口にした。老齢の聖職者が、溜息をついて言った。
「お前らがここでどういう生活をしているかはよく知っている。だから、やろうと思えば、今すぐにでもお前らをここから追い出すことも出来るんだぞ」
大した声量でもなかったが、その鉄の様に冷たい声は、辺り一帯に響いた。ハバシリは舌打ちをして、しぶしぶと並び始めた。聖職者が並んだ者たちに指示をする。皆、一様に靴を脱ぎ始めた。マズいな、とゴダイが呟くのをユリアは聞いた。
聖職者が並んだ者たちの足の裏を見て回った。一人、二人、三人と。
ユリアは彼らが何をしているのか分からなかった。そして四人目。コミュニティの中で四人いる女性のうちの一人。ユリアの面倒を色々と見てくれた五つ年上の女性。彼女の足裏を見て、老齢の聖職者が言った。
「彼女だ。車に乗せろ」
もう一人の若い聖職者が、彼女の肩に手をかけて車に乗り込むよう促した。彼女は手を払いのけて、抵抗しようとした。男は女の両手を取った。嫌がる彼女の叫び声が上がる。
「嫌っ! 何なの!」
「こっちに来い!」
聖職者が思い切り女の腕を引いたので、彼女は躓き、転んでしまう。その時、ハバシリが二人の間に割って入り、聖職者の顔面を殴った。並んでいた他の者たちも後に続き、若い聖職者に喰ってかかった。聖職者も罵声を上げて抵抗した。醜い小競り合いが始まった。
「ゴダイ、どうするの?」ユリアの不安そうな声。
「どうするったって……」ゴダイの歯切れの悪い物言い。
踏み出せない二人――そして、銃声! 辺りが……鎮まり返る。
ユリアとゴダイは見た。老齢の聖職者が空に向けて発砲した姿を。およそ
そして、選ばれた女性は車に押し込まれた。彼女の叫び声が辺りに響き渡る。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
計画も打算もなく、隠れていた壁から、ユリアは飛び出していった。一体何故、自分によくしてくれた彼女が連れていかれるのか。
「ユリアっ!」
ゴダイも後を追って飛び出した。聖職者たちは二人を見た。突然の闖入者。その一瞬の隙を突いてハバシリは飛びかかった。聖職者の持つ銃を奪おうとする。他の者たちも、もう一人の聖職者に襲いかかった。ハバシリの叫び声!
「ゴダイ、お前は逃げろ! こいつら、偽者狩りだっ! 行けっ――!」
怒号と罵声、そして叫び声。ゴダイは動き出せない。
「この馬鹿っ! 行くんだよっ!」
ゴダイは覚悟した。ユリアの手を取って駆け出した。喧騒から、聖職者から、逃げ出した。ユリアは手を引かれながら声を上げた。
「ゴダイっ! 痛いっ! 何が起こってるの?」
「
「何で? 何で逃げるのよ!」
「あいつらは偽者を許さないんだ!」
「偽物っ? 偽物って何?」
「あとで説明してやる! だからお前も来い!」
二人は全速力で走った。後ろから二発の銃声が聞こえてきた。けれども振り返らなかった。
もうあそこには戻れない。
この時、戻る勇気を二人は持ち合わせていなかった。
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