第壱章の陸【教皇】2/2
もちろん、この国の憲法は、その主権を国民と定め、国会が唯一の意思決定機関である事を謳っている。
だが、その国民の意思は、近代化の中で〝
だが、司教も人である。第一次十字防衛を指揮し、この国に勝利を与えた後、落命した。国民は嘆き悲しんだ。船頭を失い、人々は路頭に迷い始めた。形ばかりの国会は機能しなくなった。
御聖廟――そこには派遣司教が眠る。死の直前に取り出された脳が、幾つもの電極を差し込まれ、超高度情報演算処理
そして、教皇の息子がこの装置を引き継ぎ、この国での御十教を、
× × ×
御聖廟には今、派遣司教とその息子の初代教皇、その後を継いだリリアンヌの祖父、そして母が眠っている。リリアンヌは寝間着を着せてもらいながら、その事を改めて考える。リリアンヌの母、ナタァリヱは、彼女を生んだのち急逝していた。だから、リリアンヌは母の事を全く知らない。
「ねえ、タマヨリ。あなたは、母の付き人もしていたのよね?」とリリアンヌ。
タマヨリは主人の寝間着をうしろで結びながら、答えた。
「ええ。ただ、亡くなる直前に数カ月だけですけど……」
「それって、あなたがまだ二十歳くらいの事じゃないの?」
「そうですね……でも、あの頃は戦時下で、人員が足りませんでしたから。私みたいな新米でも徴用されたのだと思います」
「ふーん……ねえ、母はどういう人だったの?」
「とても理知的で聡明な方でした。あと、誰にでもとても親切でしたね。貧民街出身の私にも、すごく良くしていただきましたし……」
「へえ、理知的で聡明。そして慈愛に溢れていると」
リリアンヌはベッドに腰掛ける。
「嫌だなあ……私、そんな風になれる自信ない」
タマヨリはそれを聞いて、くすりと笑った。
「笑わないでよ」皇女が眉間に皺を寄せる。
「失礼しました。でもリリアンヌ様、大丈夫ですよ。あなたなら素敵な教皇になれます」
「そう?」
「ええ」
タマヨリは主人が脱いだ服をハンガァにかけて、
「この原稿、とっても良いと思いますよ。誰にでも親切だったナタァリヱ様のお考えにとてもよく似ております」
「ちょっと理想主義に過ぎないかしら?」
ベッドにもぐりこみながら、リリアンヌが尋ねる。
「そうですね……でも、終戦から八年が経っても、そこら中に困っている人たちがいる現状をみるに、これくらいの理想は語られるべきだと思いますけどね。それに、この国は不具者や弱者に対しての批判も根強いですし……」
雄弁に語るタマヨリを見て、リリアンヌが意地悪な笑みを浮かべた。タマヨリは急いで頭を下げた。
「失礼しました。はしたなく、話過ぎました」
「全然。むしろ、タマヨリが色々話してくれた方が、私、嬉しいもの」
タマヨリは恥ずかしそうに顔を上げて、リリアンヌを見る。
「いえ……それでは、リリアンヌ様、おやすみなさい。向かいの部屋におりますので、何かありましたらお声かけ下さい」
「色々ありがとうね。それではまた明日」
扉が閉まり、室内が暗くなる。
リリアンヌは目をつむり、思い返す。
昔、父に連れていかれた大きな研究所。薬品の匂いが充満した部屋にいた隻腕の少年。握手をしようと手を差し出して、初めてそのことに気が付いた自分。リリアンヌの持っている弱者への眼差しは、この出来事がきっかけだった。だが、彼女は、自身のその眼差しに、いくらかの
リリアンヌはベッドの中で、小さく十字を切った。寝る前にするいつもの習慣だった。そしてそれは常に次のような祈りの言葉を伴った。
「世界が平和でありますように――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます