第壱章の伍【保護】1/2

 野外灯のか細い光の中で、ゴダイは靴を脱ぎ、自分の右足をナナヒトに見せた。親指の付け根に番号が彫り込まれている。

「これで信じてもらえるかな?」

 ゴダイがナナヒトに尋ねる。

 こんな嘘をつく人間がいるはずがない――ナナヒトは頷く。

 ゴダイは靴を履きながら、ナナヒトに尋ねた。

「君、えぐった?」

「え……? 何をですか?」

 ナナヒトが訊き返す。

「足の番号だよ」

「ああ……ええ……」

 ナナヒトは靴を脱いで、足を見せた。指の付け根が赤くなり、血が滲んでいる。どうにかして複写生命であるその印を消すことが出来ないかと悪戦苦闘した跡だった。

「ああ、こりゃあまた随分ざっくりと……」

 ゴダイが茶化すように言う。しかし、ナナヒトは気にならなかった。自分と同じ存在に出会えたことが、それ以上に勝る安心感を抱かせていたからだ。

「これ、消すことは出来ないんですか?」

「そのやり方では消せないな。生体符号だからね。傷が治れば、またその番号は現れる。根治療の手術をすれば消せなくもないんだけど、まあ、普通の病院でやってもらうのは、ちょっと難しいかな……」

 ゴダイが答える。ナナヒトは、そうですか、と一言呟いて靴を履きなおした。ゴダイが机を挟んで、ナナヒトの向かいに座った。ユリアはそんな二人を遠巻きに見守るように、庵の柱に寄りかかっている。

「それで……ゴダイさんたちは、どうして僕の所へ来たんですか?」

 ナナヒトは姿勢を正して、二人に尋ねた。ゴダイが事の経緯を簡単に説明した。自分たちが同じ境遇の者を探している事、地下にコミュニティを築いている事、そしてナナヒトを保護しに来たこと、などである。

「……保護、ですか?」ナナヒトが眉間に皺を寄せる。

「いや、まあ、別に他意はないよ。ただ、もしも君に行くところがないのであれば、俺たちの所に来ればいい。そういうお誘いってわけさ」

 ナナヒトはどう答えたらいいか分からず、黙り込んでしまう。

「まあ、帰れるところがあるなら帰った方がいいかもしれない。けれども、君がもし何かに困っているようなら、俺らはその助けになりたいと考えてるんだ」

「……ありがとうございます。でも……すみません、その……僕、まだよく分からないんです……」

「まあ、そうだろう……色々と整理のつかない事の方が多いだろうね」ゴダイが肩をすくめて言う。

「あんまり難しいことは考えないで、来ればいいと思うよ」

 ユリアがもたれていた柱から離れ、二人に近づいて言った。

 ナナヒトはユリアを見た。

「多分もうこれまで通りに生きていくのは難しいと思う」

「ユリア、そんな風に言うもんじゃないよ」

 ゴダイが窘める。ユリアは言い返した。

「でも、期待させるような事も言えないでしょ……そもそも、彼の両親は――両親と呼んでいいのかすら定かじゃないけれども――彼を探しているの? ここ一週間、君は帰ってないんでしょう?」

 ユリアがナナヒトに尋ね、ナナヒトは遠慮がちに頷く。ゴダイが言う。

「ユリア、彼の両親が彼を探してないかどうかは、俺らには分からないし、彼は捨てられたわけじゃない。それに俺らと一緒に来るかどうかは、彼が決めることだよ」

「じゃあ何のために……」

「ユリア、選択肢の問題だよ。彼がこっちで生きていけるなら、それに越したことはない。わざわざあんな地下でマズい飯を食う理由はないじゃないか。でも、彼にこっちでの居場所がないのなら助けるべきだろう」

「まあ、そりゃあそうだけど……でも、それだって残酷よ。きっと遠くない将来、彼も彼の家族も気が付くんだよ? 結局、複写生命は誰かの偽物なんだって……誰かの代わりにはなれないんだって……そうなったらきっと彼だって……」

 ――捨てられる。

「だから……せめて、そんな目に遭う前にって……私たちみたいな想いはしてほしくないから……」

 ユリアがナナヒトを見る。ナナヒトが尋ねた。

「……ユリアさんも、その……複写人なんですよね?」

「そうよ。外国人の複写人なんて、ちょっと珍しいでしょ?」

 ユリアは遠慮がちに微笑む。

「ユリアはね、貴族院議員のところで生まれたんだよ」ゴダイが説明する。

「貴族院議員……最上流階級じゃないですか……」

「ゴダイ、勝手に教えないでよ」

「いいじゃないか、日本に三十三家しかいない聖貴族の出身なんだぜ? 自慢くらいしたくもなるさ」

「あなたが自慢することじゃないでしょ。第一、私自身、自分が誰の複写生命かもよく分かってないんだし……」

「……ちなみに誰なんですか? その貴族って」

 ナナヒトは身を乗り出して聞いた。

「君、割と遠慮ないのね」ユリアが冷めた目でナナヒトを見た。

「ご、ごめんなさい」

「ダイスマンだよ。あのダイスマン」ゴダイがユリアに代わって答えた。

「ダイスマン? あの貴族院議長のダイスマンですか?」

 ナナヒトは声を上げてしまう。

「……そうよ、なんか文句ある?」

 ユリアがきつい声で言った。ナナヒトはその剣幕に気おされる。

「ユリア、そんなに怒るなよ。別に悪気があるわけじゃないんだから」

「まあ、そうだろうけど……でも、私が貴族ってわけじゃないし……それにあの人、結婚してないから子供もいないのよ」

「ああ、それで誰の複写生命か分からないって……」

「そう。さしずめ愛人とか妾とか、そこらへんなんでしょうけど……」

「で、でもそれって大スキャンダルじゃないですか? 貴族が禁忌に手を出してたんですよ」

「そうね……でも、だからってどうだっていうの?」

「いや……でもそれが世間一般に公になったら……」

「この国の支配体制が揺らぐだろうね」ゴダイが言う。「でも、そもそも貴族院なんてものはさ、開国以来の近代化のために一時的に設置された議会だったんだよ。にもかかわらず、未だにこの国の一議会としての存続が許されてる。まったく変な話だよ」

 本来、この国の近代化が進めば、貴族院の役割は全て民衆院に移行され、それを担った聖貴族たちは、派遣司教と共に第参ロヲマローマ帝国に帰還するはずだった。だが、この国の人々は、思想的中軸となった派遣司教を帰すことが出来なかった。人々は、統一中華を前にして不安だったのである。そして盟治二六年、統一中華との間に東亜戦争が起こり、未成熟なこの国の政府・国会は機能不全に陥った。そしてその時、その混乱に割って入り、果断に指揮を取った人物が、まさしく派遣司教だった。

 こうして派遣司教はこの国に確固たる地位を築いた。この国の人々に必要とされる存在になった。それに伴い、御十教に準じた立法を制定する、貴族院もまた残されたのである。

「私はそんなスキャンダルには巻き込まれたくないの。目立たずに普通に生きてさえいければ、それでいいの」

 そう言って、ユリアはナナヒトの向かいに腰かけて、彼に尋ねた。

「で、ナナヒト君はこれからどうしたい?」

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