第壱章の弐【捜査】2/2

 アワナキたちの車が署に着く。ゴチック様式で設計された巨大な黒い首都警察署。見る者を威圧することを目的にされたデザイン。

 車を降りると、の公用車が一台、駐車してあるのに気が付いた。一体、教会が警察に何の用なのか――アワナキは微かな不安を抱く。

「ちょっと会議室まで来てくれないか?」

 アワナキが自席に戻ったところで、上司のカガに呼び出された。トウドウと二人で会議室に向かう。

 部屋に入ると、カガともう一人、知らない男がそこにいた。白いロウブローブに黒い太線が縦横に引かれていて、その十字の交点には真っ赤な真円が描かれている――そういう聖衣に、男は身を包んでいた。それはシヱパアドシェパードを意味していた。そう、教皇直下の教会警護隊。

「こちら、教会警護隊員のクザンさん」カガが男を紹介する。

「聖皇庁警護局警護隊のカギヒト・クザンです。洗礼名は、タカクラジ。以後、お見知りおきを」

 そう言って、クザンと名乗った男は深々と頭を下げてから、ニッコリと微笑んだ。坊主頭に鷲鼻、針のように細いフレエムフレームの眼鏡をかけている。レンズの表面には幾つもの画面が展開されていた。何か情報のやり取りでもしているのだろう。人が話をしている最中に通信する人間。アワナキの嫌いな人種である。

「そう、よろしく。で、どういう用件で?」

 アワナキは挨拶を返して、手を差し出した。クザンの方も、相手の不機嫌に気が付いたのか、頭を下げるだけで握手には応じない。カガは険悪な雰囲気を見てとって、部下に説明をした。

「彼は教会からの派遣でね……今回のアイゼン氏殺害の容疑者を合同で調査することになったんだ」

「……合同? どういうですか? 部長」アワナキが険しい顔つきで尋ねる。

「そう嫌そうな顔をするな。これは教会側からの正式な依頼があってのことなんだ」

「依頼?」

 クザンがロウブの袖をまさぐって、小型の情報端末を取り出した。

「依頼文書一六五キのケ第三〇二号になります」

 クザンは、端末からホログラフを空域出力させる。聖皇庁から首都警察に発出された文書の写しだった。

「首都警察からの正式な回答も貰っています。そちらもご覧になりますか?」

「いや、結構。決定事項ならもう仕方ないでしょう」

 アワナキが機嫌悪く言い放つ。

「しかし部長、一体どういう理由で教会と? 彼らは教会の警護隊であって、警察じゃないんですよ」

 カガが歯切れ悪く説明をする。

「その……教会としては、今回の事件の犯人が複写人である可能性を考えているんだ」

「……まあ、その可能性もありましょう。で?」

「それでだな……彼らとしては、もし犯人が複写人だった場合、その犯人を教会で捕まえたいと考えているわけだ……」

「……意味が分からない。どういうことなんです? それは」

 アワナキの語気に押され、カガは口ごもってしまう。

「こういうことなんですよ、アワナキさん」クザンが、必要以上に丁寧な口調で、カガの話を引き継ぐ。「今回の事件が、もしも〝似て非なる者〟――彼らの仕業であるならば、これは由々しき事態なのです。教会は、彼らの存在そのものを許していない。そして、それはすなわち世論もそうだということを意味しています」

「それで? それが俺らの捜査と何の関係があるんだ?」

「もし本当にそうならば、我々は人々の信仰を守らなければならない。人々が抱く社会不安を取り除かなくてはならない。つまり、我々が、似て非なる者の蛮行を処罰し、彼らの活動を抑えていかなくてはならない、ということなのです」

「……クザンさん、あんた今、彼らって言ったな? あんたたち教会は、今回の犯行が組織ぐるみのものだと考えているのか?」

「可能性の一つ、として。しかし、問題はそこではないのです。似て非なる者全員が、こういう野蛮な行為を犯しかねないということが問題なのです。だからこそ、教会が率先して、社会信仰を脅かす恐怖を取り除かなくてはならないのです」

 アワナキは眉間に皺を寄せ、クザンを見上げる。

「で、俺らが無事に犯人を捕まえた暁には、そちらさんに犯人を引き渡し、それからどうなるんだ?」

「その犯人から、持っているであろう他の似て非なる者の情報を引き出します」

「はっ……拷問でもする気かよ」皮肉を込めたアワナキの口調。

「もちろん。場合によっては」平静で冷淡なクザンの口調。

「まるで話にならない。第一、犯人はまだ全く分かっていない。それにもし、複写人が犯人だとして、だ。それがどうして、他の複写人を抑え込む理由になるんだ? 彼らは、何もしてないんだぞ? その何もしていない複写人たちも捕まえようっていうのか? お前たちは」

「そうです」

 クザンは、断固とした口調で言い切った。

「彼らは、教会の原典上、許されない存在です。我々は彼らを、一般の人々から隔離し、保護する必要があるのです」

「保護法……」

 アワナキの隣に立っていたトウドウが呟いた。その法律のことは、アワナキも知っていた。捨てられた複写人を保護するための法制度。

「保護法と何の関係があるんだよ」とアワナキ。

「いや、確か最近、保護法の改正案が出てた様な気がするんです……」

「よくご存じですね」クザンが微笑む。「そうです、改正保護法です。これにより、保護はこれまで以上により積極的なものへと変わっていく予定です」

「積極的?」

「そうです。我々警護隊および保護隊が、街にいる似て非なる者を積極的に保護していくのです」

 アワナキは何も答えない。クザンは眼元に笑みを浮かべる。

「アワナキさん、今回の件を見ても分かるでしょう。犯人が似て非なる者であれば、他の似て非なる者も、他の敬虔な信者を傷つけかねないんです。だって、彼らは神の法を犯した禁忌なのだから。そのために、何かを起こすその前に、彼らを保護するのです」

 アワナキは、クザンの物言いに、言葉の端々に、傲慢な態度を見てとった。だが、そんなことでこれ以上今ここで言い争う意味はない。

「……まあ、お前らの事情は分かったよ」

 アワナキは、溜息をついて言った。

「物分かりがよくて大変助かります。あなたに、神の御加護を――」

 そう言って、クザンは自身の胸の前で十字を切って、交差した指をアワナキの頭上に掲げた。極東御十教の司教がよくやる作法だった。アワナキはその指先を不愉快に見上げながら、尋ねた。最後の確認だった。

「調査結果をそっちに差し出すだけじゃダメなのか?」

 クザンが、一瞬驚いた顔をして、それから小さく失笑した。

「ああ、失礼……。アワナキさん、これは調査や捜査の類ではありません。ましてや逮捕でもありません。これは人々を真理へ導くための伝道なのですよ」

 クザンはニッコリと笑ってから、その細い眼で、カガ、アワナキ、トウドウの三人を見下ろした。薄い乳白色のレンズには、もう何も表示されていなかった。

 その時初めてアワナキは、この宗教家の眼をハッキリと見ることが出来た。そしてアワナキは気が付いた。男の眼は、確かに三人を見つめていた。けれども彼は、その実、アワナキのことなんか全く見てもいなかった。その場にいる誰のことも、気に留めていなかった。

 その男は、経典だけを、極東御十教の教えだけを、見ていたのである。

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