第壱章の弐【捜査】1/2

「すみません、葬儀を終えたばかりの慌ただしい時に……」

 そう言いながら、イズホ・アワナキは、今見せた警察手帳を背広の内ポケットにしまった。そばに立つ部下のカイラク・トウドウも同じように仕舞い、代わりにペンとメモ帳を取り出した。

「いえ……そんなことは……」

 二人の前に立つ女性は、涙声で答えて、潤んだ目を刺繍された綺麗なハンケチで押さえた。喪服の開いた胸元には、首から下げられた十字架が控えめに輝いていた。そして、二人を玄関に立たせたままである事に気が付き、居間へと案内をした。

 そこは、アズマみやこ第八教区、山の手の内側、高級住宅街の一角だった。八年前の戦争の面影は、ここら一帯にはすでに残っていなかった。立ち並ぶクリイム色の壁面、彩られたパステルカラアの屋根やね、生い茂る庭の樹木。淡く落ち着いたピンク色の陽光が、天窓からそっと差し込んでいる。

 そんな中、ベルベットの絨毯の上、ツイヰドツイード地のソファに座る二人の小汚い刑事は、酷く不釣合いで不格好だった。だが、アワナキは遠慮なく尋ねた。

「さっそくですが、ご主人のソウジ・アイゼン氏、生前、誰かから狙われたり、恨まれる様な事はありませんでしたか?」

 向かいに座ったアイゼン夫人は、よく手入れされた細い指で眼元を拭ってから、きっぱりと答えた。

「……ありえません。主人は立派な人でしたから」

 夫人の赤らんだ丸い瞳が、アワナキをまっすぐに見る。アワナキは全く臆することなく、質問を続けた。

「では何故アイゼン氏は、郊外の港町にアパアトの部屋を借りていたのでしょうか? アズマの第八教区にこれほどの邸宅をお持ちなのに」

 夫人は一度目を伏せ、それから顔を上げる。

「あの人、議員をやる前は郊外の大学で講義を受け持っていましたから……」

「そうですか……アイゼン氏のご専門は、法学でしたよね?」

「ええ」

 失礼、そう言ってアワナキは、ティカップを手に取り、紅茶を一口飲んだ。熱くて真っ赤な紅茶だった。それから黒く磨かれたテエブルにカップを戻す。

「法学の講義であれば、確か、他の大学でもいくつか受け持っていませんでしたか?」

「……ええ、そう言われれば、そうだった気も……あの人、とても忙しい人でしたから。私も全ては覚えていないんです」

「……そうですか」

 二人の会話を、トウドウが手帳にメモしていく。

「あと、主人の選挙事務所が向こうにありますもの。あそこにアパアトを借りたのもそういう理由でしょう……」

夫人が付け加えるように言う。

「そうでしょう。そこまではこちらでも検討がついていました……では奥さん、本当にアイゼン氏が襲われた理由に何も心当たりはありませんか? ホンの些細な事でも構わないのですが」

「……ええ、分かりません」

「アイゼン氏が成立を目指していた複写生命管理法について、何か聞いたことはありませんでしたか? 揉めているとかなんとか、そういったことは?」

「いえ、ありません。あの人、仕事の話は全然しませんでしたから……もしかして、に、似て非なる者が主人を?」

「似て非なる者? ああ、複写人の事ですか? いえ、そこはまだ分かりません。ただ、あの法案にかかる委員会は、アイゼン氏の所属していた国民党の党首選直前に設置されました。そしてあの法案は、世間では大いに受け入れられていた。つまり、党首選は限りなくアイゼン氏に有利に進んでいたと言っていいでしょう。そういう意味で、党内などで諍いや争いがあったのではないかとお伺いしたいのです」

 夫人は俯いて、黙り込んでしまう。しばらくの間ののち、彼女は答えた。

「……分かりません。本当に分からないんです」

 アワナキは彼女を見て、これ以上聞いても無駄だろうと判断した。

「奥さん、今日はこれで失礼します。心からお悔やみ申し上げます。また、我々は一日でも早く犯人を捕まえるために尽力します。今後とも、すみませんが、何卒ご協力よろしくお願いします。お忙しい所、本当に失礼しました」

 アワナキは立ち上がり、トウドウと一緒に頭を下げた。

 三人が居間を出ると、廊下を挟んだ向かいの部屋が見通せた。その入り口に一人の子供が――中学生くらいだろうか――曇りガラスの歯車眼鏡をかけて、こちらを向いて立っていた。小脇には一冊の本を抱えている。

 アワナキとトウドウは、その姿に一瞬たじろいで、足を止めた。その子の目は、曇りガラスに覆われいて、何を見ているのか分からない。口元には微かな笑みがこぼれている。夫人が二階に行くよう促して、彼はまだ声変わりをしていない高い声で返事をして、行ってしまった。

 アイゼン氏の邸宅を出て、石畳の階段を下りながら、トウドウが言った。

「ここの家族はみんな、熱心な極東御十教徒イヰスタンクロシアンなんですね」

「ん……ああ、そうみたいだな」アワナキは、アイゼン夫人の胸元で輝いていた十字架を思い出す。

「息子さんの抱えてた本、見ました? アレ、十字経典でしたよ」

 車のドアを開け、二人が乗り込む。アワナキが、車に搭載された高度情報システムを起動させ、〝神の御加護〟が展開される。

〝神の御加護〟――戦中戦後の超高度情報化の中で、教会が頒布した情報収集解析ソフトウヱアの一つ。アワナキが命ずる。

「署までの経路を」

 〝神の御加護〟は、この国の極東御十教信者の情報端末全てにその目を行き届かせていた。そして、その膨大な情報を基に〝神の御加護〟は、使用者にとって最も適切な解答を出すことが出来た。

 車載端末に経路が表示された。現在封鎖されている主幹道が周到に避けられていた。封鎖された大通りは、今度執り行われる聖皇女の即位式、そのパレエドパレードコオスコースなのだろう。トウドウがアクセルを踏み、車が走り出した。

「最近は〝神の御加護〟を通して、ミサや贖罪も行えるみたいですね……さっきの息子さんも、あの眼鏡を通して教会と繋がっていたのかもしれませんね」

 トウドウがポツリと言う。

「へえ……それじゃあ、教会の支配体制も、超高度情報網を得たことで、より盤石になったというわけだ」

 アワナキが乾いた笑い声を上げた。

 アワナキ自身は特に熱心な信者ではなかった。けれども、信者になっておけば、余計な事に気を回さなくても済む、そういう風に考えていた。昔からの生活様式も、昨今の情報システムも、教会の意向に沿った形で最適化されている。皆がそれに倣っている。何故ならば、その方が楽だからだ。だからアワナキもそれに従った。そして、これまでにそれでいて困ったことは、特に何一つなかった。

「しかし、若い奥さんでしたね……」

 ハンドルを握るトウドウが言う。

「歳が……アイゼン氏が五二歳、夫人が三二歳だろう」

「あの港町のアパアト、どう思います?」

「ま、仕事用だけ、ということはないだろう。議員として、人前で出来ない話をするための部屋として使っていたかもしれないが、ホントの所は、どうだろうな。あのアパアトで浮気をしてたんだと思う」

「あんなに美人の奥さんがいるのに……」

「むしろ、そういうことだろう。アイゼン氏の女癖の悪さは、調べた限り幾つか出てきているしな」

「防犯カメラの映像は?」

「……カメラに映った人影は、大きな外套を羽織っていたとはいえ、小柄で華奢なのは一目見れば分かる。それに、アパアトの住人が、犯行日の何日か前に女性らしき声と言い争っているのを聞いている。今回の件だって、多分それ絡みじゃないかと俺は思うんだけどな」

「そうですかね……複写人って線は考えられないですか?」

「どうだろうな……そもそも複写人が犯人だとして、どうやってアイゼン氏があそこにいるってことが分かる?」

「いや、この高度情報化社会の中で、調べられないことなんかないですよ。ましてや、議員は有名人なんですから」

「どうかなあ……複写人だとしたら、少なくとも〝神の御加護〟は使わないんじゃないか? アレは個人情報を明け渡すことと引き換えに、使用が許可されるんだから。わざわざ教会に足跡を見せるバカもいないだろう。そんな中で、アレを通さずに、欲しい情報だけを盗み出すとなると、それなりの技術力が必要になるだろう」

 車はいつの間にか、雑多な繁華街に入っていた。辺り一帯が、今度行われる式典に向けて、華やかに飾り付けられていた。

「もうお祭り一色ですね」

 トウドウが呟いた。

 アワナキも窓の外に目をやった。そして、考える――もしも複写人が犯人なのであれば、それは二十歳未満の者に限られる。何故ならば、ヒトの複写生命技術はここ二十年の歴史しかない。やるせない事件にならなければいい、とアワナキは切に願った。

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