第壱章

第壱章の壱【地下ホオム】1/2

 黒塗りの大きな高級車が、戦争の爪痕が激しく残る、瓦礫と復興の街並みを抜けていく。

 革張りの艶やかな座席に腰掛けた幼いユリアは、流れていく景色の中に、崩れた廃墟とそこで生活を営む人々の姿を見た。ユリアは、その光景に目を奪われた。まるでいけない物を見ているような、軽い罪悪感。

 隣に座るユリアの父、ダイスマン・ウォヱンラヰトウォーエンライトが娘に向かって言った。

「今日から、お前とは一緒に暮らせない」

 ハッキリとそう言われたことを、ユリアはよく覚えている。

「どうして?」

 ユリアは父親に向いて、あどけない声で尋ねる。父親は何も答えない。そして二人を乗せた自動車は、街の一角でゆっくりと停車した。

 運転手がドアを開け、二人は外に出た。朝冷えに凍えるユリアは、辺りを見回した。ここら一帯は、それほど戦争の被害を受けていない地区のようだった。ユリアの目の前に、塀に囲まれた大きな建物があった。入口には、背の高い鉄の扉がそびえている。

「お前は今日から、ここで暮らすんだ」

 幼いユリアには、意味が分からなかった。けれども今の言葉には、有無を言わさぬ強い口調が含まれていたから、ユリアは何も言えずに黙り込んでしまう。

 扉が音を立てて、少しばかり開いた。中から腰の曲がった、しかし身なりの小奇麗な老婆が出てきた。老婆はダイスマンに頭を下げ、ダイスマンもそれに頷いた。ユリアは父親を見上げた。

 老婆がユリアに近づき、彼女の肩に手をかけ、門の中へと導こうとした。中には、よく手入れされた庭があり、その先に石造りの建物があった。並んだ窓には、全て鉄格子がはめられていた。空を見上げれば、そこに十字架が居丈高に掲げられていた。中央に紅い宝玉をはめ込んだこの国固有の十字架。それは、近代からこの国を支配してきた教会の象徴。

「さあさあ、行きますよ。中で朝食の用意が出来ていますからね」

 そう言って、老婆はユリアを促した。ユリアは中に入ろうとせずに、何度も父親を見た。ダイスマンは一度だけ娘を見やり、外套の折り目を正して踵を返した。そしてそのまま車に乗り込んで、行ってしまった。

 ユリアは傷心を抱えたまま、老婆に連れられて、中に入った。扉が大きな音を立てて閉まった。ユリアは、老婆を振り切って、扉に向かって駆けだした。出られるはずもない扉に向かって、大声で父親を呼んだ。

 そして、遠くから大量の怒声が鳴り響き、空から石が降ってきた。老婆がユリアに駆け寄り、庇うようにして身体を覆った。二人は建物に向かって走り始めた。拳大の石は、建物の外、塀の向こう側から投げられていた。石は延々と降り続けた。逃げる最中、ユリアは石に巻かれた一枚の紙を拾った。クシャクシャになった便箋である。汚い走り書き、その文面を見る。


〝似て非なる者に、死を〟


 当時十歳だったユリアには、その意味は分からなかった。けれども、今は知っていた。自分が普通ではない事を――。

 ユリアは、複写生命だった。


 × × ×


 ユリアは、目を覚ました。気持ちの悪い汗をかいている。暗鬱な気持ちを抱いて、体を起こした。

 また、あの夢を見た。七年も昔のことなのに――ユリアは微かな悪寒を感じた。そして気持ちを入れ替えるように、麻の寝間着を脱いで、身支度をした。体を拭いて、髪をとかす。赤いチェックのスカアトスカートに黒い薄手のセヱタアセーターを着る。長老、この格好だと派手だと言って文句を言うかしら? ひび割れた鏡の前で自分の姿を見返して、ユリアはそんなことを考える。

 彼女が暮らす狭いトタン小屋の中は、様々な物に溢れていた。どれもこれも、数年前にここで暮らすようになってから、瓦礫の山で拾ってきたものだった。ぬいぐるみや壊れたラヂオラジオ、欠けたネクレスネックレスに使いかけのアロマカンドルキャンドル

 ユリアは、ブウツブーツを履いて小屋を出る。そこは地下鉄のプラットホオムホームの跡地だった。かつてアズマ都の第八教区を走っていた地下鉄の廃ホオム。戦後の復興が未だなされない、そういう場所にユリアたちは住んでいた。

「おはよう。随分なお寝坊さんね」

 ホオムに置かれた白いプラスチック製の丸テエブルテーブル、そこに座った女がユリアに声をかけた。

「おはよう。別に用事もないんだから、寝坊くらいさせてよね」

 ユリアは挨拶を返して、隣に座った。女は食事をしながら、テエブルに置かれた古くてボロいブラウン管のテレビを観ていた。ちょうど夕方のニュウスニュース番組が始まったところである。冒頭の特集で、聖皇女の即位式の準備が盛大に流されていた。

 ユリアは何気なく辺りを見渡して、そこかしこにある干しっぱなしの洗濯物や、どこからか拾ってきた本の束、使えるのかすら分からない電子機器などを目にして、溜息をついてしまう。

「ユリアー、おはよう!」

 三人の子供たちが大声で叫んで、ユリアたちのいるテエブルの周りを駆けていった。子供たちの歓声が、構内に響き渡る。

「おはよう」

 ユリアも大声で、返事をした。現在この地下ホオムでは、八人が共同で生活をしていた。

「果物なんかないよね?」

 テレビに映るリンゴを見て、ユリアは何気なく尋ねる。

「ばかねえ、あるわけないじゃない。これ、あなたも食べる? おなか、すいてるでしょ?」

 そう言って、女は立ち上がり、少し離れた長机に向かった。置かれた鍋と皿に手をかける。ユリアが呟く。

「また、お粥……」

「食べなさいね。あなた、痩せすぎなんだから」

 食事を盛り付けながら女が言う。

「ニイダさんに言われたくない」

 ニイダは骨ばった自分の体を見下ろす。確かに、齢四十のに比べれば、相当に痩せてはいた。彼女は、短く刈りあげた髪を真っ青に染めて、耳に大きなピアスをはめていた。ニイダはゲイだった。そしてかつて、歓楽街で働いていた。だが現在、そんな街は存在しない。全て、前回の大戦が消し去ったからだ。

「はい、どうぞ。あとお塩ね」

 ニイダはユリアの前に粥と塩を置いた。ユリアはニイダを見る。それから塩を二三回ぶっきらぼうに振って、一口食べた。

「どう? おなかが空いてれば何でも美味しいでしょう?」

「……いや、微妙だよ、やっぱり」そう言いながらも、ユリアは食べ続ける。

「生意気ねえ。寝坊しておいて」

 ニイダが窘める。そんなニイダを見て、ユリアは食べる手を止める。そして小声で――。

「でも、ありがとう」

「どういたしまして」ニイダは小さく微笑んだ。


 盟治一五三年。侍の時代が終わりを告げて、約一五〇年。今、この国では「御十ごづきょう」の名の下に、強固な思想支配が確立していた。西欧列強が幕府を下し、派遣された統治機関――三十三人の聖貴族と一人の極東派遣司教が、その敷延の役割を果たした。

 開国以来、この国の人々が寄る辺もなく路頭に迷う中、彼らは、西洋の文化様式と「御十教」を、この国の人々に説いて回ったのである。もちろんそれは、純粋に心からの「教え」であったのかもしれない。だが、近代以降、この国が経験した三度の大戦の事を考えれば、必ずしもそれだけが理由とは言い切れなかった。何故ならば、十字共栄圏にとって、この国は統一中華チャイナ・ストラクチャアとの太平洋覇権を巡る最前線防衛戦線であったからである。

 結果、この国に「御十教」が根付いたことは、また根付かせたことは、宗主国・第参ロヲマローマ帝国【サアドヱンパイア】の思惑通りだったと言えるのかもしれない。

 そして、この一五〇年の間に、この国の「御十教」は、微かに残っていたこの国独自のアニミズム信仰を取りこんで、「極東御十教イヰスタンクロス」とその名を改めた。

 その教えにはこうあった。


 第零条――あなた方は皆、神の子である。

 第七条――偶像の崇拝を禁ずる。

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