序章

序章【プロ々オグ】

 

 鈍い銃声が響いた。

 切れかけた緑の室内灯が、レンガ造りのその部屋をチラチラと照らしていた。右足を撃たれた男は、呻き声を発し、床に倒れ込んだ。熱い銃口が白煙を吐いている。

 外套の頭巾を目深にかぶった仮面の襲撃者が、部屋の入り口を離れ、撃たれた男へと近づく。


 場所は、戦後首都アズマみやこ中心街から列車で二十分の港町ベイラン。時刻は深夜二時を過ぎ、表の通りにはほとんど人影がない。

 だが、と襲撃者は思った――先程の銃声で、このアパアトアパートの住人が目を覚まさないとも限らない。事は迅速に実行されなくてはならない。襲撃者は手にした銃の撃鉄を起こした。

「待ってくれ! お前の目的は分かっている。これだろう? これなんだろう?」

 男はよろめきながら立ち上がり、部屋奥の西洋机デスクに置かれた文書の束を掴んだ。

「複写生命管理法! 取り下げる! これは、議会に掛け合って取り下げる! だから……」

 痛みに涙を流しながら、男は懇願する。

 襲撃者の表情はベネチアンマスクに閉ざされて、何を考えているのか、はた目には全く分からない。しばらくの沈黙の後、襲撃者は男の真正面に銃口を向けた。

「っ……!」

 男が声を上げる間はなかった。そして銃声。そして血しぶき。

 男が持っていた文書の束が宙を舞い、床一面に散らばる。穴の開いた心臓から溢れ出した鮮血が、紙面を紅く染めていく。インキで綴られた大仰な文字列が、黒く滲んでいく。男はその上で、物言わぬ死体に成り果てた。

 外套をひるがえし、襲撃者は足早にその部屋を後にする。階段を駆け降りる。思いのほか足音が響く。石畳の大通りに出ると、濃い霧が立ち込めていた。まばらにともる街灯の明かりが弱々しい。襲撃者の微かな笑みが、マスクから零れた。そして、襲撃者は夜の闇に消えた。

 二発。二発の銃弾が、国会議員ソウジ・アイゼンの命を摘み取り、事の始まりを告げた。

 全てはここから始まった。



複写生命【ふくしゃ‐せいめい】(名)

遺伝子情報を基に、同一の生命体を復元・複製したもの。その総称。

→関連語 複写人【ふくしゃ‐びと】複写生命技術によって作られたヒトの呼称。

                          引用『大辞界 第十七版』

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